北海道の訓子府(くんねっぷ)町では、
脳脊髄液減少症患者に、独自に
通院費を助成してくださっています。
なんという人情あふれる優しい町でしょうか。
北海道訓子府町ホームページ内、
広報くんねっぷ
広報くんねっぷ 2009年4月号 暮らしの情報案内 16、17ページ
左上の文字を抜粋すると、
『交通費の一部を助成する特定疾患を拡大
対象となる「特定疾患」など
「特定疾患医療受給者証、または、特定疾患患者認定書」
「ウイルス性肝炎信仰防止対策・橋本病重症患者対策医療受給者証」
「小児慢性特定疾患医療受診券」
「脳脊髄液減少症診断書」
が交付されていることが助成の条件となります。
助成範囲及び助成額の
町外(道内に限る)の医療機関に通院する場合で
もっとも経済的な経路および方法で通院した場合の2文の1の額を助成します。
申請に必要なもの、
①「特定疾患医療受給証または、特定疾患患者認定書」
「売りうす性肝炎進行防止対策・橋本病重症患者対策医療受給者証」
「小児慢性特定疾患医療受診券」
「脳脊髄液減少症の診断書」の写し
②印鑑
③通院証明書
(用紙は福祉保険化健康増進係にあります。
④銀行の振込口座番号
その他
当該年度(4月から6月の場合は前年度)の市町村民税課税世帯に属する方は、
月額9000円を上限とします。』
ここからは私のつぶやきです。
世間にも
医療にも
国にも冷遇されている脳脊髄液減少症患者にとって、
なんという暖かな人情を感じる、救われる話題でしょうか。
交通事故の被害者なのに
保険会社には治療費を打ち切られ、
ブラッドパッチ治療には健康保険がきかず、
働けず、
時には家族にも理解されず、怠けもの扱いされ、
脳脊髄液減少症に理解のある医師も
身近にはいない、
ときたら、
「自分の病名ぐらい、自分で探し当てろ、
探し当てた病名の唯一の治療の健康保険が使えない?
それなら、自分で払え!、
払えない?
自費の医療費も払えない、
お金のない脳脊髄液減少症患者はさっさと死ね」・・・とでも、
国や行政に言われているようなものです。
まさに、「地獄の沙汰も金しだい」を地でいっているのが
脳脊髄液減少症患者の置かれているあまりにも残酷な現状です。
「国民皆保険」なんて形だけのものにしか私には思えません。
私はブラッドパッチで助けてもらわなければ、とうてい生きていられませんでしたが、
患者を救う唯一の治療にも、
自費で払わなければならず、
しかも、
そういう状態になったのが、自分には何の落ち度もない、
交通事故であるのに、
交通事故の被害者であるのに、
こんな信じられないような残酷な目にあっているのが、
多くの脳脊髄液減少症患者が置かれている
現実なのです。
このような状況の中で、
通院費の助成などという、
人情あふれる判断をしてくださる自治体は本当に貴重です。
前例がないと、たとえ人命がかかっていても、患者が必死に訴えても、
多くの行政は非難を恐れて、新しいことには着手せず、
冷たいものです。
時には「前例がない」ことを、判断を避けたり、
逃げる理由にしたりします。
3年たっても結論を出そうとしない、
否定派医師が大多数でスタートした、脳脊髄液減少症公的研究班も、
似たようなものだと感じています。
患者を救う気があるのなら、
もう、とっくに
患者救済につながる、前向きな方向性がすでにできているはずでしょう?
3年計画の3年目の終わりあと数ヶ月を残すころになって
コレはないでしょう?
もともと、脳脊髄液減少症患者を助ける気がない否定派医師が大多数を占めていたまま、スタートしたこと自体が、
大きな問題だったとしか、私には思えません。
(この問題について関連記事が書かれたブログは・・・こちら
医師の世界は複雑怪奇で、政治家の世界より、いろんな学会のいろんな派閥があるようですが、神経外傷学会は今も
「脳脊髄液減少症なんて存在しない」と主張しているのでしょうか?だとしたら、愚かなことです。)
研究班も国も、こんなに何年も患者を苦しめ続けて、
なお、これからも放置して苦しませ、自殺に追い込むつもりでしょうか?
研究班の人選に、こんな否定派医師ばかりを選んだ人にも、
大きな責任があると私は個人的には
怒りを感じています。
(よかれと思って選んだ人たちが結果的に否定派だったのかも
しれないけれど・・・
肯定派、否定派の医師の数のバランスが悪いと患者の指摘された時点で、
フェアな人選に早々に入れ替えるべきだったと思います。)
公的研究班ですら、患者をまるで救う気がないかのような、
見殺しにし続けるかのような不穏な動きと、
大都市の自治体では
脳脊髄液減少症の病院公開ですらまだ実現できないという光も見えない中、
訓子府町は、小さい町だからこそ、
こうした思い切った、
勇気ある判断(ルビコン河を渡る、決断)ができたのかもしれませんが、
このようなことこそ、自治体ができる、
「小さな支援でも、人に生きる希望を与え、人の命をつなぐ、弱者救済」だと私は思います。
まだまだ国、県、市町村レベルでも、脳脊髄液減少症に無関心で、
脳脊髄液減少症の病院公開さえ遅れている県もまだ残っている中、
このような小さな町の
あたたかな思い切った勇気ある判断は
「患者の人権や人命を第一」に考えた結果だと思います。
この国の政権を握った政治家の皆様たちが、この小さな街のように
脳脊髄液減少症患者救済に
なんらかの動きを見せてくださるのか、
私はとても不安です。
今まで信じたものに、信じかけた医師に、人に、
いつも捨てられてきました。
私が悪いせいではなく、
脳脊髄液減少症という理解されない病のせいで・・・。
だから、国にまで見捨てられたら、患者は生きてはいられません。
これ以上脳脊髄液減少症患者を見殺しにするなら、
これ以上、無理解にいじめ抜かれ、
苦しみもがいている患者を、国として救済もせず、放置しつづけるなら、
人権侵害を見逃すなら、
そんな政党も、
そんなことを許した国会議員たちも、絶対に許せません。
皆さんの市町村はどうですか?
脳脊髄液減少症患者に優しい街ですか?
それとも・・・・。
この日本という国は、
弱者の国民に優しい国なんでしょうか?
それとも、冷たい国なんでしょうか?
何も信じられなくなっている私には、全くわかりません。
本当に
「人の命と生活を大切に思ってくれる国」になるのでしょうか?
それとも、そんな一部の人たちのことなんてどうでもいいと、
思われたまま、
また、何年も、何十年も放置され続けるのでしょうか?
もう、私は疲れました。
私個人の交通事故後遺症のことを、
脳脊髄液減少症のことを、
もはや誰にも信じてもらえないなら、
せめて、
これから交通事故で脳脊髄液減少症になってしまう人たちが
私のような、こんな残酷で、ひどい目に遭わないように、
この国に、行政に、脳脊髄液減少症のことを認めて
被害者として、適正に助けてもらいたい。
そう思ってこうして3年もブログに思いを書きつづってきましたが、
先の見えない状況に、
もう、本当に疲れきってきました。
病の苦しみ、
それが放置されることの人生の苦しみ、
医療の冷酷さは、
私は、いやというほど味わいました。
もう、私のように、脳脊髄液減少症とわからないまま、
放置されて、人生のほとんどをだいなしにされる、
こんな思いをする、交通事故被害者は二度と出さないでほしいのです。
「情けは人のためならず、巡りめぐって自分のためでもある」のに、
そのことに、
まだ、多くの人たちが、気づけないのでしょうか?
明日はわが身なのに・・・。
人間とは、なんと愚かで、
なんと悲しい生き物なのでしょうか?
でも、こうして、自分達のできる範囲で、助けてくれようとする、
優しい人たちも確かに存在しています。
脳脊髄液減少症患者の苦悩を、
理解してくれようとして努力してくれる人たちもいます。
実際に力になってくれる人たちもいます。
その人たちの存在を支えに、
その人たちの力をお借りしながら、気力をつないで、
命をつないで、
いつか、脳脊髄液減少症患者も
普通の病人のように
「人として尊重されて」
国にも医療にも扱われる日が来ることを、
信じたいと思います。
なお、
北海道の図書館では、
脳脊髄液減少症の本を置いてくれています。
その1
その2
なんとデータ集まで
皆さんの街の図書館にも、
あるかどうか、検索してみてはいかが?
なければ、
本の購入の希望を
図書館に出してみてはいかが?
追加・・・・
ネット上の脳脊髄液減少症に関する記事や情報や
ブログはどんどん消えていくけど・・・・
私は消えないぞ・・・・
脳脊髄液減少症に誰がなっても、
いつでもどこでも安心して健康保険で治療が受けられ、
交通事故なら、きちんと被害者としての治療費も補償も受けられ、
被害者がきちんと治り社会復帰ができるよう、
あたたかな支援体制が整った社会を見届けるまでは、
死ねないぞ・・・・
何のための健康保険だ。
何のための自動車保険だ。
何のための公的研究班だ。
人を人とも扱わない、
病人を病人としても扱わない、
こんな社会や医療や
保険会社なんて、いつまで続くんだ。
被害者をいつまで犯罪者扱いするつもりなんだ。と、
怒りをエネルギーにして生きていても、
力尽きそう・・・・・。
悪い人間も、犯罪者も、この世にたしかに存在するけど、
すべての人間が
保険金詐欺師なんかじゃないぞ・・・・
本当の患者だって、
被害者だって、いるんだぞ・・・・
なってみれば、わかる、
この後遺症を自分が負ってみればわかる、
脳脊髄液減少症の存在すらを
今も否定している人間は、
脳脊髄液減少症になってみれば、
私たちがウソをついていないことがわかるはず。
神様、
否定する人たちに、わからせてやってください。
私たちがウソをついていないことを。
脳脊髄液減少症患者に、独自に
通院費を助成してくださっています。
なんという人情あふれる優しい町でしょうか。
北海道訓子府町ホームページ内、
広報くんねっぷ
広報くんねっぷ 2009年4月号 暮らしの情報案内 16、17ページ
左上の文字を抜粋すると、
『交通費の一部を助成する特定疾患を拡大
対象となる「特定疾患」など
「特定疾患医療受給者証、または、特定疾患患者認定書」
「ウイルス性肝炎信仰防止対策・橋本病重症患者対策医療受給者証」
「小児慢性特定疾患医療受診券」
「脳脊髄液減少症診断書」
が交付されていることが助成の条件となります。
助成範囲及び助成額の
町外(道内に限る)の医療機関に通院する場合で
もっとも経済的な経路および方法で通院した場合の2文の1の額を助成します。
申請に必要なもの、
①「特定疾患医療受給証または、特定疾患患者認定書」
「売りうす性肝炎進行防止対策・橋本病重症患者対策医療受給者証」
「小児慢性特定疾患医療受診券」
「脳脊髄液減少症の診断書」の写し
②印鑑
③通院証明書
(用紙は福祉保険化健康増進係にあります。
④銀行の振込口座番号
その他
当該年度(4月から6月の場合は前年度)の市町村民税課税世帯に属する方は、
月額9000円を上限とします。』
ここからは私のつぶやきです。
世間にも
医療にも
国にも冷遇されている脳脊髄液減少症患者にとって、
なんという暖かな人情を感じる、救われる話題でしょうか。
交通事故の被害者なのに
保険会社には治療費を打ち切られ、
ブラッドパッチ治療には健康保険がきかず、
働けず、
時には家族にも理解されず、怠けもの扱いされ、
脳脊髄液減少症に理解のある医師も
身近にはいない、
ときたら、
「自分の病名ぐらい、自分で探し当てろ、
探し当てた病名の唯一の治療の健康保険が使えない?
それなら、自分で払え!、
払えない?
自費の医療費も払えない、
お金のない脳脊髄液減少症患者はさっさと死ね」・・・とでも、
国や行政に言われているようなものです。
まさに、「地獄の沙汰も金しだい」を地でいっているのが
脳脊髄液減少症患者の置かれているあまりにも残酷な現状です。
「国民皆保険」なんて形だけのものにしか私には思えません。
私はブラッドパッチで助けてもらわなければ、とうてい生きていられませんでしたが、
患者を救う唯一の治療にも、
自費で払わなければならず、
しかも、
そういう状態になったのが、自分には何の落ち度もない、
交通事故であるのに、
交通事故の被害者であるのに、
こんな信じられないような残酷な目にあっているのが、
多くの脳脊髄液減少症患者が置かれている
現実なのです。
このような状況の中で、
通院費の助成などという、
人情あふれる判断をしてくださる自治体は本当に貴重です。
前例がないと、たとえ人命がかかっていても、患者が必死に訴えても、
多くの行政は非難を恐れて、新しいことには着手せず、
冷たいものです。
時には「前例がない」ことを、判断を避けたり、
逃げる理由にしたりします。
3年たっても結論を出そうとしない、
否定派医師が大多数でスタートした、脳脊髄液減少症公的研究班も、
似たようなものだと感じています。
患者を救う気があるのなら、
もう、とっくに
患者救済につながる、前向きな方向性がすでにできているはずでしょう?
3年計画の3年目の終わりあと数ヶ月を残すころになって
コレはないでしょう?
もともと、脳脊髄液減少症患者を助ける気がない否定派医師が大多数を占めていたまま、スタートしたこと自体が、
大きな問題だったとしか、私には思えません。
(この問題について関連記事が書かれたブログは・・・こちら
医師の世界は複雑怪奇で、政治家の世界より、いろんな学会のいろんな派閥があるようですが、神経外傷学会は今も
「脳脊髄液減少症なんて存在しない」と主張しているのでしょうか?だとしたら、愚かなことです。)
研究班も国も、こんなに何年も患者を苦しめ続けて、
なお、これからも放置して苦しませ、自殺に追い込むつもりでしょうか?
研究班の人選に、こんな否定派医師ばかりを選んだ人にも、
大きな責任があると私は個人的には
怒りを感じています。
(よかれと思って選んだ人たちが結果的に否定派だったのかも
しれないけれど・・・
肯定派、否定派の医師の数のバランスが悪いと患者の指摘された時点で、
フェアな人選に早々に入れ替えるべきだったと思います。)
公的研究班ですら、患者をまるで救う気がないかのような、
見殺しにし続けるかのような不穏な動きと、
大都市の自治体では
脳脊髄液減少症の病院公開ですらまだ実現できないという光も見えない中、
訓子府町は、小さい町だからこそ、
こうした思い切った、
勇気ある判断(ルビコン河を渡る、決断)ができたのかもしれませんが、
このようなことこそ、自治体ができる、
「小さな支援でも、人に生きる希望を与え、人の命をつなぐ、弱者救済」だと私は思います。
まだまだ国、県、市町村レベルでも、脳脊髄液減少症に無関心で、
脳脊髄液減少症の病院公開さえ遅れている県もまだ残っている中、
このような小さな町の
あたたかな思い切った勇気ある判断は
「患者の人権や人命を第一」に考えた結果だと思います。
この国の政権を握った政治家の皆様たちが、この小さな街のように
脳脊髄液減少症患者救済に
なんらかの動きを見せてくださるのか、
私はとても不安です。
今まで信じたものに、信じかけた医師に、人に、
いつも捨てられてきました。
私が悪いせいではなく、
脳脊髄液減少症という理解されない病のせいで・・・。
だから、国にまで見捨てられたら、患者は生きてはいられません。
これ以上脳脊髄液減少症患者を見殺しにするなら、
これ以上、無理解にいじめ抜かれ、
苦しみもがいている患者を、国として救済もせず、放置しつづけるなら、
人権侵害を見逃すなら、
そんな政党も、
そんなことを許した国会議員たちも、絶対に許せません。
皆さんの市町村はどうですか?
脳脊髄液減少症患者に優しい街ですか?
それとも・・・・。
この日本という国は、
弱者の国民に優しい国なんでしょうか?
それとも、冷たい国なんでしょうか?
何も信じられなくなっている私には、全くわかりません。
本当に
「人の命と生活を大切に思ってくれる国」になるのでしょうか?
それとも、そんな一部の人たちのことなんてどうでもいいと、
思われたまま、
また、何年も、何十年も放置され続けるのでしょうか?
もう、私は疲れました。
私個人の交通事故後遺症のことを、
脳脊髄液減少症のことを、
もはや誰にも信じてもらえないなら、
せめて、
これから交通事故で脳脊髄液減少症になってしまう人たちが
私のような、こんな残酷で、ひどい目に遭わないように、
この国に、行政に、脳脊髄液減少症のことを認めて
被害者として、適正に助けてもらいたい。
そう思ってこうして3年もブログに思いを書きつづってきましたが、
先の見えない状況に、
もう、本当に疲れきってきました。
病の苦しみ、
それが放置されることの人生の苦しみ、
医療の冷酷さは、
私は、いやというほど味わいました。
もう、私のように、脳脊髄液減少症とわからないまま、
放置されて、人生のほとんどをだいなしにされる、
こんな思いをする、交通事故被害者は二度と出さないでほしいのです。
「情けは人のためならず、巡りめぐって自分のためでもある」のに、
そのことに、
まだ、多くの人たちが、気づけないのでしょうか?
明日はわが身なのに・・・。
人間とは、なんと愚かで、
なんと悲しい生き物なのでしょうか?
でも、こうして、自分達のできる範囲で、助けてくれようとする、
優しい人たちも確かに存在しています。
脳脊髄液減少症患者の苦悩を、
理解してくれようとして努力してくれる人たちもいます。
実際に力になってくれる人たちもいます。
その人たちの存在を支えに、
その人たちの力をお借りしながら、気力をつないで、
命をつないで、
いつか、脳脊髄液減少症患者も
普通の病人のように
「人として尊重されて」
国にも医療にも扱われる日が来ることを、
信じたいと思います。
なお、
北海道の図書館では、
脳脊髄液減少症の本を置いてくれています。
その1
その2
なんとデータ集まで
皆さんの街の図書館にも、
あるかどうか、検索してみてはいかが?
なければ、
本の購入の希望を
図書館に出してみてはいかが?
追加・・・・
ネット上の脳脊髄液減少症に関する記事や情報や
ブログはどんどん消えていくけど・・・・
私は消えないぞ・・・・
脳脊髄液減少症に誰がなっても、
いつでもどこでも安心して健康保険で治療が受けられ、
交通事故なら、きちんと被害者としての治療費も補償も受けられ、
被害者がきちんと治り社会復帰ができるよう、
あたたかな支援体制が整った社会を見届けるまでは、
死ねないぞ・・・・
何のための健康保険だ。
何のための自動車保険だ。
何のための公的研究班だ。
人を人とも扱わない、
病人を病人としても扱わない、
こんな社会や医療や
保険会社なんて、いつまで続くんだ。
被害者をいつまで犯罪者扱いするつもりなんだ。と、
怒りをエネルギーにして生きていても、
力尽きそう・・・・・。
悪い人間も、犯罪者も、この世にたしかに存在するけど、
すべての人間が
保険金詐欺師なんかじゃないぞ・・・・
本当の患者だって、
被害者だって、いるんだぞ・・・・
なってみれば、わかる、
この後遺症を自分が負ってみればわかる、
脳脊髄液減少症の存在すらを
今も否定している人間は、
脳脊髄液減少症になってみれば、
私たちがウソをついていないことがわかるはず。
神様、
否定する人たちに、わからせてやってください。
私たちがウソをついていないことを。