タンザニア西端のタンガニーカ湖に生息する、体長五センチほどにしかならない魚の驚くべき子育ての記事を見た。彼らは数百、数千匹の群を作って行動していて、卵から孵った稚魚を、まずメスが口の中で育てるのだそうだ。その間、親魚はどうやって餌を食べているんだろうか? それはともかく、そこまでは特別不思議ではない。母親はどんな種においても過重な育児労働を背負うものだから。
その魚は、一定期間を経ると、今度はオスに稚魚を引き渡すそうだ。鳥類は同じペアで一生を送るケースがずいぶん報告されているから、当然鳥のオスは育児に熱心なのだろう。犬が猿の子どもの面倒を見たり、猫が小さなインコをかわいがったり、人のオスの間で子育てがトレンドになったりする時代なのだから、なにが起きても驚かない。
日本の調査隊は、稚魚を受け取ったオスとその稚魚のDNAを調べてみた。すると、驚愕の事実が判明した。オスのDNAと稚魚のそれとが、すべて一致していることが証明されたのだ。ということは、メスは自分の卵を孕ませたオスを識別して、稚魚を渡したということになる。群の中からひとつの個体を判別する能力とは、人の器官はあまり精度が高くないから信じられないかもしれないが、たとえば海から戻った親ペンギンが、何万匹もの子ペンギンのひしめく繁殖地で、迷うことなく自分の子に餌を届けることができるほど精巧なものだ。
この魚の産卵形態がどうなっているのか紹介されてはいないが、普通、河床に産卵受精する鮭などの場合のように、メスの産卵場所目がけて多くのオスが先を争って殺到する情景を思い浮かべる。この魚たちも、とくにメスは、その場面でどのオスが他のオスを蹴落として事を成就したか、目を皿にして探しているということなのか。それとも、彼らにとって、受精した卵や稚魚がどの親魚に属するのかわかるのは当然ということなのだろうか。ひょっとすると、鳥類のように、決まった伴侶がつねに傍にいると考えることもできるだろう。実のところは、人がとやかく考えるほど、不思議でもなんでもないよ、ということなのかもしれない。
最後の付け足し。彼らの生き様と、私が経験した家庭の有り様を比べてはいけないのだが、魚やペンギンたちの律儀でいじらしい育児姿に心が洗われて、なんだか人の営みの方が辛く哀れに思われるのは、あまり悲観的に過ぎるだろうか。(2011.11.29了)