エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

普遍的なのに、極めて個人的

2015-07-21 08:59:52 | アイデンティティの根源

 

 私どもが、苦しんでいることに希望を見出すのはね、キリストが十字架の苦しみの後に復活の悦びを体験して、モデルを示してくれているからなんですね。ただ、口で「こうしなさい」と偉そうに言っただけじゃぁない。自分でやって見せた、と言う点が説得力がありますでしょ。

 Young Man Luther 『青年ルター』p213の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 神は、時空の片隅で待ち伏せするんじゃなくて、ルターにとって、「私どもの中で働かれる者」になりました。その道は、神様に対して、「自分ができることをすること」によって、1つの目標を、克己努力の末に掴もうとするんじゃないんですね。そうじゃぁなくって、神様の道は、心の内側から湧き上がってくるものなんですね。via dei est  qua nos ambulare facit 「(ラテン語で)神様の道は、私どもがその道を歩むものです」ってわけですね。神は、一人の人よりも小さくなって、個人にとっては、よりその人ならではの存在になりました。

 

 

 

 

 

 神は、私どもの心の中にいて、静かに語りかける存在になりました。それは、普遍的な存在であると同時に、極めて個人的な存在になりましたね。

 

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人生には無駄はない!

2015-07-21 08:11:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 発達に伴う人間力は、非常に脆くて、しかも、根源的な邪悪さがある、とエリクソンは言います。人間を本当によく知っている人ですね。エリクソンはね。内省と観察を、日々、刻々としてた証拠ですね。ですから、その人間力を育むときには、心理臨床的な洞察と、倫理的態度が必要不可欠になりますよ。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p61の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 それで、幾分元気を貰って、私どもは心理社会的な舞台をご提案しましょうね。かねてから申し上げているように、今回は最後の舞台から始めましょう。すなわち、私どもの表の一番上から始めましょう。これは、単に、方法上のつむじ曲がりから出た話ではなくて、この表の論理をさらに展開するためなんですね。まず手始めに、この表を読むためには、どの行でも、どの列でも(横方向でも、縦方向でも)、他の行やら、他の列やらに発達的に関連させなくっちゃね、という訳です。それは、以前の養育(発達)条件の形であれ、以降の結果や論証の必要性であれ、変わりませんね。そして、これは、今現在の、注目や関心が、実際に新たに求められる舞台でも、関係づけをし続けられなくちゃ、なりません。

 

 

 

 

 この表は、織物になぞられられるものですね。これは、奥さんであるジョアンの発想だったかもしれません。女性らしい視点でしょ。やはり、発達のことは、子育てのことは、女性の方が直感的に、実感している場合が多いのじゃぁないかしらね。ですから、この表も、ライフサイクル理論そのものが、エリクソンとジョアンの共同作業だったわけですね。

 ですから、どの部分も、他の部分と関わりがあるんですね。「人生には無駄がない」、ということを理論的にもハッキリ示しているんですね。

 

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2つの関係、2つの議論

2015-07-21 02:15:25 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今夜は、丸山眞男教授の第6夜の予定でしたが、予定変更することにしました。

 アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの悪魔の所業に対して、各方面から「異議あり」の声が上がっています。心強いと思います。私も断固として「異議あり」を言い続けるつもりです。大江健三郎さん、澤地久恵さん等の「9条の会」の安倍政権反対デモとアピール、大学生を中心としたSEALDsの抗議デモ、湯川礼子さん等の女性たちの戦争法案反対デモ、吉永小百合さん、倍賞美津子、山田洋二監督らの映画人の戦争反対アピール。いろいろ出てきましたね。アベシンちゃんと悪魔の仲間たちは、支持率が30パーセント台になった以上、もう9月にこの法案を通すことはできないと私は考えます。強気を装ってても、次の選挙に、ビクビクしているはずですから。

 私は、戦争法案反対の学者等が、安倍政権そのものに反対表明したことを評価したいんですね。益川敏英教授、山口二郎教授に、千葉眞教授、上野千鶴子教授らが、「安倍政権を倒すまで戦わなくてはなりません」と言う趣旨の発言をしたことは大事なことですね。

 それで私は、益川敏英教授が学んだ坂田昌一研究室、通称「E研」と、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちの「国会」を思った訳ですね。この2つは天地の差があるなぁ、ってね。

 E研では、「議論は自由に、研究室では平等だ」が徹底していたと言いますね。以前、NHKの「心の遺伝子」という番組で、益川敏英教授とE研が紹介されたとき、そのE研の特色として、そのように紹介されたことがありました。「議論は自由に、研究室では平等だ」とは、すなわち、学生であっても、坂田教授であっても、研究室での議論では対等であり、それぞれの自由な発言が大事にされた、ということです。それはもとを糺せば、坂田教授の恩師の仁科芳雄教授がデンマークのコペンハーゲン大学等で学んだ時の体験が生かされているとのことですね。コペンハーゲン大学等での議論が自由で対等なものだったから、ですね。その仁科教授の流れを汲むE研でも、それだけ民主主義と個人の尊重が徹底していたわけでしょ。ですから、E研では、誰はばかることなく、「自由で対等な議論」が出来たわけですね。その結果がどれだけ素晴らしいものかは、益川敏英教授と小林誠教授の業績を考えれば、明らかですね。

 かたや今国会。3分の2以上の議席数と言う、圧倒的な数の暴力で、与党との議論は、単に「〇〇時間、論議しましたから…」と始から、議論の中身よりも、議論した時間数を問題にする始末。ですから、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちは、野党議員の質問に対して、誠実に応えようなどとは、ハナから少しも考えていなかったわけですね。「テイネイに説明します」、「違憲ではありません」、「切れ目のない対応をしていかなければならない訳であります」、「国民の命と財産を守ることは、政治家の使命」「ホルムズ海峡での機雷除去」、「戦闘行為には加わらない訳です」という言葉と、「〇〇事態」などという、ウソとゴマカシの時に常套初段である訳の分からない新語を用いて、日本市民をダマクラカそうとしていますよね。今国会で、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちがやってることは、民主主義でもなければ、自由で対等な議論でもありません。殿様気取りで、日本の市民を愚弄し、侮蔑することしかしてませんよ。それは「時間稼ぎの形ばかりの(中身のない)議論(ですから、「議論」とは呼べない)」です。その結果がどうなるか? 危ない危ない…。

 これを対比的にまとめると、次のようになるでしょう。

 E研は、「自由で対等な議論」が実現しているし、「一つの人類」=「自由で対等な関係」を目指す人たちです。

 アベシンちゃんと悪魔の仲間たちは、自由な報道を抹殺し、数の暴力で、自由で対等な、したがって、誠実な議論をする気は、ハナから、サラサラないから、やってたのは「時間稼ぎの形ばかりの(中身のない)議論」であり、自分たちは殿様気分で、日本の市民は、セッセと税金は納め、イザとなれば、兵隊にもなる、「都合のいい奴隷」扱いで、「人間を上下2つに分けるウソ」の猛毒にやられている人たちです。

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