雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 5月30日(水) 平和行進浜松市内第3日です

2012年05月31日 06時36分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月30日(水) 平和行進浜松市内第3日です

 全国でもたしか2番目の広い面積の都市浜松市を通る原水爆禁止平和行進の第3日目です。1日目は天竜区から浜北区へ。第2日は4カ所から浜松市役所への集中平和行進。今日はJR高塚駅西南の熊野神社から浜松市西区~西区舞阪町~湖西市新居町を歩いて湖西市鷲津のJR鷲津駅前までの行進です。

 東京から広島への2人の通し行進者のお一人が、80才の「映画制作者」、Yさんです。平和行進を描いた映画「歩く」の監督です。ところが、今日、日本の代表的な映画監督の新藤兼人(しんどうかねと)さん、年令は100才、が亡くなったというニュースが入りました。Yさんも旧知の人だそうです。お通夜や葬式、どうするのか、行進を歩くのか、悩む決断でしょうね。

 昨日はボクもお昼から夕方まで則子さんといっしょに平和行進でしたが、今日は、ボクはパスさせてもらい、父の夕食の用意や、職場での昼間の仕事などしました。

 明日は、湖西市鷲頭駅から愛知県へのお昼の引き継ぎと、「姫街道平和行進」です。いつもはそこまでで則子さんは帰ってくるのですが、今年は、まだ仕事をしていなくて少し余裕があるからでしょうか?夕方まで歩くようです。

 明日は、豊橋市の到着点、私立桜ヶ丘高校の「原爆の火」の話も聞けると思います。

  ☆

 野田首相の大飯原発の再運転のむりやり表明が近い感じです。まだ、ぼくたちにやれることがあると思います。メールで、電話で、ファックスで意見を野田さんにおくりましょう!

 


原発の本 キッズ・ボイス編『福島の子どもたちからの手紙』朝日新聞出版、2012年2月

2012年05月31日 06時11分49秒 | 原発を考える1

原発の本 キッズ・ボイス編『福島の子どもたちからの手紙』朝日新聞出版、2012年2月29日第1刷、110ページ、定価本体1300円+消費税

 福島から避難した子どもたちと、福島に残った子どもたちのいろんな声が聞ける本です。この中から、少しだけ、少しだけ、引用しますが、ぜひ全文を読んでください。もっと、いろんな声を聞く努力をしましょう。そして考えましょう。話し合いましょう。

 「ママ、ほうしゃのうっていつなくなるの?」「マスクをしたくない」

 「僕はおとなになれますか?」

 「原発のせいで外であそべません。ふうひょうひがいでやさいがたべられません。どうにかしてください」

 「原発がなければ今は福島から山形に来ることもなかったし、転校することもなかったし、福島の友達とみんなで遊べた。」

 「かんりょうのみなさんへ ①私たち福島の子どもたは原発事いらいずーっと外遊びをしていません。早くじょせんをしてください。 ②原発事故でひなんする人は、学校の友達、家などをうばわれました。せきにんをとってください。」

 「・きれいな空気がすいたい  ・なんで、原発をこんなにたくさん作ったのですか。」

 「はやくふくしまであそびたいな なわとび すなあそび てつぼう ぶらんこ じてんしゃ したいなー」

 原子力帝国のみなさん、官僚のみなさん、政党のみなさん、電力会社のみなさん、科学者のみなさん、マスコミのみなさん、あなたは、どう答えますか?

 

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雨宮日記 5月29日(火) 浜松市役所への4カ所からの集中平和行進でした

2012年05月30日 06時21分00秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月29日(火) 浜松市役所への4カ所からの集中平和行進でした

 原水爆禁止平和行進にかかわって、その事務局体制に入って、何年でしょうか?則子さんは、朝から1日中、ぼくは深夜勤務があるので、お昼からにしてもらって参加しました。

 今日は東海道から、浜北から、浜松基地から、南部参野町からの4コースの行進が、浜松市役所に集中します。

 則子さんは、朝起きて。東海道コースのJR天竜川駅北の六所神社へ向かい、地元責任者として参加。

 ぼくは10時半頃に目が覚めて、起きて、シャワーを浴びました。11時半に予約した遠鉄タクシーが自宅前に来て、市役所へ。途中、中沢町の二俣街道で浜北コースの隊列を追い越しました。

 市役所前で、ハンドマイクを準備して、行進を迎える役です。太陽がかなりきつく照っているので、暑いです。ほら、宣伝カーの声が聞こえます!今日の到着順は、浜北コース、東海道コース(南部から途中で合流済み)、基地コースでした。

 市役所北館1F会議室での「平和行進 昼休み集会」は、新婦人の会のみなさんのフラダンスでの歓迎で始まりました。中区長さんのごあいさつ、市長さん・中区長さんの自筆のペナント贈呈式(市長さんはいませんが)、浜松市職員組合委員長さん挨拶、9人の全国・圏内通し行進者(毎日リレーも含む)、被爆者の会西遠支部会長のYさんの挨拶、などなどであっという間に過ぎました。

 午後はぼくは道案内で、メインカーの助手席に乗りました。だんだん雲が厚くなり、風が強くなって、ついに可美サービスセンターを出発するときには雨が振り出しました。

 ところがだんだん止んで、ついに太陽が見えました。ホッとして今日の終点、高塚・熊野神社へ。ここからは、則子さんとボクが「浜町基地」の見学ガイドをしました。遠鉄タクシーを頼んだのですが、時間で来なくて電話したら、近くの、別の「熊野神社」と間違えていたことが判明しました。

 無事ガイドを終え、通し行進者をホテルに送り届け、則子さんと2人で浜松駅南口でタクシーに乗りました。家に着いた瞬間に、すごい雨になって、ぼくが先に降りて、傘を持って則子さんにさしかけました。

 ☆

 則子さんは「1日歩いたので、心地よい疲れね」と言ってます。


雨宮日記 5月28日(月) 平和行進の準備であっちへ、こっちへ。夜は雷雨。

2012年05月29日 06時00分35秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月28日(月) 平和行進の準備であっちへ、こっちへ。夜は雷雨。

 今日は平和行進の準備です。午後目が覚めると、まず則子さんが「智彦くん、カーマへ行ってマジック買って来たから、タイトル書いてね」といきなり言うので、えっ?!として、ムッとしました。だって、それは「ぼくが」買いに行くはずのことで、しかも、則子さんは「ポスカ」を買ってこないので。「ポスカ」というのはポスターカラーをマジックインキのように書けるようにしたものです。

 けっきょく、自分で高林の文具屋・佐藤産業に行って、いちばん太いポスカを買って来て、自分で塗っていたら、則子さんが来て「私塗るから、智彦くんは、文書作って」と言うので、明日の昼休み集会の、司会原稿と配る「西遠実行委員会ニュース」をつくって完成させました。

 午後2時半に2人で車で家を出て、市職へ。明日の午後の運転手をしてくれるKさんと打ち合わせをして、ぼくが横に進路指示で乗ることにしました。

 家へ帰宅して、則子さんはコンビニにコピーに行って、ボクは運転事故の無いように1時間だけ仮眠。

 夕方、明日の車の鍵の受け渡しで、自分の勤務事務所へ。則子さんは、父の夕食の支度をきちんとして(いつもありがとうございます。頭が下がります)から、通し行進者の宿泊するビジネスホテル「サゴーイン」へ、打ち合わせに。

  お互い、家に帰ってきたのが、午後7時過ぎで、明日の午前の運転手のOさんのお宅へ鍵を届けに行って、明日の準備は終了。

   ☆

 夜から、寒気が入り込んでいるせいで、天気が不安定になって、さかんに神鳴りが鳴っています。慌ててボクも、娘もパソコンの電源を落としました。

 ボクは仕方なく、パソコンと遊ぶのはやめて、録画したテレビ番組を見ました。

 


本と映像の森 208 高木徹さん『大仏破壊』文春文庫、2007年

2012年05月28日 05時35分10秒 | 本と映像の森

本と映像の森 208 高木徹さん『大仏破壊 ービンラディン、9・11へのプレリュードー 』文春文庫、2007年4月10日、405ページ、定価695円+消費税

 2001年3月、アフガニスタン・バーミヤン渓谷の大仏が爆薬で破壊されました。

 それは見かけの主体は、武力で政権を握ったタリバンのように見えても、実は、その内実は、タリバンの内部にくいこんで、蔭で操っていたアルカイーダのビン・ラディンこそが黒幕でした。

 どうしてアルカイーダがタリバンを最初は援助して、しだいに内部に浸透して、最後にはタリバンを操るようになっていくプロセスを詳細に追った驚異の、というより非常に恐いドキュメントです。

 アルカイーダは元々、武装組織ですが、国際組織として資金も豊富で、宣伝戦略にもたけていました。アフガンの中で、次第に、主体と客体が交代して、タリバンの穏健派幹部達の目の前で、自分の組織がアルカイーダの言いなりに変質していくのです。

 今のアフガンを理解するためには、まず読むべき本でしょうね。

 2001年3月の大仏破壊からは、2001年9月11日のニューヨークはあとわずかです。

 ただし、9/11の主犯はビンラディンであっても、アメリカは、つねに「相手に撃たせてから撃つ」戦略ですので(真珠湾でも、朝鮮戦争でも、湾岸戦争でも)、アメリカが知っていて「やらせた」可能性は高いと思います。

 「本と映像の森 207」で紹介したオウムの場合、あるいは連合赤軍、あるいは毛沢東の中国、スターリンのソ連などなど、考えていきたいと思います。

 


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 5月25日(金)14時05分、くもり、微風、0.048μSv/h

2012年05月26日 23時27分21秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 5月25日(金)14時05分、くもり、微風、0.048μSv/h

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.052 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.051 μSv/h 
  最大値 0.055 μSv/h 
  最小値 0.045 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.048 μSv/h 
  最大値 0.052 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:雨宮智彦


雨宮智彦 5月26日(土) ぼくは足をゆっくり休めて、則子さんは旧友に会いに滋賀へ

2012年05月26日 22時39分51秒 | 雨宮日誌

雨宮智彦 5月26日(土) ぼくは足をゆっくり休めて、則子さんは旧友に会いに滋賀へ

 今日明日と、ゆっくり痛い足を休めるため、2日間、どこにも出ずに過ごそうとしました。則子さんは、30数年前に働いていた近江学園の仲間の同窓会で滋賀へ。

 午後2時頃に起きて、パソコンを立ち上げようとしたら、メモリーが刺さったままで、パソコンが変な動作をし始めたので、慌ててメモリーを引き抜いて正常な立ち上げに戻しました。

 ここ何日間か、平和行進の準備に追われて(いまも追われてまうけど)いて、できなかった浜岡裁判のちらしを1時間ほど修正して原案を完成。事務局長宅にファックスで送ろうとしたらツー、ツー、と、回線が不通、携帯に電話してもでないので、今日はあきらめました。

 Y書店に注文した本が来ていましたが、給料が出たのでやっと買いに行きました。

 そういえば、24日に則子さんからガソリン代4000円弱を借りていたので返さないと。

 夜は、次女のIさんと、NHKのオウム特集を見ました(「本と映像の森」参照)。民放テレビのバカ番組は別にしても、昨年の3/11以後、番組の質が上がっているように感じますが、どうでしょうか?

 夜8時頃、割合早く、則子さんが帰ってきました。12人の参加で、たっぷり話せてよかったそうです。

 則子さんの撮影してきた写真から「写真ハガキ」をつくるように、今、言われました。作りますね。

  ☆

 写真は滋賀の参加者の作ってきてくれたお菓子です。


本と映像の森 207 5月26日(土)夜 NHKテレビ、衝撃の「武装化」、オウム教団特集

2012年05月26日 22時21分26秒 | 本と映像の森

本と映像の森 207 5月26日(土)夜 NHKテレビ、衝撃の「武装化」、オウム教団特集

 久しぶりにテレビで見ました。オウム教団のドキュメント。

 ①これまで知られてきた事実 ② 教団元幹部(入信順位20位)の女性のインタビュー ③ 700本の膨大な麻原肉声テープ

 この3つを元に構成した、A、リアルドキュメントと、B女性幹部の体験をドラマ化、したものです。

 衝撃的なのは、当初から世界を自分に従わせるための「武装化」を考えていた麻原あんの「肉声」テープです。つまり、平和的に日本と世界が自分に従うならそれでいいが、だめなら「武装化」だということです。

 つまり、世の中には「弟子が暴走した」「麻原さんの示唆を拡大解釈した」という説がありますが、真っ向から、この番組は否定しています。

 すごいです。

 女性幹部は、実態に疑問を持ち「脱会したい」と申し出ると、ドラッグか電気ショックなのか、何かをされて「記憶が飛んでいる」のです。むごいですね。

 つまり修行で死んだ信者の死を隠して遺体をこっそり燃やしたのも、脱会しようとした幹部を殺害して殺したのも、武装化のきっかけなのではなくて、麻原さんが、弟子を武装化に駆りたてる、いいチャンスだっとということになります。

 これに反対する幹部がもしいたら?これは、たぶんその幹部は、闇に消えたでしょうね。

 たぶん再放送があると思いますが、全国民、必見ですね。

 月曜日、28日の夜に続編がありますので、見たいと思います。 

  ☆

 写真は、26日早朝の東の空です。


雨宮日記 5月25日(金) 則子さんとの対話から

2012年05月26日 05時57分10秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月25日(金) 則子さんとの対話から

 則子さんは「優しい」だけの人ではないので、僕も苦労してます。今日は、平和行進の沿道アナウンス原稿の地元版の仕上げをしました。

 「仕上げ」と言っても、つまり、県実行委の原稿を僕がかなり修正した「原案」を則子さんが赤ペンで校正するだけです。それでも「1校」「2校」くらいはいいですが、容赦のない則子さんの「3校」「4校」となると、ぼくもだんだんといらついてきます。

 「どうして、ここをこう直すの」という不満・文句がだんだん多くなってきて、ついに臨界に達して、則子さんもついにあきらめて、やっと完成です。やれやれ。

  ☆

 則子さんとの対話から。

 つまり、責任を取りたくない人が、それでも「いやいや引き受けてやっているんだから、高く評価しなさい、則子さんのように批難するな!」ことでしょうね?

 主観的に「したい」と言われても、客観的な条件抜きに「はい、してください」とは言えません。

 昨日より今日、今日より明日、明日よりあさっって、と、みんなで論議して少しづつよくしてきた、ぼくらの路線は、極端な「お役所仕事」路線とも、その真逆の「分散主義」路線とも無縁です。

 


雨宮日記 5月24日(木) 平和行進実行委で西・南・東区長さんを訪問しました

2012年05月25日 05時58分05秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月24日(木) 平和行進実行委で西・南・東区長さんを訪問しました

 来週、5月28日か31日まで浜松市内を歩く原水爆禁止平和行進が近づいてきました。その準備の一環で、浜松市に「各区長さんにペナントに自筆署名をもらってください。広島に届けます」ということで、今日は、午後、則子さんにたたき起こされて,車の運転手と写真係です。

 「今日は午後運転するから、朝帰って来ても,飲むのは少しだけにしなさい」との指示で、あんまり眠れません。いや、寝ているかも。

 西遠平和行進実行委員会の代表Yさんと、事務局長の則子さん、新婦人の会浜松支部のNさん、事務局員のぼく、の4人で、西区役所・南区役所・東区役所を回りました。

 今年は主に、昨年7月1日に鈴木康友市長さんが宣言した「平和都市宣言」と浜松市が自治体として加盟した「平和市長会議」の話で、お互いに共感し合い、一致点での協力を確認できました。

 今年は、3区役所を訪問して、3人の区長さんと会えたので良かったです。

 西区長さんと、南区長さんとは、津浪の話で盛り上がりました。

 平和行進の29日の到着点と30日の出発点になっているJR高塚駅近くの「熊野神社」は、「高塚」という地名の起源で、江戸時代に、この付近にまで達した地震から村民が逃げて助かった「高塚」とも、津波の犠牲者を葬った「高塚」とも言われています。

 東区長さんとは、核兵器や原発の話から広がって、文化や社会の話になって、東区がとりくんでいる子どもたちの俳句や、遺跡・神社の話になりました。東区長さんから、東区でつくった文化財・遺跡のパンフレットもいただきました。

 東区では,区の職員の方が、区長さんから私たちが平和のペナントを受け取っている写真も撮影してくれました。何か、たとえば「広報はままつ 東区版」に掲載してもらえるとうれしいですね。

 ぼくは疲れがあるのか、昨日昼に目が覚めた時に、右足のふくらはぎが「こむらがえり」になって痛かったのですが、なぜか、西区役所に着いた頃から、それがぶりかえしたのか、右足のふくらはぎが痛み始めて、夜中の仕事中も、いまこの瞬間もケイゾクしています。早く治ってくれないと、歩くのがしんどいです。

 


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 5月24日(木)12時45分、くもり、微風、0.045μSv/h

2012年05月25日 05時43分29秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 5月24日(木)12時45分、くもり(90%)、微風、0.045μSv/h

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.048 μSv/h 
  最大値 0.052 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.042 μSv/h 
  最大値 0.047 μSv/h 
  最小値 0.037 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.052 μSv/h 
  最小値 0.037 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:雨宮智彦

 注)

 


5月23日(水) 則子さんは忙しい1日でした。僕は夜中、足がフラフラして…

2012年05月24日 05時41分43秒 | 雨宮日誌

5月23日(水) 則子さんは忙しい1日でした。僕は夜中、足がフラフラして…

 則子さんは、朝7時15分に起きて8時15分に家を出て、平和行進実行委員会として湖西市長の三上さんに何人かで面会に湖西市役所へ。

 午後は、2時20分に僕と家を出て電車で遠州病院駅(120円です)で降りて、徒歩10分くらいの共同法律事務所へ。浜岡原発永久停止裁判の第6回事務局会議。

 暑い日で、窓を開け放して会議をしました。

 夜は、僕は市職のHさんと打ち合わせをしてから、毎週やっている雑務を則子さんとしました。夜は、少し仮眠してから夜中の仕事へ。

 早朝になんだか足がフラフラして、お腹が空いてどうしようもなくて、サークルKへ寄って、おにぎり2個(1個105円)を買って車の中で食べて、やっと歩く元気がでてきました。

 今日は、午後速いので、あまりお酒も飲まず、速く寝ます。おやすみなさい。

 

 


雨宮日記 5月22日(火) 東京「スカイツリー」の高さは広島・長崎原爆爆発の高度

2012年05月23日 06時22分21秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 5月22日(火) 東京「スカイツリー」の高さは広島・長崎原爆爆発の高度

 世界一の高さの電波塔「東京スカイツリー」の高さは、地上634mです。

 この高さは、67年前の1945年8月に,広島と長崎でB29から投下された原爆が爆発した高度に近いです。

 広島・長崎原爆の爆発高度は、広島で地上600m、長崎で地上500mでした。

 どうでしょうか?いやな話題ですみません


本と映像の森 206 5月20日(日)夜、NHKテレビ「宇宙の渚 2 オーロラ」を見ました

2012年05月23日 06時02分28秒 | 雨宮日誌

本と映像の森 206 5月20日(日)夜、NHKテレビ「宇宙の渚 2 オーロラ」を見ました

 北極や南極で,夜、見える神秘の光「オーロラ」の謎を解明する番組でした。

 これまでの地上からの観測だけではなく、古川宇宙飛行士が宇宙ステーションからのビデオカメラ観測をして、謎を解明していきます。

 地球上空から撮影されたオーロラは、北極・南極をリングで取り巻く光です。その正体は,地球の磁気圏のバリアー(防護)をかいくぐって地球大気に侵入する「電子」です。つまりβ線です。

 この電子のカーテンが大気にぶつかって見えるのがオーロラです。

 ところがこの電子のカーテンが、カナダで磁気異常から電線に異常電流が流れて,信号を乱して列車衝突事故を引き起こした可能性があるのです。

 そして、太陽活動極大期には,19世紀に、熱帯近くのキューバでもオーロラが見えた事例を指摘して、その後に、広範囲の送電線や変電所網が整備された現代文明は、今年から来年の太陽活動極大期に、中緯度地域にも出現するオーロラの影響で,送電網や変電所が破局的な故障を起こす可能性があると指摘しています。

 もし実際にそれが起きたら、現代文明はどうなるでしょうか?恐いです。

 さらにショックな指摘は、前回の太陽黒点周期が13年に長引いたりした後には、必ず「無黒点期」が続いて、17世紀にはフランスで冷害・飢餓になったり、イギリス・ロンドンで川が凍ったりと、寒冷化現象が起きていることです。

 番組では。これは太陽活動が弱まって、太陽の磁気圏が弱くなることで、銀河系全体からの宇宙線=ガンマ線が地球に降り注いで、大気の原子と反応して、雲をつくり、地球の気温低下が起きる、ということのようです。

 つまり、地球生命を守る太陽活動が低下すると、地球生命に有害な銀河系のガンマ線が地球に降り注いで、大気に雲を作るので、寒冷化が起きるということのようです。

 


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 5月18日(金)、21日(月)

2012年05月23日 05時55分20秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点A地点 5月18日(金)、21日(月)

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 5月18日(金)午後4時23分、晴れ(0%、うすぐもあり)、風少し強い、0.044μSv/h 

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.047 μSv/h 
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.042 μSv/h 
  最大値 0.047 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.044 μSv/h 
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 5月21日(月)午後4時26分、曇り、微風、0.050μSv/h 

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.052 μSv/h 
  最大値 0.055 μSv/h 
  最小値 0.050 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.047 μSv/h 
  最大値 0.053 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.050 μSv/h 
  最大値 0.055 μSv/h 
  最小値 0.044 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智