思い返せば、はなは、5日に再び食欲をなくし、その翌日6日、左後ろ足の肉球が上を向いて、うまく歩けなくなり、さらに亡くなる2日前の10日ころには両足とも麻痺状態になって立てなくなった。
次の日には尿が出なくなり、水を飲むのもつらそうだった。そして12日夜、父さんの胸に抱かれて静かに息を引き取った。
12月初めに食べられなくなってから、持ち前の負けん気を発揮して、何度も復活を遂げながらの40日間の闘病だった。
15日、火葬場の狭い収骨室で、はなの白い華奢な骨を拾っていると、砕けた背骨の中に黒い筋を見つけた。脊髄なのだろうと思うが、その筋は頭骨の付け根から腰のあたりまで続いていた。両足の麻痺は脊髄の炎症が原因だったのか。しかし、その炎症を事前に発見したとしても、治療できたわけではない。
はなは、自覚症状があったのだろうか。昨年の半ばころから、たまに右前足を痛そうにすることがあったので痛み止めを飲ませたが、それ以外、痛む素振りを見せなかった。痛みを悟られないようにしていたのかもしれないと思うと心が痛い。
ドジな父さんは、はなが息を引き取る瞬間を見逃した。はなの突っ張った両手足をさすりながら、ふと見ると、瞳孔はすでに開いていた。はなは、まったく声も出さず、頭を動かすこともなく静かに健気に逝った。(2023.1.20)
次の日には尿が出なくなり、水を飲むのもつらそうだった。そして12日夜、父さんの胸に抱かれて静かに息を引き取った。
12月初めに食べられなくなってから、持ち前の負けん気を発揮して、何度も復活を遂げながらの40日間の闘病だった。
15日、火葬場の狭い収骨室で、はなの白い華奢な骨を拾っていると、砕けた背骨の中に黒い筋を見つけた。脊髄なのだろうと思うが、その筋は頭骨の付け根から腰のあたりまで続いていた。両足の麻痺は脊髄の炎症が原因だったのか。しかし、その炎症を事前に発見したとしても、治療できたわけではない。
はなは、自覚症状があったのだろうか。昨年の半ばころから、たまに右前足を痛そうにすることがあったので痛み止めを飲ませたが、それ以外、痛む素振りを見せなかった。痛みを悟られないようにしていたのかもしれないと思うと心が痛い。
ドジな父さんは、はなが息を引き取る瞬間を見逃した。はなの突っ張った両手足をさすりながら、ふと見ると、瞳孔はすでに開いていた。はなは、まったく声も出さず、頭を動かすこともなく静かに健気に逝った。(2023.1.20)