人は、特に子どもは、人の心を見抜く直感力を持っています。ですから、相手の本音の態度に従って、やり取りを楽しむこともできれば、反抗することもできます。
Young Man Luther 『青年ルター』p210の第2パラグラフの下から6行目途中から。
家族がお互いにバラバラになるのはね、石綿の壁のせいなんですね。石綿の壁って、口先だけの礼儀やら、これ見よがしの優しさやら、安っぽい、あけすけな物言いやら、厳格さやらのことですが、こういった態度から、お互いに小言を言い合ったり、お互いに口答えをしてみたりして、気持ちを些細なことで無意識裡に示すことになりますでしょ。それは、体の不調や身体の病気に触れるわけでもないのに、家族のメンバーがお互いを心配し、お互いを非難し、お互いを心密かに傷つけ、お互いに殺し合うことになるんですね。
まるで今の日本の家族のことを35年も前にアメリカでエリクソンが予言している感じですね。昨日でしたか、自衛官の父親が自宅に火をつけて、子どもが4人殺される事件がありましたでしょ。こういった事件が日常茶飯事になったのはいつぐらいからですか? やっぱり1995年のオウムの地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇聖斗事件あたりからですかね。
これはね、このブログで繰り返し申し上げていることですがね、意識と良心が育っていないからなんですね。1人の大人が、1人の子どもと、最初は顔と顔を合わせることから初めて、次第に、近くのものから、徐々に遠くのものを「共に見る」ということを繰り返していないからなんですね。それはね、大人が子どもの目の前から奪われているからなんですね。
私どもがしなくてはならないことも、同時に、此処から理解できますね。