蝶が1200キロメートルを大移動した話。
アサギマダラという蝶が、函館から下関まで、二ヶ月かけて約1200キロメートルをひらひら飛行したことが、最近確認された。一日の半分を飛行に充てていたとしたら、時速1.7キロメートルのスピードになる。雨の日はどうしたものかと悩んだかもしれない。強い風に吹かれれば、たちまち日本列島から外れ、海の上を飛び大陸まで到着した蝶もあっただろう。
こういう行く当てのない旅をして、まるで待ちかまえていた人がいる下関に着くとは不思議と言えば不思議だ。刻々変化する気象条件、周囲を跳梁する鳥などの無数の外敵、降り注ぐ放射能などの汚染物質をもろともしなかったはずはない。一万のうちのひとつが到達したのだろうか。それとも群をなして飛行し、なんとかたったひとつだけを守ったんだろうか。この不確実性がなんともいいがたい快感を呼び覚ます。たとえば、偶然と必然とが実は裏側で一致していたとか、小さく見えるものが実は大きなものを包み込んでいたとか、アインシュタインの投げられた石は実は自分の意志で飛んでいったとか、隕石が地球に向かって飛んできたんじゃなく、地球が隕石に向かって飛んでいるんだとか、この世界には紛らわしい事柄が無数に存在している。この蝶もその中のひとつだと思えば不思議でもなんでもないのか。
ついでにトンボが宗谷岬から北を目指して飛翔する話。
だいぶ前のテレビ放送で、トンボ研究の専門家が、宗谷岬でトンボを待ちかまえる映像を見た。岬が海になだれ落ちるほんの手前に立ったその中年男性の頭上には、目にもとまらぬスピードで北の海へ向かって飛んでいくトンボがいた。まるでビュンビュンという羽音が聞こえるような勢いだった。確か、その近くの海岸には間宮林蔵が当時の樺太に渡った記念碑があったと思う。トンボとはなんの関係もないが。
そのトンボは日本の固有の赤とんぼ(アキアカネなど)ではないようだ。ウスバキトンボという種類なのかと思うが、そのときのテレビ放送でなんと言っていたかまったく記憶にない。ウスバキトンボは、日本列島の南から北までの三千数百キロメートルを、二世代も三世代もかけて渡るそうだ。そうしたトンボの中には、宗谷岬に到達し、北に向かって吹き抜ける猛烈に強い風に乗って、飛んでいくものがいるんだろう。北方の島々や長い列島、遠く大陸まで行き着いた彼らは、決して日本列島に戻ることはないという。(2011.11.10了)