雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月30日(土) 9/19総がかり行動のビデオ完成

2017年09月30日 22時10分25秒 | 雨宮日誌
 雨宮日記 9月30日(土) 9/19総がかり行動のビデオ完成

 金曜日に録画したアニメ「天空の城ラピュタ」を見る。何回見ても面白い。モノガタリノの主要なプラス面をつくるのは、少女シータと海賊ばあさんのドーラである。

 9月19日におこなわれた浜松総がかり行動のビデオが完成。ブログ「ピース浜松」に掲載した。

原文・全文で見ろ・考えろ! 希望の党の綱領ほか 

2017年09月29日 13時58分02秒 | 過去現在のメモノート


原文・全文で見ろ・考えろ! 希望の党の綱領ほか です。

このなかには、議員の受付嬢県にしている「安保法賛成」という一番、希望の党にとってカナメの項目が入っていないのは、なぜでしょうか。

一般党員と議員では違うということですね。

つまり、党の中枢をなす議員と、それにつきしたがうだけの一般党員では「希望の党」では、違いがあろということでしょう。



綱領

 ( 希望の党、27日発表 )

 我が党は、立憲主義と民主主義に立脚し、次の理念に基づき党の運営を行う。
 常に未来を見据え、そこを起点に今、この時、何をすべきかを発想するものとする。

 1 我が国を含め世界で深刻化する社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す。

 2 国民の知る権利を守るため情報公開を徹底し、国政の奥深いところにはびこる「しがらみ政治」から脱却する。

 3 国民の生命・自由・財産を守り抜き、国民が希望と活力を持って暮らせる生活基盤を築き上げることを基本責務とする。

 4 平和主義のもと、現実的な外交・安全保障政策を展開する。

 5 税金の有効活用(ワイズ・スペンディング)の徹底、民間のイノベーションの最大活用を図り、持続可能な社会基盤の構築を目指す。

 6 国民が多様な人生を送ることのできる社会を実現する。若者が希望を持ち、高齢の健康長寿を促進し、女性も男性も活躍できる社会づくりに注力する。




理念

私たちが希求するものは、
党の利益ではなく、議員の利益でもなく、
国民のため、つまり国民全体の利益を
最大化することにある。

国政を透明化し、常に情報を公開し、
国民とともにすすめる政治を実現する。

既得権益、しがらみ、不透明な利権を排除し、
国民ファーストな政治を実現する。

国民ひとりひとりに、日本に、未来に、
希望を生むために。



政策

・希望の政治

①しらがみのない政治
②議員定数・議員報酬の縮減
③行政改革:徹底した情報公開

・希望の社会

①女性政策など、ダイバーシティ社会の確立
②多様な教育(奨学金、高度研究、生涯教育)

・希望の経済

①消費税対応 実感できる景気回復の実現
②ポストアベノミクスにかわる成長戦略 不動産の有効活用 AI 金融

・希望を守る環境・エネルギー

①原発ゼロとゼロミッション社会への行程作成
②フードロス対策など

・憲法改正

希望あふれる日本の礎

新・本と映像の森 90 大野晋・浜西正人『類語新辞典』角川書店、1981年

2017年09月28日 20時59分12秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 90 大野晋・浜西正人『類語新辞典』角川書店、1981年

 932ページ、定価4400円

 「類語辞典」は、これ1冊しか持っていないので、これを推薦しているわけではない。単に「類語辞典」というのは面白いし、役に立つと言いたいだけです。

 とくに文章を書くとき、言葉を選ぶのにいい。

 全体は、0 自然、1 性状、2 変動、3 行動、4 心情、5 人物、6 性向、7 社会、8 学芸、9 物品、に分かれている。

 そのそれぞれが、また10項目に分かれていて、そのそれぞれが10項目に分かれる。つまり1つが100項目に分かれる。

 「34 陳述」というなかの「議論」を引くと、「論じる」に始まって。「論戦」「討論」「物議」「揉む」など似たような言葉、30項目が出ている。

 さらに似たようなことば類、「発言」「談話」「相談」「問答」「説明」「主張」など9っぺージにわたり、似たような言葉が並んでいるので、我々はこの言葉の森の中から、気にいった言葉を選べばいいわけだ。

 ボクの説明で、よく分からなかった人は、大きな書店へ行って、実際に手に撮って欲しい。



9月27日(水)の2 民進党を浸食・破壊しようとする右潮流

2017年09月27日 20時11分24秒 | 雨宮日誌
 9月27日(水)の2 民進党を浸食・破壊しようとする右潮流

 共産党と共闘するような民進党内の「容共」潮流を「主要敵視」する安部政権にとって、突然できた小池新党「希望の党」は、第2保守、右潮流まさに「希望の党」だと思う。

 自民党から離れる有権者を保守につなぎとめ、同時に「容共野党」の中心の1つを崩壊させる、まさにWワークだ。

 小池百合子さんが自民党を離れるとき、ここまで熟慮していたら、あんたはすごい、諸葛孔明か、とほめてやる。そんなわけはないか。

 小池さんも、しょせんは支配者の動かす駒にすぎないのか。

 「野党4党は共闘」の左派潮流は、夢と終わるのか。

 「希望の党」と「民進党」が、どうなるか。具体的足跡を確かめたい、と思う。



安倍首相の9月20日の国連演説と9月12日の国連安保理事会決議

2017年09月27日 16時18分31秒 | 過去現在のメモノート

安倍首相の9月20日の国連演説と9月12日の国連安保理事会決議


 情勢を読み説く上で、有効と思われる2つの公式文書を掲載する。

 安倍首相の9月20日の国連演説と9月12日の国連安保理事会決議を引用します。

「平成29年9月20日
第72回国連総会における安倍内閣総理大臣一般討論演説

 議長、御列席の皆様、本日私はまず、SDGsの実施に懸ける、我々の情熱をお話ししようと思っていました。国内の啓発を図る工夫にも、御紹介したいものがありました。
 いわゆるWe-Fi、女性起業家を、資金で支える計画が、私個人や、日本政府にとって、なぜ重要か。
 ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)のことを、私は、日本ブランドにすると言っています。本年12月、我々は東京で、UHCを主題に、大きな会議を開きます。
 語るべきことの、リストは長い。
 法の支配に対する、我々の貢献。パリ協定に忠実たろうとする、我々の決意。世界のインフラ需要に対し、質の高い投資をもって臨む、我々の政策。
 また、日本が、どこまでも守りたいものとは、フリーで、リベラルで、オープンな国際秩序、多国間の枠組みであります。
 正にそれらを守る旗手・国連に寄せる世界の期待は、いよいよ高い。ならばこそ、安保理を、時代の要請に応じ、いち早く、変革すべきなのです。変革のため、日本は、友人たちと努めます。安保理常任理事国として、世界平和に積極的役割を果たすのが、日本の変わらぬ決意だと、私は、主張するつもりでありました。
 けれども私は、私の討論をただ一点、北朝鮮に関して集中せざるを得ません。

 9月3日、北朝鮮は核実験を強行した。それが、水爆の爆発だったかはともかく、規模は、前例をはるかに上回った。
 前後し、8月29日、次いで北朝鮮を制裁するため安保理が通した決議2375のインクも乾かぬうち9月15日に、北朝鮮はミサイルを発射した。いずれも日本上空を通過させ、航続距離を見せつけるものだった。
 脅威はかつてなく重大です。眼前に、差し迫ったものです。
 我々が営々続けてきた軍縮の努力を、北朝鮮は、一笑に付そうとしている。不拡散体制は、その史上、最も確信的な破壊者によって、深刻な打撃を受けようとしている。
 議長、同僚の皆様、この度の危機は、独裁者の誰彼が大量破壊兵器を手に入れようとする度、我々がくぐってきたものと、質において次元の異なるものです。
 北朝鮮の核兵器は、水爆になったか、なろうとしている。その運搬手段は、早晩、ICBM(大陸間弾道ミサイル)になるだろう。
 冷戦が終わって二十有余年、我々は、この間、どこの独裁者に、ここまで放恣(ほうし)にさせたでしょう。北朝鮮にだけは、我々は、結果として、許してしまった。
 それは我々の、目の前の現実です。
 かつ、これをもたらしたのは、対話の不足では、断じてありません。

 対話が北朝鮮に、核を断念させた、対話は危機から世界を救ったと、我々の多くが安堵(あんど)したことがあります。一度ならず、二度までも。
 最初は、1990年代の前半です。
 当時、北朝鮮がなした恫喝(どうかつ)は、IAEA(国際原子力機関)など、査察体制からの脱却を、ちらつかせるものにすぎませんでした。
 しかし、その意図の、那辺を察した我々には、緊張が走った。
 幾つか曲折を経て、1994年10月、米朝に、いわゆる枠組み合意が成立します。
 核計画を、北朝鮮に断念させる。その代わり我々は、北朝鮮に、インセンティブを与えることにした。
 日米韓は、そのため、翌年の3月、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)をこしらえる。これを実施主体として、北朝鮮に、軽水炉を2基、つくって渡し、また、エネルギー需要のつなぎとして、年間50万トンの重油を与える約束をしたのです。
 これは順次、実行されました。ところが、時を経るうち、北朝鮮はウラン濃縮を次々と続けていたことが分かります。
 核を棄(す)てる意思など、元々北朝鮮にはなかった。それが、誰の目にも明らかになりました。発足7年後の2002年以降、KEDOは活動を停止します。
 北朝鮮はその間、米国、韓国、日本から、支援を詐取したと言っていいでしょう。
 インセンティブを与え、北朝鮮の行動を変えるという、KEDOの枠組みに価値を認めた国は、徐々に、KEDOへ加わりました。
 欧州連合、ニュージーランド、豪州、カナダ、インドネシア、チリ、アルゼンチン、ポーランド、チェコそしてウズベキスタン。
 北朝鮮は、それらメンバー全ての、善意を裏切ったのです。
 創設国の一員として、日本はKEDOに無利息資金の貸与を約束し、その約40パーセントを実施しました。約束額は10億ドル。実行したのは、約4億ドルです。

 KEDOが活動を止め、北朝鮮が、核関連施設の凍結をやめると言い、IAEA査察官を追放するに及んだ、2002年、2度目の危機が生じた。
 懸案はまたしても、北朝鮮がウラン濃縮を続けていたこと。そして我々は、再び、対話による事態打開の途(みち)を選びます。
 KEDO創設メンバーだった日米韓3国に、北朝鮮と、中国、ロシアを加えた、六者会合が始まります。2003年、8月でした。
 その後、2年、曲折の後、2005年の夏から秋にかけ、六者は一度合意に達し、声明を出すに至ります。
 北朝鮮は、全ての核兵器、既存の核計画を放棄することと、NPT(核兵器の不拡散に関する条約)と、IAEAの保障措置に復帰することを約束した。
 その更に2年後、2007年の2月、共同声明の実施に向け、六者がそれぞれ何をすべきかに関し、合意がまとまります。
 北朝鮮に入ったIAEAの査察団は、寧辺(ヨンビョン)にあった、核関連施設の閉鎖を確認、その見返りとして、北朝鮮は、重油を受け取るに至るのです。
 一連の過程は、今度こそ、粘り強く対話を続けたことが、北朝鮮に行動を改めさせた、そう思わせました。
 実際は、どうだったか。
 六者会合の傍ら、北朝鮮は2005年2月、我々は、既に核保有国だと、一方的に宣言した。
 さらに2006年の10月、第1回の核実験を、公然、実施した。
 2度目の核実験は、2009年。結局北朝鮮は、この年、再び絶対に参加しないと述べた上、六者会合からの脱退を表明します。
 しかもこの頃には、弾道ミサイルの発射を、繰り返し行うようになっていた。

 議長、同僚の皆様、国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は枠組み合意、次には六者会合によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けたのであります。
 しかし我々が思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は、核、ミサイルの開発を、諦めるつもりなど、まるで、持ち合わせていなかったということであります。
 対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。
 何よりそれを、次の事実が証明します。
 すなわち1994年、北朝鮮に核兵器はなく、弾道ミサイルの技術も、成熟に程遠かった。それが今、水爆と、ICBMを手に入れようとしているのです。
 対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。
 何の成算あって、我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。
 北朝鮮に、全ての核、弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で、放棄させなくてはなりません。
 そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。

 議長、同僚の皆様、横田めぐみという、13歳の少女が、北朝鮮に拉致されて、本年11月15日、ついに40年を迎えます。
 めぐみさん始め、多くの日本人が、いまだに北朝鮮に、拉致されたままです。
 彼らが、一日も早く祖国の土を踏み、父や母、家族と抱き合うことができる日が来るよう、全力を尽くしてまいります。
 北朝鮮の核、ミサイルの脅威に対し、日本は日米同盟によって、また、日米韓3国の結束によって、立ち向かいます。
 全ての選択肢はテーブルの上にあるとする米国の立場を、一貫して支持します。
 その上で私は、北朝鮮に対し厳しい制裁を課す安保理決議第2375号が、9月11日、安保理の全会一致で採択されたのを、多とするものです。
 それは、北朝鮮に対する圧力を一層強めることによって、北朝鮮に対し、路線の根本変更を迫る我々の意思を、明確にしたものでした。
 しかし、あえて訴えます。
 北朝鮮は既に、ミサイルを発射して、決議を無視してみせました。
 決議は飽くまで、始まりにすぎません。
 核、ミサイルの開発に必要な、モノ、カネ、ヒト、技術が、北朝鮮に向かうのを阻む。
 北朝鮮に、累次の決議を、完全に、履行させる。
 全ての加盟国による、一連の安保理決議の、厳格かつ全面的な履行を確保する。
 必要なのは、行動です。北朝鮮による挑発を止めることができるかどうかは、国際社会の連帯にかかっている。
 残された時間は、多くありません。

 議長、御列席の皆様、北朝鮮はアジア・太平洋の成長圏に隣接し、立地条件に恵まれています。勤勉な労働力があり、地下には資源がある。
 それらを活用するなら、北朝鮮には経済を飛躍的に伸ばし、民生を改善する途があり得る。
 そこにこそ、北朝鮮の明るい未来はあるのです。
 拉致、核、ミサイル問題の解決なしに、人類全体の脅威となることで、拓ける未来など、あろうはずがありません。
 北朝鮮の政策を、変えさせる。そのために私たちは、結束を固めなければなりません。ありがとうございました。」

 引用終わり

 一番、重要な部分を引用します

 「一連の過程は、今度こそ、粘り強く対話を続けたことが、北朝鮮に行動を改めさせた、そう思わせました。
 実際は、どうだったか。
 六者会合の傍ら、北朝鮮は2005年2月、我々は、既に核保有国だと、一方的に宣言した。
 さらに2006年の10月、第1回の核実験を、公然、実施した。
 2度目の核実験は、2009年。結局北朝鮮は、この年、再び絶対に参加しないと述べた上、六者会合からの脱退を表明します。
 しかもこの頃には、弾道ミサイルの発射を、繰り返し行うようになっていた。
 議長、同僚の皆様、国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は枠組み合意、次には六者会合によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けたのであります。
 しかし我々が思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は、核、ミサイルの開発を、諦めるつもりなど、まるで、持ち合わせていなかったということであります。
 対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。
 何よりそれを、次の事実が証明します。
 すなわち1994年、北朝鮮に核兵器はなく、弾道ミサイルの技術も、成熟に程遠かった。それが今、水爆と、ICBMを手に入れようとしているのです。
 対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。
 何の成算あって、我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。
 北朝鮮に、全ての核、弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で、放棄させなくてはなりません。
 そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」

 と、安倍首相は言ってます。それに対して「国連安保理事会決議」の全文は以下の通りです。これは外務省のサイトに全文が載せられています。

 さあ、「国連安保理事会決議」は安部首相の言うように言っているでしょうか。

 以下、安保理事会決議

 「国際連合安全保障理事会決議第2375号 和訳
(外務省告示第333号(平成29年9月22日発行))

安全保障理事会は、決議第825号(1993年)、第1695号(2006年)、第1718号(2006年)、第1874号(2009年)、第1887号(2009年)、第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、第2270号(2016年)、第2321号(2016年)、第2356号(2017年)及び第2371号(2017年)を含むこれまでの関連する決議並びに2006年10月6日の議長声明(S/PRST/2006/41)、2009年4月13日の議長声明(S/PRST/2009/7)、
2012年4月16日の議長声明(S/PRST/2012/13)及び2017年
8月29日の議長声明(S/PRST/2017/16)を想起し、
核、化学及び生物兵器並びにその運搬手段の拡散が、国際の平和及び安全に対する
脅威を構成することを再確認し、

2017年9月2日に北朝鮮により決議第1718号(2006年)、第1874
号(2009年)、第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、第2
270号(2016年)、第2321号(2016年)、第2356号(2017年)
及び第2371号(2017年)に違反して実施された核実験、このような実験によ
る核兵器の不拡散に関する条約(NPT)及び核兵器の不拡散に関する世界的な制度
を強化するための国際的な努力に対する挑戦、並びに、それらが地域内外の平和及び
安定にもたらす危険に対し、最も重大な懸念を表明し、
北朝鮮が、国際社会が有するその他の安全保障上及び人道上の懸念に対応すること
が重要であることを再度強調するとともに、北朝鮮が、需要が大きく満たされていな
い北朝鮮にいる人々から決定的に必要な資源を流用して、核兵器及び弾道ミサイル開
発を継続していることに強い懸念を表明し、
北朝鮮の実施中の核及び弾道ミサイル関連活動が地域内外を不安定化させている
ことに最も深刻な懸念を表明するとともに、国際の平和及び安全に対する明白な脅威
が引き続き存在することを認定し、
朝鮮半島情勢が、地域安全保障への危険で大規模な影響を与え得ることへの懸念を
強調し、
憲章に従い、全ての国の主権、領土保全及び政治的独立への約束を強調するととも
に、国際連合憲章の目的及び原則を想起し、
事態の平和的かつ外交的な解決に対する要望を更に表明するとともに、対話を通じ
た平和的かつ包括的な解決を容易にする理事国及びその他の加盟国の努力に対する
歓迎を改めて表明し、
国際の平和及び安全の確保及び北東アジア全体の持続的な安定の確保並びに平和
的、外交的かつ政治的な手段を通じた事態の解決の必要性を強調し、
国際連合憲章第7章の下で行動し、同憲章第41条に基づく措置をとって、

1.北朝鮮が、安全保障理事会の決議に違反し、甚だしく無視して、2017年9月2日に核実験を実施したことを最も強い表現で非難する。

2.北朝鮮が、弾道ミサイル技術を使用したいかなる発射、核実験又はその他のいかな
る挑発もこれ以上実施せず、弾道ミサイル計画に関連する全ての活動を直ちに停止し、
またこの文脈において、全てのミサイル発射モラトリアムに係る既存の約束を再確認
し、全ての核兵器及び既存の核計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法
で直ちに放棄し、全ての関連する活動を直ちに停止するとともに、その他のいかなる
既存の大量破壊兵器及び弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的
な方法で放棄するとの決定を再確認する。

3.決議第1718号(2006年)8(d)の規定に定める措置は、この決議の附属
書Ⅰ及びⅡに記載される個人及び団体、それらの代理として又はそれらの指示により
行動するいかなる個人又は団体並びにそれらにより所有され又は管理される団体(不
正な手段を通じたものを含む。)にも適用されることを決定するとともに、さらに、
決議第1718号(2006年)8(e)の規定に定める措置は、この決議の附属書
Ⅰに記載される個人及びそれらの代理として又はそれらの指示により行動する個人
にも適用されることを決定する。

4.追加的な大量破壊兵器に関連する汎用品、資材、機材、物品及び技術の指定を通じ、
決議第1718号(2006年)8の規定により課された措置を調整することを決定
し、委員会に対し、このためにその任務を遂行し、この決議の採択から15日以内に
安全保障理事会に報告するよう指示し、さらに、委員会が行動しなかった場合には、
安全保障理事会がその報告の受領から7日以内に措置の調整のための行動を完了す
ることを決定するとともに、委員会に対し、このリストを12か月毎に定期的に更新
するよう指示する。

5.追加的な通常兵器に関連する品目、資材、機材、物品及び技術の指定を通じ、決議
第1718号(2006年)8(a)、8(b)及び8(c)の規定により課された
措置を調整することを決定し、委員会に対し、このためにその任務を遂行するととも
に、この決議の採択から15日以内に安全保障理事会に報告するよう指示し、さらに、
委員会が行動しなかった場合には、安全保障理事会がその報告の受領から7日以内に
措置の調整のための行動を完了することを決定するとともに、委員会に対し、このリ
ストを12か月毎に定期的に更新するよう指示する。

6.決議第2371号(2017年)6の規定により課された措置を、北朝鮮から禁止
された品目を輸送している船舶に適用することを決定し、委員会に対し、これらの船
舶を指定し、この決議の採択から15日以内に安全保障理事会に報告するよう指示し、
さらに、委員会が行動しなかった場合には、安全保障理事会がその報告の受領から7
日以内に措置の調整のための行動を完了することを決定するとともに、委員会に対し、
追加の違反が通知された時に、このリストを定期的に更新するよう指示する。

7.全ての加盟国に対し、当該船舶の貨物が決議第1718号(2006年)、第18
74号(2009年)、第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、
第2270号(2016年)、第2321号(2016年)、第2356号(201
7年)、第2371号(2017年)又はこの決議により供給、販売、移転又は輸出
が禁止されている品目を含むと信じる合理的根拠があることを示す情報を有する場
合には、これらの規定の厳格な履行を確保する目的で、旗国の同意を得て公海上で
船舶を検査することを要請する。

8.全ての国に対し、上記7の規定に基づく検査に協力することを要請し、また、旗国
が公海上の検査に同意しない場合には、当該旗国は、船舶が決議第2270号(2
016年)18の規定に基づく現地の当局による必要な検査のために適当かつ都合
のよい港に航行するよう指示することを決定するとともに、さらに、旗国が公海上
の検査に同意せず、必要な検査のために適当かつ都合のよい港に航行するよう指示
もしない場合、又は当該船舶が、公海上の検査を許可するように又はそのような港
に航行するようにとの旗国の指示に従うことを拒否する場合には、委員会は当該船
舶を決議第1718号(2006年)8(d)及び決議第2321号(2016年)
12の規定により課される措置のために指定することを検討し、当該旗国は、委員
会によりそのように指定された場合には、直ちに当該船舶の登録を解除することを
決定する。

9.いかなる加盟国も、上記8の規定に基づく船舶の旗国の協力が得られない場合は、
当該事案、当該船舶及び当該旗国に係る関連する詳細が含まれる報告を委員会に対
して速やかに提出することを要求するとともに、委員会に対し、これらの関与した
船舶及び旗国に関する情報を定期的に公表することを要請する。

10.7の規定は、軍艦並びに政府の用に供されていること及びそのための権限を与え
られていることが明確に表示されかつ識別可能なその他の船舶又は航空機によって
行われる検査のみを想定していることを確認するとともに、それは国際法に基づく
主権免除を享受する船舶への検査には適用されないことを強調する。

11.全ての加盟国が、自国民、自国の管轄権に服する者、自国の領域内で設立された
又は自国の管轄権に服する団体、及び自国の旗を掲げる船舶が、北朝鮮籍船舶に対
して又は北朝鮮籍船舶からの、北朝鮮に対して又は北朝鮮から供給、販売又は移転
されるいかなる物品又は品目の、船舶間の移転を容易にする又は関与することを禁
止することを決定する。

12.7、8及び9の規定は北朝鮮における事態に関してのみ適用され、その他のいか
なる事態に関しても、1982年12月10日の国連海洋法条約に基づくいかなる
権利又は義務を含め、国際法に基づく加盟国の権利、義務又は責任に影響を及ぼす
ものではないことを確認するとともに、この決議は、国際慣習法を確立するとはみ
なさないことを特に強調する。

13.全ての加盟国が、自国の領域を通じて若しくは自国の国民による、又は自国の旗
を掲げる船舶若しくは航空機を用いて北朝鮮への全てのコンデンセート及び天然ガ
ス液(自国の領域を原産地とするものであるか否かを問わない)の直接又は間接の
供給、販売又は移転を禁止することを決定するとともに、北朝鮮がこれらの物資を
調達しないことを決定する。

14.全ての加盟国が、自国の領域を通じて若しくは自国の国民による、又は自国の旗
を掲げる船舶若しくは航空機を用いて北朝鮮への全ての石油精製品(自国の領域を
原産地とするものであるか否かを問わない)の直接又は間接の供給、販売又は移転
を禁止することを決定するとともに、北朝鮮がこれらの物資を調達しないことを決
定し、この規定は、
 (a)当該加盟国が30日毎に、北朝鮮への石油精製品のそのよ
うな供給、販売又は移転の量を、全ての取引関係者の情報と併せ、委員会に通報し、
 (b)当該石油精製品の供給、販売又は移転に、北朝鮮の核若しくは弾道ミサイル
計画又は決議第1718号(2006年)、第1874号(2009年)、第208
7号(2013年)、第2094号(2013年)、第2270号(2016年)、第
2321号(2016年)、第2356号(2017年)、第2371号(2017
年)若しくはこの決議により禁止されているその他の活動に関連している個人又は
団体(指定された個人若しくは団体、又はそれらの代理として若しくはそれらの指
示により行動する個人若しくは団体、又はそれらにより直接的若しくは間接的に所
有され若しくは管理される団体、又は制裁回避を支援する個人若しくは団体を含む。)
が関与しておらず、かつ
 (c)当該石油精製品の供給、販売又は移転が専ら北朝鮮国民の生計目的のためであり、また、北朝鮮の核若しくは弾道ミサイル計画又は決議第1718号(2006年)、第1874号(2009年)、第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、第2270号(2016年)、第2321号(2016年)、第2356号(2017年)、第2371号(2017年)若しくはこの決議により禁止されているその他の活動のための収入を生み出すことに無関係である場合、2017年10月1日から2017年12月31日までの当初3か月間50万バレルまで、並びに2018年1月1日から12か月間及びその後毎年、年間200万バレルまでの石油精製品(自国の領域を原産地とするものであるか否かを問わない)の、自国の領域を通じて若しくは自国の国民による、又は自国の旗を掲げる船舶若しくは航空機を用いて、北朝鮮による調達又は北朝鮮への直接若しく
は間接の供給、販売若しくは移転には適用されないことを決定し、委員会書記長に対し、北朝鮮に対して販売、供給又は移転された石油精製品の総量が、2017年10月1日から2017年12月31日までの総量の75パーセントに達したときに全ての加盟国に通知するとともに、そのような総量の90パーセント及び95パーセントに達したときに、再度全ての加盟国に通知するよう指示し、委員会書記長に対し、2018年1月1日以降、北朝鮮に対して販売、供給又は移転された石油精製品の総量が、年間総計の75パーセントに達したときに、全ての加盟国に通知することを指示し、また、委員会書記長に対し、2018年1月1日以降、北朝鮮に対する石油精製品の販売、供給又は移転の総量が、年間総計の90パーセントに達したときに全ての加盟国に通知するよう指示し、さらに、委員会書記長に対し、北朝鮮に対して販売、供給又は移転された石油精製品の総量が、2018年1月1日以降、年間総計の95パーセントに達したときに全ての加盟国に通知するとともに、全加盟国に対してその年の残りの期間、北朝鮮に対する石油精製品の販売、供
給又は移転を直ちに停止しなければならないことを通知するよう指示し、委員会に
対し、北朝鮮に対する石油精製品の販売、供給又は移転の月毎及び原産国毎の合計
をそのウェブサイトにおいて公に入手可能とすることを指示し、委員会に対し、加
盟国から通知を受け次第この情報を即時に更新することを指示し、全ての加盟国に
対し、この規定で設定した石油精製品の年間上限を遵守するため、このウェブサイ
トを定期的に閲覧するよう要請し、専門家パネルに対し、支援の提供及び完全かつ
世界的な遵守の確保のための、全ての加盟国の履行努力を厳密に監視することを指
示するとともに、事務総長に対し、このために必要な措置をとるとともに、この点
に関し追加的な資源を提供するよう要請する。

15.全ての加盟国が、原油の輸送が専ら北朝鮮国民の生計目的のためであり、また、
北朝鮮の核若しくは弾道ミサイル計画又は決議第1718号(2006年)、第18
74号(2009年)、第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、
第2270号(2016年)、第2321号(2016年)、第2356号(201
7年)、第2371号(2017年)若しくはこの決議により禁止されているその他
の活動と無関係であると委員会が事前に個別の案件に応じて承認する場合を除き、
この決議の採択の日からいかなる12か月間においても、この決議の採択前12か
月間に当該加盟国が供給、販売又は移転した量を超えて、北朝鮮に対し、原油を供
給、販売又は移転しないことを決定する。

16.北朝鮮が、その領域からの、又はその国民による、又はその旗を掲げる船舶若し
くは航空機を用いて、繊維製品(生地及び部分的に又は完全に完成された衣類を含
むがこれらに限られない。)の直接又は間接の供給、販売又は移転を行わないこと、
並びに、全ての国が、個別の案件に応じて委員会が事前に承認する場合を除き、自
国民による、又は自国の旗を掲げる船舶若しくは航空機を用いて、北朝鮮からのこ
れらの品目(北朝鮮の領域を原産地とするものであるか否かを問わない。)の調達を
禁じることを決定するとともに、さらに、全ての国が、この決議の採択よりも前に
書面契約が確定された繊維製品(生地及び部分的に又は完全に完成された衣類を含
むがこれらに限られない。)のこのような販売、供給及び移転のために、この決議の
採択の日から135日以内に委員会に対して提供されるこれらの輸入品の詳細を含
む通知をもって、この決議の採択の日から90日までの間はこれらの船荷の自国の
領域への輸入を認めることができることを決定する。

17.全ての加盟国が、自国の管轄権内の北朝鮮国民の雇用が人道支援の輸送、非核化
又は決議第1718号(2006年)、第1874号(2009年)、第2087号
(2013年)、第2094号(2013年)、第2270号(2016年)、第23
21号(2016年)、第2356号(2017年)、第2371号(2017年)
若しくはこの決議の目的に適合するその他の目的のために必要とされることを委員
会が事前に個別の案件に応じて決定する場合を除き、自国の領域への許可に関連し
て、自国の管轄権内において北朝鮮国民への労働許可を提供しないことを決定する
とともに、この規定は、この決議の採択前に書面契約が確定している労働許可には
適用しないことを決定する。

18.各国が、委員会が事前に個別の案件に応じて合弁企業又は共同事業体を(特に利
益を生み出さない非商業的な公共インフラ事業であるとして)承認する場合を除き、
自国民により又は自国の領域内において、北朝鮮の団体又は個人(北朝鮮政府の代理
としてか代表としてかを問わない。)との間で新規及び既存の全ての合弁企業又は共
同事業体の開設、維持及び運営を禁止することを決定し、さらに各国が、委員会が個
別の案件に応じてそのような合弁企業又は共同事業体を承認しない場合には、このよ
うないかなる既存の合弁企業又は共同事業体をこの決議採択から120日以内に閉
鎖し、及び、各国が、委員会が承認の要請を拒否してから120日以内に、このよう
ないかなる既存の合弁企業又は共同事業体を閉鎖することを決定するとともに、この
規定は既存の中国と北朝鮮との間の水力発電インフラ事業及び決議第2371号(2
017年)8の規定で許可されたロシア原産の石炭を輸出することのみを目的とした
ロシアと北朝鮮の間の羅津・ハサン港及び鉄道事業には適用しないことを決定する。

19.加盟国が、この決議の採択から90日以内に、またその後委員会の要請があれば、
この決議の規定を効果的に履行するためにとった具体的な措置につき、安全保障理事
会に報告することを決定するとともに、専門家パネルに対し、他の国連制裁モニタリ
ング・グループと協力し、当該報告を適時に準備し提出することについて加盟国を支
援する努力を継続するよう要請する。

20.全ての加盟国が、決議第1718号(2006年)、第1874号(2009年)、
第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、第2270号(2016
年)、第2321号(2016年)、第2356号(2017年)、第2371号(2
017年)及びこの決議が規定する措置を完全に履行するための努力を倍加し、その
履行にあたって、特にこれらの決議により移転が禁じられている品目の検査、探知及
び押収に関し、相互に協力することを要請する。

21.決議第1718号(2006年)12の規定で定められた委員会の任務は、この
決議により課された措置に関しても適用されることを決定し、さらに、決議第187
4号(2009年)26の規定に定められ、決議第2345号(2017年)1の規
定により修正された専門家パネルの任務は、この決議により課された措置に関しても
適用されることを決定する。

22.全ての加盟国が、検査において特定された決議第1718号(2006年)、第
1874号(2009年)、第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、
第2270号(2016年)、第2321号(2016年)、第2356号(2017
年)、第2371号(2017年)及びこの決議により供給、販売、移転又は輸出が
禁止されている品目を、決議第1540号(2004年)を含む関連の安全保障理事
会決議に基づく義務並びにNPT、1997年4月29日の化学兵器の開発、生産、
貯蔵及び使用の禁止並びに廃棄に関する条約及び1972年4月10日の細菌兵器
(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約の締
約国のいかなる義務にも反しない方法で押収及び処分すること(破壊、機能を失わせ
ること若しくは使用することができない状態にすること、保管、又は処分のための当
該品目の原産地若しくは目的地以外の国への移転を通じたものを含む。)を認め、か
つ、全ての加盟国がこれを行うことを決定する。

23.北朝鮮を含む全ての国に対し、この決議又はこれまでの決議により課された措置
によりその履行が妨げられたいかなる契約その他の取引に関連して、北朝鮮、北朝鮮
に所在するいかなる者若しくは団体、決議第1718号(2006年)、第1874
号(2009年)、第2087号(2013年)、第2094号(2013年)、第2
270号(2016年)、第2321号(2016年)、第2356号(2017年)、
第2371号(2017年)若しくはこの決議により定められた措置のために指定さ
れた者若しくは団体、又はそのような者若しくは団体を通じて若しくはこれらの利益
のために請求を行ういかなる者の要求によっても、いかなる請求も受理されないこと
を確保するために必要とされる措置をとることの重要性を強調する。

24.北朝鮮にいる人々が受けている深刻な苦難に対し深い懸念を改めて表明し、北朝
鮮にいる人々の需要が大きく満たされていない中で、北朝鮮が、北朝鮮の人々の福祉
に代えて、核兵器及び弾道ミサイルを追求していることを非難するとともに、北朝鮮
が、北朝鮮にいる人々の福祉及び固有の尊厳を尊重し、確保することの必要性を強調
する。

25.北朝鮮の乏しい資源が核兵器及び多数の高価な弾道ミサイル計画開発に大量に流
用されていることを遺憾とし、栄養失調の危険がある非常に多くの妊娠中の及び授乳
中の女性並びに5歳未満の児童さらには慢性の栄養失調に苦しんでいる総人口の4
分の1近くを含む、北朝鮮にいる半数を大きく上回る人々が食糧及び医療の大きな不
足に苦しんでいるとの国連人道問題調整事務所(OCHA)の調査結果に留意すると
ともに、この文脈において、北朝鮮にいる人々が受けている深刻な苦難に対し深い懸
念を表明する。

26.決議第1718号(2006年)、第1874号(2009年)、第2087号(2
013年)、第2094号(2013年)、第2270号(2016年)、第2321
号(2016年)、第2356号(2017年)、第2371号(2017年)及びこ
の決議により課された措置は、北朝鮮の一般市民に対して人道面の悪影響をもたらす
こと、又は決議第1718号(2006年)、第1874号(2009年)、第208
7号(2013年)、第2094号(2013年)、第2270号(2016年)、第
2321号(2016年)、第2356号(2017年)、第2371号(2017年)
及びこの決議により禁止されていない活動(経済活動及び協力、食糧援助及び人道支
援を含む。)並びに北朝鮮の一般市民の利益のための北朝鮮における支援及び救援を
実施する国際機関及び非政府組織の作業に悪影響をもたらす若しくはそれを制限す
ることを意図するものではないことを再確認し、北朝鮮におけるこれらの機関の作業
又はこれらの決議の目的に適合するその他の目的を容易にするために必要であると
委員会が決定する場合は、委員会が、個別の案件に応じて、これらの決議により課さ
れる措置からいかなる活動も除外することができることを決定する。

27.全ての加盟国が、北朝鮮における外交使節団の外交関係に関するウィーン条約に
基づく活動を妨げることなく、決議第1718号(2006年)8(a)(iii)及
び8(d)の規定に従うべきことを強調する。

28.六者会合への支持を再確認し、その再開を要請するとともに、中国、北朝鮮、日
本、大韓民国、ロシア連邦及びアメリカ合衆国によって2005年9月19日に採択
された共同声明に定める約束(六者会合の目標は平和的な方法による朝鮮半島の検証
可能な非核化であること、アメリカ合衆国及び北朝鮮は相互の主権を尊重し、平和裡
に共存することを約束したこと、六者は経済協力を推進することを約束したことを含
む。)並びにその他の全ての関連する約束への支持を改めて表明する。

29.朝鮮半島及び北東アジア全体における平和と安定の維持が重要であることを改め
て表明し、事態の平和的、外交的かつ政治的解決の約束を表明し、対話を通じた平和
的かつ包括的な解決を容易にするための理事国及びその他の国による努力を歓迎す
るとともに、朝鮮半島内外の緊張を緩和するための取組の重要性を強調する。

30.包括的な解決のための見通しを進展させるため、緊張を緩和する更なる作業を要
請する。

31.平和的な方法による朝鮮半島の完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な非核化の
目標の達成が必要不可欠であることを強調する。

32.北朝鮮の行動を絶えず検討すること、また、北朝鮮による遵守の状況に鑑み、必
要に応じ、これらの措置を強化、調整、停止又は解除する用意があることを確認する
とともに、この関連で、北朝鮮による更なる核実験又は発射の場合には更なる重要な
措置をとる決意を表明する。

33.この問題に引き続き関与することを決定する。」

 全体を分析的に読む能力など、ボクにはないが注目すべき項目をあげておく。

 24,25、そして、28,29,30,31である。

 「24.北朝鮮にいる人々が受けている深刻な苦難に対し深い懸念を改めて表明し、北朝鮮にいる人々の需要が大きく満たされていない中で、北朝鮮が、北朝鮮の人々の福祉に代えて、核兵器及び弾道ミサイルを追求していることを非難するとともに、北朝鮮が、北朝鮮にいる人々の福祉及び固有の尊厳を尊重し、確保することの必要性を強調する。

25.北朝鮮の乏しい資源が核兵器及び多数の高価な弾道ミサイル計画開発に大量に流用されていることを遺憾とし、栄養失調の危険がある非常に多くの妊娠中の及び授乳中の女性並びに5歳未満の児童さらには慢性の栄養失調に苦しんでいる総人口の4分の1近くを含む、北朝鮮にいる半数を大きく上回る人々が食糧及び医療の大きな不足に苦しんでいるとの国連人道問題調整事務所(OCHA)の調査結果に留意するとともに、この文脈において、北朝鮮にいる人々が受けている深刻な苦難に対し深い懸念を表明する。」

 「28.六者会合への支持を再確認し、その再開を要請するとともに、中国、北朝鮮、日本、大韓民国、ロシア連邦及びアメリカ合衆国によって2005年9月19日に採択
された共同声明に定める約束(六者会合の目標は平和的な方法による朝鮮半島の検証
可能な非核化であること、アメリカ合衆国及び北朝鮮は相互の主権を尊重し、平和裡
に共存することを約束したこと、六者は経済協力を推進することを約束したことを含
む。)並びにその他の全ての関連する約束への支持を改めて表明する。

29.朝鮮半島及び北東アジア全体における平和と安定の維持が重要であることを改め
て表明し、事態の平和的、外交的かつ政治的解決の約束を表明し、対話を通じた平和
的かつ包括的な解決を容易にするための理事国及びその他の国による努力を歓迎す
るとともに、朝鮮半島内外の緊張を緩和するための取組の重要性を強調する。

30.包括的な解決のための見通しを進展させるため、緊張を緩和する更なる作業を要
請する。

31.平和的な方法による朝鮮半島の完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な非核化の
目標の達成が必要不可欠であることを強調する。」

 つまり、安倍首相は6カ国協議など過去の協定を否定してるのに対して、安保理決議は肯定している。

 安倍首相は対話を否定しているのに対して、安保理決議は肯定している。

 ボクはそう思うが。

 なお、外務大臣談話を掲げておく。

「北朝鮮による核実験等に関する国連安全保障理事会決議の採択について(外務大臣談話) 平成29年9月12日

1 9月12日(ニューヨーク時間11日午後),国連安全保障理事会が,北朝鮮が9月3日に6回目となる核実験を強行したこと等を受け,北朝鮮に対して格段に厳しい制裁措置を課す強力な国連安保理決議第2375号(英文(PDF)別ウィンドウで開く/和訳(PDF)別ウィンドウで開く)を全会一致で迅速に採択したことを高く評価します。

2 北朝鮮は,累次にわたる国際社会の強い抗議と非難を無視して,我が国を飛び越える弾道ミサイルの発射を強行し,さらに過去の核実験に比べはるかに大きく,水爆実験である可能性も否定できない6回目の核実験を強行しました。これは,国際的な不拡散体制に対する深刻な挑戦であり,累次の関連する安保理決議に明白に違反するとともに,日朝平壌宣言や六者会合共同声明にも真っ向から反するものです。唯一の戦争被爆国である我が国として,断じて容認できません。

3 また,今回の核実験及び累次の弾道ミサイル発射を始めとする北朝鮮の挑発行動は,国際社会に対する正面からの挑戦であるとともに,我が国を含む地域の平和と安全に対する,これまでにない重大かつ差し迫った脅威です。我が国は安保理理事国として,こうした北朝鮮の脅威の深刻さに見合った,かつてない強力な安保理決議の採択に向けて,米国,韓国のみならず中国,ロシアを含む国際社会とあらゆるレベルで緊密に連携してきました。今般の安保理決議の採択は,国際社会全体として北朝鮮に対する圧力を強化しなければならないとの考えで一致したことによるものとして歓迎します。

4 安保理決議第2375号は,北朝鮮への石油分野における供給規制,北朝鮮からの繊維製品の輸入禁止,加盟国による北朝鮮籍の海外労働者に対する労働許可の発給禁止などの強力な措置を含むものであり,北朝鮮に対する圧力を従来にない新たな段階に引き上げるものです。我が国としては,米国を始めとした関係国とも緊密に連携しながら,全ての国連加盟国に対し,新たな安保理決議を含む関連安保理決議の厳格かつ全面的な履行を働きかけていく考えです。我が国は北朝鮮に対し,国際社会の声を,厳粛に受け止め,更なる核実験や弾道ミサイル発射等の挑発行動を自制するとともに,今般採択された安保理決議第2375号を始め,一連の安保理決議を遵守するよう改めて強く求めます。

5 我が国としては,引き続き,「対話と圧力」,「行動対行動」との原則の下,核,ミサイル,拉致といった諸懸案の包括的解決に向けて,米国,韓国を始めとする国際社会と緊密に連携し,積極的に取り組んでいく考えです。拉致問題については,北朝鮮に対してストックホルム合意の履行を求めつつ,一日も早い全ての拉致被害者の帰国を実現すべく,引き続きあらゆる努力を傾注していく所存です。」

 以上。原文ばっか多かった。ごめんなさい。




 雨宮日記 9月27日(水) 則子元氣で・・

2017年09月27日 10時14分43秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 9月27日(水) 則子元氣で・・

 天気はくもり気味。シャツも長袖を着始める。

 則子さんは、いま午前10時過ぎにバイクでおでかけ。女房元氣で留守が良い・・・・と誰かが昔言ったそうだが、それからすれば、「則子元氣で留守が良い」。

 午前中は絵手紙、午後は俳句だ。則子がうれしいと、ボクもうれしい。基本的には別人28号なんだけど、まったく別人ではない、ということかな。

 そこがボクたち夫婦の面白いとこ。

 まったく別なら、ボクたち夫婦のあり方ではない。でも、すべての夫婦に、このあり方を求めても無理だということも確かなので。



『落葉松』 ㉗

2017年09月26日 19時15分27秒 | 雨宮家の歴史

『落葉松』 ㉗
 

初出一覧

 『落葉松 ー私の自分史ー』いずみ印刷、平成一五年(2003年)三月、77p
 『落葉松 ー私の自分史・戦後編ー』いずみ印刷、平成一六年(2004年)四月、61p
 「引馬野の歴史的、地理的考察」平成四年(1992年)「市民文芸37号」p78~86、
 「和田稔著『わだつみのこえ消えることなく』平成六年(1994年)、静岡新聞社「文庫による読書感想文コンクール
 「戦後文学は古典となるか」平成一九年(2007年)「市民文芸52号」p115~125
 「雪腸と子規 ー浜松詩歌事始 上編ー」平成二一年(2009年)「市民文芸54号」p147~155
 「左千夫・茂吉と城西 ー浜松詩歌事始 中中編ー」平成二二年(2010年)「市民文芸55号」p177~184
 「大正歌人群  ー浜松詩歌事始 後編ー」平成二三年(2011年)「市民文芸5  6号」p141~148 



 編集後記

 父が今年三月三日で九十才を迎えました。九十才の記念に、これまで父が書きためた自分史と文芸評論を一冊の本にしようと企画しました。子供たち夫婦三組(兄夫妻、私たち、妹夫妻)で財政を分担して、次男の私が編集しました。
 なんとか一冊の本としてできあがりましたが、明治から平成に至る日本の近代史~現代史の中の父や中谷家の歴史、また浜松の短歌などの近代文芸史としても、まとまった叙述になったと思います。

 皆さんが、この本を読んだ感想などいただければ幸いです。
  
          雨宮智彦(次男)


落葉松 ー自伝と文芸評論ー
 
発行 2013年5月1日 第1版第1刷

非売品




 < 本編は、これで完結できました。付属の表は、掲載できたら掲載します。あと、祖父・福男についての当面の追加原稿を、すこし載せる予定です。 >



雨宮智彦の古代ブログ 5 古代の文献 1 『静岡県史 通史編1 原始・古代』静岡県

2017年09月25日 16時09分12秒 | 遠州古代史

雨宮智彦の古代ブログ 5 古代の文献 1 『静岡県史 通史編1 原始・古代』静岡県、1994年、A5版、1229ページ,

 索引(巻末14ページ)、「古代郷里比定地一覧」(p1138~1175)「式内社考証集覧」(p1176~1194)付き

 「本と映像の森」「新・本と映像の森」から古代関係を分離して、ここに「古代の文献」として掲載していくことする。

 これは、静岡県に住んでいる古代史ファンとしては欠かせない1冊。といっても分厚いので読むのは大変だけど。

 『静岡県史 通史編』の第1冊。

 以下、目次を掲げる。

  序章  静岡県の風土と歴史
  第1編 静岡のあけぼの
   第1章 赤土に埋もれた始原文化
   第2章 自然とともに生きる
   第3章 稲作の成立と発展
   第4章 古墳を築く
   第5章 古代国家への歩み
  第2編 古代の静岡
   第1章 大和王権と遠江・駿河・伊豆の古代氏族
   第2章 遠江・駿河・伊豆三国の成立
   第3章 国造制の成立と国・郡の財政
   第4章 律令制下の社会と交通
   第5章 古代文化の開化
  第3編 平安時代の静岡
第1章 国司支配の展開と治安対策
   第2章 荘園制の形成と交通の発達
   第3章 産業の発達と流通
   第4章 文化の成熟と文芸の世界
   第5章 国司の土着と武士団の形成

 まあ、この1200ページを読むことです。ボクも、実はまだ読み切っていない。でも、大事な重要文献であることは、わかる。

 たとえば「山梨県」の「山梨鄕」のルーツのひとつに、ここ静岡県袋井地方の山梨、あるいは月見里(やまなし)の里がある。(p360~361)

 「山名」もその変形である。

 この「山梨」が物部氏と深い関連のあるのは著名である。(p353~366)

 あるいは久米氏と遠江地方との関わり。(p348~352)



『落葉松』「文芸評論」 ㉖ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 5」

2017年09月24日 07時20分42秒 | 雨宮家の歴史
『落葉松』「文芸評論」 ㉖ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 5」


 『昭和万葉集』(全二十巻)が昭和五十四年から五十五年にかけて刊行された。これに当地腫瘍歌人が記載されている。数字は巻数で、6☆7を境に戦前☆戦後に分かれる。

 細田西郊  1☆       アララギ
 細田仲次  3☆       アララギ
 白井善司  145☆1415 国民文学派
 赤井哲太郎 1346☆14  国民文学派
 柳本城西  2☆789 アララギ、犬蓼
 御津磯夫  35☆15   三河アララギ
 鈴木喜之輔 34☆      アララギ
 中谷福男  6☆       アララギ
 紙谷庭太郎 45☆15 アララギ
 松原旭(注④)6☆1220 水がめ
 加山俊   ☆910 アララギ
 前田道夫  ☆1314171920 アララギ
 山田震太郎 ☆1619 「翔る」主宰

 「アララギには廃刊など申す事実は到底あり得べからざる事に候。若し寸毫にてもアララギを疑はむものは正に無間地獄に随すべし」この言は『アララギ』第三巻第二号(明治四十三年)の茂吉の「編集消息抄」である。その強気の茂吉も遅刊、休刊が続き経営的にも苦しんで、明治四十五年『アララギ』子規没後十周年記念号を以て廃刊するつもりだった。が意外にも左千夫も無条件で賛成したので拍子抜けして、赤彦に知らせたところ、不賛成で全力を挙げて応援するから踏み止まれと言われ、『アララギ』の廃刊は思いとどまった。(二十五周年記念号による)。

 左千夫の死後、赤彦が編集に携わり部数も倍増し、最盛期には一万部にも達した。赤彦死後、一時茂吉が再び継いだが昭和五年文明に移ると共に、戦中・戦後の復興を成し遂げた。平成二年百才を以て文明の死と共に求心力を失った『アララギ』は平成九年、九十年の幕を閉じた。

牛飼いが歌よむ時に世の中の
    新しいき歌大いにおこる
 (明治三十三年 左千夫)

みずうみの氷は解けてなお寒し
三日月の影波にうつろう
  (大正十三年 赤彦)

最上川逆白波のたつまでに
ふぶくゆうべとなりにけるかも
 (昭和二十一年 茂吉)

小工場に酸素溶接のひらめき立ち
砂町四十町夜ならむとす
 (昭和八年 文明)

 私も老いました。次の文明の歌(昭和二十一年)をもって終わりたいと思います。

  君もわれもはげしき時代に生れあひて
静かなる老なで願ひ得るや否や 


注① 『雁來紅』 葉鶏頭のこと。秋、雁の来 る頃に紅色になるので、この名がある。紅綠 天が最も愛した植物で、表紙にその彩色画を 見る。
注② 相生垣貫二 戦後は国語科担当となり、 羽公と共に「蛇骨賞」を受賞。句誌『海坂』 を創刊した。
注③ 御津磯夫 愛知県御津町の医師、今泉忠 夫。「三河アララギ」主宰。『引馬野考』(昭 和九年)著者。「犬蓼」と交流。
注④ 松原旭 名古屋女学院出身。家は積志の 西伝寺。水がめ派。「犬蓼歌会」に出席。歌集 『黄色亜麻(きいろあま)』(昭和二七年)。


文献① 『浜松市史 新編史料篇四』p920 (平成十八年刊)
文献② 『浜松市史 新編資料編三』平成十六 年刊、p1138に掲載
文献③ 同人歌誌『砦』創刊号(平成七年八月) 「編集→所便に見るアララギ戦後の復刊」 
文献④ 『支那事変歌集』(茂吉・文明共選「ア ララギ双書77」)、収録歌三千六百余首

編注① 福男は福井市生まれで引佐ではない
編注② 仙花紙 
編注③ 小松 現在の浜松市浜北区小松

     
< あと本編は、わずか >




『落葉松』「文芸評論」 ㉕ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 4」

2017年09月23日 22時13分52秒 | 雨宮家の歴史

『落葉松』「文芸評論」 ㉕ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 4」

 私の手許に『アララギ』の昭和十九年九月、二十年十月(戦後復刊二号)、十一月、十二月、二十一年一月、二月の六冊がある。惜しむらくは復刊一号の二十年九月の見当たらぬことである。その復刊一号の編集所便(文献③)に文明が「十九年十二月号を二十年三月に発送したのち、本号(二十年九月)まで休刊の止むなきに至った」と言っている。

 空襲による編集所、印刷屋、歌稿などの消失により、二十年一月号より八月号まで八冊欠号となったのである。世相の混乱している戦後の最中、たとえ仙花紙(編注②)とはいえ九月から発刊し得たということは、関係者の並々ならぬ努力があったと思う。文明は「アララギも相当古くなったから、会員諸君がこの辺で新しい方面を学び取る努力を怠れば、腐ってしまうかも知れない」と、戦後の出発に当たり、既にアララギの行末を見据えているかの如き発言をしていることは注目すべきである。

 復刊二号の二十年十月号も仙花紙八頁であるが、「私案としては、地方のアララギ会というものが十分に文化的役割を果たし得るように地方会員が進んで勉強して欲しいことである。新しい任務があるのではあるまいか」と、従来エリート選者による中央集権的な感があったアララギとしては地方分散を考え「地方会員諸君が自ら研鑽の機会を多く持つようにされたい。連絡先としてさし当たり次の諸氏を煩わしたい」と画期的な提言をして、全国を十四の地区に分け静岡地方は張間(はりま)喜一(県静岡工業試験場長)を指名した。それに応えて張間は『静岡県アララギ月刊』を二十一年十月創刊した。
 
 当地の戦後の動きを福男の日記に見る。

 「(二十年十一月十日) 柳本先生ヨリ書信 新町通リニテ小生疎開先ヲ探シ中ノ紙谷庭太郎氏ニ会ス 犬蓼廻冊再興ニ就テオ話シアリ又柳本先生ノ書信モ当地ノ消息ヲ伝ヘ十五日マデニ歌稿送レトノ事ナリ
 (二十一年四月三日)小松(編注③)ノ池谷(宗観)宅ニテ犬蓼短歌会。城西、紙谷、鈴木、寺田、太田進一、加山、野中みさを、池谷、素小生。
 (二十一年八月九日)午後一時追分小学校ニテアララギ歌会。城西、庭太郎、大竹玄吾、加山、鈴木(旧上村)、池谷、斉田、松山夫人、井口、安中、中谷」
 安中新平が追分の校長だった関係があるが、戦後初のアララギ短歌会だったのではないか。

 『谷島屋タイムス』には年次不明の次のような記事がある。

 「浜松アララギ歌会、中谷福男の尽力によって創立の運びに至る。十二月三日午後六時より元城町江見定則方(家康鎧掛松裏通り)にて開催す。連尺町博文舎内 中谷福男」
 博文舎は谷島屋書店の古書部で谷島屋が改築する昭和十三年まで会ったから、十一、二年頃ではないかと思うが意外に遅かった。集った人達も不明である。
 戦後の二回目は、翌二十二年の四月二十七日、同じく追分小学校で開かれた。

 『アララギ』二十一年一月号になると、仙花紙ではあるが四十頁に増えて、岡麓が巻頭を飾り、茂吉、文明と続き投稿歌も載り始めた。同号で注目すべきは「写生論発表のために」(杉浦明平(編注③))の一文である。

 「短歌は戦争中に国民の生活と感情とを比較的正しく表日した唯一のものであった。恐らく渡辺直己(なおき)の歌が文章として発表されたら直ちに発禁は免れぬ運命であったろう」

 映画監督の小津安次郎が「お茶漬けの味」で、出征兵士をお茶漬けで送るとは何事かと不許可になった時代である。直己の歌は『支那事変歌集』(文献④、昭和十五年)に九十六首載っている。

  黒部峡に召集受けし感動が
       疲れし夜は浮び来るかも

  涙拭ひて逆襲し来る敵兵は
髪長き江西(かんしい)学生軍なりき

 編者の文明が「公表がはばかるものがあるので削った」という幾つかの歌がある。

命令を持ちゆかん心決すれど
軍の人間物品化に思ふ

憤ほろしき心わきくる夕暮に
    反戦主義の語をおもひたり

 なお、この歌集に城西としては異彩と思われる歌二首を見る。

旗の先にアイスカクテル括りつけ
    過せる列車の兵にとらしむ

還りける小川部隊に君はなし
かなしきかもよその遺骨さへ


< 続く >


新・本と映像の森 89(マンガ15・SF23) つくみず『少女終末旅行 1』新潮社、2015年

2017年09月22日 15時58分29秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 89(マンガ15・SF23) つくみず『少女終末旅行 1』新潮社、2015年

 SFマンガです。主人公の少女2人が未来の廃墟都市をケッテンクラートで旅するおはなし。

 2人で都市のなかを探っていきます。でもマンガでは2人の出自や関係も、なぜ2人で旅をしているかも明らかではない。

 とにかく、2人が今、旅をしていることが、大事なことなのだ。

 どっちかというと、ほのぼの系の1話完結のおはなし。ひとつ1つの物や生きものが何のためにあるか、みたいなはなし。
 
 主人公の少女はチトとユーリ。

 世界には2人しかいない・・・・わけでもない。第1巻では、他に出てくる生きものは、2人に焼き魚として食べられる魚1匹と人間のカナザワ。

 いまのところ、6巻まで刊行しているので、この先のおはなしに期待しよう。

 第1巻の目次は、以下のとおり。
  01 星空
02 戦争
03 風呂
04 日記
05 洗濯
06 遭遇
07 都市
08 街灯

 ちなみに「ケッテンクラート」は日本語で「履帯式オートバイ」という。全然説明になっていないが「履帯」とは、キャタピラーのことです。

 つまり前はバイクで、うしろは両側にキャタピラーのついた荷車とでも言えばいいでしょうか。第二次大戦中に実際に、ドイツで数千台作られました。

 この10月からテレビ東京系でアニメ化されるようです。浜松では、まず見れないんですよね。残念」。



雨宮日記 9月21日(木) 「3年日記」ではなく「8年日記」

2017年09月21日 15時14分50秒 | 雨宮日誌
 雨宮日記 9月21日(木) 「3年日記」ではなく「8年日記」

 昼閒は、まだ暑い。キジバトがのど声で異性を呼んでいるのだろうか。ホー、ホー、ホー、ホー。



 ボクは、今はこのブログの「雨宮日記」しか書いていない。則子さんの書いている「3年日記」ほど、見直すのに便利ではない。

 「雨宮智彦のブログ」は8年前の2009年11月に始めた。それ以前に、いくつかHPなどをやっていたが、これほど長期で大規模なものになるとは、思わなかった。

 もちろん単に、やめない、あきない、続ける、というだけの理由にすぎないが。現在までに「雨宮智彦のブログ」のなかで最大の2078回。

 見直してみると、「雨宮日記」の第1回は「2009年11月28日(土) 馬込川のカモのお腹の色 2009年12月01日 23時14分40秒 | 雨宮日誌」だ。

 今日、お見せするのは、2年前の「2015年9月21日(月)」の「雨宮日記」です。1年前は、まだ退院してすぐで、「雨宮智彦のブログ」も中断期です。

 これからも「◎年前の今日」の企画をやりたいと思います。



「雨宮日記 9月21日(月) 浜岡原発と避難の原稿資料を探す

2015年09月21日 15時36分49秒 | 雨宮日誌

 ネットと文献で浜岡原発と避難の文献を探す。

 やはり、まず国と静岡県・そして浜松市の基本文献を骨格にすることにする。

 それから避難に必要な交通や南海トラフ巨大地震による道路寸断の状況。

 さらに浴びた放射能検査。」


雨宮日記 9月20日(火) いきなり急に総選挙!

2017年09月20日 17時02分39秒 | 雨宮日誌
 

雨宮日記 9月20日(火) いきなり急に総選挙!

 安部さんは、どうしても総選挙をやりたいそうです。それは、今なら自民党が勝てなくても、相手が弱いので負けないからだそうです。

 誰かが「もりかけ食い逃げ総選挙」と言ってました。

 あ~あ、日本の保守政治も堕ちるところまで堕ちたもんです。

 まるで「三国志」直前の後漢の政治みたいなもんです。いま宮城谷昌光さんの『三国志』全12巻の第1巻から読み始めてます。

 もちろん「正史 三国志」に基づく小説で、後漢の西暦1世紀から始めるところが、おもしろい。

 つまり曹操のおじいさんの時代だ、ということ。まるで現代日本の政治を見ているように、おかしな連中が跋扈して、まともな人々が排除されていく。

 まるで安部政治を見ているような気がする。



 やっt浜松総がかり行動の今年の分をビデオ製作を始める。まず、今年1月のを完成。6分19秒になった。「ピース浜松 市民の平和ブログ」にアップ。

 昨日、9月19日に今月の浜松総がかり行動は撮影してくれたので、まず9月をビデオ編集するつもり。

 則子さんは、また気管支の不調でせきが治らない。いちおうカゼは回復して、仕事も休まずに行っている。



『落葉松』「文芸評論」 ㉔ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 3

2017年09月20日 16時37分13秒 | 雨宮家の歴史

『落葉松』「文芸評論」 ㉔ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 3」


 福男は「アララギ」に入会したとき、岡麓を選者に選んだ。アララギも初期の頃は雑誌代を払えば何首でも自由に歌を載せることが出来たが、大正二年(第六巻)から会員組織にした。特別会員は五十銭出資して五十首、普通会員は三十銭で二十五首を投稿できた。

 大正四年(第八巻)編集担当が茂吉より赤彦に代わると同時に、選者を赤彦・千樫・憲吉・茂吉の四人が分担して選歌を掲載することになった。これは会員が増えたためであった。しかし専属的な制度にすると、党派的な弊害が生じるであろうと投稿者を順廻りに各選者に廻していたが、いつしか自然的に師弟の関係が固定するようになっていった。福男が麓を選者に選んだのも自然の成行きであった。

 子規没後十五年程歌を離れていた麓が、憲吉の進めで復帰したのは大正五年であった。根岸派としては左千夫、長塚節亡きあと子規直門の最長老として麓を迎えた。茂吉はこの大正五年を以て、歌壇の主汐流をアララギが形成したと考える、と言っている。

 大正十一年の選者は麓・赤彦・千樫・憲吉・文明・土田耕平の六氏であった。茂吉は文部省在外研究員としてドイツに滞在(大正十~十四年)していた。

 「岡麓 通称三郎 明治十年三月三日本郷金助町に生る 三谷ともいえり はじめ傘谷(からかさだに)という 歌を詠み書を教えて一生をおはる」

 これは麓が自分の写真の裏に書きつけた自伝である。岡家は代々幕府の御典医で、祖父は十三代将軍家定付の漢方医であった。長兄、次兄が他界したので岡家を継いだ。生家は歌を離れているとき手放して出版社を経営したが、武士の商法で失敗し、聖心女子学園で周治担当の教師を、代々木山谷の自宅では書道塾を開いていた。前編で多田親愛に仮名書を習い、後年生活の資となったと話したのはこのことである。

 「都雅で軽妙なところがあると思えば、奥の方に渋みがあり、艶もあり、円味もあり、深いあわれもある」と茂吉は麓の歌を評した。
 
  すみすりてよこれたる手をあらはむと
 月夜あかりにこほりをたたく

 麓直筆の短冊が掛軸に表装されてわが家に残されている。

  庭すみに束ねられたる紫陽花の
新芽に今朝も氷雨(ひさめ)ふりつぐ

 その麓に師事したのが福男である。

 「アララギ浜松短歌会の主導的人物といえばこの人にまず指を屈するだろう。浜松市書店主・歌人 中谷福男氏。浜松市の谷島屋書店の番頭を二十年間つとめ歌道に入ってから三十年という歌歴の持主。気分の転換や頭の大掃除には歌がなによりの良薬という。
 自然美や人間美を深く広く表現したいと理屈抜きで親近感の歌が得意のこの人は、みえすいたお世辞がいえず俗気がなさすぎて経済的には貧困だという。練達の写実精神が商道に生かされたらと評している人が多い。「金に執着していては立派な歌は出来ません。早い話が点のつけどころ、句読点のおきどころで別の意味になる」とごく平凡に〝平凡の開眼〟をしてくれる。
 東京開成中の出身で同校の先輩斉藤茂吉博士に師事(一年生のとき、茂吉は五年生であった)。雅号はなく、浜松市新町に書店を持ち、晴耕雨読が日常の仕事。お酒は好まず甘党。軽妙なしゃれも得意だが、反面〝失笑症〟ではないかといわれるほど謹厳なところがある。極端な考え方の出来ない典雅な人というのが一般の評。引佐郡の産(編注①)、本年六十五才。」

 以上は、某新聞。県版の「顔」欄に載った(昭和二十八年、月日不明)。大体的を射ている。茂吉を訪ねた時の歌がある(昭和九年)。

をやみなき秋雨のなかたずねつつ
脳病院に今ぞ参りぬ
  (世田谷区松原の青山脳病院)


< 続く >

『落葉松』「文芸評論」 ㉓ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 2」

2017年09月19日 19時13分44秒 | 雨宮家の歴史

『落葉松』「文芸評論」 ㉓ 「浜松詩歌事始 後編 大正歌人群 2」


 十一年四月の『まんだら』以来『落葉松』『はりはら』『アカシア』と引きつがれて、足かけ四年半に亘った大正歌人群は、雪膓が大正末年に自由俳句に転向した為、指導者を失い、城西の「犬蓼短歌会」へと移っていった。

 『犬蓼』二百五号(大正十五年一月)の編集余録に東城の筆にて、大正十四年の総勘定として「新人彗星の如く出現す。曰く亮一、曰く源一郎、曰く福男云々」とある。それぞれ松浦亮一、長谷川源一郎、中谷福男の諸氏のことである。

 『落葉松』が創刊された大正十二年七月と同じくして、青塘社同人の山本さとるによって『処女地』が発刊された。

 『谷島屋タイムス』20号(大正十二年八月)(文献②)にも、アララギ歌風の浸透を伝える史料、平松東城・小松東幹・近藤用一・中谷福男・山本さとる・高杉幸次郎・鈴木登志夫の七名の短歌作品を収める。いずれもアララギ歌会である。平松、中谷は城西の門下、とある。

 「犬蓼」会員は又「アララギ」会員でもあった。『アララギ』三巻六号(明治四十三年)の巻頭を飾った木村秀枝と佐藤綠郎の作は『犬蓼』二十三号所載(中編参照)の歌であり、『アララギ』四巻八号(明治四十四年)の「子規十周年記念号」に城西の作二首を見る。

 くれないの蚊帳の釣り手を目守りつ
うつろ心にいめに入るかも

 さみだれの夕晴れくれど花摘の葉の
たまる水かわきあへずも

 城西のふる里の風土を愛する秀歌抄の一つ。

西来院に築山御前の墓所を訪ふ
 しのび立つおくつきどころ荒れにけり
         松葉もつもり玉垣の上に

 西来院はわが家の菩提寺であり、藤の花の名所で、「咲きながら のびすすむなり 藤の花」の松島十湖の句碑があり、少年時代は遊び場であった。築山御前の墓所も荒れ放題で土塀なども崩れたままであった。戦後寄付する人あり、修復されてよみがえった。

 「アララギ」初期の郷土歌人を「アララギ二十五周年号」(昭和八年)に見ると次の如くである。
  初出号
 柳本城西 一巻二号 明41
 山下愛花 一巻二号 明41~六巻五号 大2
 木村秀枝 一巻二号 明41~八巻三号 大4
 槇不言舎 一巻二号 明41~十六巻六号大12
 奥島欣人 一巻二号 明41~二巻一号大4
 佐藤緑廊 一巻二号 明41~八巻二号大4
 川下静夫 三巻五号 明43~八巻三号大4
 大塚唯我 三巻六号 明43~十巻二号大6
 加藤雪膓 五巻三号 明45~十八巻四号大14
 伊藤紅綠天 五巻三号明45~七巻十一号大3
 平松東城 十三巻十二号大9
           ~十四巻一号大10
 奥村晋 十五巻五号 大11
           ~十六巻6号大12
 中谷福男 十五巻七号 大11
 近藤用一 十五巻十二号 大11
        ~十七巻七号 大13
 蒲清近 十五巻四号 大11
        ~十五巻5号 大11
 御津磯夫 十七巻十一号 大13
~二十二巻八号 昭4
 細田西郊 十九巻十号大15
~二十二巻十一号 昭4
 細田仲次 二十一巻十二号 昭3
~二十五巻九号 昭9
 安中新平 二十三巻三号 昭5~
 斉田玉葉 二十四巻七号 昭6~
 佐藤房一 二十四巻二号 昭6~
 太田進一 二十四巻二号 昭6~

 このあと、鈴木喜之輔、大竹玄吾、紙谷庭太郎、加山俊。前田道夫などの俊英に引き継がれていった。

< 続く >