雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2月25日(金) 夜、大雨でした

2010年02月27日 04時48分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月25日(金) 夜、大雨でした

 妻のN子さんは、昼間は介護福祉士の実技試験の下見で、名古屋に行ってきました。
 夜は、家ではめったに見ないテレビにかじりついて、冬季五輪の女子フィギュア決勝を見ていました。
 キム・ヨナさん、いいですね!これほどの完成度に到達するのには、こんな若さで、どれくらいの修行が必要なんだろうと、心から賞賛を送りたいです。

 浅田真央さんも、いいですね!一時期の不調を脱するには心の訓練も必要だったんだろうと思います。真央さんは、4年後のソチ五輪に挑戦するようです。
 
 夜中は、久しぶりの大雨でした。夜、仕事にでかけるときは小雨でしたが、途中から深夜ひどくなって、全身ずぶ濡れになりました。
 皮肉なことに、仕事を終える早朝には止んでしまいました。
 もうじき3月、早春です。

 

本と映像の森10 日野原重明さん『生きかた上手』ユーリーグ

2010年02月26日 22時04分05秒 | 本と映像の森
本と映像の森10 日野原重明さん著『生きかた上手』ユーリーグ、2001年初版、1200円+税

 妻のN子さんから借りて読んでいます。
 日野原さんはお医者さんで、1911年生まれですから、この本を出版したときに90才、今年は99才で、まだお元気です。

 本の中に散らばった言葉から引用します。

 「しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならない・・・それは結果にすぎないのです。」(フランクルさん)。

 「基準値・平均値にはアバウトでいい」「健康とは、数値に安心することではなく、自分が「健康だ」と感じることです。」

 「「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ということばはよく知られていますが、原点を調べてみると、ローマの詩人ユヴェナリウス(50頃~130)による、「健康な身体に健全な精神を宿らせ給え」という祈りの言葉であったようです。からだが健全であるからというって、そう簡単に健全な精神がついてくるわけではないのです。」

 「老いとは衰弱ではなく、成熟することです。」 

 「その女性の不幸はがんであったことよりも、不安を語れなかったこと」

 「仲間で群れ合っているかぎり、人も社会も成長しません」

 「自分をこれ以上甘やかすのではなく、自分をとことん見つめるのです。」

 「人生は、ひと言で言えば習慣です。」「人はいくつになっても生きかたを変えることあできます」

 「病院ボランティアが提供する技術においては、アマチュアであってはならない、プロをも目指すべきだと私は思っています。ですから、技術を磨くための勉強をボランティアには求めます。熱い思いやほのぼのとした善意だけでは、残念ながらボランティアはつとまりません。」

 「医療ミスは急増したのではなく、隠されていた。」
 
 「「ありがとう」【というお互いに言い合う】ことばで人生をしめくくりたい」

 「だんだんとわかってきた」「道のりがあったことをすっかり忘れて、すでにわかってしまった人間が、いまだにわからない相手に向かって「人を殺してはいけないのは、わかりきっているじゃないか」と諭したところで、相手にわかるはずはありません。

 「なぜ人を殺してはいけないのか。その問いには答えるのではなく、共に考えるべきです。」





遠州の古墳1 浜北区・稲荷山古墳を浜松市文化財に指定

2010年02月26日 04時28分40秒 | 遠州古代史
遠州の古墳1 稲荷山古墳(浜北区内野)を浜松市文化財に指定

 2010年(平成22年)2月17日(水)に市役所で開かれた浜松市文化財保護審議会の第3回会合は、浜北区内野の稲荷山古墳を浜松市文化財に指定することを決めました。

 稲荷山古墳は、元は百基以上あって現在は十数基が確認できる内野古墳群の一員で、直径37m、高さ4.3mの円墳で、5世紀前半に築造されたと推定されています。

 内野古墳群の主な古墳は、稲荷山古墳、その南南東にある山の神古墳(円墳で直径16m、未発掘)さらにその南南東にある、前方後円墳「赤門上古墳」(前方後円墳、全長56.3m、4世紀末と推定)です。

 2008年におこなわれた稲荷山古墳の調査で、それまで直径30mとされていたのが訂正されて、東区有玉西町の千人塚古墳(直径49m)、西区入野町の入野古墳(直径44m)に次ぐことがわかりました。
 また、天竜川西岸で多く見られる「二段築成」の墳丘が確認されました。
 
 2段目の「葺石(ふきいし)」は、関西の大型前方後円墳と同じような工法を使っていることも判明し、浜松市内の古墳では珍しいこともわかりました。

 すみません、稲荷山古墳は、何年か前に、見に行って写真も撮っているのですが、すぐに出てきません。見つかったらアップします。

 浜松市内の古墳の概要は、浜松市が2008年3月に発行したカラーパンフ『浜松市文化財ブックレット1 浜松の古墳めぐり』(A5版、63p)を持って、市内を回るとよくわかります。
 たぶん、今も売っていると思います。浜松市役所の生活文化部生涯学習課(文化財担当)(電話053-457-2466)か蜆塚の浜松市博物館で300円で買うことができます。

 

本と映像の森9 鎌田浩毅さん『富士山噴火』ブルーバックス

2010年02月25日 17時18分07秒 | 本と映像の森
本と映像の森9 鎌田浩毅さん著『富士山噴火』ブルーバックス、講談社、2007年11月20日第1刷、940円+税

 富士山の本の第2冊目です。2004年に、富士山が噴火したらどの程度の溶岩がどこまで流れるか、火山灰はどこまで降るかなどの火山噴火の影響を「富士山ハザードマップ」が公表されました。
 
 この本は、火山学者の著者が、溶岩流・噴石・火山弾・火砕流・岩なだれ・泥流・火山灰についてそれぞれ詳しく解説しています。

 溶岩流の危険があるのは、富士山周辺の静岡県東部と山梨県ですが、問題は溶岩流だけではありません。

 とくに火山灰について、江戸時代の170年の宝永噴火で、横浜で10センチ、江戸で5センチの厚さに火山灰が降り積もりました。
 火山灰とは、ようするに溶岩が固まったガラスの細かい破片です。

 もし現代で富士山が噴火したら、この火山灰が風にのって遠くまで降り、江戸時代には無かった現代のいろいろな機械に大きな影響を与えます。

 少しの火山灰でも室内に侵入し、コンピューター内部に侵入するとトラブルの原因になり、工場や会社や家庭に大きな影響を与えます。
 車の内部に侵入するとエンジントラブルが起きます。航空機も同じです。

 危機管理対策として、とくに静岡県東部や関東地方では火山灰対策が必要です。
 (画像は公式に発表されている富士噴火の降灰マップです)

 

哲学の学習9 「安定」「固定」と「変化」「発展」の関係

2010年02月25日 04時33分37秒 | 人間・生命・宇宙
哲学の学習9 「安定」「固定」と「変化」「発展」の関係

 「ものごとはすべて変化・発展する」かどうか、という学習の続きです。

 「変化」とは何かということですが、「ある物あるいはある物事」の「要因」「要素」「属性」の一部の量あるいは質が変化することではないかと思います。
 ただし、「ある物あるいはある物事」の統一性というか、「ある物がある物である量と質」「ある物事がある物事である量と質」は保っているので、連続性はあるわけです。

 たとえば「ある物A」の属性「a、b、c、d・・・・」とするとき、属性aがa1からa2に変化しても「A」が「A」であることに変わりありません。
 
 連続性とは何かというと、たとえば、カフカさんの小説「変身」で、主人公が毒虫(さそり?)に変身するのに、周囲の人が「この毒虫はお兄ちゃんの青年グレーゴル・ザムザが変身した姿である」という妹グレーテの認識がなければ「お兄ちゃんがいなくなって、嫌な毒虫が現われた」ということになります。
 
 あるいはガラスのコップが壊れれば、コップは「変化・発展した」わけではなくて、たんに「コップでなくなった」、ガラスの破片になっただけです。
 コップが「ガラスの破片」に変化したと強弁できなくもないですが、すでにコップでないことには変わりありません。
 
 基本はこうだと思います。ものやものごとは、
 ① 変化せずに安定している場合
 ② 「そのもの」を保持しながら、変化・展開・発展していく場合
 ③ 「そのもの」や「そのものごと」の統一性を保持できなくて崩壊・分解する場合
 つまり「ものごとはすべて変化・発展する」というのは「安定期」を無視し、「崩壊・分解の可能性を軽視していて、正しくありません。

 ①と②との関係では「物あるいは物事」が安定して存在するためには、周囲の環境・条件も長期にわたって安定していないといけません。

 ですから、「変化・発展」の時期と、「固定・安定」の時期は「物あるいは物事」を構成する2つの両面で、「変化・発展」の方が本質的で大事だとか、「固定・安定」の方は表面的で軽視できる話と言うことは正しくありません。

 地球生命の進化でも、長期の安定的地質条件と、矛盾が爆発する短期間の危機とが混在しています。

 人類の歴史でも、たとえば300年にわたる江戸時代の長期の安定期は、戦国時代の転換期と、明治維新の転換期にはさまれています。


 


遠州古代史2 浜北人・三ヶ日人・牛川人の年代測定

2010年02月23日 20時06分07秒 | 遠州古代史
遠州古代史2 浜北人・三ヶ日人・牛川人の年代測定

 沖縄県石垣島にある白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡から出土した人骨を年代測定したところ、約2万年前の値が出ました。
 これまで骨自体の測定としては最古だった、浜松市浜北区根方の洞窟から出土した浜北人の約1万4千年前を上回りました。

 東海地方の旧石器人の骨と言われていたものは、豊橋市の牛川人骨、発掘当時は引佐郡三ヶ日町の三ヶ日人骨、発掘当時は浜北市の浜北人骨がありました。それから大分県の聖岳人骨、栃木県葛生人骨、沖縄県の港川人骨。

 ところが2001年にお茶の水女子大教授の松浦秀治さんが測定したところ、次のような結果になりました。
 聖岳人は中世以降の人骨。
 葛生人は獣骨や室町以後の人骨の寄せ集め。
 牛川人はナウマン象のすねの骨。
 三ヶ日人は縄文時代の骨。

 ということで、今では旧石器時代人としては浜北人と沖縄の港川人、そして今回の沖縄・石垣島白保洞窟人が旧石器時代に生きていた人たちということになります。

遠州の遺跡・寺社5 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって

2010年02月23日 04時25分09秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社5 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって飛べる

 浜松市浜北区の「不動寺」に行ってきました。
 三方原台地の東の崖線に位置していて、台地の上は「万葉の森公園」になっています。

 湧き出す泉があって、「弁天様」の社があって、「不動寺」の建物には、龍の彫り物がまきついていて、明らかに「水神信仰」です。

 おもしろいのは「不動寺」の奥に、天狗の社があって、写真のような説明がされていることです。

 「烏天狗(からすてんぐ)」は「大天狗」の弟子のようですが。
 古代のシャーマンの鳥信仰とも関係ありそうです。

 『日本書紀』「巻九 神功皇后 気長足姫尊」に「羽白熊鷲」が出てきたり、キリスト教のイメージで「天使に羽があって空を飛ぶ」こととも関係ありそうです。

 「神功皇后紀」では熊襲「服従」のあと、荷物田村の羽白熊鷲という強健で翼があり高く飛べる人がいて、人民を掠めているので神功皇后が殺したとあります。
 「羽の白い熊鷲」というのですから、まさに鳥シャーマンです。
 もちろん、実際に羽が生えていたはずはなく、そういう格好をしていた呪術師ということでしょう。

本と映像の森8  田代博さん『今日はなんの日、富士山の日』

2010年02月23日 03時48分51秒 | 本と映像の森
本と映像の森8  田代博さん著『今日はなんの日、富士山の日』新日本出版社、2009年12月20日初版、1600円+税、187p

 みなさん、おはようございます。いまは早朝の4時ですが、深夜の仕事から帰ってきて、寝る前にパソコンを打つのが毎日の行事です。

 今日は昨年、静岡県議会が全会一致で議決した「富士山の日」です。
 まあ語呂合わせですが、2(ふ)2(じ)3(さん)ということです。

 そこで1996年元旦に、いちばん最初に「2月23日を富士山の日」にと提唱した「山の展望と地図フォーラム」代表の田代博さんの最新著書『今日はなんの日、富士山の日』を紹介します。
 最近手に入れて読みましたが、おもしろいです!
 何よりも田代さんの実際の現地体験や現地での写真で、リアルな富士山が体感できます。

 内容は以下の通りです。
 1合目 富士山ってどんな山(なぜ富士山は高いの?噴火の歴史、高山植物がない?)  2合目 社会的視点から見る富士山(東富士・北富士演習場、世界遺産へ、戦争遺跡)
 3合目 富士山はどこまで見えるか(富士山可視マップ、富士山が見える限界の地)
 4合目 各地から見る富士山(鉄道から、高速道路から、上空から、他の山から)
 5合目 美しきダイヤモンド富士(どこで見えるか、時刻を求める)
 6合目 富士山を撮り描く(月別の撮影ポイント、宇宙から撮る)
 7合目 富士山の観測(富士見日記、リアルタイムの眺めを楽しむ)
 8合目 富士見地名・ふるさと富士(信仰の山、外国にも富士山が)
 9合目 富士山をめぐる話題(富士山ナンバー、トンネル富士、富士山ネクタイ)
 
 ところで、これを読んでいるあなたは、自分の目で富士山を見たことがありますか?
 私の住んでいる静岡県浜松市からは、東の山脈の彼方に富士山のシルエットを見ることができます。
 でも実際、このところ、自分の目で見ていないですね。
 前に会ったのはいつだったろうか。
 富士さん、また会おうね!そのときは、記念写真も撮って、ここに掲載したいと思いますので、よろしくね。


雨宮日記 2月20日(土) 昨日は雨水、今日は合格通知

2010年02月20日 22時02分00秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2月20日(土) 昨日は雨水、今日は合格通知

 昨日は雨水でした。
 「あまみず」と読まないでください、「うすい」と読んでください。
 1年を24に区切る「24節気」の一つで、早春のまだ寒いけど、生き物には恵みの雨が降り、雪国では雪が溶け出す、そんな季節です。
 立春以後に初めて吹く南からの強風を「春一番」と言うので、「春一番」が吹くのは雨水の前後になります。

 家の近くの馬込川のヒドリガモさんたち、カルガモさんたちも、少しずつ数が減っています。鴨さんたちは、どうやって「さあ、北へ、故郷へ出発だ!飛び立とう!」というのを決めるんでしょうか。
 温度で暖かくなったら決めるんでしょうか。太陽の光の加減でしょうか。
 鴨さんに聞いてみたいものです。

 今日は、妻N子さんに葉書で表面に「社会福祉士実技試験通知」というのが来ました。
 N子さんが遅番で午後8時までの勤務なので、ぼくと娘2人で「これって、筆記がうかったということかね?」「筆記と実技と連動しているのかどうか?」などと、不必要な心配までしました。

 N子さんが8時過ぎにようやく帰ってきたので、開けてもらいましたら、見事、筆記試験合格でした。
 N子さんと(抱き合わないけど)喜びを共有しました。
 
 「これで実技試験落ちたら恥ずかしいよね」
 「実技試験で落ちることはほとんどないと言うけど、研修もちゃんと行かないと」

 N子さんの合格祝いに、つい1日前に手に入れた、プラネタリウム番組のDVD、加賀谷さんのCGによる「銀河鉄道の夜」を次女と3人で、ぼくも初めていっしょに見ました。
 
 実技試験は3月7日(日)名古屋です。N子さんから「智彦くん、また名古屋の宿泊ホテルお願いね」と頼まれたので、私設無休秘書として、きちんと実行します。

 (N子さんの秘書として活動したからといって、何の見返りもありません。あくまでもぼくのボランティア活動です。
 もっとも「見返り」が何かあったら、怖いんですけどね。たぶん、N子さんが「智彦くん、あのことの見返り・・」と言ったら、ぼくは逃げると思います。
 見返りを求めて、N子さんに尽くしているのではありません。)

本と映像の森7 山田芳裕さんマンガ『度胸星1』小学館文庫

2010年02月20日 04時39分26秒 | 本と映像の森
山田芳裕さん著マンガ『度胸星1』小学館文庫、2009年12月復刊初版

 現在「へうげもの」連載中の山田芳裕さんが以前に書いて、突然終わってしまったマンガの復刻です。
 次女が買ったのを借りて読みました。

 時代はアポロ宇宙船の月着陸(1969年)から50余年後、NASAの有人宇宙船が火星へ着陸した瞬間から始まります。

 物語は、火星に着陸した宇宙飛行士が、四角形で構成された謎の物体(生命体?)に襲われ、地球との通信が途絶、火星救援のための宇宙飛行士に志願した日本人たちの訓練と、火星で生き残った宇宙飛行士スチュワートさんの物語が平行に進行していきます。

 主人公の若いトラック運転手(トラッカー)の三河度胸くんは、死んだ父親の願いを叶えようと火星への訓練に志願します。

 なんと言っても、火星でスチュアートさんが名付けた、謎の物体「テセラック」が見ものですね。

 四角形の立体という点では、アーサー・クラークさんのSF小説「2001年宇宙の旅」とその続編に出てくる四角形「モノリス」に似ていなくもないけど、モノリスは宇宙人が作って、宇宙人の指示に従って作動するシステムで、テセラックのような自立性・謎の動きは、やはり生命体なのでしょう。
 解説によれば、4次元時空を超える「超ひも理論」とも関係ありそうです。

 宇宙飛行士への訓練は、今「モーニング」で連載中の「宇宙兄弟」にも似ていますが、「宇宙兄弟」は月への道で、こちらの「火星での生命体」とのたたかいよりは、もっと現代に近いし、落ち着いて楽しめますね。

 でも、こっちもドキドキします。次女よ、早く、続きを買って来てください。

 
 

本と映像の森6 山田芳裕マンガ『へうげもの2』講談社、モーニング

2010年02月19日 18時18分12秒 | 本と映像の森
本と映像の森6 山田芳裕さん著マンガ『へうげもの2』講談社、モーニング

 発音は「ひょうげもの」です。講談社「モーニング」に隔週で連載中。現在10巻まで刊行です。
 戦国時代とその文化を知るためにはいいマンガだと思います。(もちろん、どこまでが事実かは、読んだみなさんが自分で調べて判断しましょう)。

 戦国時代に信長さん・秀吉さん・家康さんに仕えた武将にして茶人、古田織部さんを描いています。千利休さんの弟子です。
 織部さんの茶道の道と茶器への執着を、武士たちの暗闘の中にみごとに描いていると思います。

 (いま第1巻がどこかに逃走中のため)第2巻では「本能寺の変」への新解釈を描いています(それほど奇説とは思いません。きちんと物語を構築してあると思います)。
 第2巻の大半は、1582年の武田攻めです。
 その冒頭、安土城内の秀吉さんの屋敷で、織部さんは秀吉さんの所有する「8種の名物」を見せられ「珠徳の茶杓(ちゃしゃく)」を自分の作ってきた茶杓と取り替えてしまいます。

 利休さんの焼かせた「今焼きの赤茶碗」が秀長さん(秀吉さんの弟で腹心)に披露されるのも印象的なシーンです。

 第2巻の印象的なセリフ
 利休さん(明智さんに「死に近づけば近づくほど「わび」もまた、はっきりわかってくるものと存じます」

 信長さん(家康さんの貧相な足袋を見て家康さんに)「貢ぐ対象がみすぼらしくて喜ぶ者がいると思うか?」

 
 


 

雨宮日記 2月18日(木) 野菜プチ・ヴェールをもらいました

2010年02月18日 22時07分45秒 | 雨宮日誌



雨宮日記 2月18日(木) 野菜プチ・ヴェールをもらいました

 昨日は「寒の戻り」なのか、寒かったです。

 今日は、知り合いからパソコンメールの使い方SOSの電話が来たので、緊急救助隊(レスキュー)として行って、使い方講座をしてきました。
 メールへの写真の添付の仕方を教えてあげました。
 使い方しかわからないので、パソコンの中身や仕組みは全然わかりませんが。

 その方がちょうどいただいていた野菜「プチ・ヴェール」をもらいました。
 メキャベツとケールなる野菜を掛け合わせてできる新しい野菜だそうです。

 ゆでてごま和えにして食べました。おいしかったですよ。娘が「ケールってなに?」と言いましたが、誰も答えられませんでした。


 

資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品

2010年02月18日 22時01分16秒 | 人間・生命・宇宙
資本論の学習3 商品の属性と要因、要素としての商品

 「第1章第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値」の第3回目です。

 まず哲学の学習で書いたことを繰り返しますが、本文は第1行目で「商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす1つの物、1つの外的対象、である」としています。
 また「このような物はどれも、多くの属性からなる1つの全体であり、それゆえ、さまざまな面から有用でありうる。」
 
 この「属性」について、山本広太郎さんは『差異とマルクス ー疎外・物象化・物神性ー』(青木書店、1985年)で、以下のように述べています。

 「属性 Eigenschaft とは物 Ding の属性であり、物のうちで自立性を喪失し、観念化され、したがって「互いに分離して」いないものだからである。分離しておれば、属性ではなく、要因 Faktor (因数分解の因数はこれ)である。」(p173)

 商品の属性とは、たとえばコップが① ガラスでできている、② 透明である、とか、③ 上から見ると円形である、④ 横から見れば長方形である、⑤ 液体を入れておくことができる、などのことです。
 
 それに対して商品の要因の1つである「使用価値」とは「鉄、小麦、ダイヤモンドのような商品体そのものが、使用価値または財である」と述べているように「商品体」そのものを指しています。

 そして、商品が、価値と使用価値という2つの要因に分解できるからこそ、その独立した要因同士のからみあう運動によって、新たな「貨幣」という現象が生まれてくるのだと思います。
 『資本論』では、そのような、見た目には1つのプロセスが、それぞれの要因で、二重の意味をもって二重な結果をもたらすという「二重性」が大事だと思います。

 第1行目に戻りますが「資本主義的生産様式が支配する諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。」とあります。

 ですから、「個々の商品」「諸社会の富」「の要素形態(独 Elementarform)」であり、要素である「個々の商品」が、また、2つの要因(独 Faktren)に分かれるということです。

 この「要素」と「要因」はマルクスは使い分けていますが、同じものなのか、違うものなのか、私にはまだわかりません。学習していきたいと思います。

遠州の遺跡・寺社4 早出町の薬師堂(早出薬師瑠璃光如来)

2010年02月18日 05時17分28秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社4 早出町の薬師堂(早出薬師瑠璃光如来)

 我が家から近い早出町の「薬師堂(早出薬師瑠璃光如来)」に行ってきました。薬師観音さまのことだと思いますが、なぜか東向きです。
 つまり、太陽が昇る方向を向いています。
 
 薬師観音さまが女性なのか、男性なのか、よくわかりませんが、東を向くということは、古代の女性神信仰、たとえばアマテラス大神や卑弥呼信仰が変化して、観音様信仰になったということもあるのではないでしょうか。

 この早出町の薬師堂には、軒の下に3匹の龍がからみついています。龍なり、もっと古型のヘビが女性であることは、古代史では普通の話です。

「瑠璃光」という言葉に記憶があったので、ネットで検索してみたら、山口県の「瑠璃光寺」の日本三大「五重塔」がありました。
 これも同じ薬師如来です。
 この五重塔の建設を題材に、女性小説家の「見残しの塔」という小説が書かれています。


本と映像の森5 テレビ金沢『笑って死ねる病院』ワニブックス

2010年02月16日 04時35分47秒 | 本と映像の森
本と映像の森5 テレビ金沢『笑って死ねる病院』ワニブックス

 3年前にぼくの母が認知症で長い入院生活の果てにあの世にいきました。雨宮家にとっても大きな事件で、その後、家族関係もおおいに変わったと思います。
 妻のN子さんとも「自分たちの葬式(告別式)はどうする?」という話を始めました。
 そういうときに、この本を知りました。

 最初、本のタイトルを見て、落語でもやってくれる病院か?と思いました。
 そうではなかったです。
 病気になって入院して、もう後は死ぬしかないという「終末期患者」の「最後の願い」をかなえる病院がありました。
 
 「理髪店に行きたい」
 「娘の結婚式に出たい」
 「自分のお墓をたてたい」
 「もう一度家に帰りたい」などなど。

 もちろん、病院の収入にはなりませんし、持ち出しです。

 でも「差額ベッド」がどうのとか、そういう話を聞くと、こういう「差額ベッドのない」、人間を収入で差別しない病院で死にたいなという気持ちになります。

 自分の感覚で言うと「笑顔で死ねる病院」ということでしょうか。
 いいですね!
 笑顔で、最愛の人に「N子さん、いろいろありがとう」と言って、この世と永遠にお別れしたいですね。
 「死は眠りの兄弟である」という言葉を思い出しました。