エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

今日を心豊かに生きたいなぁ

2015-07-20 10:20:16 | アイデンティティの根源

 

 ルターが、心の中に自分を確かにさせてくれる存在がおられることに気付いたのはね、信頼の、良心のルネッサンスだ、とエリクソンは言います。

 Young Man Luther 『青年ルター』p213の第3パラグラフかの、9行目途中から。

 

 

 

 

 

キリストが生きて死んだのは、人が、将来の最後の審判を心配して、落ち込むためなんかじゃぁ、ない。今日を心豊かに生きてもらうためなんですね。nam judicia sunt ipsae passiones Christi quae in nobis abundant .「(ラテン語で)というのは、裁きとは、キリストの十字架そのものだからですし、豊かさそのものだからです」。ご覧ください、ルターは、これらの講義の中で言っていますよ(Ⅳ,87)、「画家がキリストの十字架の苦しみを描く時にはいつだって、聖パウロが、『私どもは、十字架についたキリスト以外を知りません』と言ったことに賛成しているかのようですよ」と。キリトスの十字架を描いた画家で、魂の点でルターに一番近かったデュレルは、自分の顔を、キリストの顔に向けて、エッチングの絵を描いてますもんね。

 

 

 

 

 中世世界で、「最後の審判」と言ったら、日本で閻魔さまが地獄の門で待ってる感じに近いんじゃないかしらね。真っ赤な顔で怒ってる感じです。怖い怖い…。でもね、ルターがめっけた自分を確かにしてくださる方は、慈しみ深くて、寛容な方だったようですね。菩薩様のように、阿弥陀様みたいに、いつだって、私どもが心豊かに生きていくことを願っていてくださいます。

 あなたの心の中はどうなってますか? そこにいらっしゃるのは、コワーイ閻魔さまですか? それとも、菩薩様か阿弥陀様みたいな優しい方ですか?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発達支援には、心理臨床的洞察と倫理的態度が、なくっちゃね。

2015-07-20 08:35:37 | エリクソンの発達臨床心理

 人生で躓いたら、振出しに戻りましょうよ。それは赤ちゃんになれ、と言うんじゃないですね。根源的信頼感をより確かなものにしましょうよ、希望の中に、いままでよりも、たくさんな人と一緒にいられる様な、デッカイ希望にしましょうよ、ということですよ。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p60の最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 faith「困難があっても、信念に忠実であり続けること」, hope「困難があっても、信頼し続けること」,charity「自分が損をしても、アンパンをあげること」と言ったような普遍的な価値の中にある、発達上の筋道を指摘することは、そういった価値を、なにも、赤ちゃんの頃の根っこに、順番に貶めようってんじゃぁ、ないんですね。むしろ、発達が普遍的な価値の中にあると指摘することはね、徐々に日の目を見る人間力には、ひとつひとつ、私ども心理臨床に携わる者のいろんな洞察が年中必要になるくらいの、瑠璃のような脆さが本来ある、ということを私どもは考えさせられるだけじゃぁ、ないんですね。その人間力には、根源的な邪悪さが本来からあって、普遍的な宗教やら価値体系やらに備わる、その邪悪さから私どもを救い出すいろんな価値が必要だということも、私どもは考えざるを得ないんですね。

 

 

 

 

 発達に伴う人間力には、深刻な脆さと根源的な邪悪さが本来ある、ってんですね。ですから、人間力が育っていくためには、その深刻な脆さに目配りするためには、心理臨床を生業とする者からの洞察が必要です。でもそれだけじゃぁ、足りない、とエリクソンは言います。根源的邪悪さから救ってくれるように、宗教や価値体系が持つ価値、すなわち、倫理的態度が必要だってんですね。この倫理的態度までを包み込んで、ライフサイクルの発達を体系化したエリクソンって、素晴らしいですね。

 ですから、人間力が育つように支援する者には、心理臨床的洞察力と、なによりも、倫理的態度が必要です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

丸山眞男教授の思想史研究の原体験 私どもの今ここからの課題

2015-07-20 01:38:28 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
「人類を上下2つに分けるウソ」に傾く心の構え
  自由と束縛の別れ道 :「人類を2つに分けるウソ」の取り扱い次第  第二章第1節「やり取りのいろんな...
 

 

 丸山眞男教授の第5夜。

 丸山眞男教授の恩師と言えば、南原繁教授です。南原先生は、敗戦後最初の東大総長にして、内村鑑三、新渡戸稲造の弟子でしたから、丸山眞男教授は、内村、新渡戸の孫弟子だ、と言えるのかもしれませんね。

 丸山眞男教授の1975年の文書に、その南原繁教授に関するものがあります。「南原先生を師として」(『丸山眞男集』第十巻,p.171-196)がそれです。その中に、丸山眞男教授が、思いがけず、南原繁教授の研究室に残ることになった経緯が出てきます。

 丸山眞男教授が第一高等学校3年(1933年)の時に、警察に検挙されるという事件がありまして、その後、特高(秘密思想警察)に執拗に付け回されていたらしい。その4年後、1937年に、丸山眞男教授は、研究室に助手として残る時に、そのことを正直に南原先生に申告し、「助手になっても万一にも法学部に迷惑をかけることがあったらすぐに辞表を書く」と言う趣旨のことを、言ったらしい。すると、南原先生は「そんな程度のことは問題ではない」と気にした様子もあまりない感じだったらしい。当時は、東大法学部・経済学部が権力から弾圧を受けていた頃なんですね。矢内原忠雄先生が、事実上経済学部教授を更迭されたのが、1937年ですし、その翌年1938年には、大内兵衛教授や有沢広巳教授等が一斉検挙される、という事件が続いたいた時代です。南原先生がいかに寛容だったかを丸山眞男教授は伝えてくれています。

 丸山眞男教授が高校3年の時、東大仏教青年会で、長谷川如是閑の講演会がありました。長谷川如是閑は、ジャーナリストでしたし、新聞記者でした、丸山眞男教授の父親の幹夫さんの友人でもありました。丸山眞男教授は、顔見知りでしたであろう、長谷川如是閑の話を聴くつもりで行った講演会が、始まるや否や、特高が「公演中止」と言って中止となったらしい。丸山眞男教授は、「おい、一高」と呼び留められて、本富士警察署に連れて行かれたらしい。その体験を、丸山眞男教授は、先の文書で「内面の思想と外的な行動とを区別しないで、精神の内側に無限に踏み込んで行く日本国家権力の性格、というものを体験として知ったことは、結果論かもしれませんが、後の私の学問的な関心を暗々裡に規定したように思います」(p.179)と書いておいでです。

 この「精神の内側に無限に踏み込んで行く」ということは、別の言葉で言えば、「抑圧移譲」です。簡単に言ったら、「イジメ」と「押し付け」です。アベシンちゃんと悪魔の仲間たちが、市民の声に聴く耳も、市民の声を理解する意思も持っていないくせに、やれ「理解を得られるように努力してまいりたい」だの、「丁寧に説明してまいりたい」だのとホザクノのは、丸山眞男教授の教えに従えば、この「イジメ」と「押し付け」である、と見なして良いことですね。だって、辺野古もそうでしょ。戦争法案もそうでしょ。秘密保護法もそうだったでしょ。新国立競技場だって、北京やロンドン並みの500億円以内に果たしてするかどうか、甚だ怪しい(当初予算からして、その倍以上の130000000000でしたからね)。これだけ、40000人以上の子どもと母親が保育所に入れずに困っているのに、平気の平左、520000人以上の高齢者とその家族が、高齢者施設に入れず困っているのに、平気の平左、毎日100人くらいの人が自殺を試みているのに、平気の平左、一票の格差が違憲だと裁判所から言われていても、国会が基本的人権を踏みにじっている現状にも、平気の平左…(キリがないくらいなので、後は割愛)。

 私どもは、このような「いじめ」と「押し付け」を繰り返す、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちを、即座に権力の座から引きずり下ろさなくてはならないでしよう。でもそれだけじゃぁ、全然足りませんね。私どもが、「人を大事にすること」(人間らしい暮らしを大事にすること)と「弱い立場の人の声、弱い立場の人の話を、謙虚に聴くこと」を大事にする政治を、私どもの手で作り出すことが、いまここからの課題です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする