エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

あなたの「神の座」にはどなたが座ってます?

2015-07-29 08:29:50 | アイデンティティの根源

 

 取引しているようじゃ、本当の解決になりません。勇気を出して、立ち向かうと、自分を確かにさせる道が開けます。外でやることと、内でやることは、全く同じことの裏表です。

 Young Man Luther 『青年ルター』p215の第1パラグラフの 下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

でも、みんながある程度その取引をしています。誰もが、口説かれて、ある価値を信じるようになりますし、その価値には、たった一つの出口しかありません。その出口は、希望と絶望に見合ったシンボルで飾られ、その価値を宣伝する者たち、その価値を良く体現する者たち、その価値に反する人を懲らしめる者たちによって、守られています。

 

 

 

 

 

 まるで、その価値には、神社か仏閣か、大聖堂があるみたいですね。そこには、鳥居や、山門や、十字架といったシンボルがあるかもしれません。あるいは、観音様、二王、エンマ様がいるかもしれません。神が死んだ後には、神様ではない顔をした別の「神」がコッソリ、神の座席に座りやすいんですね。

 それは、実は恐ろしいことの始まりなのにね。

 あなたの「神の座」にはどなたが座ってます?

 

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高齢者の課題は、人生全体にあい亘り…

2015-07-29 07:40:19 | エリクソンの発達臨床心理

 

 エリクソンのライフサイクル理論は、高齢者になっても、イキイキ、ピチピチしていることを理論の中に取り込んでいます。すごいですね。

  The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p63の第2パラグラフの9行目途中から。

 

 

 

 

 

イキイキ、ピチピチした関わりがなくなることは、高齢者が心の病になっている明らかな症状に隠されている哀愁であるように見えます。高齢者のdespair「「良いこともあったけれども、“人生に何の望みもありゃしない”という感じ」」のほとんどは、現実には、元気がない感じが続いちゃうことなんですね。こうなるとね、高齢者のセラピーが長くなる、と言われますし(King,1980)、新たな症状があっても、単なる赤ちゃん返りだと間違われやすくなります。特に、高齢者が、残り時間はないし、居場所もないことを悲しんでるだけじゃぁなくて、(私どもの表の一番上の列の、左から右へと読めば)自分の感じに従う自律性も弱くはなるし、自分の感じに従って行動を始める自主性もなくし、自分の感じに従って親しむ親和性も見失い、次世代を育む次世代生成性も無視されていることを悲しんでいる場合です。これは何も、自分を確かにする過去の可能性についてばかり言うのじゃなくて、限られた自分を確かにするすべてのことを言っているのです。これは全て、「発達の任務に退行すること」かもしれません(Blos,1967)。これはつまり、(文字通り)「高齢者特有の葛藤」を解決したいと願ってることなんですね。

 

 

 

 

 

 高齢者だからと言って、他の年代の課題と無関係に課題を解決するんじゃぁ足りません、というのがエリクソンの主張のようですね。エリクソンがここに挙げるのは、2歳くらいから60才くらいまでの発達にまつわるかだいですが、実際は、生まれてこの方の課題も一緒に問題にしないといけません。それを問題にして、初めて「高齢者特有の葛藤」も解決できるらしい。

 

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山崎豊子さんの「礼拝」 

2015-07-29 06:40:42 | エリクソンの発達臨床心理

 
他者感覚=自己中心+他者中心
  儀式化=楕円形 : 儀式化のまとめ その12013-07-28 01:18:15 | エリクソンの発達臨床...
 

 

 山崎豊子さんのことを昨晩このブログに書きました。その時、クローズアップ現代で流れた山崎豊子さんの言葉を2つ記しました。その声は、いずれも震えるような泣き声でした。何故なんでしょうか?

 それはもちろん、シャオリーベングイズ(小日本鬼子)と呼ばれた戦争孤児の人たちの暮らしが、悲惨で、気の毒だった、ということがあったでしょう。でも、それだけじゃぁない、というのが私の受けた印象です。

 山崎豊子さんは、戦争中は学生だったそうですね。男子学生は学徒動員で戦場へ、女子学生は、軍需工場で弾磨きや軍衣の縫製。軍需工場は、恰好の爆撃目標でしたから、死んだのは戦場に行った男子学生だけじゃあない。山崎豊子さんが働かされていた軍需工場も爆撃されて、友達の女学生も殺された。それを山崎豊子さんは次のように書いています。

「『大地の子』で文芸春秋読者賞を受け、その授賞式で話したんですが、『学徒動員令で男子学生は全部特攻隊として片道切符で死んでいきました。私たち女子学生は軍需工場へ行って弾磨きや軍衣の縫製をさせられました。粗食と過労、また米軍の空襲で死んでいった友がいる中で、私は生き残りました。生き残ったものとして何をなすべきか、その思い…』。そこまで言ったら言葉が途切れて、何も言えなくなってしまって、壇上で涙してしまいました」(『作家の使命 私の戦後』p.313-314)

と記しています。サバイバー・コンプレックス。加藤周一さんと一緒です。加藤周一さんは医者として東京に残ったけれども、親しい友人が何人も戦争で殺された。加藤周一さんは、

「戦争に私の友達を殺すほどの理由が、そう気軽に、そう簡単に見つからない。死んだ友達がもし生きてたら、いま言わないことを言ったり、言うに違いないことを黙ってたり、…は、まずい。」

とインタヴューの中で応えていますが、山崎豊子さんも同じだったのかもしれません。山崎豊子さんも、戦争の不条理の中で死んでいった友人になり替わって、その不条理を伝えていきたいと、願ったに違いありません。

 ですから、中国で牛馬のごとく働かされている「戦争孤児」を見た時に、山崎豊子さんは、空襲で死んでいった友達も一緒に見ていたはずでしょ。「戦争孤児」の苦しみは、死んでいった友人の苦しみであり、山崎豊子さん自身の苦しみであったと思われます。

 こう考えてきますとね、クローズアップ現代で流れた山崎豊子さんの声が泣き声だったことも、いっそうクリアーに理解できると思います。沖縄の言葉て言えば、「ちむぐるさー」、本田哲郎神父の言葉なら、ギリシア語の σπλαγχνιζομαι スプランクニツォマイ、「はらわたを突き動かされる」が、山崎さんを書くことに突き動かしていたんだと考えて、間違いないと私は考えます。

 ですから、山崎豊子さんにとって、日々小説を「書く」ことが「礼拝」だったわけですね。

 皆さんひとりびとりも、あなたの礼拝を大事にしてくださいね。

 

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