鳶(とんび)の話
若いころ、日本の歴史小説を読んだ記憶はほとんどないのだけれど、その原典にもなっていると評価される森銑三氏の著作集を、今でも何冊か持ち歩いている。私がたいした読みもせず、内容さえ十分に理解できない彼の本を手放せないのは、本の内容がどうこうなのでなく、その文章に目を走らせるだけで、なんとも言えない心地よさに浸れるから。
森 銑三(もり せんぞう、明治28年(1895年)9月11日~昭和60年(1985年)3月7日)は在野の歴史学者、書誌学者。(ウィキペディア)
そういう種類の本は他にもある。私が二十歳前後に出会った、古井由吉氏翻訳の「誘惑者」(ヘルマン・ブロッホ作、筑摩世界文学全集1967年刊)を読んだときにも似たような感覚を味わった。この本は第二次大戦前夜のドイツが舞台の小説である。森氏の本とはまったく性質の違う本なのに、読んだときの満足感というか幸福な気持ちは、説明が付かないほど大きなものだった。実は最近、古本屋からその懐かしい本を取り寄せて数ページ読んでみたのだが、なんの感慨も浮かばないことにショックを受けて、書棚の奥に突っ込んでしまった。
ところで、しばらくしまい込んだままの森銑三氏を思い出したのは、江戸学の先達、三田村鳶魚(えんぎょ)からの連想なのだ。そして、鳶魚を思い出したのは、自家の近くの並木の辺りから、鳶(とんび、トビ)のピーヒョロロという鳴き声を久しぶりに聞いたから。
三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ、明治3年3月17日(1870年4月17日)~昭和27年(1952年)5月14日)は江戸文化・風俗の研究家である。本名は万次郎、後に玄龍。その多岐に渡る研究の業績から「江戸学」の祖とも呼ばれる。(ウィキペディア)
鳶魚の本も屋根裏の書棚の片隅に一冊押し込まれていた。ページを開いてみたが、どうも読んだ記憶はない。決して廉価な本ではないのだけれど、そういう本が他にもかなり仕舞われている。
鳶のことだが、数年前に、一羽の鳶が集団で行動するカラスの嫌がらせに遭っている場面を目撃した。その後、ずっと彼の気配がしなくなっていた。あのころの雛が成長して、生まれた巣の近くに舞い戻ってきたのだろうか。巣の周囲にはずいぶん新しい家が建ち、傍らの幹線道路の交通量も格段に増えた。しかし、彼の鋭い目と勇気は、そんな景色の変化に惑わされることはなかったのだろう。(2011.11.7了)
若いころ、日本の歴史小説を読んだ記憶はほとんどないのだけれど、その原典にもなっていると評価される森銑三氏の著作集を、今でも何冊か持ち歩いている。私がたいした読みもせず、内容さえ十分に理解できない彼の本を手放せないのは、本の内容がどうこうなのでなく、その文章に目を走らせるだけで、なんとも言えない心地よさに浸れるから。
森 銑三(もり せんぞう、明治28年(1895年)9月11日~昭和60年(1985年)3月7日)は在野の歴史学者、書誌学者。(ウィキペディア)
そういう種類の本は他にもある。私が二十歳前後に出会った、古井由吉氏翻訳の「誘惑者」(ヘルマン・ブロッホ作、筑摩世界文学全集1967年刊)を読んだときにも似たような感覚を味わった。この本は第二次大戦前夜のドイツが舞台の小説である。森氏の本とはまったく性質の違う本なのに、読んだときの満足感というか幸福な気持ちは、説明が付かないほど大きなものだった。実は最近、古本屋からその懐かしい本を取り寄せて数ページ読んでみたのだが、なんの感慨も浮かばないことにショックを受けて、書棚の奥に突っ込んでしまった。
ところで、しばらくしまい込んだままの森銑三氏を思い出したのは、江戸学の先達、三田村鳶魚(えんぎょ)からの連想なのだ。そして、鳶魚を思い出したのは、自家の近くの並木の辺りから、鳶(とんび、トビ)のピーヒョロロという鳴き声を久しぶりに聞いたから。
三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ、明治3年3月17日(1870年4月17日)~昭和27年(1952年)5月14日)は江戸文化・風俗の研究家である。本名は万次郎、後に玄龍。その多岐に渡る研究の業績から「江戸学」の祖とも呼ばれる。(ウィキペディア)
鳶魚の本も屋根裏の書棚の片隅に一冊押し込まれていた。ページを開いてみたが、どうも読んだ記憶はない。決して廉価な本ではないのだけれど、そういう本が他にもかなり仕舞われている。
鳶のことだが、数年前に、一羽の鳶が集団で行動するカラスの嫌がらせに遭っている場面を目撃した。その後、ずっと彼の気配がしなくなっていた。あのころの雛が成長して、生まれた巣の近くに舞い戻ってきたのだろうか。巣の周囲にはずいぶん新しい家が建ち、傍らの幹線道路の交通量も格段に増えた。しかし、彼の鋭い目と勇気は、そんな景色の変化に惑わされることはなかったのだろう。(2011.11.7了)