立憲主義は、人権を政府に守らせる根源的仕組み
個人の自由 = 「違い」を認めること ...
今日は丸山眞男教授の第4夜です。
昨日は「日本の思想」(『丸山眞男集』第7巻,p191-244)を取り上げましたね。昨日は取り上げられなかった論点を、今日は取り上げようと考えました。それは、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの考えと振る舞いに対して、丸山眞男教授が教えて下さる視点が、役に立つと考えるからです。
アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの、あまりにも身勝手な考え方と振る舞いに対して、腹立たしい思いを募らせているのは、私だけではないだろうと思います。
1)国民の大半が反対しているのにもかかわらず、戦争法案を衆院で強行採決したこと。
2)国民の大半が反対しているのにもかかわらず、秘密保護法を強行採決したこと。
3)前回の衆議院選挙で、「原子力に依存しない社会を作ります」と言っておきながら、原発を再稼働させていること。
4)「オリンピックというお祭りだから、堂々のゼネコンを儲けさせる工事をやったって、予算の2倍を掛ける新国立競技場を作っても、許されるだろう」と高をくくっていたこと、そして、批判されれば、戦争法案は通しておいて、新国立競技場の計画は、「白紙に戻す」と言って、「僕ちゃんは、結構『話が分かるでしょ』」と言いたげな様子でいること(これも、権力者のお気に召すまま、恣意的な「温情」ということでしょうね)。
5)しかも、この国策事業の決定を変更するからには、最初の間違った決定をした責任者を明確にし、その責任を取らせるのが、結果責任を問われる政治の役目なのに、厚顔無恥にも、その責任をそれぞれの部署で、相手にせいにして、誰も責任を取らないこと。
6)戦争法案を通せば、莫大な戦費、お金がかかるけれども、東日本大震災関連の予算を縮小されるは、社会福祉・医療など、市民生活の福祉に直結する予算は、削られるは、の現状。人間を生かす予算は削って、人殺しの予算を増やそうとしてること。
7)日本市民に生活を見るとどうですか? 介護する者が介護される者を殺す、親が子どもを、子どもが親を殺す、保育園に行きたいのにいけない子どもと母親が、それぞれ40000人もいる、施設での支援が必要な高齢者とその家族が、それぞれ520000人もいる、…。
なぜ、こんなに国民を蔑ろにすることを、次から次に、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちはできるのかな?
昨日は、民主主義は、永久革命だから、常に民主化を日本市民が進めていく必要があることを、皆様と分かち合いましたね。制度やルールは、既製品ではなくて、市民ひとりびとりが、その制度やルールを作った時の、「制度を作る精神」、南原繁先生が好きな言葉で言えば、ガイスト、日常の言葉で言い直せば、初心、最初の思いが、制度やルールを使う時に活かすこと、そして、その初心をもっと生かす制度やルールに作り替えていくことが大事になるんでしたね。
制度やルールは、既製品(レディー・メイド)ではなくて、日本市民である、私どもが注文するオーダーメイドだってこと。
今日は、もう1つの視点を考えます。あんな、おバカで、日本の市民を蔑ろにするアベシンちゃんと悪魔の仲間たち。それには、何重にも?が付く。だけど、戦争法案と秘密保護法と新国立競技場の話が出るまで、それほどの?が、日本市民の中にあったかは、はなはだ?がつくだろうと思います。
狂気(凶器)のアベシンちゃんと悪魔の仲間たちじゃぁなくて、善良で謙虚な為政者でさえも、実は、大きな?があってしかるべきだ、と言う視点です。丸山眞男教授は、それを、次のように述べておられます。
「『比較的少数の人間におそろしく巨大な人間が服従している』という、昔からの政治的社会の現実を『1個の驚くべき現象』と見る感覚(H.J. Laski, The Grammar of Politics, p.21)は、右のような緊張の意識に支えられて市民社会の伝統となり、権力の正統性の根源が不断に問われる源泉をなしたのである」(p.226)
ここで、「右のような緊張の意識」と呼ばれていることは、国家権力が作り出す制度はフィクションであり、市民生活の現実・内実とは区別されること、そのフィクションである制度と市民生活の内実とはギャップがあり、緊張感がある、ということです。ちょっと難しい。要するに、権力は、市民が作り出した作り物、それは、市民自らが、自分の人間らしい暮らしを実現させるために作ったもの、その権力がその目的を果たしている間は、従うけれども、そうでない場合、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちのようなことをすれば、従いませんよ、という緊張感がある、という訳ですね。
確かに、10人くらいの人たち(内閣のメンバー)に120000000人もの日本に住む人々が従っていることは、妙ですね。今の政府が、市民の人間らしい暮らしを守ってくれるのかどうかを、いつも問うことが大事になる訳ですね。ですから、政府があることを、当たり前だ、などと思っていたんじゃいけない訳ですね。ましてや、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの悪行の数々を目の当りにしたら、彼らが権力を握っている正当性はもうすでにないのですから、一刻も早く、権力の座から追い出すことが必要になりますよね。