雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 10月31日(木) 新たな始まりの時に…いろんなことを思い出した

2013年10月31日 21時40分54秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月31日(木) 新たな始まりの時に…いろんなことを思い出した

 則子さま、来年1月の、家族の転換点を前にして、いま、いろんなことを思い出しました。結婚する頃のこと、あるいは長女のTさんが生まれる頃のこと。

 こういう自分たちの「私的なこと」と、時代と世界の「公的なこと」を組み合わせて書き残しておくのが、ぼくたちの(ぼくの)義務かなと思います。

 最初の作品は「平和70年年表 1945ー2015」付録「平和戦争事典・平和戦争文献」かな。戦前編も追加。

 2番目に「雨宮夫妻記録」でしょうか。もちろん、平和運動論争が主題です。

 3番目が「新・遠州風土記」でしょうか。

 4番目が「科学的社会主義  経済・思想・歴史 抜粋」です。

 この4つが完成したら、いつ死んでもいいですね。それはムリ?

 


雨宮日記 10月30日(水) 全般性と特殊性のバランス…

2013年10月30日 22時51分45秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月30日(水) 全般性と特殊性のバランス…

 「世界をどう見るか」という学習をしているのですが、どうしても「全体世界」と「部分世界」をどう見るか、悩みます。

 あんまり部分的につっこんでもダメだし、あんまり全体的にまんべんなく研究しても深まらないし、「広く」「深く」と「浅く」「狭く」の問題は、どこまでも解決できないですね・

 


遠州の遺跡・寺社・地名 118 浜北区内野の「内野神明宮」

2013年10月30日 22時36分59秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 118 浜北区内野の「内野神明宮」

 現浜北区の内野地区では中心的な神社だと思いますが、行ってきました。秋になったので、「神社探訪」も快適です。まだモンシロチョウやシジミチョウが舞っています。

  南から浜松医大の東、「半田町」信号から北へ、「半田北」信号、「内野西」信号を通過して、「内野上南」の信号を西へ折れて、「大城歯科」を超えるあたり、道が左へカーブしていく手前、左手に見えてきます。

 ただし、こちらは裏側で、神社の東側の細い道を南へ折れて、神社の南を通って西側に回ると駐車場があります。あるいは神社を超えて内野幼稚園の西を南へ入っていくと、神社の駐車場に出ます。

 それにしても、普通は大きな神社の表側に「幅広い道路」ができるのが普通だと思いますが、ここは神社の裏側を「幅広い道路」が通っています。何か、事情でもあるのでしょうか?

 住所は浜北区内野713番地。例大祭は毎年、秋、9月の最終土日です(神社の説明看板による)。

 神社は南向きで、鳥居から神社までは少し長いです。つまり、神域は広いです。

 祭神は「天照皇大神、天手力雄命、豊受姫大神、たく幡千々姫命」の4神です。「神明宮」ですから、伊勢神宮の「内外二宮」を勧奨(かんじょう)したので、内宮は天照神、外宮は豊受姫神でいいし、天手力雄命もアマテラス神の「岩戸隠れ」のとき、岩戸を馬鹿力で開けた「高天原」関係者ですから、いいでしょう。

 最後の「姫命」の「たくはたちぢひめみこと」は誰か?、次回に語ります。

 なお、この内野神明宮が、『延喜式』の「長上郡五座」の「朝日波多可神社」かどうかという「論争」は、あと1社を訪問してから独立項目で論じます。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 117 たぶん浜松最南端の「田尻古墳」

2013年10月28日 22時15分16秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 117 たぶん浜松最南端の「田尻古墳」

 浜松市が発行している「浜松市文化財分布図」に、現在の南区田尻町と法枝町の境付近、「八柱神社」の北東に、「田尻古墳群(2カ所)」がプロットされています。

 八柱神社前の信号の西に車を止めて、信号から北へ細い歩道を入っていくと、道が東西に分かれる右側に、それらしい「墳丘」が、住宅の中にありました。松の木が生えています。

 これがそうか?わかりませんが、いちおう写真を掲載します。

 海岸から約1500mで、浜松で「いちばん海岸に近い古墳」でしょうか?

 この海岸平野は、微地と低地の何回もの繰り返しですので、たぶん、「遺跡」や「神社」は「微地」に位置していると思います。

 


雨宮日記 10月28日(月) 家事はせずに「古代史の日」でしたが…

2013年10月28日 21時55分27秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月28日(月) 家事はせずに「古代史の日」でしたが…

 日・月・火と、則子さまの「勤務の日」なので、朝食は勤務に行く前の則子さんにまかせてますけど、父の「昼食」「夕食」を準備しないといけません。もちろん、いっぱい何種類も作る則子さまに比較すれば、「なんじゃ、この貧しさは」という食事ですけどね。

 きのう、おそるおそる、日・月が「休日」の次女に「明日、月曜日、出掛けたいので、昼食と夕食の準備、してくれる?」と聞いたら「いいよ」と言うので、今日は、でかける計画をたてました。

 まず、駅南の神社・古墳・遺跡を車で周りました。神社が再訪も含めて8カ所、古墳が1カ所、遺跡が1カ所でした。少しづつ「遠州の遺跡・神社・地名」で書いていきます。

 今日、行った神社8カ所、すべて、「南向き」でした。言い換えると、「神社を拝むぼく」は「北向き」です。つまり、比較的、新しいと推測される「沖積平野」部の神社は「南北方向」というのは、納得です。

 車で家へ帰ったのが、午後1時半頃、徒歩と電車で「中央図書館」の「郷土資料室」にこもるつもりで行ったら、なんと「休館日」。仕事をしてないので、「毎日が日曜日」で「今日は月曜日」という感覚がなかったですね。

 図書館から市役所の通りを電車の駅に歩いてく途中で、古書店「典昭堂」に寄りました。

 見つけたのは岩波体系の「謡曲集(上・下)」セットで600円、森浩一さんの岩波新書「巨大古墳の世紀」は50円、吉村昭さんの新潮文庫「大本営が震えた日」140円で、合計790円、買いました。

 家に戻ってから、車で喫茶店に行ってたら、携帯が鳴って、長女から「運転手、おねがい」でした。

 長女をイトーヨーカ堂で拾って中田町まで送って、家へ帰ったら、午後5時半。次女の作ってくれた夕食を食べました。おいしかった!

 


雨宮日記 10月27日(日) いろんな量的蓄積が、質的変化を…

2013年10月27日 23時18分55秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月27日(日) いろんな量的蓄積が、質的変化を…

 仕事を辞めて、半年。パソコン内のファイルに、社会科学や歴史科学や人間科学、あるいは古代遺跡・古墳・遺物のデータを蓄積しています。

 もちろん、いつ終わるとも言えないけど、「量的変化が質的変化に転化する」「量質転化」ということは納得できました。他人に納得させるのは至難の業ですね。

 いま「経済学」の基本ファイルで「350ページ」くらいですが、たぶん、数千ページになると思います。

 基本的には久留間鮫造先生の「レキシコン」の精神ですが。実行するのは、たいへんです。

 


本と映像の森 259 クラーク・バクスター共著『時の眼』早川書房、2006年

2013年10月27日 23時10分49秒 | 本と映像の森

本と映像の森  259 クラーク・バクスター共著『時の眼』早川書房、2006年

  「2001年宇宙の旅」からの「スペース・オデッセイ」シリーズ(3001年までいきます)の著者、巨匠アーサー・C・クラークさんと新進作家、スティーヴン・バクスターさんによる連作の第一作です。そして「スペース・オデッセイ」または「モノリス」の物語の別バージョン、または著者たちが言うには「直角編」「同様の前提を異なる方向から検討するもの」だそうです。

  「2001年」は第6部まであり、全47章、「時の眼」も第6部まであり、同じ全47章です。しかも、冒頭は「2001年」がアウストラロピテクスの父親「老いた者」と息子の「月を見る者」で始まって、次の場面への転換は地球上から宇宙ステーションへh向かう宇宙機です。

  「時の眼」は、アウストラロピテクスの母親「探る者」とその娘「つかまる者」ではじまり、次の転換はアフガン上空で飛行する国連ヘリです。

   ☆

  2037年6月8日、「パキスタンとアフガンの国境上空」にいた国連平和維持軍のヘリに乗っていた3人、イギリス人ビセサ(女性)、アメリカ人ケイシー(男性)、アフガン人アブデイカディル(男性)が不時着したのは、同じ場所だが、時間は1885年だった。

  1885年に、そこで、大英帝国軍に従軍していたイギリス人記者ジョシュとアメリカ人記者ラディが、軍の駐屯する砦の前の空中に浮かぶ「金属の球体」を見た日、空から2037年の国連軍ヘリが降りてきた。

  その砦の兵隊は、その日、「猿人」、200万年前のアウストラロピテクスの「(仮名)探る者」(女性)とその娘、まだ幼児の「つかまるもの」を捕まえた。

  2037年のその日、宇宙ステーションから地球に帰還しかけていた宇宙船の3人も1885年に飛ばされ、同じ年からの3人と協力して事態は明らかになっていくが…。

   ☆

  もちろん、空中に静止している「金属の球体」は、1辺が1(1の2乗)対4(2の2乗)対9(3の2乗)である「モノリス(石碑)」の機能をもつ「後継者」です。でも「直角篇」なのに完全な「球」とは…!

  ☆

  最初は「タイム・スリップ」の物語かと思ったのですが、違いました。もっと大規模なものです。プロットはフレッド・ホイルさんの「10月1日では遅すぎる」と似ていますが、ずっと上質だし、人物造形もよくできていると思います。

  世界はどうなったのか?主人公たちはどうなっていくのか? 

  以下、ネタバレはおもしろくないので本をお読みください。浜松市立中央図書館にて借りましたので、11月10日に返します。ぼくの評価は AAA です。

   ☆

  「2001年」(書籍のです)の結末、「47 スターチャイルド」(次作から「星の子」は消えましたが)の言葉と、「時の眼」の「46 つかまる者」の猿人の幼児(娘)のセリフが同じです。

  「…つぎに何をすればよいかわからないのだった。だが、そのうち思いつくだろう。」「…つぎになにをするか迷っていた。だが、なにか考えつくだろう」

   ☆

  第2作完結編の翻訳が出ているのかどうか調べてみます。

  なお、事前にモンゴル帝国の歴史、アレクサンダー大王遠征の歴史、バビロニア王国の歴史を読んでおくと、二重に楽しめますね!

 


雨宮台風情報 10月25日(金)23時59分 松江町付近は溢れる危険?

2013年10月25日 23時59分28秒 | 雨宮日誌

雨宮台風情報 10月25日(金)23時59分 松江町付近は溢れる危険?

 雨の予報を見ると、これから浜松市の全域、とくに馬込川上流でかなり降りそうなので、いま現在、すでに「決壊の危険」が出ている松江町付近は、かなりあぶないかもしれません。

 今のところ、情報のもとは「建設省」?の「馬込川・松江」「安間川」「芳川」「馬込川上流」の4地点だけです。

 浜松市のHPを見ても、十軒町であと何mとか、リアルな情報がまったくありません。浜松市の職員でも、市民の委託ボランテイアでもいいので、どこの地点で、今、通常より「何m上昇」というリアルな情報を集めるのが筋ではないでしょうか?

 それとも、集めているけど発表はしていないのか?

 


雨宮台風情報 10月25日(金)午後11時05分 馬込川水位上昇

2013年10月25日 23時07分02秒 | 雨宮日誌

雨宮台風情報 10月25日(金)午後11時05分 馬込川水位上昇

 夜に入ってから、かなり雨が強くなってきました。

 ついさっき22時37分に「エリアメール」で、馬込川・安間川が水位上昇で危険ときたので、カッパを着て馬込川を見てきました。

 三浦橋の横の階段が、まだ11段くらい残っていますから、通常水位の半分くらい上昇でしょうか。

 家へ帰ったら、次女が「NHKテレビから「関連情報 D」で防災情報が出てくる!」というので見せてもらうと、松江町の馬込川が平均水位から4m近く上昇で「はんらん危険水位」でした。安間川は平均より3m近く上昇で「はんらん警戒水位」、芳川(ほうがわ)は3m近く上昇で「はんらん注意水位」でした。

 これから早朝まで降り続くようだと、やばいですね。

 変化あればまたアップします。


雨宮日記 10月24日(木) 「おさきにはいります」「おさけにはいります」

2013年10月24日 22時42分02秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月24日(木) 「おさきにはいります」「おさけにはいります」

 台風が2つ近づいて来ていて、緊張が高まっています。

 夜、お風呂に入ろうと、1階へ下りていったら、ちょうど台所に、最愛の妻の(この「フレーズ」もしつこいですね)の則子さんがいたので「おさきに入ります」と言ったら、なんと。

 則子さんが「お酒に入る?」と、とんでもない、耳の遠い発言でした。

 お酒好きとしては、一度、経験してから死にたいですね。「お酒風呂」。うわあ、すごい酔いそう。

 「お酒風呂で、則子さんと」…これって、人生最高の理想ですよね…一度…実現したいけど…則子さんに「馬鹿っ」と、ぱしっと叩かれそうで、絶対、言えません。

 


雨宮日記 10月22日(火) 津軽ねぶたと浜松祭りの市民的共通性

2013年10月22日 23時26分07秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月22日(火) 津軽ねぶたと浜松祭りの市民的共通性

 今日は、則子さんが仕事休みなので、昼食も、夕食も、典子さんにおねがいできて、とても楽です。ありがとうございます。

 ☆

 夜、次女が「三内丸山遺跡のことやってるよ」と言うので、1階へ下りて、テレビを観ました。「新日本紀行」の映像ですが、ねぶたのことを詳しく報道してました。

 ① 特定の神社・仏閣に関係ないこと ② 町などの町内からの自主的な祭りであること ③ ねぶたは6日間、浜松祭りは以前は5日間、いまは3日間。

 こういう共通性があります。似てますよね。もっと研究します。


遠州の遺跡・寺社・地名 116 北区引佐町「北岡2号墳」(円墳)

2013年10月21日 21時48分52秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 116 北区引佐町「北岡2号墳」(円墳)

 遠州の最古古墳「北岡大塚古墳」の前方部のすぐ南に位置する円墳です。

 直径6mの横穴式石室で、北岡大塚古墳に登っていく山道の途中でこの「北岡2号墳」の看板が立っています。

 石室の中が見えるように保存されています。

  ☆

 「北岡大塚古墳」の時代からは、かなり離れて、6世紀末から7世紀初頭というので、200年後ということです。

 

 


雨宮日記 10月21日(月) 雨なら大地震は起こらない?台風が2つ接近すると?

2013年10月21日 20時33分32秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月21日(月) 雨なら大地震は起こらない?台風が2つ接近すると?

 次女が「お父さん、地震って雨の日でも起きる?」と聞いたので、「雨が降っている最中の地震の写真や動画は見たこないので、たぶん、「地震は曇りか晴れで起きる」と思うけど、統計的な錯覚かもしれないから」と答えておきました。

 つまり、統計的に1年=365日=8760時間(たぶんそれくらい)のうち、雨の降っている時間が少ないので(何割かな?)、地震は雨が降ると起こらないかのように感じてしまう、という仮説。

 ほんとうに怒らない可能性もあると思います。以前、台湾の研究者が「台風」がくると「すべり」が起こって、普通の地震が起こらないという説を観たことがあります。真理性は不明。

  ☆

 「猛烈な」台風27号が、26号の経路をたどって、少しそれより西に寄りながら日本列島に接近しています。その後ろから、新たに発生した台風28号が27号の東を日本列島に北上してきます。

 台風2つ、近づいているので心配ですが。さっき、則子さんと話したのは、「台風2つが接近するとどうなるの?」ということ。

 文学部系のSF小説的推論・妄想ですが、3つ考えられます。

 1 2つの台風が磁石のプラスとプラスのようにはじかれて、反発して方向を変える

 2 2つの台風が引きつけ合って、吸収し合って1つになり、より巨大な台風になる

 3 2つの台風がお互いのエネルギーと風雨を打ち消し合って、消滅するか低気圧になる

  さあ、あと数日で、どうなるでしょうか?

  ☆

 さっき、台所の隅の「ボクの本・資料の第6集積所」で、探していたヘーゲル『小論理学』2巻本を見付けました。

 こんな重要な本なのに「品切れ」か「絶版」jか、古書店・ネットでないと手に入りません。こんな思想状況でいいのでしょうか?

 偶然見つけて、嬉しくなって「あったあ!」と言ったら、ちょうど台所にいた則子さんが「何があったの?」と聞くので「ヘーゲル!」「小論理学!」と答えたら、きょとんと「誰だっけ」というので。

 「テレビには出てないね」「みももんたさんより無名だね」と答えておきました。

 未来は、まだまだ、遙か遠くです。へこたれませんが。自分の時代で始まったりする事業とは思っていませんから。娘たちの時代、あるいは孫たちの時代のテーマになると思います。

 その時代のために、少しでも、ぼくは「未来への精神遺産」を残していきたいと思います。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 114の2 東区上西町「富士神社」内「八王子神社」

2013年10月20日 21時01分23秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 114の2 東区上西町「富士神社」内「八王子神社」

 「遠州の遺跡・寺社・地名 114 東区上西町の「富士神社」東向き 2013年10月17日 21時11分35秒 | 遠州古代史」で紹介した富士神社に行ったときに、かかげられていたのぼりは、写真でみてください。

 どうみても「八王寺神社」ですよね。

 その「八王寺」について、今まで「遠州古代史」で、いくつか紹介してきました。

 ①  遠州の遺跡・寺社 54 西区・八王子神社 2011年10月13日 05時14分33秒 | 遠州古代史

 ②  遠州の遺跡・寺社・地名 76 中区船越町の八柱神社 2012年06月07日 06時02分05秒 

 なんの関係もない、脈絡もない神社が境内にあったりするので、日本の神社はおもしろいですね。

  ☆

 21日08:35補足 「八王子」とは8人の王子ですが、スサノオまたは牛頭天王(ごずてんのう)の8人の息子ということのようです。息子の名前は諸説ありますが、元々の出雲・スサノオ伝説に「スサノオの8人の息子」がいたのか、後に「牛頭天王」とスサノオが結びついたときに挿入された話なのかは不明です。

 なお「東京都八王子市」の「八王子」はこの「八王子」です。

 


雨宮日記 10月20日(日) 午前から午後まで雨、静かでよかった!

2013年10月20日 20時37分01秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 10月20日(日) 午前から午後まで雨、静かでよかった!

 昨日も雨がちで、いつもなら浜松基地航空祭「エアフェスタ」の本番1日前の「練習」でむちゃくちゃ五月蠅いのですが(あ、いまは10月だ!)、昨日も今日も、少し飛んだだけできわめて静かでした。

 「ふれふれ坊主」も作らなかったのに、雨の神さま、ありがとうございました。あれ?あ!「ボクって名前、雨宮だ!」。気がつきませんでした。

 これから雨で中止して欲しい行事の時は「ぼくの雨の神さま。「ほんとうの、ほんとうの」神さま。ほんとうの雨の神さま、おねがいします」と頼もうかな、と思います。

  ☆

 則子さんは、今日も仕事。入所者のいる介護施設は休日も盆暮れもありません。でも、なかなか専門性もあって、しかも職員がとても「落ち着いていて、静か」で、則子さんにとっては「働きやすい施設」のようです。

 ずっと働けると、いいですね。ここ2回、則子さんにとって残念な「はずれ」が続いたので。

  ☆

 写真は、やっと最近、本気になって「収集」を始めた「地震対策グッズ」です。「今年秋10月から来年春までに大地震がくるかもしれない」という「想定」で対策を始めました。

 写真に写っているのは「水」「食料」です。まだまだ、これから対策を始めます。

 「なぜ?」と思った方には、個人的に問い合わせていただければ、その「科学的根拠」をお知らせします。ただし、判断はそれぞれ個別にしてください。

 個人の行動の責任は、政府や自治体や団体ではなく、その人自身がとるのが当然です。