時代の制約から自由であることは、ほんとうにむずかしいのだと思う。よく言われるのは、時代に先駆けて、先進的なものを生み出そうとしても、時代の制約に抗うことができず、なかなか実現までに至らないというもの。例を引くと、天才ダビンチは飛行機の卓抜な構想を立てたのだが、それを作って飛ばすことはできなかった。
しかし、ヒトは必ずしも時代に縛られるばかりではない。彼の場合のように、発想力・思惟力・想像力は、時代を超えて発揮されることがある。そのためには、自分の思想というものに、先見性や自由度、そして客観性や論理性がどこまで備わっているか、日々、検証する必要があると思う。そうしなければ、自身が何者なのか、という基本原理さえわからなくなる。
蛇足だが、今の時代、そんなことさえ理解できない一国の総理大臣の、時代のぬかるみに浸かったパフォーマンスを見ていると、がっかりを通り越してぞっとする。
ところで、ダビンチは、五百年ばかり未来、つまり二十世紀の出来事を予言しているとかいないとか。時間旅行をしてあの時代にやって来たことを示すゆかりの品が、ある教会にひっそり眠っているという極秘情報もある。(2014.1.27)
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