「年末関西旅行記(その9)西ノ京の巻<下>」のつづきです。
大和西大寺駅に到着した私は、コインロッカーに入れた荷物はそのままに、西大寺へと向かいました。
駅から踏み切り渋滞のクルマが並ぶ狭い道(クルマがすれ違うのがやっと)を歩くこと数分で東門に到着です。
奈良に東大寺があることは小学生でも知っていますが、西大寺があることは知らない人が多いのではないでしょうか。 数多い奈良の古寺の中でも、西大寺は知名度の低いお寺のような気がしています。
それでも、京都では、東寺(教王護国寺)が残っていて観光名所の一つになっているのに、西寺は礎石しか残っていないこと、大学でも東大はあるのに西大は無いことに比べれば、まだ「まし」かもしれません。
そんなことから、JRの駅で見かけたこのポスターのインパクトは大きかった…。
で、やってきたわけですが、申しわけないことに、このポスター以上の感銘を受けることはありませんでした。
私、最大の関心事の伽藍は、どれも創建時をありようを伝えてくれるものではありません。この四王院は1647年の再建だというし、
この本堂も1808年に新築・完成したものだそうな。
一番古そうな建物は、桃山時代に建てられたと思われる近衛政所御殿を京都御所から移築(1762年)したという、この愛染堂なのかな?
今でこそこんな西大寺ですが、8世紀後半に創建された頃は、領域が約48haもあり、堂宇が100以上もあったというのですから、まさに東大寺と対をなす大寺だったようです。
本堂の真正面にある基壇は、「東塔」の跡で、かつては高さ約46mもある五重塔が建っていたのだそうな、高さ46mと言えば、東寺の五重塔(55m)や興福寺の五重塔(50m)には及ばないものの、さっき見てきた薬師寺の東塔(33.6m)よりも高い
また、「東塔」というからには「西塔」もあったはず。
実際、「西塔」もあって、本堂は東塔と西塔の中心線上に置かれていたようですが、西塔は平安時代に落雷のため焼け落ち、東塔も室町時代に戦火
で焼け落ちてしまったのだそうです。
そして、寺勢が衰えるにつれて領域も狭まり、ついには本堂はかつての位置からはかなりの東側、東塔跡のすぐ後ろに建てられて現在に至っているということのようです。
こうしてみますと、西大寺は、いまも現役のお寺ではありますけれど、往事を忍んでしみじみするお寺なのかもしれません。
つくづく「『西』の運命は悲しいなぁ」と物思いにふけりながら、西大寺を後にしたのでありました。