脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

水俣病の54年と脳脊髄液減少症のこの10年

2010年03月31日 | つぶやき
3月も今日で終わり、明日から4月です。
春になると引きこもり患者の私にもささやかな希望も膨らみますが、
ここのところの冷え込みは体にこたえました。

さて、
昨日の新聞記事によると水俣病の未認定患者さんたちと国が和解したそうです。

水俣病が公的に認められてから今年で54年目だそうです。



脳脊髄液減少症も、
脳脊髄液減少症という事故後遺症の存在にひとりの日本人医師が世界ではじめて
気づきはじめてから、もう10年が過ぎるそうです。


水俣病患者さんが、当時、
国が1977年に定めた厳しい患者認定基準に満たずに、
患者と認定されず、

今まで体の苦しみの他に、「患者と認められない苦しみ」まで抱えさせられたのです。

54年という年月はどんなにおつらい日々だったことでしょう。


公害被害者は何の罪もないはずなのに、
どうしてこんなにも長い間、苦しみぬかなければならなかったのでしょうか?



水俣病をめぐっては「患者の「線引きをめぐる混乱」が繰り返されてきたそうです。



それは現代の「脳脊髄液減少症」患者を取り巻く医学会の「線引き論争」や混乱とそっくりです。

過ちはすでに繰り返されています。

過去の教訓を、
今こそ生かしてもらいたいです。


水俣病の患者認定の混乱は、

おそらく、脳脊髄液減少症と同じように、

手足のシビレなどの感覚障害など、
実際に存在する脳神経症状が
患者の自覚症状のみであったためだろうと私は推測しています。

今のように精密な検査機器のない50年以上前ならなおさら、
患者たちの訴えは医師にもなかなか信じてもらえなかったことでしょう。

本当に体に異常を感じているのに、
保証金めあての詐病扱いされた水俣病患者さんもきっといたことでしょう。


私は脳脊髄液減少症という見えない怪我を負ってはじめて、
過去の水俣病や、イタイイタイ病や、原爆症や、ハンセン病患者さんたちの
おかれてきた苦しみを想像することができる人間になれました。


もし、この認められない病、認められない事故後遺症、本人にしかわからない、
見た目では決して想像できない、生き地獄のような
脳脊髄液減少症の苦しみを経験しなければ、
おそらく、
そういった過去の公害や戦争の被害者の患者さんたちの苦しみに
関心を持つことはなかったでしょう。


永遠に想像することも、自分のことのように考えることも、
その当時の国や企業が犯した罪が、どんなに大罪だったかに

気づくこともなかったでしょう。


脳脊髄液減少症が私を、
目には見えない他人の苦しみを
少しは想像できる人間にしてくれたのです。


脳脊髄液減少症なんて事故後遺症はない、とか
脳脊髄液減少症なんてたいしたことのない症状、だとか、

脳脊髄液減少症で死ぬなんてことはありえない、
何年ほうっておいても死にやしない、なんて、

もし、そんなことを本気で考えている人がいたら、

それは本当の脳脊髄液減少症の苦しみを知らない人たちか、

または

「人の苦しみを、
自分の経験の尺度を越えて想像することが全くできない、おろかな人たち」だと
思います。


無理解は
ただでさえ苦しい患者にムチ打つ行為です。



どうしてこうも、何も罪のない被害者を
ただでさえ、身体症状に苦しむ被害者を、

さらに、無理解なひとたちがみなでよってたかっていじめ、
患者を苦しめる歴史が繰り返されてしまうのでしょうか?



水が汚染されていたなんてことは想像もせず、
普通に生活をしていた水俣病の患者さんたちに何の罪もありません。

国にも見捨てられ、早期に救済されてこなかった患者さんたちの
50年を超える戦いは想像するだけでつらくなります。


本当に「ノーモア水俣」と思わざるをえません。

でも、現実には「ノーモア水俣」どころか、

また同じようなことが、「脳脊髄液減少症」という事故後遺症で
すでに繰り返されてきてしまいました。


同じように、
自分には落ち度のない事故で
被害者になってしまい、脳脊髄液減少症になった患者も患者本人には
何の罪もありません。

それなのに、今だに
脳脊髄液減少症患者の支援体制は何も整っていません。

もうこれ以上
何の罪もない被害者たちにムチうつ拷問のような行為は

お願いですからやめてください。

過ちの歴史は
お願いですから繰り返さないでください。


今まで脳脊髄液減少症の存在や治療法に対して、
否定し続けてきた方がたには、

このへんで
過ちにそろそろ気づいてもらわなければなりません。


国も、
今まで見て見ぬふりしてきた過ちを

この辺で修正していただき、

脳脊髄液減少症患者が事故被害者として、
病人として、患者として正当に救済される社会を実現してもらわなければなりません。


まして、事故から年月がたってしまって、交通事故との因果関係の証明も難しいような
脳脊髄液減少症患者さんたちの苦しい毎日を、いつか国の力で何とか助けてあげてほしいのです。

私のように病名のない時代から生き抜いた事故被害者患者は今まで10年20年30年と、
周囲の無理解な扱いや言葉の虐待で身も心もズタズタにされ、
もう一生分の苦しみを味わってきたはずだからです。


事故でこの後遺症を負った被害者たちは、
当時はこの事故後遺症の概念が存在しなかったために、

いくら症状を訴えても、医師にさえ相手にされず、

今ごろ「脳脊髄液減少症という事故後遺症」だと気づいても、
時効の壁に阻まれて
事故のせいで負った後遺症だと訴えることもできないし、
相手の罪を正当に認めて罰してもらうこともできない事故被害者も数多くいるはずです。

当時「脳脊髄液減少症」だと気づけなかったのは
患者のせいではないのに、
病名がない時代だったからなのに、

「時効」という言葉で
切り捨てられてしまうのは、あまりにひどい扱いです。

自分には落ち度のない事故でこんな事故後遺症を負わされて、
被害者なのに、
長年自費での治療を強いられ続けて、

家族に負担をかけ続けて、
働けない、思うように動けない、事故の後遺症とも認められない体で
どうやって生きろというのでしょうか?

死にたくなっても当然ではないですか!。


そんな事故被害者を、
もう二度と出してほしくはありません。



今まで何年も前に、
何人もの脳脊髄液減少症の患者さんたちが
患者の窮状を必死に国に訴えてくださいました。

でも、国に訴えても訴えても、
具体的に患者たちが救済されることは決してありませんでした。

私には、脳脊髄液減少症のことは
当初から否定派医師ぞろいで固められた公的研究班にすべて丸投げで、

自らは何も動こうとしない当時の厚生労働大臣の国会答弁を聞いたとき、
見捨てられたと感じました。

当時の厚生労働大臣には淡い期待をしていただけに、失望も大きいものでした。


今、脳脊髄液減少症に対して理解が広がりつつありますが、

それでもなお、
医学会ではじめてやっと「脳脊髄液減少症という事故後遺症の存在」を認めてくれた
日本脳神経外傷学会が、

「きわめてまれ」な事故後遺症だなんて
言い放つしまつです。

「きわめてまれ」だと思っている医師が患者を診ても、
脳脊髄液減少症は絶対に早期発見できないと思います。

「きわめてまれ」だとの強い思い込みを捨てなければ、
絶対の見た目元気そうな患者の訴える症状から、脳脊髄液減少症の可能性に
気づけるはずがありません。

歩行困難や頭痛だけが脳脊髄液減少症の症状じゃあありません。

むしろ、
いくら検査しても原因のわからない、
日常生活に悪影響を与えるような数々の症状が怪しいのに、

誤解している医師が多すぎます。

立って15分以内の頭痛が激しくなるとか、横になって30分以内に頭痛が治まるとか、

そんな杓子定規な病でないことは、
悪化も改善もひととおり経験した患者が一番よくわかっています。


何度も繰り返しますが、脳脊髄液減少症は「きわめてまれな事故後遺症」なんかじゃ
絶対にないと思います。

むしろ発生頻度は想像以上に高いのではないかと私は思います。

症状が不定愁訴などの軽いものだった場合、
本人も家族も医師も、症状が深刻なものに悪化するまで、

脳脊髄液漏れなどという見えない怪我を負っていることに気づけないだけだと思うのです。

かつて私がそうだったように・・・。


3月29日の朝日新聞記事の水俣病の記事には
水俣病の被害者がピラミッド状に書かれた
わかりやすい図
が添えられていました。

これを見て私は

「これこそ、脳脊髄液減少症患者にも当てはまる図だ」と思いました。

この図のピラミッドの頂上付近の

「水俣病の認定患者」を

「RIなどで明らかな脳脊髄液漏れが認められるなどして脳脊髄液減少症と診断された患者」と置き換えて考えてみてください。

その下にいる、今もさまざまな身体症状、精神症状を抱え、
それが「脳脊髄液減少症」によるものだと気づいていない潜在患者はどれだけいることでしょうか?

脳脊髄液減少症は、「きわめてまれな」事故後遺症なんかでは
けっしてけっしてありません。

断じてありません。

もし、そうお考えの医師がいるとしたら、それは大間違いです。

私は経験者なのでそう断言できます。

なぜなら、多くの脳脊髄液減少症患者たちが症状を抱えて
数々の医師めぐりを余儀なくされてもなお
原因不明、気のせい、精神的なものなどと、何年も何十年も見逃され続け、

どこにいっても、何科にいっても、どんな名医を訪ねても、どんな検査を受けても、

誰も患者の「脳脊髄液減少症」という事故後遺症を見抜けなかったという事実は、


逆に言えば、

多くの医師の前にすでに、脳脊髄液減少症患者が現れていながら、

ほとんどの医師が見逃し、脳脊髄液減少症に気づけなかったということでなないでしょうか?。

多くの医師の前に、患者がすでに現れているということは
それはつまり「きわめてまれ」ではないということではないでしょうか?



実際に見逃され続けてきた

「脳脊髄液減少症」患者たちが
多くの医師にも見逃されやすい病であることを経験を通じて一番よくわかっています。


ほとんどの医師の前に、
すでに「脳脊髄液減少症」患者は現れているはずなのです。

医師のあなたがそれに気づいていないだけです。

その元気そうな患者の外見と
訴える症状とのギャップをにわかには信じられず、

患者の訴える症状を裏付ける検査結果も一般的な検査ではなかなか得られず、
症状からでは「脳脊髄液減少症」だと気がつかないだけです。


それは「脳脊髄液減少症」がどんな症状を出すのか、

どんな検査で脳脊髄液減少症のシッポをつかむことができるのか、

医師のあなたが勉強不足であまりわかっていないせいです。



どうか、脳脊髄液減少症が早期に発見されず放置されることは
人の命にもかかわる深刻な事態を引き起こすことがあることをわかってください。

脳脊髄液減少症は、脳の機能低下を引き起こし、
人の精神にも身体にもさまざまな症状を出すということを
知ってください。

何科の医師であっても、
自分に関係がないということはないのです。

脳脊髄液減少症は、
その病態の研究にも、患者の療養生活上の支援の点でも、
すべての科の医師の協力が必要だと思っています。

脳外科だけが担当の病じゃないと思います。


それほど多彩な症状が出るのです。

本当なのです。



時には脊髄症と同等の障害、苦しみ痛みも引き起こします。

整形外科の医師、得に脊髄疾患関係の医師にも、
そのことを広くわかっていただきたいと思います。


いつまでもこの事故後遺症の存在を否定し続けて、
患者をこれ以上苦しめないでください。



脳脊髄液が減ることで、
全身にも精神にもさまざまな症状が出るということは
考えてみればごく当たり前です。


脳は人間の中枢であり、

その脳がおかれている環境が正常でなくなる病なのですから・・・。



私は脳脊髄液減少症の公的研究班には、
脳神経、脊髄関係の医師だけではなく、婦人科も耳鼻咽喉科も眼科も精神科も
すべての科の医師に研究にかかわってほしいと思っているほどです。

すべての科の医師が脳脊髄液減少症に関心を持つことで
脳脊髄液減少症という病態の全体像が
浮かびあがってくるはずです。

くりかえしますが、
脳脊髄液減少症はけっしてきわめてまれな事故後遺症なんかじゃありません。

きわめてまれなのは、「脳脊髄液減少症という事故後遺症ではなく、

医師にも認知が進んでいない中、
脳脊髄液減少症という事故後遺症の存在に気づき、その専門医を自ら探し当て、
検査を受けて診断がついた全体の患者のごく一部ので診断がついた人たちが

「きわめてまれなごく少数の幸運な人たち」なのだと思います。



脳脊髄液減少症と診断がついて病名をもらった患者は
「氷山の一角」にすぎないと思います。

そのきわめてまれな、奇跡のように診断治療にたどりついたごく一部の人たちの下に、

不定愁訴の原因が脳脊髄液減少症だと
今も気づけていない潜在患者さんが大勢埋もれているということに、

気づいてください。

そして、国は

もう二度と過去の水俣病のような悲劇を繰り返すことなく、
過去の教訓を今に生かして、



早く早く一刻も早く具体的に救済策を講じて、

助けてあげてください。
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