過去現在未来のメモリーノート 62 「弁証法哲学 hp原稿 2006初稿」 20190523
2006年、つまり13年前に書いた原稿が出てきたので、ここに載せておく。無意味ではないと思う。
ほとんど井尻正二さんの影響下にあると思う。
現時点では、ぼくたちの哲学は「唯物論+形式論理学+弁証法」というのが正しいと重う。「弁証法的唯物論」または「唯物弁証法」だけでは間違いというボクの結論です。
以下、引用。
「弁証法哲学 hp原稿
目次
形式論理と弁証法論理 2006/2/24初稿
展開と発展 2006/2/24初稿
本文
形式論理と弁証法論理
世の中には、形式論理に従う事物と、弁証法論理に従う事物とがあります。通常の機械や建物は、形式論理に基づいて、建設されます。
論理学の初歩は、まず形式論理学で、A=A、です。建てた家Aが、勝手に家Bになったりしたら、あぶなくて家に住めません。
よく弁証法でいう「対立」の実例としてあげられる、「上と下」「北と南」などは、形式論理学的な事物の問題ですから、弁証法の実例としてあげられるのは不適当であると考えられます。
また、機械的な位置移動運動や力学的運動にも、弁証法は該当しません。
弁証法論理に従う事物は、こういう形式論理学に従う現象とは違って、自ら変化発展していきます。
たとえば生命の成長や生物進化、社会発展などの現象です。
マルクスは、資本主義社会の発展を『資本論』で詳細に分析して、その発展を跡づけました。
このような弁証法哲学の初歩を、いろいろ考えていきたいと思います。
(2006/2/24up)
展開と発展
弁証法の教科書にも、しばしば混同されているのが、「展開」と「発展」です。
「展開」とは、たとえば蝶が卵から誕生して毛虫になり、成長して蛹になって、蝶になるような、あらかじめプログラミングされた決定された過程です。
条件によって、死んだりしてしまうことはありますが、魚でも、雄が雌になったりすることはありますが、たとえばアゲハチョウがアゲハチョウ以外の種になることはありません。
これにたいして、「発展」とは、もっと飛躍と可能性に満ちた、プロセスであって、生物進化や社会発展のように、あらかじめ、どんな進化がおこなわれるか、どんな社会に発展していくか、詳細に定められているわけではありません。
生物進化の歴史では、しばしば生物種の大量絶滅をおこすような危機的な地球環境とそれを乗り越えて、新しい生物が誕生することが何回もありました。
このような「発展」の真の姿を考えていきたいと思っています。
(2006/3/1up)」
これに関連して去年、載せた「過去現在未来のメモリーノート 25 哲学の基本概念「弁証法」について」をそのままコピーしておく。今はあんまり、これを思考する時間というか精神的余裕がないので。
「過去現在未来のメモリーノート 25 哲学の基本概念「弁証法」について
2018年07月27日 06時43分13秒 | 過去現在のメモノート
過去現在未来のメモリーノート 25 哲学の基本概念「弁証法」について
哲学の基本概念「弁証法」について
哲学の本には、よく「弁証法」のことが出ている。その「弁証法」がすべての現象に妥当するかのように書かれているとボクはウソと言いたくなる。
弁証法がすべてに正しい現象であるというのは証明されていないことだと思います。証明しているという人はそれを見せて欲しい。
ボクはやはり「弁証法」というのはすべてに普遍的に妥当する現象ではなく重要ではあるが部分的現象であると思う。
では世界はどうなっているか。
以前書きかけた小論の目次を借りよう。こう書いた。
「1、形式論理学でつくられる「展開しない」・「発展しない」事物
2、あらかじめプログラミングされた弁証法的「展開」をする原子や分子、生物
3、生物進化・人間の歴史=社会発展は結果の未定な「発展」」
つまり、この3つの異なる事物を峻別することから哲学を始めたい。まず「展開」「発展」のない非弁証法的な事物と弁証法的な事物を区別すること。
つぎに弁証法的な事物のなかで「展開」と「発展」とを区別すること。以上のことは端緒でであり、すべて今後の論述による。
自分でも未成熟な言い方であり何かが欠けているような気もするが現時点の思考として、書いておく。
以上は古生物学者井尻正二さんの論著に多くをよる。ただし井尻正二さんの主張がすべて正しいと言っているわけではない。」