脳脊髄液減少症になった事のない人たちに、
脳脊髄液減少症の過酷さなんて、
話したって仕方がないし、
興味関心がない人たちに、
話したって伝わらないし、
しかたがないから、いつも、
たわいもない話でやりすごす。
こういう感じで、
性被害者たちも、
周りに苦しさを話す事もできずに、
理解もされずに、
たわいもない話で、
周りの相手に合わせて、
やあ、元気そうだね!と
仲間に再開してきたんだろうな。
なんだか虚しい。
もっと、きれい事ではなく、
お互いに、
辛い事まで語り合える身内や仲間がいたらなぁと思う。
本当の意味で、
理解しあえる仲間がいないと、
よけいに孤独や孤立を感じる人たちもいるって事。
無関心な人たちには、
話したって仕方がないと、
ただ見かけだけの健常者でいる事を
装い続けるしかない。
話したって仕方がないのだから。
あなたたち、私が長年、脳脊髄液減少症で苦しんでるの知ってるのなら、
聞いてきてよ、
話しかけてよ、
興味持ってよ、
最近はどうなの?って。
脳脊髄液減少症、最近は医師にも以前よりは理解されてきたの?って?
何がどう、昔と変わったの?変わってないの?って。
医療従事者なら、
教育関係者なら、
少しは脳脊髄液減少症に興味を持ってほしいし、
私にそうした質問をしてほしいし、話しかけてほしい。
けれど、それが何もない中で、
私もこの人たちに話したって仕方がないと思う。
私の周りの人たちにも理解されない事を、
社会の無関心な多くの人たちにどんなに伝えたって伝わるわけないと、
思ってしまう。
どうしたらいいんだろう。
どうしたら皆に興味を持って質問してもらえるんだろう。
どうしたら、この目には見えない問題を、
周囲にわからせて、
同じ過ちが、繰り返されないようにできるんだろう。