今夜と明日の夜、大阪城ホールで星空のライヴV Just Ballade MISIA with 星空のオーケストラ 2010(長ぁ~いタイトルです)が開催されます。
今回、私は遠征しませんので、今夜から2月13日の横浜公演までネタバレを見るのは封印です。
でも、心は大阪に飛ぶつもりで、ちょいと大阪のことを書いてみましょう。
昔、小学校の社会科の授業だったか、大阪が門前町(狭義には寺内町)と教わって驚いた記憶があります。大阪と言えば大阪城(天守のプラモデルを作ったことがあった)、てっきり城下町だと思っていました。
でも、本願寺勢力が大阪(大坂)に地盤を築いたのが15世紀末、石山本願寺が成立したのは16世紀半ばですから、門前町(寺内町)としての歴史もそれほど長いものではない気がします。なにせ、古墳時代から重要な港であったり都であった地ですからねぇ。
で、現在の大阪のシンボルになっている大阪城ですが、石山本願寺跡に豊臣秀吉が築いた当時は、規模も天守の風貌も現在とはだいぶ違うものだったようです。
「大坂夏の陣図屏風」に描かれた天守は、真っ黒。
調べたところによると、関ヶ原の合戦を境として、壁を漆喰で塗り固めた「白い城」(姫路城、高知城、彦根城、弘前城など)が幅を利かせるようになりますが、それ以前または豊臣系の武将が建てたお城は「黒い城」(熊本城、松江城、広島城、松本城など)が主流なのだとか。
創建当時の大坂城は、黒漆塗りの下見板に金箔がふんだんに使われたものだったらしいです。現在の大阪城は、最上層だけ、黒地に金の虎が映えていて、シックな様相を呈しています。
個人的には「黒い城」の方が好みですので、今度、大阪城を大修理する際には、創建当時の「黒い城」を再現していただきたいものです。
大阪城の天守に昇ったのは何年前でしたっけ…。もう随分昔のことになってしまいました。
よし、決めた 今度大阪に行く機会があったら、大阪城の天守に昇ってみよう