「年末関西旅行記(その8)西ノ京の巻<中>」のつづき。
とりあえず、2日目の「ミッション」(薬師寺と唐招提寺に行くこと)を終えた私、さぁてぇ~とこの後の行動を考えました。
この時、思い出したのが、薬師寺の門前で見かけたこの案内図。
唐招提寺の門前にも同じものがありましたので、この案内図をしげしげと見ているうちに、思いついたのが、
唐招提寺⇒垂仁天皇陵⇒西大寺⇒平城宮跡史料館⇒大和西大寺駅⇒
⇒近鉄奈良駅
のルートでした。
これまで前方後円墳を間近に見たことがありませんでしたし、西大寺はJRのポスターを見て興味を惹かれたことがありましたし、史料館は一般的に大好きな施設です。
ということで、携帯のGoogleマップ(右の写真は「イメージ」です
)を頼りに、まずは垂仁天皇陵を目指しました。
その道すがら、こんな石標を発見
「大界外相」ですと? 初めて聞く(見る)四字熟語です。
ドタバタと調べてみますと、「たいかいげそう」あるいは「たいかいげしょう」と読むらしく、俗世間と聖域(結界)との境目を示すものなのだとか。
ということは、唐招提寺の結界は、西側の近鉄橿原線の線路を越えて広がっているということ? 電車の乗客は、いつの間にやら唐招提寺の結界を通過しているということ?
う~む…です。
この旅行記の片がついたら、もう少し調べることにして、先に進みます。
さほどの距離を歩くこともなく到着しました。垂仁天皇陵(垂仁天皇菅原伏見東凌:すがわらのふしみのひがしのみささぎ)です。
「みだりに入るな」とか「魚・鳥などを捕るな
」とか「竹・木などを切るな
」とか、大したことのない注意書きが立派な屋根付きってのが、いかにも宮内庁…
そんなことよりも、垂仁天皇なる方がいつ頃の、どのような天皇だったのかを説明していただきたいのですけれど。宮内庁のHPを見ても、①11代目の天皇で、②第10代天皇の崇神天皇の皇子だったことくらいしか判りません。
ちなみにWikipediaの記述はこちら。おぉ、紀元前~紀元後の99年間も天皇位に就いていた天皇で、崩御されたのは139歳の時ですと…。
それでも、自宅にある「日本の歴史(1) 神話から歴史へ」によれば、第10代の崇神天皇や第12代の景行天皇らと共に、実在した可能性のある天皇だそうです。
![]() |
日本の歴史〈1〉神話から歴史へ (中公文庫) 価格:¥ 1,300(税込) 発売日:2005-06 |
で、地上から見ても前方後円墳であることが判ります 凄いです
写真の右側に見える小島は、田道間守なる人物の墓と伝えられているそうです。
それにしても、濠の水が少なくて、干潟状態です。ちょっと寂しいですな。
先に紹介した「歴史の道」案内図では、ここから更に北上して西大寺に至ることになっていますが、私はちょっと歩き疲れてしまいまして、近くの尼ヶ辻駅から1駅だけ電車に乗って大和西大寺駅まで行くことにしました。
いかにも「各停しか停まらないぞ」といった風情です。
事実、各停がやって来るまでに、2本ほど電車が通過していきました
あ、これにて「西ノ京の巻」、一巻の終わりです。
つづき:10/01/05 年末関西旅行記(その10)西大寺の巻