雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 26 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 14 三方原学園内古墳群の8号墳 <102の再録>

2018年01月31日 22時02分08秒 | 遠州古代史

古代ブログ 26 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 14 三方原学園内古墳群の8号墳 <102の再録>

遠州の遺跡・寺社・地名 102 三方原学園内古墳群の8号墳
2012年11月07日 06時31分23秒 | 遠州古代史

 三方原学園の正門から車で入って事務棟(校舎)の前の駐車場に車を止めて、事務棟で「見学させてもらいます」とあいさつして、東へ歩くと、最初にでくわすのが、プールの西にある、この「8号墳」です。

 直径12mの円墳といいますが、松の木と空き地があるばかりです。

 


過去と現在のメモリーノート 7 自衛隊は「違憲」か?

2018年01月30日 19時40分44秒 | 雨宮日誌

過去と現在のメモリーノート 7 自衛隊は「違憲」か?

 現在、日本の自衛隊は「憲法違反」「違憲」か、そうでないか、ということは長いあいだ、政治の一大争点であった。

 もちろん、保守政党は「違憲ではない」と言い、革新政党は「違憲である」と言う。

 ボクも違憲だと思う。それは自衛隊の罪でななく、憲法を改正してから自衛隊を作るべきなのに、それを怠った政権党の罪だ。

 ところが、去年、安倍首相は、現状では自衛隊が違憲だという人がいるから憲法改正すると言い出した。

 方向は大違いだが、現状認識がある意味一致したことはよろこばしいとボクは思う。

 だが、この一致をどうそれぞれの運動に生かすのかが問われている。

 


雨宮日記 2018年1月29日(月) 貧困への道と戦争への道

2018年01月29日 22時28分18秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 2018年1月29日(月) 貧困への道と戦争への道

みなさんの生活費は、月いくらくらいですか?今日の『しんぶん赤旗』の1面記事に生活保護をうけている88才の女性が実名で載っていました。

 「生活扶助費は03年度に月9万3850円でしたが、昨年度は月7万4630円に減っていました。」

 「新たな引き下げで生活扶助費は月7万1000円へ下がります。」

 「生活は追いつめられています。総菜の焼きザケやサバのみそ煮の1切れを2回に分けて食べます。野菜は100円均一ショップの千切りキャベツがせいぜいです。果物には手が出ません。
 壊れたテレビは買い換えられません。電気ごたつも壊れ、もらった電気カーペットを夜だけつけます。街灯を頼り、部屋の電灯はできるだつかいません。洋服はもらった古儀です。下着だけは2年に1回2枚400円のパンツを買いに行きます。」

 こういうの、大げさだ、フェイクニュースだと思いますか?

 今日の『中日新聞』に講談社『週刊現代』の広告が載っていました。

 「巻頭特集 学歴・結婚・身長・体重・・・・富裕層と貧困層でここまで違った! 
「新・階級社会」日本の不都合な真実 
 お釣りの小銭は全額寄付vs財布の中は小銭ばかり
 移動はすべてタクシーvs移動は基本、自転車
 もつ鍋を食べに飛行機で博多へvs割引弁当を求め深夜のスーパーへ
 もはや「格差」ではなく「階級」
 年収5億円vs186万円の暮らし これでも同じ人間なのか」

 この2つの記事を則子さんに魅せたら「智彦くんの年金は生活保護より低いのよ」とおっしゃいました。

 事実としてはそうなんだけど、全体としてどう上げるかという観点で反応してもらわないと、日本は不幸な未来に行き着くのではないでしょうか。

 「貧困への道」と「戦争への道」は、ほぼ同じ原因から発生するのかなあ、と思います。

 もうすこし中間項・媒介を入れること。

 


雨宮日記 2018年1月28日(日) 押し入れの本の整理

2018年01月28日 20時42分03秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 2018年1月28日(日) 押し入れの本の整理

 1階の居間の押し入れに押し込んである本の一部を整理する。雑誌はすこし捨てる。本はそういうわけにいかなくて「あれ、君はここにいたの?」という感動の再開。

 それが数十冊。すこしずつ、「本と映像の森」で紹介していこう。

  ☆

 ビデオ撮影に浸かっている1眼レフカメラのバッテリー充電器が出てくる。これで一安心。

 則子さんはコジマ電器でご飯の電気釜を安く買ってきた。店頭品で半値くらい。

 


雨宮日記 2018年1月27日(土) ビットコインで事件

2018年01月27日 23時36分08秒 | 雨宮日誌

 
雨宮日記 2018年1月27日(土) ビットコインで事件

ビットコインの値段暴落のネット記事、もうひとつビットコインがネットで何百億円盗まれたという記事。どうもこういう「仮想通貨」は感覚にピンと来ない。

 全体がサギであるような感覚は、もちろん理論的に間違いだが。

 いま『資本論』を綿密にパソコンで書き抜きをしながら、読んでいるところです。貨幣論は、おもしろい。

  ☆

 「3・1ビキニデー 日本原水協集会」シリーズの発言を2人、戦争遺跡の三方原「四勇士碑」をアップ。

 夜。「精霊の守り人」最終回。あーあ、終わっちゃった。

 直接関係はないけど、アーシュラ・クローバー・ル=グウィンが22日に没した。「ゲド戦記」シリーズや「闇の左手」は読んだ。また読み返したい。

 


古代ブログ 25 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 13 南区・「田尻古墳」 <再録・117>

2018年01月26日 20時43分58秒 | 遠州古代史

古代ブログ 25 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 13 南区・「田尻古墳」 <再録・117>

「2013年10月28日 22時15分16秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 117 たぶん浜松最南端の「田尻古墳」

 浜松市が発行している「浜松市文化財分布図」に、現在の南区田尻町と法枝町の境付近、「八柱神社」の北東に、「田尻古墳群(2カ所)」がプロットされています。

 八柱神社前の信号の西に車を止めて、信号から北へ細い歩道を入っていくと、道が東西に分かれる右側に、それらしい「墳丘」が、住宅の中にありました。松の木が生えています。

 これがそうか?わかりませんが、いちおう写真を掲載します。

 海岸から約1500mで、浜松で「いちばん海岸に近い古墳」でしょうか?

 この海岸平野は、微地と低地の何回もの繰り返しですので、たぶん、「遺跡」や「神社」は「微地」に位置していると思います。」

 


雨宮日記 2018年1月25日(木) 寒いけど、いい天気

2018年01月25日 21時43分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2018年1月25日(木) 寒いけど、いい天気

  今日は、日本全国、冷蔵庫。北海道では零下31度でした。

 写真はボクの部屋から、外の青空を撮影した。

 火山噴火について、とくに火山防災について、対策でいろいろ考える.市民防災についても、ふつうの市民をもっと活用できると思う。

 則子さんは風邪がすこし治って、回復してきた。

 


古代ブログ 24 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 12 東区半田1丁目の「六所神社」 3 < 123の再録 >

2018年01月24日 20時18分12秒 | 遠州古代史


古代ブログ 24 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 12 東区半田1丁目の「六所神社」 3 < 123の再録 >

2013年11月16日 08時27分00秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社・地名 123 『延喜式』「神名帳」の「朝日波多加神社」はどこか

以前に書いた記事です。この続きです。

 ① 遠州の遺跡・寺社・地名 118 浜北区内野の「内野神明宮」 2013年10月30日 22時36分59秒

 ② 遠州の遺跡・寺社・地名 120 東区半田1丁目の「六所神社」 2013年11月02日 22時52分27秒

 ③ 遠州の遺跡・寺社・地名 120の2 東区半田1丁目の「六所神社」の2 2013年11月02日 22時57分21秒

 『延喜式』「神名帳」には、遠江国「長上郡」で5つの神社が掲載されています。「大歳神社・邑瀬神社・服織神社・朝日波多加神社・子倉神社」ですが、ここでは「朝日波多加神社」がどこか、考えます。
 候補になるのは、これまで掲載してきた「内野神明宮」と「半田町・六所神社」の2つの神社です。

 『浜北市史 通史 上巻』は「第3章 天宝堤と岩水寺、第2節 式内社於呂神社と岩水寺創建の頃、1 於呂神社と式内社」の中でこう考察しています。公平を期すために、省略無しで引用します。

 「朝日波多加(あさひはたかの)神社 『遠江風土記伝』ほか諸本とも内野神明宮にあてている、異説に『式社考』の半田邑説、『神社…録』の飯田村説があるが、両説とも、「波多」を渡来人秦(はた)氏の居住地と見て、半(は)田・飯(はん)田の語音からの類推と考えられる。

 しかし、既述のとおり渡来人の特殊な墳墓と考えられる積石塚古墳の所在、内野古墳群の集中からも『倭名抄』幡多(はた)郷の中心は内野辺にあったことは確実であり、式内社・朝日波多加神社も内野にあったと考えてよいだろう。同社が神明社になったのは、平安末期伊勢神宮を本家とする荘園美園御厨の形成以降のことであろう。また、県史は美園御厨に隣接して宇治乃御厨を内野神明宮にあてている。

 内野神明宮の祭礼には、現在も「朝日波多加神社」の大きな幡が立てられる。内野の人たちの心に千年の時を経て、式内社「朝日波多加神社」の伝承が息づいているのである。」

 (p488~489)【注:( )内は『浜北市史』のルビ】
 
 まず第1点は、神社名の「朝日」ですが、『浜北市史』は、この「朝日」についてまったく触れていません。当然、これは太陽信仰の「朝日」であって、この神社の信仰と深く係わっていると思います。通常、神社名は、地名か神名かであって、信仰内容を神社名に掲げていることの意味を深く考えるべきです。

 朝日信仰である以上、この「朝日波多加神社」は、日の出の東を向いていると考えるのが常識的です。では、そういう神社は、この「ハタ地域」にあるでしょうか。あります。それが半田町の六所神社であり、まさに小高い丘の上にあって、東に面しています。この神社の鳥居から神社に朝日が直接差し込むのです。

 それに対して、内野神名宮はどうでしょうか。内野神名宮は神社が南向き、参拝者は北向きで、朝日の出る方向とはまったく関係がありません。
 
 第2点。『浜北市史』が「内野神明宮の祭礼には、現在も「朝日波多加神社」の大きな幡が立てられる。内野の人たちの心に千年の時を経て、式内社「朝日波多加神社」の伝承が息づいているのである。」と述べている内容はどうでしょうか。

 六所神社の鳥居には「朝日宮」という看板が掲げられていて「千年の時を経て、式内社「朝日波多加神社」の伝承が息づいているのである」と言えます。

 第3点は、この六所神社の裏山が、いま浜松医大のある「半田山」であるという点です。まさに「ハタ地域」の真ん中にある神社です。

 内野はハタ地域の中心という推定にたよった地名論議より、確実な「ハタ地域」そのものという点でも、この六所神社の方が候補としてはベターです。

 第4点は、秦氏は渡来人の系統でいうと、主にカラ・新羅の系統であって、浜北内野の積み石塚古墳は高句麗の系統で、系統が違うという点です。

 本国の朝鮮半島では、高句麗・新羅・百済・加羅の4国が長期に軍事対立して戦争をしているのであって、「渡来人」という概念だけでおおざっぱに考えてはいけないのではないでしょうか。

 この地方でも「有玉伝説」で有名な坂上氏は、百済系統であって、秦氏とは系統が違います。

 「内野古墳群の集中」は誰が作ったのかは不明ですが、秦氏のものと断定するには資料が足りないと思います。

 以上4つの論点により、現在のところは「朝日波多加神社」は、半田町の「六所神社」であるとしてほぼ間違いないものと考えます。

 (2013年11月14日 わが太陽の誕生日に捧げる)」

 


雨宮日記 2018年1月24日(水) 金曜アクションのビデオ完成

2018年01月24日 20時16分43秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2018年1月24日(水) 金曜アクションのビデオ完成

 19日の「浜松総がかり行動」のビデオに続いて、そのあとの「 浜岡原発の再稼働を許さない 金曜アクション@浜松 さよなら原発の夕べ 第260回 2018年1月19日」

「原発シリーズ ①」として「ピース浜松」にアップ。

 「原発」にことも、倒れる前は、浜松裁判の事務局をやっていたので、無縁ではない。どんなことができるかわからないが、可能なことはやっていきたい。

 南城市(なんじょうし)は、沖縄本島南部の市です。比較的新しくて、12年前の2006年Ⅰ月1日に誕生しました。旧自治体は、佐敷町、知念村、玉城村、大里村の4自治体です。

 この南城市長選挙で、基地反対派の新人が基地賛成派の現職を65票差で破り、当選しました。65票差というのはすごいです。

 


古代ブログ 23 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 11 東区半田1丁目の「六所神社」2 <120の2再録>

2018年01月23日 20時41分34秒 | 遠州古代史

古代ブログ 23 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 11 東区半田1丁目の「六所神社」 2 

< 120の2 再録 >

「遠州の遺跡・寺社・地名 120の2 東区半田1丁目の「六所神社」の2
2013年11月02日 22時57分21秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 120の2 東区半田1丁目の「六所神社」の2

 半田山の六所神社の階段を上ると、なんと「朝日宮」と書かれています。神社自体が、つまり祭られている神さま自身が、朝日の方向を向いているのですから、「朝日宮」という表現は当然ですが。

 私たちが神社へ行って神さまを拝んでいる方向は、当然、神社の中の「本殿」で私たちの方を向いているはずの神さまとは、逆方向です。

 神社の本殿の中の神様は、当然、こちらを向いて座っている「はず」という想定だと思います。

 (なお念のために書きますが、ボクは「自然信仰」「宇宙信仰」、自然・宇宙・生命・人類への、シュバイツアーさん的な、あるいはレイチェル・カーソンさん的な「畏敬の念」は持っていますが、「宗教者」ではないので、本当に、神社の本殿の中にリアル神さまが座っているとは思っていませんので、念のため。神様リアル実在説の信心深い宗教者の皆様には、罰当たりな無宗教者で申し訳ありません。神さまは、もちろん「実在」しましたし、「実在」していますが、それは人々の「心の中に実在した」と思います。ただし「記紀神話」の神々のそれぞれは、もっと歴史的な分析が必要です。)

 もっと直接的には、日本人は(日本人以外の外人はどうなのかな?)毎年、元旦だけ「日の出」を見に行くときのように、太陽の出る方向を向いて、太陽を拝みます。

 でも、いつのころからか、直接、自然現象の「お日様」を拝むのではなく、そこにワンクッション・媒介項を入れて、「神さま」を拝むようになりました。

 そういう話も書いていこうと思います。まだまだ、いっぱい「解明」したい神さま、神社、神話などいっぱいあります。

 まだ広い浜松市内も行った事のない神社・古墳・遺跡がいっぱいありますが、浜松市内の遺跡・神社・古墳を解明するためにも、視野を浜松市内に限らず広くして、静岡県内や愛知県へも遠出をしていきたいと思います。」

 


雨宮日記 2018年1月23日(月) 群馬県・白根山が噴火

2018年01月23日 20時38分49秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2018年1月23日(月) 群馬県・白根山が噴火

 午前中、草津白根山が噴火、たぶん水蒸気爆発。

 予測はできなかった。訓練をしていた自衛隊員が1人死亡。

 やはり火山庁をつくって、専門体制をとるべきだ。

大雪は東京・関東と御殿場でひどく20センチを越える。明日から日本列島全体が寒波なので、路面凍結がひどくなる。

 我が家のお風呂場も、再び水漏れひどくなる。

 浜松での『資本論』第2部の学習会始まる。月1回。いいなあ、出たいけど無理でしょうね。


雨宮日記 2018年1月22日(月) 大雪

2018年01月22日 19時59分00秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2018年1月22日(月) 大雪

 関東から静岡県東部で大雪。御殿場はいま9センチ。浜松は雨。

 アニメ「プラネテス」を見る。かなり、いい。むかし紙でだいたい読んだ。

 「みんなつながっているんだ」

 「舟には港が必要だ」

 主人公はちまきと恋人の田辺。

 「愛には、いろいろあるのよ」

 「ユウ、コピー?」

 「イエス、アイ、コピー」

 


雨宮日記 2018年1月20日(土) ビデオ編集

2018年01月21日 21時37分04秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2018年1月20日(土) ビデオ編集

 「ピース浜松 市民の平和ブログ」に今年の3・1ビキニデーの諸集会のお知らせ、パフのPRを載せる。

 19日の「浜松総がかり行動」のビデオを編集し、完成し、アップ。約8分。

 則子さんは、花粉症と風邪のダブルパンチでダウン。でも、ボクとおじいちゃんのご飯はちゃんと作ってくれる。ありがとう。

 沖縄・名護市長選が近い。26日が告示。

 名護の青年が作った「電子紙芝居」、4分57秒、を見る。よくできているけど、1枚の絵に字がすこし多すぎる感じ。
https://youtu.be/UIM0GNiNQ2U

見る価値はあります。

 


雨宮日記 2018年1月20日(土) 暖かい午前中

2018年01月20日 14時15分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2018年1月20日(土) 暖かい午前中

 今日は、まだ暖かい。お日様が照って、ボクの部屋はポカポカといい陽気です。

 則子さんは午前10時ごろから長女のところへ孫のお世話をしにいった。いや、孫と遊びに行ったのか。

 もうじき下の女の子は1才と4ヶ月。もう歩き始める。面白いことに、歩き始めると言葉が出て、しゃべり始める。そして、鏡(かがみ)を理解して、自分を他者として認識することも、できるようになる。

 いわゆる「鏡像段階」ということ。おもしろいですね。

 暖かいので、みよちゃんのように「おんもへ出たいと待っている」なだけれど。

 腰はずっと痛い。

  ☆

 マルクスなどで、よく出てくる用語「措定(そてい)」を調べているが、書いてない。

 「措定」「規定」「定義」「統括」、それぞれどう違い、どう同じなのか。

 『社会科学辞典』新日本出版社、『哲学小辞典』岩波書店、『』青木書店、なども、あまり役に立たない。事項名すら掲載されていなしし、掲載していてもヘーゲルの丸写し。

 ようするに、自分の頭で考えろということだ。まあ、他人の頭で考えるわけにはいかないけど。

 


古代ブログ 22 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 10 東区半田1丁目の「六所神社」 1 < 120の再録 >

2018年01月19日 20時54分47秒 | 遠州古代史


古代ブログ 22 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 10 東区半田1丁目の「六所神社」
1 < 120の再録 >

< 120の再録 > 遠州の遺跡・寺社・地名 120 東区半田1丁目の「六所神社」
2013年11月02日 22時52分27秒 | 遠州古代史
 
 飛竜バイパスを「有玉北町」信号(東に「ガスト」がある)で西へ曲がって西進、「半田町」信号(南西にセブン・イレブン)を越して、左に浜松医大の丘にかかるあたりで染地川を「宮前橋」で渡ったら、すぐ川沿いの道に左折。すぐ右に見える階段が「六所神社」です。

 神社は階段を上った上で、周りは濃い緑の森です。神社は測定すると、明らかに真東、つまり春分の日と秋分の日、太陽の日の出の方向を向いています。

 説明板はないので、家に帰ってから手元の『浜松神社名鑑』(1982年)を見ました。

 「創立年暦並に沿革は不詳なるも、鬱蒼とした樹木に被われた半田町朝日山の中腹、表参道五十段の石段を登った所に東面して鎮座し、氏子を眼下一望のもとに見霽かす位置に在り。往昔この地を覇田の郷と称し、式内朝日波多可神社は当社であると伝へられている」とあります。」