辞典で忖度(そんたく)をひくと、相手の気持ちを推しはかる意味とある。しかし、実生活での用法は違う。目上の人への配慮とか損得勘定とか、腹に一物が介在するすっきりしない意味合いに使われる。誰もが口を濁すことだが、忖度する側は、自身が配慮したと相手に伝えるため証拠を残そうとする。なぜか。それは便宜を図ったことに対し、地位・勲章のような目に見える見返りばかりでなく、好意を持ってもらう程度でもいいから、何らかの手応えを期待する心があるから。今どき、無償なら忖度とは言わない。それは慈悲とか愛とかの世界。つまり忖度とは贈収賄の心情にも通じる。
今、官公庁で流行っている、日報や決定書などの公文書の大量廃棄、「記憶・権限なし」証言などは、行政判断=忖度に置きかえればたちまち合点がいく。行政判断とはその場しのぎの、実に危ういものなのだ。
ところが、忖度は、組織や人間関係の安全・安心・安定を図るためには大変効果的な働きをする。なので、組織内では決して悪事でなく、かえって善行として推奨される。こうして個々の後ろめたい気持ちは軽減され、組織はブラックボックス化する。
こんな政府・行政組織のために心を売るなんて、国家公務員の正義感はどこへ行ったのか。後ろめたければ証言すべきだ。えっ、公務員にはもともとそんな気概の持ち合わせがない?(2017.4.4)
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