詩という形をとった言語表現について、不可解さをぬぐえないのは、私一人なのだろうか。えん曲な修辞や韻などは、相手に用件を伝えるためには必要ない。とすれば、相手の心を揺さぶろうという策略めいた文章作法ということになろうか。
不特定の相手に公表される詩文もたくさんある。それらも感情に訴えようとするのだとしたら、アジとかデマとかいった性質の言論と大きく違わないことになる。
中には、自然界の生きとし生けるものすべてに向かって呼びかけているものがある。さらに、伝えようという目的ではなく、自己の内なる声を表現してみただけのものもあるだろう。
それならネコに向かって話しかける言葉も詩と言えるかもしれない。ネコは、呼びかけられてもその気にならなければ、返事どころか振り向きさえしない。
決して返答しようとしない相手なのに、なんとか興味を引き出すため、最大限の言辞を弄するネコ撫で声の詩文の数々。それを詠じる努力は並大抵ではない。理屈でものを考えがちな者には耐えられない。やはり、詩は、感受性の豊かで辛抱強い者にしかできない仕業なのだ。たとえばネコとか。(2014.1.7)
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