心の免疫力~書とことばから

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求めて~ by 沙於里

切なさの裏側

2008-10-02 | 山頭火・放哉・良寛
                       (半紙) 写真だからちょっと暗いけど 



おとといの絵手紙教室でのお題。
山頭火の「うれてはおちる実をひろう」

あ・・また山頭火。。 
「もう少し年齢にあった作品を書けばいいのに」と、いつだったか父に言われた。

山頭火というと、一人放浪の旅に出て、侘しい寂しい、もの悲しいという印象を持つ人も
あるかもしれない。
でも私は・・おそらく父の思うような、悲壮感はあまり感じない。

それは「年齢」が父よりも若いからかもしれないけれど。
もしかしたら山頭火は、やっぱり孤独でどうしようもなく寂しかったのかもしれないけれど。

受け取る側にいる私は、切なさの裏側にある生きる力や気ままさや、たくましさ、
あっけらかんとしたユーモアや、しみじみとした命への慈しみ、献辞を感じる。

教室で、皆さんが「うれては落ちる実」ってなんだろうって話になり。
拾って食べるわけだから、柿みたい熟れて落ちたものは食べられないから栗かな・・とか。

そっか・・
私は目の前に落ちてる実を拾って「食べる」というところに、想いがいかなかった。

熟れては落ちる→葉も落ちて→冬を過ごし→春から夏にはまた葉が茂り→秋にまた実をつける。
その繰り返しの中のたったひとコマに佇む「わたし」が、その落ちた実をひろう。

そのことへの儚さ、いとおしさ、ありがたさに、ふと涙がこぼれる。
悲しいからではなくて、切なく痛い思いからではなくて。

生まれてきた、そしていつか巡っていく無限の命の輪の中に、自分もいるんだなぁって想うと
一人じゃないんだなぁって思えてくる。

山頭火も、わたしも、あなたも、一人じゃない・・って思えてきません?

コメント (10)
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