テレビで柴犬の豆助という子犬が登場して人気を博している。最近になって、柴犬を見るとある犬を思い出すようになった。私が小学五年生の三学期に移り住んだ一棟二戸の隣家に、小柄なすばしっこい柴犬がいた。名前はコロと言った。そのころは、ネコばかりでなく、犬だって、大きな体躯や怖そうな顔をしていなければ、鎖でつながれることはなく、人の子どもより自由気ままにあちこち出歩くことができた。昔からそうだったのか調べてはいないが、この国では生類憐れみの令の精神がずっと後世まで受け継がれてきたということだろうか。
徳富蘆花の作品に、放浪を繰り返す雄犬の話がある。飼い主の家はわかっていて、ときどき帰ってくる。嫁さんを連れてきて、飼い主に怒られると、機嫌を悪くしてプィッと出ていってしまう。最後は、ずいぶん離れた土地で、当時ほんのわずかしか走っていなかったはずの自動車にぶつかって死んだ。明治もしくは大正時代の実話なのだと思う。時代が下り私の子どものころにも、捨てられた犬たちが群をなして、住宅地と原野の境を行ったり来たりする様子が見られた。
コロも自由犬だった。人なつこくて、名前を呼ぶと必ず喜んで飛びついてきた。たまに町までついてくることがあった。五十年前、道路にはバスかトラックが時折走っているだけで、自家用車なんてほとんどなく、馬車がまだ残っていた時代だ。いちばん多かったのが人力で引っ張るリヤカーだったかもしれない。そういう環境でも、コロが迷ったり事故に遭ったりしないかと不安に思ったものだが、彼はちゃんと家に戻っていた。
猫が嫌いだったようで、家の裏の畑にやってくる猫をずいぶん追いかけ回した。逃げ場をなくして木によじ登る猫ほどではなかったが、かなり敏捷な犬だった。もちろん木登りはできなかったが。庭のグスベリや野イチゴを摘んで食べていると傍にやってきて、どうしてそんなもの食べるの?、と不思議そうに目を真ん丸にした。私の記憶に生きているコロの印象は、どれもこれもこのような若々しいものばかりだ。
ところが、そのころから後のコロの記憶は突然途切れている。私たち家族がその家に住んだのは七年間くらいだったので、私が高校を卒業して家を出るころも、コロが存命だった可能性は高いはずなのに。私の脳幹の奥に、隣家の人たちがどこかへ引っ越したという親の言葉が残っているような気がするのだが、それが記憶なのか思い込みなのか、よくわからない。
私が大学進学に失敗して、離れた町の予備校へ通っていた年の夏、両親と祖母が新しい家に引っ越した。もしも私がコロのことを懐かしく思って、旧い家に行ってみたら、案外、コロは隣家にいて、名前を呼んだら駆け寄ってきたのかもしれない。しかし、私はそうしなかった。それから何十年もの間、私はコロを思い出すことはなかった。憂鬱な子どもたちを書くまでは。(2012.12.21)