仏像ばかりだったら退屈かも、と思いながら道立近美に入ってみると、そこはお年寄りで一杯の空間だった。私もお仲間なので違和感なし。
小柄な百済観音に対し、中宮寺の国宝、菩薩半跏思惟像は黒光りの迫力が強烈で、見応えがあった。それほど形態が違っているのに、細部の華奢なところはきわめて似通っていてびっくり。
一方、聖徳太子を模したとされる像や絵画は、対照的に目鼻立ちが大きく力強く見える。
記紀によれば、厩戸の叔母は推古で、曾祖父は応神の5代目の子孫とされる継体である。応神とは3世紀の天皇(そのころ天皇という呼称は存在しないが)とされるが、渡来の王とも言い伝えられる。また、継体の出自は一説に滋賀の高嶋とされるが、記紀には詳細が欠落している。継体の諱(いみな)であるヲホド(弟の意味)から、百済の武寧王の血筋という説もある。
これら仏像群はいずれも半島方面で作られたか、もしくは渡来系の人々の手になると考えられるのだが、姿が違って見えるのは作り手の系統がいくつもあったということなのだろう。
それにしても、聖徳太子が際立って敬われるのはなぜなのだろう。彼の肖像からは、高句麗、百済、新羅三国のどこにも与しないといった強い意志を感じる。こんなにも海外の文物や思想に精通し、自尊心の高い国際人があのころの列島に存在したことが信じられない。(2022.10.15)
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