今晩は、「息」を考えます。
1)息は、命そのものです。
命があることを「息がある」と言います。反対に、死んでいることを、「もう息をしてない」とも言いますね。息は命そのものだと言えるでしょう。また、命がある証拠が息だ、と言えます。
2)息は、心の状態を表わす。
「息」という漢字の語源を調べますとね、「心の状態が気息にあらわれる意である」(白川静『字統』p554)と出てきます。落ち着いているときには、息がゆっくりと深くなりますが、怒りの時は、息が早く浅くなりますよね。落ち着きたいとき、あるいは、リラックスしたいときには、意識的に「深呼吸して」などと言われる場合もあるくらいでしょ。
3)息は、平和を表わします。
「怒りの時は、息が浅く早くなります」と申し上げましたでしょ。逆にその息を意識して、「そうだ、今は怒っているから、その怒りを鎮めよう」とすることもできます。ティク・ナット・ハーンさんによれば、そうやって、自分で「怒りの面倒を看るようにすることは、平和の行動になります」と言いますね。私どもが犯しやすい過ちは、その怒りを意識しないままに、御他人様や物にその怒りをぶちまけてしまうことではないですか? そしたら、御他人様とは喧嘩になるでしょうし、物でしたら、破れるか壊れるか、するでしょ。戦争は、その拡大版でしかありません。NHKの7時のニュースで、中国がガス田開発を進めている写真を見せられれば、毎日の生活の中で「怒りの面倒」をあまり看ていない私どもは、知らず知らずのうちに、自分の怒りを中国にぶつけることにもなりかねませんね。そして、「戦争法案」に賛成するように誘導されかねませんでしょ。ですから、日々の中で、自分の息が早くなったら、意識的に呼吸をゆっくりと、深くすることをすれば、「怒りの面倒」を見ることになりますし、「平和の行動」にもなりますよね。
4)息は、生きる力になります。
息はギリシア語では、プネウマ πνευμα と言います。プネウマはもともと「動いている空気」のことですから、「風」という意味にも「息」という意味にもなります(織田昭『新約聖書ギリシア語小辞典』p473-474)。そして、この息は動いているので、「生きるエネルギー」になるんですね。
これを「火の息吹」「火と混じった息吹」と言ったのが、シモーヌ・ヴェーユでしたね(シモーヌ・ヴェーユ『根をもつこと』春秋社版,p.334)。シモーヌ・ヴェーユによれば、この意味での息は、善をなそうとするエネルギーであり、人を大事にするエネルギーにもなります。
このように考えてきますとね、自分の息を意識することが大事になりますね。それは平和の行動ともなるからですし、善や人を大事にすることにも繋がっているからですね。そして、息は自分の命そのものですから、その息を意識することは、まさに自分の命、「ありのままの自分」を大事にすることになるからなんですね。
きょう、あなたも自分の息を意識して、「ありのままの自分」を大事にしてくださいね。