その日の競馬場は、少し強めの風はあったが、暖かないい日和だった。ところが、日没後すぐの六時近くなったころ、気温が急に下がったので、ジンギスカンのナベから顔を上げてみると、いつの間にか海の方からものすごいスピードで霧がやって来ていた。走路の内側の木柵の形が瞬く間に消えていった。馬はどこだ! その前日もひどい霧がかかったため、半分ほどのレースを残して中止になったそうだ。
霧と一口で言ってしまうとなんだか味気がない。ほかにも、霞(かすみ)、靄(もや)、ガスといった微妙な言い回しの違いがある。もっとも濃いのが霧。そういう霧の中に迷い込んだら、ちょっとした雨に遭ったように、全身べたべたに濡れてしまうことがある。それに対し、霞や靄は、水分を感じさせない。春霞、朝靄などは晴れの予感を漂わせ、ふわふわとしたさらさら感がある。海や山で発生するガスも霧の一種なのだが、なんとなく得体のしれないところがあり、霧に濡れるより気持ちが悪いような気がする。
懐かしい競馬場に二年ぶりにやって来たのに、腹がいっぱいになっただけで、まったくレースに熱くなることなく、退散を余儀なくされるのか、とがっかりしていると、照明搭にぽっと灯が点き、サーチライトのような白い光が走路をぼんやりと照らし出した。すると、霧の塊は、南東から吹く風に乗って、競馬場や観客の頭の上を次々と通り過ぎていった。あたりが暗くなるころには、向こう側のスタート地点の様子がぼんやり見えるまでに回復した。
しかし、私が買った肝心の勝ち馬投票券はうんともすんとも反応しない。真っ暗な夜空を見上げ、ため息をつきながら、帰路の支度をしていると、誕生日の数字合わせで買った最終レースの成績発表があった。結局、一か八かで買ってみたその馬券だけが、その日唯一の成果となったのである。(12.8.23了)
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