雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松の仏像・銅像・モニュメント 7 なんと、メタボの「弥勒」さま

2014年06月15日 18時59分13秒 | あるはま(歩く浜松)

浜松の仏像・銅像・モニュメント 7 なんと、メタボの「弥勒」さま

 入野の龍雲寺の道路向かいにあった白い神さま。

 遠くから見て、「これは。大黒さまか、布袋さまかなあ:」と思って近付いたら‥

 なんと、弥勒さまでした。

 やっぱり弥勒菩薩と言ったら、細身でないと。

 確かに、萩尾望都さんの『百億の昼と千億の夜』のラストに出てくる弥勒は、ちょっと中年太り、、46億年も何もせずに待ち続けるんだからメタボになるのもしょうがないけど。

 こんな弥勒は、やですね。

 やはり、ぼくは萩尾望都さんの『百億の昼と千億の夜』の阿修羅や則子さんのような、細身の活発な女性にうっとりします。あれ、阿修羅は女性か?

 ちなみに沖縄で言われる「「みるく世」とは、牛乳のことではなく、弥勒の出現する平和な未来のことです。

  

 

 

 


浜松の仏像・銅像・モニュメント 5 龍雲寺の石仏 その4 正門の横の石

2014年06月12日 16時56分48秒 | あるはま(歩く浜松)

浜松の仏像・銅像・モニュメント 5 龍雲寺の石仏 その4 正門の横の石

 正門の脇の円柱に6地蔵が刻まれているのは珍しいです。ぼくは初めて見ました。

 ただし、かなり欠けているので、、お顔がわからない仏さまもあります。


浜松の仏さま・銅像・モニュメント その1 中央図書館の「フローラ」

2014年06月06日 20時17分25秒 | あるはま(歩く浜松)

浜松の仏さま・銅像・モニュメント その1 中央図書館の「フローラ」

 浜松の神社仏閣を探索していると、生身の人間よりも魅力的な「仏さま・銅像・モニュメント・彫刻」に出逢います。

 ぼくだけで見ているのは「もったいない」ので、ときどき紹介したいと思います。

 これは。松城町の中央図書館前の「フローラ」という女性像です。

 「フローラ」ということは「花」ですね。いま、話題の「赤毛のアン」の訳者、村岡花子さんも「花」です。

 裏に貼り付けてある説明文では、水野欣三郎さんが1950年10月に「浜松市立図書館」のためにセメント像で製作、平成6年(1994年)3月にブロンズ像にしたと書いてあります。題字は平成6年当時の栗原市長です。

 


あるはま 5 浜松市中心部の廃墟「松菱デパート」

2011年06月03日 06時35分13秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま 5 浜松市中心部の廃墟「松菱デパート」

 浜松の中心部に今も建っている「松菱(まつびし)デパート」です。
 
 ちょうど10年前の2001年(平成13年)11月14日に、328億円の負債をかかえて、倒産しました。

 いま「廃墟ブーム」ですから、「廃墟観光」で売り出したら、どうかなと思います。

 遠鉄百貨店の新装開店で、いまや遠鉄一人勝ちの中心部です。
 
 浜松市を支配するのは、スズキの鈴木修会長というのは,俗説で、浜松市を支配するのは、やはり遠鉄資本ではないのでしょうか?

 1945年6月18日の米空軍B29重爆撃機による「浜松大空襲」の劫火にも耐え抜いた松菱デパートですが、経済的打撃には,耐えられなかったようです。

 そのうち、解体が始まるようなので、この姿を見られるのは、今のうちです。

 

あるはま 4 ある場所で放置されていた金庫が人の顔のようで…

2011年03月04日 13時03分37秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま(歩く浜松) 4 ある場所で放置されていた金庫が人の顔のようで…

 仕事で車を運転していて、とある駐車場で、人の顔のように見える金庫を見付けました。

 だからどうということはないけど、なんとなく嬉しくなって写真を撮りました。

 目が2つとヒゲが2本、ありますね。

 <3月10日(金)写真訂正>
 
 アップした写真が暗くて、見にくかったので、フラッシュを炊いて
 撮り直した写真に差し替えました。

あるはま 3 歩くための前提は公共交通「遠鉄曳馬駅の時刻表」

2011年02月28日 06時35分32秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま 3 歩くための前提は公共交通「遠鉄曳馬駅の時刻表」

 歩きまわるためには、江戸時代以前なら、徒歩か馬に乗って、歩き回るしかなかったですね。

 今は、公共交通機関もマイカーもあるので、移動は楽になりました。

 その出発点で、遠鉄電車の曳馬駅の時刻表を紹介します。
 
 昼間は、12分ごとに電車が走ります。

 

あるはま2 旧「峰之沢鉱山」の銅鉱石積み出し施設 <天竜区龍山町下平山>

2010年11月01日 14時15分55秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま(歩く浜松)2 旧「峰之沢鉱山」の銅鉱石積み出し施設 <天竜区龍山町下平山>

 最初、車で行きに通り過ぎたときには説明もしてくれたのですが、こんなに巨大な施設とは気づきませんでした。
 やはり、車から降りて、歩かないとだめですね。
 
 それと、大勢で行ったので、たくさんの目と口で「ここは何だろ?」「ここに金属の輪がまだ残っているよ」「あの林の奥もそうですね」など、いろいろ発見があり、検討ができておもしろいです。

 これは、「雨宮日記」で紹介した「銅鉱石を貯めてトラックに積み替えたコンクリの巨大な施設」です。
 写真の両側にも同じようなコンクリと石の施設が広がっています。

 いまは製材所の一部で使っているので、破壊や埋没を免れているようです。

 最近は「産業史跡」「産業遺跡」という考え方が広がってきたので、ぼくは、この巨大史跡や山の上のアパートなど、峰之沢鉱山の全体を「産業史跡」として保存したいなと思います。
 
 「保存しろ」とか「保存すべきだ」とか、自分の主体が見えない他人事のような言い方はしません。一人ひとりの個人や、考えを同じくする団体や、自治体が、対等の立場で、史跡保存に協力して行けたらと思います。

 

あるはま1 中区元浜町の椿姫観音

2010年10月28日 13時15分24秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま(歩く浜松)1 中区元浜町の椿姫観音

 書きたいこと、書きたい場所が「遠州の遺跡・寺社」だけでは収まらなくなってきたので、新しく「あるはま(歩く浜松)}コーナーをつくりました。

 街角で見たものとか、すてきな建物とか、紹介していきます。

 「元浜町」は、浜松の古い中心街です。なんせ「元の浜松」という意味ですから。

 その一角に、椿姫観音という建物があります。

 観音様といっても、寺社のたぐいではなくて、戦国時代に、徳川家康が三河から遠州に侵攻してきて、飯尾家の引馬城(ひくまじょう)を攻め落としたときに、今川に謀殺された夫のかわりに「お田鶴(たづ)の方」が侍女たちとともに戦って死んだという「伝説」です。

 真実の歴史なのか、証拠の文献はあるのかは、今の私には不明です。

 いまは伝説としておきますが、おそらく徳川家康にふがいなく降伏した男どもに怒りを燃やして、人間としての誇りを捨てないために、遠州の女性達が家康への抵抗の心をこめて創りだし、伝えた伝説なのではないでしょうか。

 この引馬城の落城の話は、また別の話を「あるはま」に書きます。

 実際の引馬城は、今の浜松市役所の東側のこんもりした森「東照宮」の場所です。