最近、たった3年しか経っていないのか、と思うことがある。コロナウイルスの来襲のことではない。
コロナ禍が起きてからの身の回りの出来事が、ずっと昔のことのように思えてならない。たとえば、3年前の2月中旬、札幌すすきので、遠くの流行り病を酒の肴にして友人家族と飲んだ。ところが、その翌週後半の製本教室とカラオケパブの行事は中止。それ以来、彼らとの関係性は断絶し、深い闇に閉ざされた。この先、旧交を温める機会があるだろうか。
久しぶりに書棚をのぞいたら、ある作家(須賀敦子)の本を見つけた。須賀には、古い友人のような気持ちを抱いているのだが、当時のブログをひもといてみたら、読み始めたのはコロナ禍以降だった。そんな最近の出会いだったとは! 信じられなくてしばらく絶句。
私の場合、1年前の出来事さえ跡形なく忘れることがあるのだから、かすかな記憶が残っていれば、よしとしなければならない。しかし、コロナ以降の自分の記憶全般に、信用が置けないような気がするのだ。これはコロナウイルスの後遺症だろうか、ひょっとすると陰謀なのではないか。(2023.5.3)
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