子どもに自由をプレゼントするのは、陽気で楽しい大人と≪超越≫
余暇にしか遊ばぬ大人、遊んでる子どもの一人に、及ばない :子どもの遊びの永遠の遺産&...
信頼。ギリシア語ではビスティス πιστις、英語ではトラスト trustです。
今日はこの信頼について、考えたいと思います。
信頼と言ったら、みなさん、どんな意味だと思いますか? 講談社の『日本語大辞典』で「信頼」を探したら、ありませんでした。小学館の『大辞林』には、「信じて頼ること」としかありません。日本には、あまり「信頼」が豊かでないことが、辞書からも分かります。残念ですね。
trustを研究社の『リーダーズ英和辞典 第2版』で引きますと、動詞としては、1 当てにする 2 安心して~させられる 3固く信じる 4(大事なものを)預ける、などの意味があります。ギリシャ語のピスティス πιστιςは、教文館の『新約聖書ギリシア語小辞典』によれば、1 (能動的に)信頼すること 2 (受動的に)あてになること とあります。英語にも、ギリシア語にも、信頼には、能動、受動の二通りの意味があることがハッキリ分かります。
今日も前段が長いですね。私の文体ですので悪しからず。エリクソンが、人間の発達の最初に持ってきたのが、この信頼です。正確には、a sense of basic trust 根源的信頼感 信頼している感じ、あてになる感じです。この反対が、a sense of basic mistrust 根源的不信感、信頼しそこなった感じ、あてにならない感じ、です。これが、赤ちゃんの時の発達危機です。赤ちゃんは生まれてすぐに、信頼できるのか、信頼できないのか、と言う発達危機にある、と言うのが、エリクソンの洞察に満ちた見解です。根源的信頼感に傾くのか、信頼している感じが強くなるのか? それとも、根源的不信感に傾くのか、信頼しそこなった感じが強くなるのか?
赤ちゃんが、主に母親との関係で、やり取りのある関係が繰り返し満たされれば、根源的信頼感の方に傾きますし、母親との関係が、やり取りのない関係が繰り返されたり、日本にはこれが多いのですが、そもそも、赤ちゃんの眼のまえから母親が奪われる、実際には母親が仕事に奪われているので、やり取りがさほど繰り返されない場合には、根源的不信感に傾いてしまいます。そして、今の日本では、根源的不信感に相当程度傾いた子ども=愛着障害の子どもが、呆れるほど多いのですね。
エリクソンは言います、信頼には、2つの側面があることです。それは英語やギリシア語にもともとあったことでしたね。すなわち、自分を信頼すること、母親(そして、世の中も)を当てにすること です。逆に、信頼しそこなった感じになりますと、自分は信頼できないから、ガラクタ、ゴミだと感じますし、母親(そして、世の中も)は「どーせ、あてになんないなぁ」と感じる訳ですね。赤ちゃんの記憶がある人は例外ですから、赤ちゃんの時の発達危機上の、信頼も不信も、無意識の領域の方が、意識できるレベルよりもはるかに深いし、広いのが一般的です。
ここまでも十分に大事な点なんですが、大事な点が、少なくとも、もう1点あんですね。それは、根源的信頼感の方に傾けば良し、根源的不信感に傾いた場合なんですね。発達は積み木と同じです。根源的信頼感があれば、次の発達段階に進めます。しかし、根源的不信感に傾いた場合は、次の発達段階に進めないことがポイントですね。ここが非常に危機的ポイントです。ですから、エリクソンは、「発達課題」とは言わずに、「発達危機」と呼んだ訳ですね。でも、根源的不信感に傾いた場合、愛着障害の場合でも、ある程度、時には、相当程度、「発達」しているように見えます。これをエリクソンは、「偽りの前進」、あるいは、「見せかけの前進」、すなわち、 false progressionと呼びました( たとえば、Childhood and Society, p82)。ですから、根源的不信感に傾いた場合、その子が「発達」しているように見えるのは、あくまで、ウソを「見せかけ」で、無意識に演じている訳ですね。フリをしているだけですから、身に付いた力になりません。ですから、ウソの「見せかけ」を見せられて、「育ってきたなぁ」と考えるのは、大間違いなんですね。
じゃぁ、本物の前進と、「見せかけの前進」をどう区別したらいいんでしょうか? それはね、やはりエリクソンが教えてくれています。それは「子どもの笑顔」ですね。笑顔が豊かであれば、それは本物の前進であることが多いでしょう。笑顔が乏しかったり、表情が暗かったり、あるいは、怒りっぽかったりする場合は、発達しているように見えるても、「見せかけの前進」と考えたほうが妥当です。
ですから、何歳になっても、最初の発達危機がクリアーできていない場合は、最初に立ち返って、根源的信頼感を育てていくことが、何度でも必要です。そのためには、≪見通し≫と≪話し言葉≫と≪出来事≫を繰り返し一致させていくこと、すなわち、≪約束≫が何よりも大事になります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。