黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

3月のはな

2021年04月02日 19時51分10秒 | ファンタジー
 昨日、いっぺんに5冊の本が届いた。T書店、Rブックス、K書店オンラインストアから。

 そのうちの1冊「ある家族の会話」(ナタリア・ギンズブルグ 1985年白水社刊)について、翻訳者の須賀敦子は、「トリエステの坂道」(1995年 みすず書房刊)でこんなふうに紹介している。
「表紙カヴァーにエゴン・シーレの絵がついた美しいエイナウディ社の本で、そのころ(須賀敦子がミラノで暮らしていた30年前、年表によると1963年のこと)評判になっていた。第二次世界大戦に翻弄されながら、対ファシスト政府と対ドイツ軍へのレジスタンスをつらぬいたユダヤ人の家族と友人たちの物語が、はてしなく話し言葉に近い、一見、文体を無視したような、それでいて一分のすきもない見事な筆さばきだった。」
 また、「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」(「ある家族の会話」あとがき)では、
「若い頃、ナタリア・ギンズブルグはいわゆる女性的な、感性だけにたよった文章を書くことをなによりも恐れていた。「男のように書かねばならない」とたえず自分に言いきかせていたギンズブルグは、できるだけ自分本来の感性から遠い文体で作品を書くことを自らに課した。そして長い遍歴の結果、人生のある円熟の季節に、ふとそれまで自らを縛りつけていた制限をすべて捨てて、最も自由な状態に自分を置いてみる。『ある家族の会話』は、そのような豊饒の時間に生まれた作品である。」と記している。
 いつころから読みだしたのだったろうか、1年以上も経ったような気がしている。河出書房新社版の「日本文学全集・須賀敦子集」500ページあまりを、昨晩、全ページ読了した。この本の巻末には、須賀の年譜がついている。1929(昭和4)年生まれ、1998(平成10)年帰天。享年六九。この年譜に何度目を通したことか。もっと長生きしてくれたら、と残念でならない。
 2冊目は、メルロ・ポンティの「精選シーニュ」(ちくま学芸文庫2020年)が最近発刊されたのを知り、全編入った本を現在の書庫に探したが、ない。実家を始末したとき廃棄したのだろう。
 3冊目、「カラヴァッジョ《聖マタイの召命》」(ちくまプリマ―新書2020年。「トリエステの坂道」所収の『ふるえる手』に、須賀が、ローマのサンタ・マリア教会で、カラヴァッジョの『マッテオの召出し』という絵を見たようすが載っている。これを読んでむしょうにカラヴァッジョの本を読んでみたくなった。
 4冊目は、「日本人の源流」(斎藤成也 2017年河出書房新社刊)で、つい先ごろ読んだ「日本人の誕生」に比べると、列島人の成り立ちに焦点を絞って記述しているので数倍おもしろい。
 5冊目、「あいたくてききたくて旅にでる」(小野和子 2019年PUMP QUAKES刊)。なんと紹介したらいいのだろう。この本にも年譜がある。もうすぐ90歳に手が届こうとしている宮城県在住の著者は、岐阜県で大戦を体験し、それを境にそれまでの拠りどころだった教科書の黒塗りを指示された経験をもつ。そして信ずべきものを無意識に求めていたとき、初めて民話の語りを聞き、心を奪われたのだった。
 須賀敦子「ミラノ 霧の風景」(1990年白水社刊)所収のウンベルト・サバのユリシーズという詩(須賀訳)を、全集本須賀敦子集の編者、池澤夏樹は須賀への哀惜の念を込めて、全集の巻末の解説に載せている。
「若いころ、わたしはダルマツィアの
 岸辺をわたりあるいた。餌をねらう鳥が
 たまさか止まるだけの岩礁は、ぬめる
 海草におおわれ、波間に見えかくれ、
 太陽にかがやいた。エメラルドのように
 うつくしく。潮が満ち、夜が岩を隠すと、
 風下の帆船たちは、沖あいに出た。夜の
 仕掛けた罠にかからぬように。今日、
 わたしの王国はあのノー・マンズ・ランド。
 港はだれか他人のために灯りをともし、
 わたしはひとり沖に出る。まだ逸(はや)る精神と、
 人生へのいたましい愛に、流され。」
 (2021.4.2)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« また買った 読まずにいられ... | トップ | 50年ぶりの大学 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿