「福岡・北九州 新春の旅」覚え書き(その10)九博篇<中>のつづきです。
ここで訂正。私は、「京都 妙心寺 禅の至宝と九州・琉球」を開催中の特別展示室が2階で、そして平常展「文化交流展示」の展示室は3階だと思い込んでいましたが、実は、九博の2階は、バックヤードになっていて、事務所やら収蔵庫やら研究・修復室があるらしいです。
どうりで、エントランスから特別展フロアまでのエスカレーターが長ぁ~いわけだ…。
というわけで、「妙心寺展」を観終わった私は、3階から4階へ移動し、文化交流展示「海の道、アジアの路」を見学しました。
九博の通常展は、ごく一部の例外を除いて撮影禁止ですので、展示物の写真はございませんので、あしからず。
先日、たらさんに教えていただいて見たTV「がっちりマンデー」の「4大国立博物館のヒミツ」で、九博の弱点として「収蔵品が少ないこと」が紹介されていました。
そりゃ仕方ありません。総収蔵品11万点、日本の国宝の16%を所蔵する東博と比べれば、歴史が100年以上も違います。
11月22日の「『皇室の名宝 -日本美の華』 2期も良かった(その1)」で触れた、「蒙古襲来絵詞」を宮内庁から貰ってしまうのはいかがでしょうか?
九州と縁の深い作品ですから、きっと九博の目玉になれると思うのですけれど…。
そんなわけで、展示品には東博などからの借り物も結構ありました。ですが、その博物館の収蔵物であろうがなかろうが、観る側にしてみれば違いはないわけで、九博の平常展も十分に楽しめました。
特に、「海の道、アジアの路」と謳うだけあって、海外に向けた日本の窓だった九州らしい展示の比率が高いことは高得点です。中でも、遣唐使コーナーでは、遣唐船で運ばれてきた「舶来品」に手で触れることができたり、香木を手にとってその匂いを嗅ぐことができたりと、こりゃ楽しいです。
それと、昨年末に現物を見てきた唐招提寺の経蔵(写真はこちら)の精巧な構造模型を見られたのはうれしかった~。
一方で、興福寺の阿修羅像の復元品(レプリカ)は、あまりにも色が強烈で、実物のイメージと違いすぎてちょっと…でした。
強烈と言えば、「多彩な江戸文化」コーナーで開催中の「お姫様の婚礼道具」も強烈でした。盛岡藩主の南部家からお姫様が婚礼道具として持参した豪華絢爛な調度品は、これでもか、これでどうじゃ
、まだまだ
って感じでした。
それにしても、嫁ぎ先で、実家の家紋に囲まれて暮らすのはどんな気分なんでしょうか。また、それを眺める旦那や、お舅さん・お姑さんの気持ちは…?
「文化交流展示」全体を観終わって思ったのは、展示の仕方にもう一工夫あったらよいのではないかということでした。
チラシの裏(右の写真)を見ますと、観覧者が、好みの「時代」や使える時間に応じて自由に観られるようにしているらしいのですが、実際に展示室内を歩き回ってみますと、どうも落ち着かない…。
さっきも観たような…とか、なんか見逃したような…とか、時代がひっくり返っているとか、なんだかうまく動けませんでした。
「順路⇒」の看板は無粋かもしれませんが、床を色分けするとか、一見それとは判らないラインを引く(光を使う手もある)とか、そんな工夫があれば、もう少し流れに乗れて見学できたのではないかと思います。
約2時間かけた九博の見学を終え、太宰府天満宮側の出口
へと向かいました。
まず、歩く歩道もあるトンネルを通って、と、おぉ、色が変わる!
色が変わることと九博とどういう関係があるのかよく判りませんが、喜ぶ人は喜ぶのでしょう。
と、かなり醒めたことを書いてからふと考えますと、これは国博通りを通って現実感を保ったまま九博を観てきた私だからそう感じたのかもしれない、もしかすると、太宰府天満宮の境内を通って九博にやって来る人にとっては、別の感覚かもしれない…。
このトンネルを往復して太宰府天満宮⇔九博を行き来すれば、時空の旅に出かけて、そして現世に戻ってくるような感覚を味わえるのかもしれません。
動く歩道の先は下りのエスカレーターがあり、
そして、九博の入口(私にとっては出口)。
人によっては、この入口を九博そのものだと思い込んでしまうかもしれません。
「え? これが九博? 随分小さいな…。」とかね。
だって、九博の建物はここからまったく見えませんもの。
やはり、こちらから入場すれば、エスカレーターもカラフルなトンネルも、結構な劇的効果をもたらすかもしれません。
こうして振り返っての、太宰府駅⇔九博 or 太宰府天満宮のお薦めルートはこれです
お土産を買ったり、梅ヶ枝餅を食べるのは、参拝も九博の見学も終わった後の方が、荷物の面でもお腹の面でもよかろうかと…。
つづき:2010/01/25 「福岡・北九州 新春の旅」覚え書き(その12)完結篇