エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

取引はよくあることですが、所詮「一時避難所」です。

2015-07-28 08:28:02 | アイデンティティの根源

 

 悪い良心を、エリクソンは何度も取り上げますよね。それだけ、悪い良心に苦しんでいる人が多いし、エリクソンのところに治療に来る人も多かったんでしょう。

 Young Man Luther 『青年ルター』p215の3行目途中から。

 

 

 

 

 

その取引が、新たな出発のための足場が見つかるかもしれないという希望を、もたすかもしれません。あるいは、試練の時に、未知なる尺度で、辛うじて、しかし、十分に許してもらえることを証明できることに、気付くかもしれません。そうすれば、あるいは、天国に入れるかもしれません。エバッタ人なら、天国を通り過ぎるだけでしょ、と訊いたほどです。しばらくは、私どもの強迫的な几帳面さは、牙をむくことを諌め、「まもなくだから」やら、「すぐだから」やら、「ちょっとした習慣だから」やら、「全部じゃないから」やら、「そんなもんだから」やらと言って、勇気を鍛えようとします。

 

 

 

 

 この手の取引は、一時しのぎのゴマカシなことが多い。しかし、これだとね、心の声と真正面から向き合うのを避ける結果になりますから、長続きしなくて、元の木阿弥となることでしょう。

 また憂鬱に逆戻りです。

 

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高齢者もイキイキ、ピチピチ

2015-07-28 06:56:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 私どもも、「死ぬのが愉しみ」と言える老賢者になりたいものですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p63の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 もう一度右上の角に戻って、対角線上を一つ引き返して、老年期の前にあるgenerative 「次世代を育む」舞台にもう一度入りましょう。しかし、ライフサイクルの表では、「後で」は前の項目の後続版というだけの意味で、前の項目がなくなってしまう訳ではありません。実際、老人は、「大きく」次世代を育む働きを守ることができますし、また、守る必要もあります。なぜならば、家族の生活が、いき違いから、中断してしまうために、高齢になってから、イキイキとした関わりが失われてしまっています。このイキイキした関わりが、イキイキとした暮らしを保つのに必要です。

 

 

 

 

 高齢者になると、次世代を育むことも卒業、と思われがちでしょ。でもね、その一つ前の成人期が、次世代を育むことが徳目になる以上、それが高齢者になっても、「次世代を育む」ことがなくなる訳てはない。高齢者になっても、イキイキした関わりがあればこそ、イキイキ、ピチピチ生きることができます。

 エリクソンのライフサイクル理論は、高齢者もイキイキした関わりを保ち、次世代を育む力があることが、高齢者自身がイキイキ、ピチピチ生きる上で必要です。

 

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歴史の教訓の一例として 山崎豊子さんから

2015-07-28 01:54:14 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
なんで、今の日本には、こんなにウソとゴマカシが溢れているのか?
  儀式化 ≠ 神経症(不安障害)!?2013-07-27 01:37:10 |&n...
 

 シャオリーベングイズ。こう言われても、何のことかしら? と思う人が大半でしょう。これは「小日本鬼子」の中国語の音写です。かくいう私も、山崎豊子さんのことを、亡くなってから「クローズアップ現代」(2013,11,19)が取り上げる番組を見るまで、このシャオリーベングイズの存在も、その意味も知りませんでした。

 これは、中国東北部、旧「満州」に入植し、敗戦後難民となった入植日本人が、逃げる中で自分の子どもと生き別れたり、中国人に託した子どもたちのことです。「中国残留孤児」。しかし、山崎豊子さんは、その呼び方の欺瞞性を感じて、「戦争孤児」と呼んでいます。中国に「残留する」意思を持った戦争孤児は1人もいないからです。戦争の犠牲者の最たる存在が、この「戦争孤児」だというのが、山崎豊子さんの見方です。

 山崎豊子さんが、テープに残されたインタヴュウが、先の番組で流されました。そこで山崎豊子さんは

「中国大陸のそこここで、自分が日本人であることも分からず、小学校さえ行かせてもらえず、牛馬のごとく酷使されているのが、本当の戦争孤児ですよと。私はこれまでいろいろ取材を致しましたが、泣きながら取材をしたのは初めてです。」

と、声を詰まらせながら、述べておられます。また、

「敗戦によって中国に置き去りにされた子どもたちが、その幼い背に大人たちの罪業を一身に背負わされて、シャオリーベングイズ(小日本鬼子)、日本帝国主義の民と虐められ、耐えてきた事実。日本の現在の繁栄は、そうした戦争孤児の犠牲の上に成り立っているものであることを知ってほしい。『大地の子』だけは、私は命を懸けて書いてまいりました。」

この声も泣き声です。

 山崎豊子さんがどんな思いで、小説を書いていたのか、ハッキリ分かりますね。そこにあるのは、不条理の中でも最大の不条理、すなわち、戦争に対する激しい憤り、その最大の犠牲者である戦争孤児に対する思い。それは、歴史の真実、戦争が、いかに人間の不幸をもたらすのか、その不幸がいかに長い間続くのかを知ってほしい、そして、そんな戦争は2度と起こさないと決心してもらいたい、との願いがあることが、ハッキリ分かるでしょう。

 私どもは、いまだからこそ、山崎豊子さんの小説やエッセイを読み、そのメッセージを「歴史の教訓」として生きたいものですね。


 

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