遠州古代史 浜松市博物館で特別展「銅鐸から銅鏡へ」開催中
「赤門上古墳発掘50年記念」ということで、浜松市博物館で7月23日(土)から9月4日(日)まで特別展「銅鐸から銅鏡へ」が開かれています。
午前9時から午後5時まで、この期間は無休です。入場料は大人500円、高校生200円、小中学生は無料です。
古代史に関心のある浜松市民と近くの方は必見だと思います。
遠州古代史 浜松市博物館で特別展「銅鐸から銅鏡へ」開催中
「赤門上古墳発掘50年記念」ということで、浜松市博物館で7月23日(土)から9月4日(日)まで特別展「銅鐸から銅鏡へ」が開かれています。
午前9時から午後5時まで、この期間は無休です。入場料は大人500円、高校生200円、小中学生は無料です。
古代史に関心のある浜松市民と近くの方は必見だと思います。
日本古代史 外国史料3 『山海経』「倭は燕に属す」
『山海経(せんがいきょう)』は、古代中国の地理文献ですが,怪物やら妖怪じみたものが登場する「地理志」です。
怪物や妖怪が登場するから、荒唐無稽な、古代史とは関係のない空想小説文献と考えるなら、それは違います。つまり、古代の神話的時代の文献なのです。
『山海経』の第十二、「海内北経」の中の原文です。
「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」
以下、書き下ろし文で、「蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。」
「蓋国(がいこく)」というのは、どうも今の北朝鮮の付近のようです。だとすると、南朝鮮に「倭」があった?これは歴史学者の常識からはかけ離れていて、ある意味、奇怪なのですが、「倭人はどこから来たか?」という淵源を探る意味では、なかなか興味深い文章ではないでしょうか。
「倭は燕に属す」というのも「日本古代史 外国史料2 『漢書』「地理志」の1で紹介した 「楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。」が「燕地条」に含まれているのと軌を一にしています。
日本古代史 外国史料2 『漢書』「地理志」の2 「呉地条」より
「外国史料1」で『漢書』「地理志」の「燕地条」から「楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ」という文章を紹介しました。
通常の教科書には、ほとんど無視されているようですが、同じ『漢書』「地理志」の「呉地条」には似たような文章がのっています。
「会稽海外に、東[魚是]人あり、分かれて二十余国となり、歳時をもつて来たりて献見す」
[ ]内は、それぞれを半角文字にして、2文字で1画です
(訳文は、森浩一さん『倭人伝を読みなおす』ちくま新書、2010年、p12)
「会稽」というのは、長江(揚子江)の下流で川の南の会稽山という有名な山の付近で、現在の紹興付近、秦から唐にかけて会稽郡が設置されていて、緯度でいうと南九州当たりになります。
森浩一さんは、この「東[魚是]」は、西九州のクジラ取りの漁民であるとしていますし、古田武彦さんは、近畿地方中心の弥生の「銅鐸国家」のことであるとしています。
どちらなのかは、ぼくはまだ決めかねます。
ただ確かなのは、この前漢の時代に、日本列島の中で北側に出て「燕地」と交流する、たぶん北九州の人たちと、南側に出て「呉地」と交渉する西九州か近畿の人たちの、2種類の海外交渉があったということが大事だと思います。
しかも森浩一さんによれば「『漢書』「地理志」によると歳時をもって来たり献見していた国や集団は二つしかない」(同上、p)とされ、それが倭人と東[魚是]人なのです。
日本神話のイザナギ・イザナミは、おそらくクジラ(いさな=勇魚)のことであると考えると、この東[魚是]人は、非常に重要な集団だと思います。
雨宮日記 7月27日(水) 中国高速鉄道事故報道を読んで
中国高速鉄道での衝突・脱線事故の報道を見て思うのは、やはり「先進国」ではない「中進国」くらいということでしょうか。
しかもすぐに衝突した先頭車両を重機で、みんな見ている面前で、堂々と地中に埋めてしまうと云う、ひじょうにわかりやすい「隠滅行為」。
というより、ほとんどバカです。
もっとスマートに狡猾に隠すのが「先進国」です。
なんでも上から命令できる社会だと、そうなっちゃうんでしょうね。
果たして、政府からは独立の「事故調査委員会」もできるのかどうか、不明です。
中国共産党の一党支配をやめない限り、直らないでしょうし、このまま「社会主義を目指す」と称していても、ぜったいに「社会主義社会」にはたどりつかないと思います。
なぜなら社会主義社会とは、絶対権力者や支配階級のいない、みんな平等な社会だからです。現状では、「社会主義を目指す」うえでの最大の妨害者が中国共産党です。
日本古代史 外国史料1 『漢書』「地理志」「燕地条」より
自分の勉強のためもあって、日本古代史に関する外国史料を少しづつ書いていきたいと思います。
たぶん大きく分けて、「外国史料・文献」「外国史料・考古学」「日本資料・文献」「日本資料・考古学」の4つくらいに分けて紹介していくのかなと。
漢文の原文は以下の通りです。
「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫。樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」
読み下しは、以下のようになります。
「「然して東夷の天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行われざるを悼み、設(も)し海に浮かばば、九夷に居らんと欲す。以(ゆゑ)有るかな。楽浪海中に倭人あり、 分ちて百余国と為し、 歳時をもつて来たりて献見すと云ふ。」
『漢書(かんじょ)』は、班固(はんこ)さん(西暦32年生まれ、92年没)が書いた中国の公式史書で、日本のことが掲載された最初の史書です。
「楽浪」とは、前漢の武帝さんが紀元前108年に設置した「朝鮮4郡」の一つ「楽浪郡」のことで、今の北朝鮮・平壌の付近にありました。
「楽浪海中」とは、「楽浪郡から海を船で行く」という意味でしょうか。
「分爲百餘國」とは「当時の倭人は百余国に分かれていた」と言う意味でしょうか。つまり楽浪郡から見て、確認できる日本列島は、百余国に分かれていたということでしょう。
どこまで見えていたのかは不明です。
「歳時をもつて来たりて献見すと云ふ」は、「定期的に1年のうち、ある季節に献見(けんけん)しに来たと云う」ということでしょうか。
「歳時」は「歳時記」と同じ意味でしょうか。
前半の「東夷」「孔子」「九夷」などの部分は、別途書きます。
「漢書」の書籍では、筑摩書房からちくま学芸文庫として、全8冊で出版されています。現在でも手に入ります。全8冊のセットで今、1万3230円です。
<誤記訂正> 「史書」が「支署」となってましたので訂正しました(7月26日(火)午後4時7分)。今、雨が止みました。
雨宮日記 7月25日(月) 自衛官人権裁判で勝訴確定です
夜、則子さんの携帯にMさんから電話がありました。「防衛省が控訴せず,勝訴確定です」。則子さんは役員の関係者に電話しまくって、喜び合ってました。
以下の2週間前に書いた記事の結果ですが、4年間の大きなたたかいの終結となりました。則子さんと、握手しました。よかったあ!
原告である奥さん・お父さん・お母さんに、心から「おめでとうございます」「こういう裁判をいっしょにさせてもらってありがとうございました」と言いたいと思います。
雨宮日記 7月11日(月)の2 人の声,自然の声が聞けますか
則子さん「これで、裁判は、もうないかしら?」
ぼく「どうでしょうか…」
勝訴確定でよかったですけど、Sさんの命は帰って来ません。裁判としては集結しましたが、ぼくとしては、Sさんとの対話をきちんとしたいと思います。
Mさんが判決の日に言ってましたが「4年間、長いようで短かかったですね。いや、短いようで長かったかな」。同感です。
本と映像の森 158 アガサ・クリスティさん『そして誰もいなくなった』ハヤカワ文庫、早川書房、2003年10月15日発行~2009年9月30日14刷、367ページ、定価680円+消費税
実は、コナン・ドイルさんの「ホームズ」はたくさん詠みましたが、クリスティさんはこれまで読んでいませんので、最初です。
イギリスの本土から孤立した小さな島に集められた10人の男女が、むかしの童謡(これはマザーグース?)の歌詞の通り、順番に殺されていきます。
10人は、それぞれ過去に、「殺人」県議のある人たちですが、法律によって裁かれていないか、裁かれようのない事件だったりします。
物語でそれぞれの人の生活や心理がリアルに描かれていて、そこがたぶん、クリスティさんの著書の魅力なのでしょうね。
単なる殺人事件解決編ではないです。テレビの「名探偵コナンくん」はきらいではないのですが、そういう点では、ぼくは不満が残ります。
途中で、「犯人はこの10人の中にいるはずだ」と疑心暗鬼になるのですが、ストーリーはタイトルどおり「そして誰もいなくなっ」て…最後の解決編へ突入します。
ぼくは一晩で読みましたが、真犯人はわからずに解決編に突入しました。普通は、名探偵がその場にいて、あるいは後から現場に到着して謎を解決するのですが、この書は、そういう名探偵は登場しません…というのが謎を解くヒントです。
もちろん、そういう「名探偵」的人間は、こういう場から注意深く排除されたのでしょう。もしそういう「名探偵」がいたら、最初の殺人の時点で、全員集合をかけて、「全員が一つの部屋で生活する」「Aさんが部屋から離れるときは、必ずAさん以外の人間が決めた人と複数で離れること」をしたのではないでしょうか?
震災・くらし情報 防災グッズ 1 手回し・太陽光充電ラジオ(AM・FM)
単4電池の小型ラジオはあるのですが、手回し充電と太陽電池充電の兼用の小さな防災用ラジオをカーマ市野店で買いました。
日常的に使ってしまうと、どれほど保つのかはわかりませんので、これは乾電池がいらず、日常的に便利なので使って,別に非常用・家族用に1台買って置いた方がいいかもしれません。
これから携帯電話への充電も出来ますので、便利です。ライトもついています。まあ、あんまり多機能でなくても、単機能で十分ですが。
株式会社オーム電機の製作の製品、RADーV963N です。
値段は約3000円です。
日本古代史 12 水谷慶一さん著『続 知られざる古代 龍王の来た道』日本放送出版協会、1981年(昭和56年)8月1日第1刷、299ページ、定価1300円
前著『知られざる古代 太陽の道』の続編です。「本と映像の森87 水谷慶一さん『知られざる古代』NHK。2010年09月28日」で紹介しました。 http://blog.goo.ne.jp/amamiyatomohiko/e/b2610b6dee001d62665e0b6b99ca7a62
2冊目は、ニホン列島から朝鮮へ飛んで、古代新羅の文武王を中心に、新羅での太陽信仰を追います。
中心人物は、新羅の第30代の文武王です。在位は西暦661年から681年、つまり7世紀末の新羅による朝鮮統一直前の王です。
この文武王の墓が新羅の首都・慶州から30度東南の①にあって、しかもその途中の同じ線上に、有名な吐窟庵(とくつあん)が載り、その阿弥陀像が海中の文武王の墓の方向を向いているのだ。
これを水谷さんは、現地ルポで懇切丁寧に、解明していきます。
しかもこの太陽信仰は、同時代の日本では、新羅系と言われる天武天皇(在位673年から683年で新羅文武王と重なります)の太陽信仰(アマテラス信仰)とも響き合っています。
新羅・文武王と、日本・天武天皇との関係は、すごく興味深いです。
さらに新羅「文武王」と日本「文武(もんむ)天皇(在位697年~707年」との名前の関係も、新羅「聖武王(在位702年~737年)」と日本「聖武天皇(在位724年~749年)」の名前の関係も、どうでしょうか。
まったく無関係と言い切れるのでしょうか。新羅「聖武王」と日本「聖武天皇」とは、在位が一部重なっているのです。もちろん、死後の「贈り名」とか、そういう問題があるので、実際に、生前に、同じ「聖武」と呼んでいたとは限らないのですが。
雨宮日記 7月21日(木) 豆子さん、退院!
心配しましたが、18日から入院していた豆子さんが、やっと排泄が出るようになって、退院できました。よかったね。
雨宮日記 7月20日(水)朝 台風はまだ四国、豆子はまだ病院
台風はかなり遅く(現在、時速15km)、まだ遠いので、強風域で時々風雨が強まります。なんとか、深夜の仕事を終えて、午前5時半に自宅のドアを開けました。
「ただいま」と言いかけて「あ、豆子はいないんだ」と、家族がポッカリといなくなったような寂しい気分です。ウサギの豆子さんは、まだ入院中です。
雨でぐっしょり濡れた衣服を着替えて、洗濯機にかけて、ようやく、人心地ついて、今、パソコンを打っています。
それにしても、まっすぐ北上してきて、四国の手前で、右へ急カーブの、おかしな台風です。今まで、台風のこんな軌跡は見たことがありません。
今日の昼間は、浜松の南の海を東へ台風が通っていきます。
この前、里山の「師匠」から、「台風のような時こそ、谷の水がどうなるか、その時に谷へ行って、自分の目で見て、自分の判断で必要な手立てを取る」ことの大事さを教えてもらったので、今日は、里山へ行こうかな?
えっと、まだ想いだけで(風雨の強いときは仕事で疲れるので)、まだ決断ではありません。
則子さん、今日は家から近い早出町の職場ではなくて、笠井新田の本部まで行かないといけなようなので、バイクでは無理です。朝はタクシーで行って、夕方は電話してくれればボクが車で迎えに行きますから、夕方、電話してください。
雨宮日記 7月19日(火) あいにくの台風迫る夜、震災報告会
台風6号が四国へ接近して、浜松でも午後からかなり風雨が強まりました。
午後5時半に、則子さんと家を出て電車に乗りました。ぼくが大きいリュックと、ノートパソコンを持っているのを見て「タクシーで行った方がよかったね」というので、ぼくは、ついムッとして「さっき、タクシーでいかない?って言ったでしょ」と言ったら「荷物が多いなんて言ってなかったでしょ。最近、智彦くんは、説明不足が多いの」と。説明しない方が悪いのか聞かない方が悪いのか…重かったです。
こういう強い風雨の中、「東日本大震災報告会」を開催しました。ボクが司会と、地震の基礎知識報告、岩手県と宮城県へ支援に入ったお二人の写真での報告です。
9人の参加でしたが、ボクとしては生の報告を初めて聞いて、いろいろ考えること、思いついたことがたくさんありました。ありがとうございました。
生き残った人たちで避難していない人たちへの支援報告でしたが、避難所や遠くに避難している人、震災の地震や津波で亡くなった人たち、一人ひとりの声をじっくりと聴かなければと思いました。
2万数千人(まだ確定できません)の死者の声を聴かねば、生きていけないと思います。
それと、生と死の学習、生と死のレッスンもみんなでしないといけないんでしょうね。「グリーフ・ワーク」もその一つだと思います。
報告会を終えて、会場の外に出ると、建物の入り口で,則子さんがまだ土から出てきたばかりのセミの幼虫を見付けました。生きてます。こんな雨の日に出てきて、ちゃんとセミになれるんでしょうか。則子さんは、近くの植え込みに幼虫をそっと置いてました。