自分が苦しいと思うことから逃げ出したい、と思うのが人情ですね。でもね、逃げないことです。
Young Man Luther 『青年ルター』p211の、下から6行目途中から。
ルターが、それはそれは、死に物狂いになって、長い間、反抗し、克服しようとしてきたものを、ルターは神様の恵みとして受け入れました。それは、完全に見捨てられた感じでした。sicut jam damnatus 「あたかも、いま、追放されたような」感じは、まるで、すでに地獄にいるかのよう、ということでした。最悪の誘惑は、何かの誘惑に合うことではない、とルターは言う訳ですね。神様が一番怒っているのは、神様が全く怒っていないように見える時だ、とハッキリ分かるでしょ。ルターは、良い意味での熱心な信者すべてに警告します。その熱心な信者は、「自分ができることをするように」と人を励ましますし、気の効いた計画を立てて罪を侵さないようにしますし、いろんな礼拝を守ることで救いを忘れませんし、収入の限界まで献金することも忘れなませんし、自分達は「ありのまま」で、謙遜で平安だと感じます。そんなものの代わりに、ルターは、上司たちがルターの悪徳と見なしたものから、力を得たのでした。
熱心な信者たちは、教会生活を真面目に、熱心にやっていたわけですね。今もそうですよね。神様は、しかし、怒っていないように見える時に、一番怒っているんでしたね。熱心な信者たちが、真面目に教会生活をしているときに、神様は一番怒っている、と、ルターも、エリクソンも、ついでに、私も、言いたげですね。ルターは、当時、悪と言われていることの中から、力を得たと言います。どんな悪から力を得たんでしょ。