エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

今どきの日本の家族は?

2015-07-07 08:00:16 | アイデンティティの根源

 

 人は、特に子どもは、人の心を見抜く直感力を持っています。ですから、相手の本音の態度に従って、やり取りを楽しむこともできれば、反抗することもできます。

 Young Man Luther 『青年ルター』p210の第2パラグラフの下から6行目途中から。

 

 

 

 

家族がお互いにバラバラになるのはね、石綿の壁のせいなんですね。石綿の壁って、口先だけの礼儀やら、これ見よがしの優しさやら、安っぽい、あけすけな物言いやら、厳格さやらのことですが、こういった態度から、お互いに小言を言い合ったり、お互いに口答えをしてみたりして、気持ちを些細なことで無意識裡に示すことになりますでしょ。それは、体の不調や身体の病気に触れるわけでもないのに、家族のメンバーがお互いを心配し、お互いを非難し、お互いを心密かに傷つけ、お互いに殺し合うことになるんですね。

 

 

 

 

 まるで今の日本の家族のことを35年も前にアメリカでエリクソンが予言している感じですね。昨日でしたか、自衛官の父親が自宅に火をつけて、子どもが4人殺される事件がありましたでしょ。こういった事件が日常茶飯事になったのはいつぐらいからですか? やっぱり1995年のオウムの地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇聖斗事件あたりからですかね。

 これはね、このブログで繰り返し申し上げていることですがね、意識と良心が育っていないからなんですね。1人の大人が、1人の子どもと、最初は顔と顔を合わせることから初めて、次第に、近くのものから、徐々に遠くのものを「共に見る」ということを繰り返していないからなんですね。それはね、大人が子どもの目の前から奪われているからなんですね。

 私どもがしなくてはならないことも、同時に、此処から理解できますね。

 

 

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人生に対する態度が決まるのは何時でしょうか?

2015-07-07 06:52:18 | エリクソンの発達臨床心理

 

 大人になったら、自分のことで精いっぱいを、是非とも卒業したい所。「でも、仕事だから…」を口実にしないことが大事でしょ。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、第3章p55の9行目途中から。

 

 

 

 

 

(vs「と」とは、versus「対」を意味していますし、2つが補い合うことに光を当てると、vice versa 「逆も真なり」も示します)こういった、hope  「困難があっても、希望を持ち続けること」、fidelity 「困難があっても、自分が信じることに対して忠実であり続けること」、それから、care 「低みに立たされている者を大事にすること」などの言葉のほとんどは、長い目で見た場合、根源的な性質を示しているという主張とも、重なり合って見えますね。実際、このいろんな根源的性質とは、1人の若者が世代の巡り合わせに入り、1人の大人がその世代の巡り合わせに結びをつけるのに qualify 「相応しい」ものですね。

 

 

 

 

 

 こうして、エリクソンは、ライフサイクル、人生の巡り合わせという言葉と、そこで用いている様々な言葉によって、世代間のやり取りがいかにしたらうまくできるのか? そして、そのやり取りによって、どのような価値と人生に対する態度が生まれるのか? をハッキリさせようとして、それを相当程度に成功されているのだと考えます。

 

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ヨハネ23世とユーモア

2015-07-07 03:25:27 | エリクソンの発達臨床心理

 

 本田哲郎神父のことをお話したときに、ヨハネ23世のことに触れましたね。ヨハネ23世と言ったら、1962年に始まる第2バチカン公会議です。古めかしいカトリックを現代化したものだと言われます。子の第2バチカン公会議の影響を受けて、中南米で、貧しい人々が、人間の根源的な解放を目指した、グティエレスらの「解放の神学」も生まれた、と言われます。私の早稲田での卒論の半分は、この解放の神学に関するものでした。ヨハネ23世が、その第2バチカン公会議の言いだしっぺ。 5大陸すべてから司教など参加者を集める、かつてない会議。当時すでに79際の後期高齢者でした。その人がカトリックでもかつてないほどの規模になる会議をやろう、と言いだした。そのエネルギーはどこから来るのでしょうか?

 ヨハネ23世は、そんな大きな仕事をした人ですが、それだけじゃぁないんですね。むしろ、私はこれからお話する点の方に関心があんですね。それは、ヨハネ23世は、ア・センス・オブ・ユーモアの人だった、ということです。第2バチカン公会議のような大きな仕事をしたことよりも、ユーモアの感覚が豊かだったところに、私はヨハネ23世の揺ぎ無い信頼があると強く感じるからなんですね。そのことを教えて下すったのは、宮田光雄先生であり、先生の『キリスト教と笑い』(岩波書店新赤版219)です。

  そんなヨハネ23世の言葉をひとつご紹介しましょうね。

 「お祈りは、心の眼を神様に見上げること、私どもはそのことを何時も忘れてはなりません。お祈りの言葉が大事なわけではないんです」

 

 

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