9連休の後、来週は東京行きの3連休。そして6月を過ぎると終わりのない休暇が待っている。なので、焦ることはないのだが明日も休みたい。でも、家にいたら何かと野暮用が重なり、かえってつらいかも。とて今日は会社に来た。
物心ついてからずっと宮仕えしてきた男にとって、勤めが終わるというのは、究極の開放感に浸れる唯一無二のチャンスだろう。私の場合はどうだったか振り返ると、3月末か4月末の予想に反し、6月末の退職が言い渡されたとき、やっと辞められるという全身脱力感があったのは間違いないが、6月末が来るのを待ち切れないような焦燥感にも襲われた。
同時に、長く勤め過ぎた、もっと前に自ら辞める決断を下すべきだったという、ええかっこしたがり屋の後悔、そして、失われたダラダラの時間が惜しくてたまらないという、みみっちい感覚にもとらわれた。この思いは、今回に限ったことではない。自分には別のやるべきことがあるはずだという現実逃避的な、というか誇大妄想的な感覚は、人生の節目に必ず顔を出す。このようなボロ布のような思いが千々に去来するために、せっかくのほっとした気持ちがそうとう減殺されるのだ。
さて、終わりのない休暇の過ごし方だが、私は数年前から、会社辞めても日々の生活を持てあますことなんてぜったいない、出版社やるのは決まっているし、近所にある図書館に通ったり大学の聴講生になって勉強しなおすぞ、と声高に叫んできた。しかし、ひとつとして具体的な目処がついているものはない。ちょっと心配になって、カレンダーの空白を埋めるため大してやる気のない自治会役員を引き受けたりした。最近は、自分に限ってないだろうと思っていた退屈がほんとにやって来たらどうしようと、焦りの色が濃くなる始末。
今になって言うのも何だが、実は、私としては家にいるのが嫌いではない。ぐだぐだ家にいたら文句を言われるのに決まっているから、外へ出歩くネタ探さなければという気持ちもある。とにかく退職まであまり時間はないが、いざとなったら、はなの面前にひざまずいて、ずっと家にいられる秘訣を教えてもらえばいいか、と高をくくっているところもある。(2017.5.12)