黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

ようこそここへ いつからここに

2014年08月26日 14時12分55秒 | ファンタジー
<この写真はブログの内容と関係ありません>

 明治の末年、私の祖父と祖母は連れだって、豊かな東北から、この島の北方に位置する未開の土地に入植した。そこは蝦夷地と言われたころとほとんど変わりなく、農業には向かない地勢の土地。どれほどの入植者がいて、先住の人々との関係はどうだったのか。懸命に開墾したのに、その後どんな事情があったかわからないが、彼ら家族は昭和に入ってその地を離れた。三十年以上前、私がその入植地で生まれた叔母と一緒に訪れたとき、そこはうち捨てられて草ぼうぼうの自然に帰っていた。
 父親が亡くなって、除籍に関する古い時代の資料を取り寄せた。そこには父が長男と記されていたが、聞いていたところによると、入植前に生まれた年上の兄姉がいたはずだ。さらに祖父母どちらかの母親らしい名前があった。一緒に入植したと聞いた記憶はない。
 祖父母がやってきた経緯について、叔母の一人がぽつりと言ったことがある。
「祖母ちゃんの二度目の結婚は、駆け落ちだったって聞いてるの」
 駆け落ちなら、二人きりでその地にやってきたはずだが、それについて祖父母以外、証明する者はない。
 最近知ったことだが、アルジェリア生まれのアルベール・カミュは父親がフランスから移住したと信じていたが、実際は二代も前の曾祖父の代のことだったという。カミュは生前このことをほんとうに知らなかったのだろうか。日本のように戸籍があってもあやふやなのだから、彼が知らなかったとしても不自然ではないかもしれないが。
 私など、この地では三世と言われているが、ほんとうはどうだったのかと訝しく思っている。当時の戸籍が申し出により作られたとしたら、伝聞と同じであり史実にはほど遠い。いない人がいたり、いたはずの人があとかたなく抹消されていたりしても驚くには当たらない、親戚縁者の中には口にできない事実をしまい込んだままの者がいるのではないか、などとつい疑ってしまう。なにしろ現代でもちょくちょく起きていることだから。
 この島の南の地では、先祖は戸籍が作られる前から住んでいたのでどんな出自やらわからない、という場合がある。歴史を客観的に見た、実に正直な発言だ。いずれにしろ、両足で蝦夷地を踏みしめている者として、他民族のことをとやかく言うのは自身の存在を否定することにつながりかねないと知るべきであろう。(2014.8.26)

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