雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月31日(水) 神無月もハロウィンも終わり

2018年10月31日 20時57分53秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月31日(水) 神無月もハロウィンも終わり

出雲に日本中の神さまが集まる神無月も、ケルト人の悪魔払い・ハロウィンも終わりです。

 明日から11月・霜月です。明日は寒くなります。

 雨宮ブログの「新・本と映像の森」が200回になりました。当面は500回ぐらいをめざしましょうか。

 


新・本と映像の森 200 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年

2018年10月31日 13時12分40秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 200 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、

 466ページ、定価430円

 ちょうど50年以上前に買って読み返した懐かしい本です。これを読むと、自分のなかに「羽仁五郎節」が流れているのがよくわかります。

 羽仁さんの本は正しいとボクが思うことと、間違っているとボクが思うことがたやすく識別できるので、すごく読みやすいです。

 羽仁さんのこの時代の主著『都市の論理』は、いずれ読み返して取りあげます。

 で、正しいとボクが思うと重要なところだけ抜萃します。


◎オブスキュランティズム

 「すべてをわりきってしまうもの、それが学問であり、わりきれないものをわりきろうとするところに学問の進歩がある。
 すべてをわりきってしまわないで、“世の中は、さようでござる、ごもっとも、なとござるか、しかと存ぜぬ”などといっておるのは、いかに学術用語でいいまわしても、いかに学問をよそおっても、学問ではなく、オブスキュランティズムであり、このオブスキュランティズムはかって封建的支配に奉仕し、近代において資本の支配に奉仕し、いま資本の独占に奉仕し、ファシズムの地ならしをしている。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第8章 近代と現代Ⅰ」、p176~177 ≫


◎懐疑

 「ぼくは懐疑が思想の生命であると思う。……懐疑の立場をうしなうときに、もっともおそるべき問題がおこるのではないのか。懐疑なくして思想の生命はない。生命を失った思想はステロタイプとなる。懐疑があらゆる思想、あらゆる行動の基礎につねにあることが、現代においてとくに必要である。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第10章 近代と現代Ⅲ」、p275 ≫


◎学問

 「学問が目的をもつのは事実であって、問題はその目的の高さまた低さにあることは、実はだれでも体験していることなのである。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第8章 近代と現代Ⅰ」、p171 ≫

 「すべてをわりきってしまうもの、それが学問であり、わりきれないものをわりきろうとするところに学問の進歩がある。
 すべてをわりきってしまわないで、“世の中は、さようでござる、ごもっとも、なとござるか、しかと存ぜぬ”などといっておるのは、いかに学術用語でいいまわしても、いかに学問をよそおっても、学問ではなく、オブスキュランティズムであり、このオブスキュランティズムはかって封建的支配に奉仕し、近代において資本の支配に奉仕し、いま資本の独占に奉仕し、ファシズムの地ならしをしている。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第8章 近代と現代Ⅰ」、p176~177 ≫


◎近代

 「すべてをわりきってしまうもの、それが学問であり、わりきれないものをわりきろうとするところに学問の進歩がある。
 すべてをわりきってしまわないで、“世の中は、さようでござる、ごもっとも、なとござるか、しかと存ぜぬ”などといっておるのは、いかに学術用語でいいまわしても、いかに学問をよそおっても、学問ではなく、オブスキュランティズムであり、このオブスキュランティズムはかって封建的支配に奉仕し、近代において資本の支配に奉仕し、いま資本の独占に奉仕し、ファシズムの地ならしをしている。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第8章 近代と現代Ⅰ」、p176~177 ≫


◎自然

 「人間が終わるところから社会が始まるというのはモンテスキューだったが、もっとわかりやすくいえば、自然が終わるところから人間が始まる。この関係が曖昧じゃ、なにやっても無駄だとぼくは思うんです。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第2部 都市について、第6章 都市・学生・階級闘争」、p91 ≫

 「普通人間というのは自然的人間のことをいうんですね。これはもう眼が2つあり鼻が1つあり、口が1つあって千万年変わらない。さざれ石の苔むすまで変わりやしない。そういう意味であったならば、人間が終わるところから出なければ社会も始まらないし、歴史も始まらない。これがぼくは第1だと思うんです。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第2部 都市について、第6章 都市・学生・階級闘争」、p92 ≫


◎生産

 「あらゆる時代の本質は、その時代の社会において人間がたがいにどういう関係をむすんで生産しているか、この生産関係にある。唯物史観は人間を問題にしないなどというのは、唯物史観についても、人間についても、なにも考えたくない評論家というセールスマンのいうことである。
 人間の本質は社会的生産にある。人間は動物であるが、そのほかの動物にはみられない社会的生産労働、したがってその進歩を基礎として、そのほかの動物にはみられない感情また思想の発展を実現してきたのである。
 母と子とか、男性と女性とか、進歩も発展もないいわゆる不変の感情などのセンチメンタリズムがいわゆる永遠の人間性であるかのように主張する評論家セールスマンたちは、資本主義から社会主義への発展を無視し、革命を無視したいために、歴史に反対し、人間を動物的な方向においてのみ見ようとするのである。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第8章 近代と現代Ⅰ」、p175 ≫


◎法則

 「法則がないものを動かすことはできない。アルキメデスがいっている。われに支点をあたえよ、われわれは地球をうごかすであろう。支点が発見できれば、どんな重いものでも動かせる。
 法則がわからなければなにものをも動かすことはできない。世界の歴史の法則を知ることによって、われわれは世界の歴史を動かすことができる。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第9章 近代と現代Ⅱ」、p231 ≫


◎目的

 「学問には目的があり、文学芸術は政治に関係する、ということは、しかし、目的があるということだけで学問がなりたつということでなく、政治と関係するということだけで文学芸術が生れるとはかぎらない。
 目的があるからといって非科学的なものが科学的とはされえないし、政治と関係があるからといってそれだけで文学でも芸術でもないものが文学芸術となることはできない。目的があろうとなかろうと、政治と関係しようとしなかろうと、学問芸術でないものが学問芸術であるとよそおっても、だれも感動しない。ロバがシッポでいたずらしたようなでたらめとフルシチョフがけなしたとすれば、それはそれが抽象芸術であったからではなく、芸術でなかったからであろう。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第8章 近代と現代Ⅰ」、p169 ≫


◎歴史

 「歴史の流れなどという浅薄な考え方にごまかされることはできない。歴史の進歩と、これに対する反動と、この2つの力のたたかいが、現代におおいてこういうかたちをとるのか、ということを考えさせられた。」
 ≪ 羽仁五郎『対談 現代とはなにか』日本評論社、1969年、466ページ、定価430円、「第3部 現代とはなにか、第10章 近代と現代Ⅲ」、p235 ≫

 


過去現在未来のメモリーノート 51 過去現在未来のメモリーノート < 1~50 目次 > 20181030

2018年10月30日 09時20分00秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 51 過去現在未来のメモリーノート < 1~50 目次 > 20181030

 「過去現在未来のメモリーノート」は、「雨宮智彦のブログ」のカテゴリーのなかでは新しいものです。どっちかというと、無分野というより全分野的なものですが、最重要なものかもしれません。

 今後ともおつきあいをよろしくおねがいします。


過去現在のメモリーノート 1 8月12日の飛行機事故について 20170907
過去現在のメモリーノート 2 安倍首相の9月20日の国連演説と9月12日の国連安保理事会決議 
過去現在のメモリーノート 3 原文・全文で見ろ・考えろ! 希望の党の綱領ほ
過去現在未来のメモリーノート 4 「浜松夫人」のこと ー 宮本顕治『獄中からの手紙 上』
過去と現在のメモリーノート 5 発展と展開
過去と現在のメモリーノート 6 訳語「中華人民共和国」「中国」についての1案
過去と現在のメモリーノート 7 自衛隊は「違憲」か?
過去現在未来のメモリーノート 8 ニュースの発信年月日は明確に
過去現在未来のメモリーノート 9 資本論の学習 1 「体化物」の疑念について
過去現在未来のメモリーノート 10 道德・モラルについて 
過去現在未来のメモリーノート 11 「超感性的」とはなにか
過去現在未来のメモリーノート 12 セクシャル・ハラスメントについて
過去現在未来のメモリーノート 13 憲法は何のためあるのか 20180503
過去現在未来のメモリーノート 14 マスメデイアとしての新聞の減少
過去現在未来のメモリーノート 15 セクシャル・ハラスメントについて、再論
過去現在未来のメモリーノート 16 象徴天皇制について 20180607
過去現在未来のメモリーノート 17 『資本論』から考える「過渡期」と「ソ連」論 20180611
過去現在未来のメモリーノート 18 資料 マルクス「『経済学批判』への序言」(1859年)
過去現在未来のメモリーノート 19 資料 マルクス「ゴータ綱領批判」1875年
過去現在未来のメモリーノート 20 客観・主観・客体・主体のカテゴリーについて
過去現在未来のメモリーノート 21 文学者・伊豆利彦さんのこと
過去現在未来のメモリーノート 22 14才の少女の発言と安倍晋三首相の発言
過去現在未来のメモリーノート 23 沖縄① 歌「沖縄をかえせ」
過去現在未来のメモリーノート 24 沖縄② 沖縄レポート (1993.6.12)
過去現在未来のメモリーノート 25 哲学の基本概念「弁証法」について 
過去現在未来のメモリーノート 26 受験をすべて線型点数システムで測るな
過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ③ 翁長元知事の「遺言」なるもの
過去現在未来のメモリーノート 27 沖縄 ④ 沖縄慰霊の日 20170623 上原愛音
過去現在未来のメモリーノート 28 沖縄 ⑤ 沖縄慰霊の日 20150623 知念捷
過去現在未来のメモリーノート 29 「信じる」ということ
過去現在未来のメモリーノート 30 沖縄 ⑥ 沖縄慰霊の日 20180623 翁長元沖縄県知事
過去現在未来のメモリーノート 31 洪水被害支援 ① 総社市のフリーマーケット
過去現在未来のメモリーノート 32 洪水被害支援 ② 豪雨災害にかかる中小業者への支援策について(岡山県商連)
過去現在未来のメモリーノート 33 洪水被害支援 ③ 2018年7月豪雨災害被災地への支援を(日本共産党)
過去現在未来のメモリーノート 34 洪水被害支援 ④ 2018年7月豪雨災害(日本共産党)
過去現在未来のメモリーノート 35 沖縄 ⑦ 代執行訴訟 翁長知事陳述書全文 ①
過去現在未来のメモリーノート 36 沖縄 ⑧ 代執行訴訟 翁長知事陳述書全文 ②
過去現在未来のメモリーノート 37 沖縄 ⑨ 代執行訴訟 翁長知事陳述書全文 5&6&7  2015年12月2日
過去現在未来のメモリーノート 38 歴史の謎 ① 神奈川県川崎市会議員と宗教について
過去現在未来のメモリーノート 39 女性の「向上」とは??
過去現在未来のメモリーノート 40 青年運動の魅力は
過去現在未来のメモリーノート 41 組織・集団について変化することの考察
過去現在未来のメモリーノート 42 歴史の謎 ② 神奈川県川崎市会議員と宗教について ②
過去現在未来のメモリーノート 43 宗教と日本共産党
過去現在未来のメモリーノート 44 右翼に言論の自由はあるか?
過去現在未来のメモリーノート 45 日本共産党の「党勢拡大特別月間」終わる
過去現在未来のメモリーノート 46 日本共産党 大会別 年代記 Ver.1 
過去現在未来のメモリーノート 47 推理 日本戦後史の金(かね)の流れ
過去現在未来のメモリーノート 48 相補物・対象性と対話・対位法について<再録>
過去現在未来のメモリーノート 49 因果関係と未来の世界<再録>
過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと

 


戦争と平和 21 戦争と平和の本 5 室伏志畔さん『白村江の戦いと大東亜戦争 ー比較・敗戦後論ー』同時代社、2001年

2018年10月29日 21時18分25秒 | 戦争と平和


戦争と平和 21 戦争と平和の本 5 室伏志畔さん『白村江の戦いと大東亜戦争 ー比較・敗戦後論ー』同時代社、2001年

 「本と映像の森 89」の再録です。

 ほんとは古代史の方でとりあげるべきかも知れませんが「戦争と平和」のテーマには最重要なことです。

「2010年10月04日 05時11分43秒 | 本と映像の森
本と映像の森89 室伏志畔さん『白村江の戦いと大東亜戦争 ー比較・敗戦後論ー』同時代社、2001年7月25日発行、61ページ、定価600円+消費税

 「大東亜戦争」という用語が出てきますが「大東亜」主義者の方ではありません。きわめてまっとうな実証主義的古代史家の室伏さんです。

 なぜ「大東亜戦争」かというと、古代の白村江の戦いという朝鮮の支配権をめぐって戦われた戦争と、日本近代の朝鮮や中国の支配権をめぐって戦われた「大東亜戦争」とを「比較」しているからです。

 室伏さんは、その中間に、もう1つの日本の敗戦、豊臣政権の朝鮮戦争を視野に入れています。
 
 つまり、日本古代の倭国は、朝鮮の支配権を中国や新羅と争って敗れて崩壊し、新しい日本国に交代した。

 近世の豊臣秀吉政権は、朝鮮から中国を支配しようとして敗れて崩壊して、新しい徳川政権に交代した。

 近代の「絶対主義的天皇制」、つまり「大日本帝国」は、朝鮮や中国の支配権を独占しようとして失敗し、崩壊して「敗戦」となり、新しい「日本国」、アメリカに従属する政権に交代した。

 そういう3つの敗戦と、3つの政府交代をどう統一的に見るか、それが大事だと、室伏さんのこの著書を読んで思いました。

 それと、室伏さんは、この著書で「『日本書紀』は大和朝廷一元史観でできていますが、『日本書紀』を幻想表出から読みこなすなら、それは出雲王朝、倭国王朝、大和朝廷の変遷史を大和朝廷一元史観で潤色したのが透けて見えるモザイク史観でしかありません。」と明記しています。

 これ、凄いんですけど、今日だけでは紹介しきれません。
 また、いろいろ考えて、紹介もしていきたいと思います。」

 


過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと

2018年10月28日 10時02分03秒 | 過去現在のメモノート

 

過去現在未来のメモリーノート 50 安田純平さんの無事帰国に際して考えたこと

 日本人「ジャーナリスト」の安田純平さんが3年半にわたる監禁生活から解放されて無事帰国した。

 要点だけ書く。

 <1> ボクは安田純平さんに心から「無事でよかったね」という。

 <2> 「自己責任」論はボクはとらない。「自己責任」論では人間の生死に冷たすぎると思う。もちろん、それぞれの人生は「自己責任」の側面はある。

 <3> <1>だからといって、安田純平さんの報道や主張が正しいなどというつもりはない。それは、すべて事実と道理に基づいて検証してからの話である。また安田純平さんの報道や主張が、検証の必要がある重みがあるかどうかも別の問題だと思う。

 <4> ジャーナリストの安全という点で今回、安田純平さんのシリア情勢判断に緩みがなかったかどうか安田さんの猛省を望む。

 <5> 金を支払ったのかどうか。カタール政府が払ったという報道もある。ボクは日本政府の例の領収書のいらない金庫から払った可能性もあると思う。

 以上は2018年10月27日(土)午前6時24分、書き終わる。

 


新・本と映像の森 199 原田マハ『たゆたえども沈まず』幻冬舎、2017年

2018年10月27日 05時57分34秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 199 原田マハ『たゆたえども沈まず』幻冬舎、2017年

 408ページ、定価本体1600円。

 『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』などを書いた原田マハさんの新作小説yh。

 現実に存在したゴッホや弟のテオを副主人公にして、画家と画商の共同作業としての芸術のリアルな姿を描いている。

 傑作だと思う。ただしボクは「正主人公」としての2人の日本人、19世紀末にフランスへ渡って画商となったという林忠正と加納重吉を描いている。

 「林忠正と加納重吉」が時代を実際に生きた人なのか、著者のフィクションなのかは知らない。さほど重要なことではない。

 マネでないこと、独創的なこと、オリジナルなこと。それが芸術や科学に求められることだ。

 そこで芸術や科学に従事しようとすものは悩み、苦悩するのだ。

 当時のパリにはアカデミーの権威派と新興の「印象派」、そして日本の浮世絵などの「ジャポニスム」があった。

 そこで、苦闘するゴッホとテオと林忠正と加納重吉、4人の姿を活き活きと描き出す。

 そのゴッホとテオの苦闘は、やがて狂気に至るのだが…。残念ながら狂気へのみちのりをリアルに描き出せてはいないと思う。

 それは画商に比重を置いて物語を書いてしまったからではないのか。テオも画商だったから。

 


雨宮日記 10月26日(金) 秋になると陽が暖かい

2018年10月26日 13時49分30秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月26日(金) 秋になると陽が暖かい

 秋になると涼しくなるが、太陽が低くなってきるので、部屋のなかの日照時間は長くなる。

 則子さんが南の部屋の日よけを取っ払ってくれたので、窓から外がよく見える。

 今日の空は、曇っていてすこし青空。

 安田純平さんがシリアから帰国。よかったね。「10日間の予定」が「3年半」になった。安田さんによれば、暴力と虐待の日々。
 


古代ブログ 91 古代史の本 9 古田武彦『失われた九州王朝 ー天皇家以前の古代史ー』ミネルヴァ書房、2010年 20100517

2018年10月26日 11時24分46秒 | 遠州古代史


古代ブログ 91 古代史の本 9 古田武彦『失われた九州王朝 ー天皇家以前の古代史ー』ミネルヴァ書房、2010年 20100517

 再録です。今のところ、これにつけくわえることも、除くこともありません。してみると、8年間ボクはあまり進歩していないってことに……。

 まあ、しょうがないですね。

「2010年05月17日 05時31分56秒 | 本と映像の森
本と映像の森40 古田武彦さん『失われた九州王朝 ー天皇家以前の古代史ー』<古田武彦古代史コレクション2>、ミネルヴァ書房、2010年2月20日、559ページ、定価2800円+消費税

 古田武彦さんという名前をここに書くと、なんとも言えない、甘酸っぱいような、つまり甘さと酸っぱさが同居した気分になります。
 
 1970年代、自分の20代の青春時代に『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』の3部作を読んだ衝撃。

 それは「神話=天皇家の神話」「倭=日本天皇家」という固定観念からぼくを解き放ってくれ、客観的な、生き生きとした古代史と人間像をもたらしてくれて、この「雨宮ブログ」に流れ込むようになりました。

 その後、古田さんは、悪名高い和田家文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を古田さんのそれまでの主張とは変化して、それを信じ切ってしまい、いわば「変質」していきますが、それだからといって、それまでの主張が変化するわけではありません。

 雨宮は、古田さんが「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を「盲信」する以前の到達点と思想を「前期古田さん」と呼び、詐欺師の和田さんにからめとられた「後期古田さん」と明確に区別します。

 この本での「前期古田さん」の主張は、近畿天皇家は『日本書紀』が主張しているような朝鮮との関係はあまりなく、7世紀末まで朝鮮半島に軍を派遣していたのは、北九州に本拠のある九州王朝だったということです。

 九州王朝の本拠地が、いま「太宰府」と呼ばれている場所です。
 九州王朝は、7世紀末の唐・新羅連合と百済・倭国連合との「白村江」での決戦で大敗北をきっして、滅亡します。

 天智や天武の王朝は、この滅亡した「倭国」ではなくて、九州を占領した唐軍とも同盟したり、対立したりした、亡命朝鮮人を含む近畿の王朝で、やがて「倭国」を圧倒して「日本国」を名乗り、日本列島全体の、中国からも承認された正当な王朝となります。

 そういう「物語」で、いろんなことが説明できます。
 「倭の五王」「好太王碑」「七支刀」「磐井の「反乱」」、「九州年号」「日出ずる処の天子」などなど。

 この本でも、和田ウイルスの汚染は治っていませんが、汚染以前の清涼な状態を復元することは可能だと思いました。」

 

 


新・本と映像の森 198 仲道郁代『CDでわかる ショパン鍵盤のミステリー』ナツメ社、2010年

2018年10月25日 13時42分09秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 198 仲道郁代『CDでわかる ショパン鍵盤のミステリー』ナツメ社、2010年

 ショパンさんの作品はマンガ(完結)&アニメ(継続中)「ピアノの森」を見てからボクの愛聴盤(CD・ネット)になりました。

 この本は、それ以前の7年前に買ったものです。仲道郁代さんの演奏CD付き。

 13曲の演奏が入っていて、すべてに楽譜と分析がついてます。おもしろいです。

 ショパンの伝記もよくわかる。ショパンは4才で7才の姉を越えるピアノ演奏をしたとか。

 ショパンの作曲した「マズルカ」「ノクターン」「プレリュード」「ポロネーズ」「バラード」「エチュード」「ソナタ」「ワルツ」などの解説もすごくいいです。

 「非和声音」(p64~65)、「転調」(p52)、「異名同音」(p53)、「ペダル」(p81)、「タッチ」(p24)など音楽の専門用語の説明もわかりやすくて親切です。

 8年前の「雨宮日記」を紹介します。


「雨宮日記 5月26日(水) アクトでショパンのピアノ講座と演奏
2010年05月27日 05時29分32秒 | 雨宮日誌

 前に今年はショパン生誕200年という話を書きましたが、自分の興味もあって、妻のN子さんを誘って、楽器博物館の2階にある「アクトシティ浜松 研修交流センター 音楽工房ホール」で夜、開かれる講座と演奏に行ってきました。

 「シリーズ「音楽探訪」」で「ショパン生涯の軌跡 ~生誕200年のショパンを訪ねて~」というのです。

 いつもより早い夕食を、おじいちゃんとぼくとN子さんで食べて(定時の午後5時半より早かったので、おじいちゃんには迷惑だったでしょうね。)、遠鉄電車で新浜松駅で降りて、会場へ向かいました。
 
 いままで、ぼくは行ったことがなかったので、案内板を見て「あ、ここだよ」と言ったら,N子さんが「ああ、ここなら、保母をやめたときの失業講座で来たところ」だそうです。

 会場は定員150人だそうですが、開場時間の前に列ができていて、ショパン熱なのか、すごい熱気でした。
 若い女性や、女子高校生もいて、「この子たち、もしかして、ショパン弾きかショパン弾きになりたい予備軍かな」と思いました。

 講座は、平野昭さん(静岡文化芸術大学教授)の解説と、第2部の、ピアニストの鳥山明日香さんのピアノ実演でした。
 解説も、演奏もすごくよかったです。

 とくに平野さんの解説で、疑問だったことが解明されました。これはまた、別途、書きます。【 ここは何のことか今となっては不明です 20181025 】

 開演の前に、30分間上演された,ショパンの映像DVDが、すごくよかったです。とくに初耳だったのは、第2次世界大戦のときの、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して、占領したときの映像です。

 なんと、ナチスドイツは、ショパンの音楽の演奏を禁止したんですね。ポーランドの国民的な音楽を「反ドイツ」「反ナチス」と考えたのでしょうけど。
 
 ショパンが生きていたころの状況にも、かかわって、すごく考えさせられる映像でした。

 家に帰ってからN子さんに、1ヶ月前くらい前に買った、仲道郁代さん編著『CDでわかる ショパン鍵盤のミステリー』ナツメ社、を「これ読む?」と貸しました。

 『どうして、こんな、今夜の会話に都合のいい本を持ってるの?』と問いかける目でしたが「今年はショパン生誕200年だから」と言って、ごまかしました。

 ほんとうは、N子さんといっしょに楽しみたいから、今夜の講座も含めて、いろいろ、智彦くんは、準備したんです。自分一人で楽しんでも、おもしろくもなんともないから。

 いっしょに生きたいな。命終わるまで。」


戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地

2018年10月24日 10時55分14秒 | 戦争と平和


戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地

 自分でも突飛なタイトルだと思います。文学者松本清張さんと浜松基地のあいだには何の関係もありません。松本清張さんが浜松駅で下車したことがあるかどうかもボクは調べたことはありません。

 ただ自伝『半生(はんせい)の記』(新潮文庫、1970年~1980年17刷)に浜松と関連のありそうなことが出ているので一筆書きます。

 『半生の記』の最終章「絵具」は朝鮮戦争当時、清張さんがいた北九州の小倉でおきたアメリカ黒人兵の脱走事件をあつかっている。

 p145に「黒人兵は浜松の方から移動してきた1団で、黒原キャンプには2晩泊り、いよいよ明日は朝鮮に出動するという前夜だった。」

 この「浜松の方から」というのが当時、米軍基地になって横田基地の分飛行場となっていた浜松基地のことなのか定かではありません。

 東京に「浜松町」という地名はありますが。いちおう浜松基地を第1候補としておきます。

 ところが清張さんは日付を「6月12日からはじまる祇園祭」の夜、としているので朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮の侵攻で始まったのだから日付が合わない。事件があったことは確からしいので、不明です。

 p147には北九州地区の新聞には載ったとあるから、また機会があれば、調べてみたい。

 自衛隊の基地になるまでの米軍浜松基地の時代は、何もわかっていません。過去の新聞をあさる時間がボクにあればいいのだけれど。

 


古代ブログ 90 浜松にある「丸石神」

2018年10月23日 19時47分41秒 | 遠州古代史


古代ブログ 90 浜松にある「丸石神」

 「丸石神」について8年前に2回書いたので、再録します。

「日本古代史を考える 「丸石神」または「竜の卵」について
2010年06月05日 05時39分53秒 | 古代史を考える
日本古代史を考える 「丸石神」または「竜の卵」について

 山梨県を中心に分布する、丸い石の信仰があります。「丸石神」というのですが。
 これが、人が丸く磨いたのか、自然に丸くなったのかが、問題です。

 わが浜松では、そういう信仰はないと思いますが、たとえば科学館前に、「丸石」がたくさん並んでいます。

 とんでも本の一つとされているデニケンさんの本(角川文庫)には、コスタリカの似たような丸石が指摘されています。

 そして、奈良県山添村では、どでかい「丸石」が出てきました。

 こういう問題を、自然科学で解くのか、社会科学で解くのか、どっちでしょうか?
 
 私は、自然科学的に、火山地帯で地中でできた「丸石」を、人間たちが「丸石神」として信仰したと解釈します。
 人為的な丸石ではないのではと。

 原作:小松左京さん、マンガ:一色登希彦さんの『日本沈没3 D計画』<ビッグコミックス>、小学館、では長野県の山中にこもっている科学者のことばで「竜の卵」として出てきます。」

「雨宮日記 6月14日(月) 浜松にある「丸石神」
2010年06月14日 21時42分40秒 | 雨宮日誌

 6月5日に「日本古代史6 「丸石神」または「竜の卵」について」について書きました。

 浜松市内には、ところどころに、この「丸石神」があります。もちろん、作ったご本人たちは、そのつもりではなく、たんなる石の装飾か何かのつもりでしょうけど。

 これは文化芸術大学の南にある公園の「丸石神」です。
 これ以外にも、浜松科学館の庭とか、アクトのホテル・オークラの前とかにもあります。」

 


雨宮日記 10月23日(火) 10月総がかり行動のビデオを創る

2018年10月23日 19時44分17秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 10月23日(火) 10月総がかり行動のビデオを創る

 浜松の10月19日総がかり行動のビデオを創った。「2018年 浜松総がかり行動 2018年10月19日(金) 」

 30分の短い行動だったけど、発言した全員と歌った2人の歌を入れ、そこから8分45秒のビデオをつくる。

 8分45秒のビデオを編集制作したのに約4時間かかった。時間以上にエネルギーと集中力を費やす。まあ、作品という成果だけが報償なのだけど。

 


新・本と映像の森 197 宮崎駿、マンガ版『風の谷のナウシカ 上』」徳間書店、<再論>

2018年10月22日 17時30分05秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 197 宮崎駿、マンガ版『風の谷のナウシカ 上』」徳間書店、<再論>

「2010年04月17日 22時26分34秒 | 本と映像の森
本と映像の森30 宮崎駿さん著、マンガ版「風の谷のナウシカ 上」徳間書店

 大好きな「ナウシカ」のマンガ版です。徳間書店からマンガ版はB5版で2種類あって、5巻のソフトカバー版とハードカバー上製版があります。

 月刊「アニメージュ」の1982年2月号から延々13年も断続的に連載された「風の谷のナウシカ」です。

 巨大産業文明(たぶん現代地球の)が「火の7日間」戦争で自壊し、地球には有毒物質がまき散らされ、地上の多くが有毒ガスを発する「腐海(ふかい)」に覆われている時代です。

 腐海のほとりの、海からの風で腐海からの汚染に守られている人口500人の小さな王国「風の谷」で、物語は始まります。

 「風の谷」の族長ジルのただ一人の子、ナウシカは、ジェットエンジンつきのグライダー(凧)「メーヴェ」を操って、腐海の脇に降り立ち、腐海の森に入っていきます。

 マンガ版でも、アニメ版と同じナウシカ・アスベル・ユパ・クシャナ・クロトワ・王虫(虫3つのムシ)・巨神兵が登場しますが、その性格も役割も運命も微妙に違っていたり、まったく違っていたりします。
 違わないのは、トリウマのクイやカイ、キツネリスのテトくらいでしょうか。
 
 ボクの好きなのは、マンガ版のほうです。とくに、アニメ版のナウシカは脳天気であんまり好きではないし、アニメ版のクシャナより、マンガ版のクシャナのほうが好きです。

 最初の出だしくらいはまったく同じですが、何よりも、物語の深みと性質がまるで違います。

 アニメ版ではまったく出てこない土鬼(どるく)王国が、マンガ版では、トルメキア帝国と対立する大きな極として登場して、舞台も、クシャナたちの南下で土鬼内で展開していきます。

 アニメ版では、巨大な生体ロボットに過ぎなかった巨神兵(きょしんへい)が、個性と自我をもって、ここでは違った役割を意味を演じています。
 
 マンガ版での新しい配役である、土鬼皇帝、土鬼皇弟ナムリス、マニ族の僧正さま、マニ族の娘ケチャ、トルメキアのヴ王、ヴ王に仕える道化、少年チククなども、それぞれすごくいいですね。

 善とか悪とかではないんですね、それぞれがそれぞれの目的や生き方を追求していて、それが戦争という悲惨を起こし、さらに最終的に破局となるか、ナウシカや多くの人がそれにかかわっていき・・・・。

 ボクはときどき、何年かに1回、ナウシカの世界に立ち返って、そこからまた現実世界に帰ってきているような気がします。

 ナウシカが、下巻で、王虫の精神世界・「バーチャル腐海」に入り込み、そこから地上に帰ってくるかどうか、みんながやきもきする場面があります。

 現実の人生は、たぶん誰にとっても、そういう「非現実世界」や、心の中の自分を成り立たせる「物語」が必要なような気がします。

 蛇足1
 腐海の清浄な底で、王虫がアスベルに、ナウシカのことを「小さき者が殺すなと願っているから、おまえを殺さぬ」というのは、その淵源は、清少納言が『枕草子』で「ちいさきもの」というのから来ているのかもしれません。
 
 蛇足2
 「王虫(おうむ)」の原形は、たぶん宮崎駿さんが子どもの頃に見た「ダンゴムシ」だろうと確信しています。
 物語にするなら、巨大産業文明の末期に、この「ダンゴムシ」を誰かが遺伝子改造して、集団的知性を与え、有毒物質を浄化する「腐海」の守り手にした、というストーリーはどうでしょうか。
 
 蛇足3
 アニメ版の最後で、ナウシカを自分を犠牲にして風の谷を救う「救世主」のような終わり方にしたのは、宮崎駿さんは後悔しているみたいな話があります。
 それはそうでしょうね。
 マンガ版は、アニメ版のエピソードを拾って自分の物語にしていますが、ナウシカは、みんなを救えません。
 救えるはずもありません。
 
 蛇足4
 マンガ版でも,最初はナウシカと恋し合うのは「ペジテのアスベル」なのに、途中からナウシカの恋の相手を「森の人」の王子に変えたのは、ファンダムサイトですごく不評でした。
 ぼくも「不評」です。
 
 「蛇足5」は姫さまから抗議が来そうなので自主検閲で削除しました。」

 


雨宮日記 10月22日(月) クラシック作曲家の季節

2018年10月22日 10時28分40秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 10月22日(月) クラシック作曲家の季節

 NHKFMのクラシック番組「きらくら」を聴きました。ブラームスは秋の季語、シューベルトは冬と言っていました。

 たしかにそんな感じ。ではモーツアルトは?と言ったら、やはり春、ベートーベンは夏でしょうか。バッハは真冬かもしれない。

 以下は、しどろもどろになってくるので略。季節に合わない作曲家がほとんどかも。