最近何をしているかというと、四年も前にいったんできあがった「黒猫とのの帰還」の校正作業。読み直せば修正箇所は次から次と際限なく現れる。きっと何年かけても、これででき上がりという満足には行きつけないのだ。
話は変わるが、つい先日、政権側のある国会議員が、集団的自衛権への危惧について発言した市長に対し、国会議員になってから言えと恫喝したそうだ。市長といえど国民。政治的発言ができるのは国会議員だけで国民には認められないと言うのなら、その国はもはや民主主義国家ではないと思うのだが。
ところで、この国には以前から、発言がはばかられる特定のテーマというものがあるらしい。天皇制への意見を筆頭として、国旗国歌法関係、日本と東アジア周辺諸国との外交関係、国家権力と国民の権利関係、原発容認論の背景、日本人単一民族観、差別問題等々について、問題の淵源などを自由闊達に議論しようとする人がどうしてこんなに少ないのだろう。集団的自衛権もその中の一つなのは疑いようがない。国民の理解を深めたいと言っていたのはその場を取り繕っただけで、発言を封じたいのが本音か?
○○白熱教室がはやっているが、そういうテーマこそ取り上げて、物事を自由に議論することを国民は恐れないという意志をはっきり表示すべきではないだろうか。(2014.8.11)