自伝のための断片 ③ ビデオカメラ「VXー1000」で撮影していた頃
来年2019年は「結婚40年」(?「結婚40周年」?)をミカエル、じゃない迎える。で、それを記念して自伝史を掲載しようと思っている。
そのための準備作業「自伝のための断片」を載せていきます。
写真は部屋の古い資料を片付けていたら出てきた新聞記事。こんなものを切り抜いておいたのを自分でも完全に忘れていた。これはほんとうに記憶にありませんでした。モリカケ疑惑とは違います。
1998年5月28日付け、たぶん「しんぶん赤旗」。AWACSが浜松基地に配備された2ヶ月後の試験飛行開始の日の翌日の記事だと思います。
記事に「ビデオカメラを手にAWACSの離陸を注視する市民ら=27日午前9時すぎ、浜松市泉で」と書かれています。
このカメラで撮影したビデオ動画が「ピース浜松 市民の平和ブログ サイトB」にアップした「浜松基地 AWACS配備のころの飛行映像 1998年(平成10年)」です。
https://www.youtube.com/watch?v=bqdRTXIRec0&feature=youtu.be
この中の昼閒の離着陸映像が、たぶんこの時撮影したものです。
(07時31分50秒投稿、20時40分訂正)
雨宮日記 6月29日(金) 日本=ポーランドを録画で見る
ワールドカップのボルゴグラードでの日本=ポーランドを録画で見る。負けた試合なのだけど、決勝リーグへいくために、日本が後半10分間、ボールを持ち続けた。
それもコロンビア=セネガルでコロンビアが1点上げてからだけど。
日本人のブーイングがあったけど、試合目的というか趣旨が違うと思う。
☆
真ん中の部屋の「過去資料」を少しづつ片づける。捨てるものは捨てる。今日はむかしのもう聞くこともないドーナツ版レコードを捨てる。
とっておく資料は分野別にして、できるだけ「B5版ノート」に糊で貼っていく。
古代ブログ 72 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 40 東区豊町の蛭子森(えびすもり)古墳 <再録>
「遠州の遺跡・寺社22 東区豊町の蛭子森(えびすもり)古墳
2010年07月29日 05時32分28秒 | 遠州古代史
「20」「21」で書いた「羽鳥八幡神社」のすぐ南にある古墳です。
実際に、羽鳥八幡神社の境内にお参りして、南へ延びる参道を見ると、参道の南の端の鳥居のむこうに、蛭子森古墳の、うっそうと茂った森が見えます。
神社と古墳が一体である例の一つです。
この古墳は、沖積平野に築かれた珍しい古墳です。
推定年代は後期古墳の6世紀後葉で、直径24m、高さ3mの円墳です。
すぐ北に隣接する「羽鳥八幡神社」との関係でいうと、古墳の発掘物に「水鳥の装飾がついた須恵器の壺」があることです。
そして、この蛭子森古墳の「片袖式横穴石室」の形態から、蛭子森古墳から東側になる天竜川の左岸との関係があるということのようです。
これも、どういうことなのか、今後、考えていきます。
アップした写真は、いま現在の古墳の現状です。
まわりに、ドングリの森があることが印象的です。」
役に立つ豆知識と役に立たない豆知識 (1) 1円玉は直径何cm?
いま測ってみたら、あの1円玉のアルミ貨は直径2cmです。つまり半径は1cm=10mmです。
1円玉を常に持っていると「役にたつ」……ことは無いだろうな。
古代ブログ 71 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 39 東区豊町の羽鳥八幡神社(2) <再録>
「遠州の遺跡・寺社21 豊町の羽鳥八幡神社(2) 青い龍神
2010年07月29日 05時16分53秒 | 遠州古代史
羽鳥八幡神社へ行って、長い道を神社へお参りすると、すぐ、右側に「浄水」があって、なんと、青い龍神さまがいました。
感動しちゃいました。
ぼくが訪ねた、浜松市内の他の神社でも、これほど強烈な「龍神」さまは、見たことがありません。
すごい!
これなら、いつでも雨を降らせそうな!
どうみても秦氏系統の、鳥トーテムの神社なのですが、なぜか、真っ青い「龍」信仰が共存しているのは、日本列島の文化の特徴でしょうか。
「鳥」と「龍」の共存!
新・本と映像の森 149 高杉一郎『スターリン体験』岩波書店、1990年
岩波同時代ライブラリー、文庫版、288ページ、定価800円
スターリン解明のためにも必読の本。
著者は戦前に改造社の編集者。エスペランティストという人造国際語エスペラントを勉強した人。戦前のプロレタリア文学運動に携わっていたメンバーとは知り合いで有り、宮本百合子さんとも交友があった。
改造社など弾圧・フレームアップの横浜事件後、1944年に満州に徴兵され、そのためシベリアへ抑留され、直接のスターリン体験を経験する。
戦後、無事帰国した後、著者は自分の経験を元に「スターリン体験」を考え始める。
この本の前半の主な内容はソ連の1930年代の政治裁判とメキシコでのトロツキーの言論活動であり、後半では著者の4年間のシベリア抑留体験が詳述される。
これだけでも貴重なものだが、希有なことは著者の戦後の体験である。
高杉一郎さんは、最初の章「1 「スターリン時代」の大きなひろがり」で、こう書いている。「私は俘虜生活からようやく解放されて日本に帰ると、私はシベリアで経験したことや見聞きしたことを『極光のかげに ー シベリア俘虜記』という1冊の本に書いた。……それを読んだあるコミュニストは私にむかって「偉大な政治家であるスターリンをけがして、けしからん。こんどだけは見のがしてやるが」と、まるでオリュムポス山上に宮居する主神ゼウスのように高圧的な態度で言ったし、新日本文学会の系列下にあった「東海作家」という文学団体は私をコーラス・グループの練習場であるバラックに呼びだして集団的なつるしあげを加えた。」
(p8)
高杉一郎さんは,最後にこう書いている。「この本は、私自身の個人的な「メモリアル運動」である。……スターリンの悪口を言ってたのしもうというわけではない。もっと生き続けるために、みずからの浄化(カタルシス)をはかろうとする試みである。」
(p288)
雨宮日記 6月27日(火)の4 平和行進、昼休み集会(上)を掲載
平和行進ビデオは浜松の5月29日午前と午後、30日の午前、31日の愛知県への引き継ぎ集会のそれぞれ、ほかに速報版をいくつか、を作品にした。
こんなにたくさん作品を創るのは初めてだが、まだいくつも構想しているものがある。
今日は30日の浜松での昼休み集会(上)を完成。約11分。基本的に発言者の全部を見せるのは、ぼくらの動画では珍しい。
ネットにアップするとは、まず「YouTube」に放り込んでから、ネットの自分のブログにアップするってこと。
いったい「YouTube」には1日、1週、1月、1年で、どれくらいの容量の動画が集まるのか。調べてみると、おもしろいだろう。
雨宮日記 6月27日(火)の3 千葉で震度4の地震、岩手で震度3の地震
千葉で地震がありました。以下、ネット「気象庁 地震情報」
「各地の震度に関する情報
平成30年 6月26日19時49分 気象庁発表
26日19時46分ころ、地震がありました。
震源地は、千葉県南部(北緯35.3度、東経140.4度)で、震源の深さは約30km、地震の規模(マグニチュード)は4.4と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。
この地震により観測された最大震度は4です。
[震度1以上が観測された地点]
*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。
千葉県 震度4 一宮町一宮 長南町長南*
震度3 千葉美浜区ひび野 船橋市湊町* 茂原市道表*
東金市日吉台* 習志野市鷺沼* 市原市姉崎*
大網白里市大網* 睦沢町下之郷* 長生村本郷*」
千葉県は、震度4~1。
茨城県・東京都は、震度2~1。
埼玉県・神奈川県は震度1。
それから岩手県でも地震。以下も「気象庁 地震情報」
「各地の震度に関する情報
平成30年 6月26日20時06分 気象庁発表
26日20時03分ころ、地震がありました。
震源地は、岩手県沖(北緯39.3度、東経142.1度)で、震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は4.3と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。
この地震により観測された最大震度は3です。
[震度1以上が観測された地点]
*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。
岩手県 震度3 大船渡市大船渡町 釜石市中妻町*」
岩手県は震度3~1。
宮城県は震度2~1。
青森県は震度1。
以上。
古代ブログ 70 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 38 東区豊町の羽鳥八幡神社 <再録>
「遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社
2010年07月28日 05時31分28秒 | 遠州古代史
笠井市街の東側の田園のなかに、この羽鳥八幡神社があるというので、行ってきました。
神社は南向きで、やけに長い参道(アプローチ)を歩きます。
祭神は誉田別命、つまり応神天皇です。
まあ八幡神社なんだから当然ですね。
なお「八幡神社」とは「8のはた」という意味で、漢音読みをすると「はちまん」ですが、日本語読みをすると「やはた」になります。
北九州市の「八幡」ですね。
このことも、もっと深く考えたいと思います。
問題は「羽鳥」という名前がつくことです。
ここの地名は「豊町羽鳥2174番地」で「羽鳥」は、たぶん字(あざ)名だと思います。
この「羽鳥(はとり)」は、当然、「服部(はっとり)」や「秦(はた)氏」を連想させます。
つまり、朝鮮からの、鳥をトーテム(部族のシンボル)にする渡来人系の神社ではないでしょうか。
もちろん、神社の説明にはそんなことは一切、書かれていません。
石に刻まれた説明では「創立は不詳である。当社は江戸時代にて」と書かれているだけですが、もちろん、江戸時代に創立されたなんてことは無理です。
なぜなら、この羽鳥八幡神社の南側に、東西を横切る道路を隔てて、浜松市の沖積層では希な、有名な「蛭子森(えびずもり)古墳」があるからです。
つまり、神社と古墳は一体のものです。
ということは、この羽鳥八幡神社も、蛭子森古墳の時代までさかのぼることもあり得るということです。
と、すると、蛭子森古墳の時代である古墳時代後期まで神社もさかのぼっても、おかしくないでしょう。
蛭子森古墳自体は、もう一度、「遠州の遺跡・寺社」で考えたいと思います。
蛭子という名前も、考察の余地がありそうです。
なんて、おもしろいんだろう!
雨宮日記 6月27日(火)の2 3種類の人間
さっきの3題話の続きの話題。今も昔も3種類の人間がいる。戦前も戦後も今も。つまり、支配する階層と支配される階層と反抗する階層と。
これは経済的階級とは少し違うと思う。
で、その階層の資質が以前とは違ってきたのではないか、という話。支配する層は「自民党の変質」と支配方法の変化で「支配階層の資質」が落ちてきた。
小選挙区制や人事局だかの設置などによる安部チルドレンのたびかさなる失言。これは「半ファシズム現象」だろうか。
支配される層の変化。「麻生さんが「若い新聞を読まない子の方が自民党の支持率は高い」と言った。」「大坂地震で学生が授業が休講になる指示が上から来ないと休めなかったそうである」
言われなければできない。書いてなければしない。「マニュアル人間」化するということは「人間のAI化」と同じだな。
だから今も昔も「反抗する人びと」は絶えない。もちろん、それは一色ではない。いろいろである。
シールズも。問題別共闘の人びとも。共産党も。
その「反抗する人びと」に希望がある。もちろん「反抗する人びと」に何の問題もないわけではない。問題がないはずもない。神さまじゃないんだから。
みんなそうだ。問題があるからこそ、その1つの問題を修正して明日があるのだ。修正できなければ明日はない。
雨宮日記 6月26日(火)の1 3題話
○安部内閣の支持率が回復した
○麻生さんが「若い新聞を読まない子の方が自民党の支持率は高い」と言った。
○大坂地震で学生が授業が休講になる指示が上から来ないと休めなかったそうである
以上、3つの話を「3題話」にまとめよ。これは「安倍内閣支持」か「安倍内閣反対」かとは、まったく別の話。
古代ブログ 69 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 37 東区天王町の大歳神社<再録>
2010年7月21日にアップした時に、なぜか大歳神社の写真を掲載していない。写真が見つかったら、後で追加します。
パソコンとネガとプリントで残っている写真は、いま整理しているので。ただしゆっくりと。終わりはいつになるやら。
以下、再掲。
「遠州の遺跡・寺社18 東区天王町の「大歳神社」
2010年07月21日 05時08分25秒 | 遠州古代史
「てんのうちょう」の「おおとし」神社です。
「17」で紹介した「白山神社」の続きです。続きですという意味は、ここの主神である「大歳神・大年神」さんがスサノオさんの息子であるためです。
大年神さんは、スサノオ命さんが、高天原から追放されて、出雲へ行き、有名な「ヤマタノオロチ」退治をして出雲の主になったあと、「大山津見神」さんの娘である「神大市比売(かむおおいちひめ)」さまと結婚して生んだのが、この大年神さんと宇カ之御魂神(うかのみたまのかみ)さんの2人の兄弟です。
大年神さんは、「年神」ですから、毎年、やってくる神で、祖先神とも、穀物神ともされています。
兄弟神の宇カ之御魂神(うかのみたまのかみ)さんも穀物神で、このウカノミタマノカミさんやその一族が、いわゆる「お稲荷さん」になったと思われます。
この天王町(てんのうちょう)という町名は、たぶん、スサノオさんの別名「牛頭天王」から来ています。後の時代の「天皇家」とは、たぶん関係ないと思います。
この「大歳神社」は浜松市内では花火でも有名です。今年は、7月31日(土)と8月1日(日)夜です。
大歳神社に行くと、社務所でお守りを打っている中に「勾玉」がありました。うわあ、古代の勾玉だと嬉しくなって、つい、妻のN子さんの「幸福長命頭脳明晰交通安全商売繁盛子孫繁栄」を願って買ってしまいました。霊力があるかどうか、信じているわけではないですが。
ところで、スサノオさんがその娘と結婚した、つまりスサノオさんにとって義父さんとなる大山津見神は、後の「天孫降臨」(うわ、科学的社会主義者がこんな神がかりな字を打つと、祟りがないか、手も震えますね。でも手書きじゃないので、表示には指の震えは残りません)でも、天下ったニニギさんが結婚したのは、同じ大山津見神の娘であるカムアタツ姫さま、別名コノハナサクヤヒメさまでした。
大山津見さんっていったい何物なんでしょうか?以前に「遠州の遺跡・寺社3 山神社と蜆塚遺跡」に書きましたが、これも探っていきたいと思います。
たぶん、弥生のスサノオの出雲王国よりも更に古層の、縄文時代までさかのぼる日本列島の【原初の】神という気がします。
この大歳神社は、南向きです。私たちからは北向きで、北極星の方向を拝みます。」
古代ブログ 68 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 36 中区高林の白山神社<再掲>
よく知られているように「白山」の守り神は「菊理媛(きくりひめ・くくりひめ)」で女神です。スサノオではないし男性神では、ありません。
なぜスサノオなのか、わかりません。
以下、再掲。
「遠州の遺跡・寺社17 高林の白山神社とスサノオ
2010年07月15日 05時49分23秒 | 遠州古代史
中区高林の白山神社は、興誠高校の南で、坂の下からは、百段坂を上ったところにあります。
祭神は、イザナギさん・イザナミさんも祭っていますが、主神はスサノオさんです。
7月初めに、新聞に、「茅の輪(ちのわ)」を作ったとの記事がありました。「茅の輪」とは、スサノオさんが、庶民に「これをくぐると病気にかからない」と教えたという輪です。
「白山」は北陸の有名な山ですよね。その「白山」が、なぜスサノオさんなのか、まだよくわかりません。
「白山神社」の中に、出雲系があるのか、それとも「白山神社」はすべてスサノオさんの出雲系統なのか、調査したいと思います。
なお、この高林の白山神社は、南向きです。」
雨宮日記 6月24日(日)の1 年取ると朝が早い
前は朝4時に目が覚めるなんてことはなかったが、66才になると朝が早くなった。オシッコにいってから、また寝るのがもったいないので、起きてパソコンを打っている。
外は雨。梅雨である。
ビデオ編集の準備をする。5月29日の昼休み集会の撮影動画を見て、パソコンで編集プランを書いていく。