雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州古代史 地名編3 浜北区「赤佐」

2011年09月30日 05時41分27秒 | 遠州古代史
遠州古代史 地名編3 浜北区「赤佐」

「遠州古代史 6月6日 地名編1」で「浜北区「於呂(おろ)」を紹介しました。於呂=オロチのオロ、つまり蛇です。

 この「赤佐」地区も、古代の「倭名抄」であらたま郡の4つの郷の一つです。

 古代には「赤狭」です。

 どう考えても、この地名「赤佐」は、あらたま川伝説=坂上田村麻呂伝説の「赤蛇」=「赤い蛇」なのですが、なぜ蛇の色が赤いのか、ぼくにはわかりません。

 この,川や水のコントロールを支配する水神としての「蛇信仰」は、「龍信仰」=「竜神信仰」に転化していくのではないかと思います、たぶん。

 だからこそ、この遠州地方の神社やお寺には、たとえば岩水寺とか、龍禅寺とか、いう名前の、水や龍に関係ある名前がいっぱいいあるんですね。

 
 

原発ニュース 9月26日(月) 牧之原市議会が浜岡原発永久停止決議

2011年09月28日 05時49分28秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 9月26日(月) 牧之原市議会が浜岡原発永久停止決議

 静岡県御前崎市にある中部電力浜岡原発の地元10km圏内の自治体では初めて、牧之原市議会が「浜岡原発永久停止決議」を賛成多数で可決しました。

 決議の全文を見たいのですが、まだひっかかりません。

 市議会決議を受けて、西原茂樹市長さんも、運転再開を認めないと意見表明しました。

 静岡県内の自治体では、ぼくの感覚で言うと、「原発漬け」「原発のお金漬け」の自治体と、危険区域外だから「関係ない」という「無関心」自治体の二つに分かれていたと思います。

 その原発漬けの自治体の中で、声を上げる動きが初めて、こういう成果を生んだことは、すごい!感動です!

 こういう動きがいっぱい出てきて、日本人の心をしばりつける「日本原発村」が崩壊するといいですね。(○○村は原発だけではないですが)。

 浜岡原発から40km圏内の浜松市は、市議会で鈴木康友市長さんが、静岡県が月1回、浜松市で放射線量測定しているから、浜松市が諮る必要はないという意味を答弁しています。

 まだ無関心なんでしょうね。

 「原発癒着」病も、重い病気で治療は難しいですけど、「原発無関心」病も、すこし軽い病気で、治療はもっと早いと思います。

 原発反対を押しつけるつもりはありません。

 鈴木康友さんに希望するのは、事実と道理に基づいて、浜岡原発をどうするか、浜松市民といっしょになって論議して欲しいと言うことだけです。

 
 
 

雨宮日記 9月26日(月) 「だいじょうぶだよ」でもやはり喪失の哀しみ

2011年09月28日 05時38分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月26日(月) 「だいじょうぶだよ」でもやはり喪失の哀しみ

 このごろ、則子さんがやけに親切で「すこし寝た方がいいよ」「これは、私が行ってくるから」とか、夜、ぼくが仕事に出かける時に、玄関まで見送ってくれたり…。

 見かけは、気を張って、元気にやっているつもりですが、たぶん、則子さんにはわかるんでしょうね。

 理性的には、理論的には納得しているつもりですが、感覚の方は…。

 則子さん「だいじょうぶ?」
 ぼく「だいじょうぶだよ」
 
 則子さんに「だいじょうぶ?」って言ってもらえるだけで、すごく楽になるんだから。

 中原中也さんは「汚れちまった悲しみに」ですが。
 ぼくは「失っちまった哀しみに」です。

 今のところ、毎日、編集・印刷したり、放射能測定したり、いっぱいやることがあるので、哀しみを行動でまぎらわしていますが…。

 気がついたのは、あれ以来、浅い眠りの時に見る夢が変わってきて、変にリアルになってきたことです。

 これって、自分の心がすごく硬くなった危険な状態でしょうか。

 

 
 

雨宮日記 9月25日(日) まず「測る」ことから始めようよ

2011年09月27日 05時29分55秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月25日(日) まず「測る」ことから始めようよ

 今日は,則子さんといっしょに,午後、南区から西区へ、メッシュポイントの放射線量測定に行きました。

 車内での会話。

 「放射線量が安全か、危険かという二者択一、黒か白か、より、その前に、自分で測るという行動が大事だと思うんだ」

 「それはそうだけど?どういう意味かしら?」

 「つまりね、科学的ということは、まず測る。自分の体なら体温や血圧を測るでしょ?気象なら気温や湿度や風向などを測る、それが出発点で、たとえばテレビのニュースで、なぜ「今日の放射線量」を発表しないのかな?と思うんだ」

 「智彦くんが、いつも言うのは、自分で決めるっていうことね」

 「放射線量の数値は、器械の誤差はあっても、真の数値は一つしかないけど、安全か危険かの判断は価値判断だから、黒から灰色から白まで、限りなく変化があるし、一人ひとりが決めることだから、専門家でも結論を押しつけれるはずはないんだ」

 「でも、お医者さんが安全とか危ないとうのは?」

 「医学だって,最近は、セカンド・オピニオンで、個別の医者の判断がかならずしも絶対ではないよね。判断も対応も、ひとつしかないのではなくて、無数の可能性があるのだと思う」

 「あ!ほら!ビニールハウスが壊れてる!」

 

 

遠州の遺跡・寺社 51 南区倉松町の松尾神社

2011年09月27日 05時14分28秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 51 南区倉松町の松尾神社

 東西に走る掛塚舞阪線の、JAとぴあ小沢渡の東側を南に入って、道なりに曲がっていった北側にあります。

 南から見た方向は、22度(NNE)です。

 この松尾神社が誰を祀っているのかは、説明板が見つからなくて、わかりませんでした。

 『浜松の神社名鑑』が出てきたら、補足します。

 通常は、松尾神社は、朝鮮からの渡来人の秦氏が信仰している大山咋神(おおやまくいのかみ)などを祀った神社で、浜松市内では中区元魚町の松尾神社の方が有名です。

 松尾神社は、酒造りの神さまとしても知られているのは、古代技術の「ものづくり」にたけた秦氏が、酒造りの技術も日本に伝えたから、ということになっているようです。

 松尾神社が酒造りの神さまというのは、ぼくは漫画『夏子の酒』で知りました。

 
 

遠州の遺跡・寺社 50 南区新橋町の親合神社

2011年09月26日 07時49分17秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 50 南区新橋町の親合神社

 「浜松の寺社」シリーズを再開します。

 今日は、南区新橋町(にっぱしちょう)の親合(むつあい)神社です。現場では「親合」の読み方が書いてなくて、ねっとで調べたら「むつあい」でした。

 なぜ「親合」と書いて「むつあい」なのか、不明です。

 西区の舞阪町から東に向かう「掛塚舞阪」線の途中で,道に向かって神社があります。

 神社の方向は、神社に向かって真北から5度、東に偏しています。つまり、神社に住む神さまから見ると、南から5度、西へずれているということです。
 
 ここでは、毎年?かどうか、金魚ファンが集まって「愛魚会らんちう交換会」が開かれるようです。

 

 

浜松・放射線量測定情報 18 9月25日(日) 南区から西区へ測定

2011年09月26日 06時29分45秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 18 9月25日(日) 南区から西区へ測定

 今日は南区から西区を2kmめっしゅの交点を主に測りました。測定者雨宮智彦、記録者雨宮則子。

 午後1時45分。南区新橋町(にっぱしちょう)の親合神社の駐車場。F2ポイント。
  平均値 0.0511
  最大値 0.053
  最小値 0.049

 なお、南区の「新津(しんづ)地区」というのは、「新橋町」と「米津町」を足して命名された地名と、どっかで聞きました。

 午後2時03分。南区倉松町。松尾神社の入り口の道路の逆の側の路上。G2ポイント。
  平均値 0.047
  最大値 0.054
  最小値 0.048

 午後3時46分。西区役所の入り口手前の、ベイシアの西、路上。I3ポイントの代替地点。
  平均値 0.0226
  最大値 0.025
  最小値 0.021

 午後9時56分。自宅のA地点。天気くもり。
  平均値 0.0417
  最大値 0.046
  最小値 0.039


雨宮日記 9月24日(土) 浜松基地自衛官人権裁判の勝利打ち上げ!

2011年09月26日 05時59分07秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月24日(土) 浜松基地自衛官人権裁判の勝利打ち上げ!

 この1週間、則子さんは、この日のための準備で、毎日のように、事務局の誰かに電話したり、出欠の返事の来ない人に電話やファックスしたり、共同法律事務所に原稿を取りに行ったり、忙しい日々でした。

 ぼくも、この日のために、「返信「わたしのひとこと」を氏名あいうえお順で8pに編集して印刷原稿をつくりました。

 台風15号は通過して、今日は快晴の良い天気、元城町のホテルコンコルドの「海の間」に70人くらいの人が集まって「勝利報告集会」をしました。

 則子さんと、この闘いで初めて知り合ったMさんが司会です。

 みんな発言は感動的で、胸が熱くなりました。

 ぼくの「わたしのひとこと」は以下の通りです。

 「4年間は短く長かったけど、いろいろ学んだ歳月でした。Sさんが自分の心の中にずっと生きていくように思います。これまで顔も知らなかった皆さんと支える会で一緒に闘えたのも、とてもよかったです。裁判勝利という一致点での団結!またいつか、どこかで、一緒にやれるといいですね。」

 「わたしのひとこと」から、感動した文章を紹介します。

「お願いがあります。
 今もなお苦しんでいる人がいる。
 事ここに至る前に、どうぞ手をさしのべてください。
 辛さに黙する眼に気づいてください。
 戻る道を見つけられるそのうちに。誰をも原告にも被告にもしてはいけないのです。
 残されて、哭くものを作ってはいけないのです。」

 すこし時間をオーバーして7時半ごろ報告会を終えてから、同じ「ホテルコンコルド」の「金木犀の間」で2次会を9時半までしました。

 心が感動でいっぱいになって、満ち足りて、みなさんと「おやすみなさい」とお別れをして,2人でタクシーで帰りました。

 則子さん、4年間、お疲れさまでした。

 こういう、いいチームの一員として、2人でやれたことは、とてもうれしいね、ということを2人で確認しました。

 そして亡くなったSさんや、毎年自死に追い込まれる、自衛隊では100人くらいの、日本全国では3万人の人たち。

 悩み疲れた人たちと,少しでも対話して、悲劇を少なくしていきたいと、2人で話し合いました。

 
 


本と映像の森 174 野尻抱介さん「歌う潜水艦とピアピア動画」

2011年09月26日 05時27分52秒 | 本と映像の森
本と映像の森 174 野尻抱介さん「歌う潜水艦とピアピア動画」(早川書房『SFマガジン 2011年8月号』p248~p273)

 8月25日に「本と映像の森 172 野尻抱介さん『沈黙のフライバイ』」を紹介しましたが、それを読んで、野尻さんのブログを見て、本屋に注文してしまいました。

 この『SFマガジン 2011年8月号』のなかで、いちばんよかったのが、この野尻抱介さん「歌う潜水艦とピアピア動画」でした。

 導入部は、海洋生物研究者の若い中野さんが、海上自衛隊の潜水艦によるクジラの行動探査プロジェクトを提案するところから始まります。

 中野さんより10才年上の「産総研」の後藤さんが「ボーカロイド」=「ネット上のバーチャルアイドル」(実世界では「初音ミク」さんです)をクジラにむけての音声に使う子とを提案してから,プランはファンの声援に後押しされて、現実化していきます。

 その前の酒場で、後藤さんが中野さんに言った言葉が楽しいです。

 「人生は宮崎アニメで学んだもんだよ」

  ☆☆

 計画は進行し、中野さんと後藤さんが器械類を積み込んで出航した、海自の潜水艦「かざしお」は太平洋への試験公開にでかけます。

 ザトウクジラとの対話と航海を始めると…しばらくして…不思議な反射エコー電波が出現して…。

 結末はすごくすてきです。

 「接近遭遇」ものとしては、第1級ですね。

 これ、ぜひアニメ映画にして欲しいな!





浜松・放射線量測定情報 17 9月24日(土) 自宅(Aポイント)

2011年09月24日 23時40分11秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 17 9月24日(土) 自宅(Aポイント)

 昨日から自宅の測定ポイントを変更しました。

 午後11時28分、快晴。
  平均値 0.0455
  最大値 0.050
  最小値 0.037

 昨日の値。
  平均値 0.0468 
  最大値 0.051 
  最小値 0.041

 測る時間は、定時というわけにはいきません。

浜松・放射線量測定情報 16 9月23日(金) 自宅の測定ポイント変更

2011年09月24日 05時48分04秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 16 9月23日(金) 自宅の測定ポイント変更

 9月初めから、放射線量測定を始めましたが、浜松全体で2kmめっしゅのポイントで測っていくうちに、雨宮の自宅(中区十軒町)での数値がどうも高すぎることに気づきました。

 今日は、自宅の周辺をぐるっと回って測ってみました。10秒ごとに10回測定。

 1、平均値 0.0365 最大値 0.039 最小値 0.033
 2、平均値 0.0440 最大値 0.047 最小値 0.039
 3、平均値 0.0419 最大値 0.044 最小値 0.038

 自宅のコンクリの駐車場の測る位置を家の壁やブロック塀から離して、測ってみました。
 結果は以下の通りです。 

 4、平均値 0.0468 最大値 0.051 最小値 0.041

 この新しいポイント(雨宮家A点とします)は、これまで測ってきたポイント(雨宮家B点とします)に比べ、かなり線量が減ります。

 これまでのB点で測ったのは、以下の数値でした
 5、9月23日 平均値 0.0529 最大値 0.056 最小値 0.048
 6、9月22日 平均値 0.0607 最大値 0.067 最小値 0.054

 A点は、家の壁やブロック塀から1m以上離していますが、もしかしたら、まだ家や塀からの放射能の影響があったのかもしれません。

 A点とB点の差は、9月23日に、0.0061マイクロシーベルト/毎時、です。

 自宅A点の数値なら、周辺の数値と似た数字になっています。

 今後は、自宅はA点で測ることにします。これまでのB点の測定値を使う場合には、A点とB点の数値の差を考慮して使ってください。

 (注)最初の文章は、A点とB点が混乱していたので、9月25日(月)早朝に正しく修正しました。


 

雨宮日記 9月23日(金) 秋分の日=お彼岸に「空からの落下物情報」

2011年09月24日 05時30分13秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月23日(金) 秋分の日=お彼岸に「空からの落下物情報」

 テレビのニュースを夕方見ていたら、アメリカの人工衛星「大気観測衛星」が明日に、世界のどこかへ落下、と言ってました。日本にも可能性はあるようです。

 計算では、衛星は燃えてバラバラになって残った20数個の破片が地球の何処かへ落下するそうです。

 番組では「誰か一人に当たる確率は、20兆分の1(と記憶では)」と。ぼくにぶつから可能性はゼロではないですね。

 さらに「正確な落下位置は2時間前にNASAが発表する」と。発表されてもねえ?予報位置にいる人は逃げないといけないのかな?

 速度は車より速いようなので、見えてから逃げても遅いようです。

 まあ、でも気休めですが、空から落ちてきたのをもし見付けたら、それが見える方向が変わらずに、ただ大きくなるだけなら、それは「あなたに向かって」落ちてきていますから、すぐ、それが来る方角に対して直角に90度の方向に、全速力で走って逃げましょう。

 さらに「アメリカは被害を国際法で補償しないといけない」と、言ってました。補償されてもねえ。

 つまり、これは「宇宙のゴミ」です。
 
 「ゴミ環境ネット」の一員としては、一言言いたいですね。

 こういう巨大なゴミを放置しておいて、地球に自由に落とせること自体が変ですね。人的・物的損害は補償すると言うけど、それ以前に宇宙ゴミを地球に不法投棄しないという条約をきちんと結ぶべきではないかと思います。

 

浜松・放射能測定情報 9月22日(水) 中区と自宅の測定

2011年09月23日 06時36分35秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射能測定情報 9月22日(水) 中区と自宅の測定

 午後2時56分、中区の浜松基地の北・高丘公園の横。
  平均値 0.0415
  最大値 0.045
  最小値 0.035

 午後5時44分、自宅
  平均値 0.0607
  最大値 0.067
  最小値 0.054

 

日本古代史ニュース 福岡市元岡古墳群G6号墳で銘文鉄刀を発掘

2011年09月22日 05時54分23秒 | 古代史ニュース

日本古代史ニュース 福岡市元岡古墳群G6号墳で銘文鉄刀を発掘

 福岡市教育委員会は9月21日、福岡市西区の元岡古墳群のG6号墳(直径18m)の石室から、銘文の入った鉄刀が出土したと発表しました。

 鉄刀は、長さ約75センチで、さびていましたが、X線撮影で象眼(ぞうがん)された文字が発見されました。

 文字は「大歳庚寅(こういん)正月六日庚寅日時作刀凡十二果○」と19文字が書かれ、発表に寄れば最後の文字は「練」の可能性があるとしています。

 『日本書紀』で百済から西暦554年にもたらされた南朝系の暦「元嘉(げんか)暦」だとすると西暦570年になるとしています。

 報道ではこの元岡G6号墳は「7世紀中ごろ」とされていますので、この約1世紀の差が気になります。

 この刀がどこで作られたかですが、考えられることは,以下のようになります。

 ① 現地で古墳の被葬者の家系の誰かが作った(もちろん、誰かが技術者に作らせた」のですが)。
 ② 九州の誰かが作って、元岡古墳群の被葬者乃家系に与えた。
 ③ 九州以外の、たとえばヤマト国家がつくって与えた。

 いつつくられたか、ですが、以下のどちらか、だと思います。

 ① 庚寅(西暦570年)に作られて、約1世紀弱後に埋蔵された
 ② 「庚寅」という年号を使って、7世紀半ばに作られた 

 いろんな可能性を考えていくべきで、銘文入り鉄刀が出土すると、すぐに「ヤマト国家から下賜(かちょう)」と発言する短絡思考では日本古代史の解明は困難だと思います。

 すくなくとも、鉄刀の銘文には、そんなことはいっさい書いてありません。
 
 やはり、鉄刀の文章が語ることに、まず耳を傾けましょう。

 「ヤマト国家から下賜(かちょう)」と、すぐ言えるためには、以下の前提の証明が不可欠です。
 
 ① ヤマト国家しか鉄刀の象眼技術は持っていなかった
 ② 大和政権しか鉄刀の象眼と下賜の権利は持っていなかった

 今回が「銘文付鉄刀」の出土としては7回目と報道しています。

 たぶん、東から、以下の様でしょうか。これ以外に「七支刀」があります。
 ① 千葉県 稲荷台1号墳出土「王賜銘」鉄剣 5C
 ② 埼玉県 稲荷山古墳出土の鉄剣銘
 ③ 奈良県 東大寺山古墳出土鉄刀 「中平年」
 ④ 兵庫県 箕谷(みいだに)2号墳 「戊辰(ぼしん)年五月」銅象嵌 =607年
 ⑤ 島根県 岡田山1号墳出土の鉄刀 「各田了臣」
 ⑥ 福岡県 元岡G6号古墳出土鉄刀 
 ⑦ 熊本県 江田船山古墳出土鉄刀 約75字 

 7カ所の内、奈良県は、すこし異質な「中平年」の東大寺鉄刀だけです。
 
 あとは関東2カ所(千葉・埼玉)、近畿1カ所(兵庫県)、山陰1カ所(島根県)、九州2カ所(福岡県・熊本県)。

 「ヤマト国家からの下賜」というなら、まずヤマト国家内の豪族に「下賜」されて、奈良県内からたくさん「銘文付鉄刀」が出土しても、おかしくないですが。

 なぜわずか直径18mの古墳から、こんな銘文付鉄刀が出るのでしょうか?これより大きい古墳は福岡県に、九州に何基あるでしょうか?

 浜松でも18mより大きい古墳はたくさんあります。もし、古墳の大きさが、豪族の各付けを表現しているなら、おかしな現象ですね。
 


雨宮日記 9月22日(木)早朝 台風の後、涼しい夜と涼しい朝でした

2011年09月22日 05時47分05秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月22日(木)早朝 台風の後、涼しい夜と涼しい朝でした

 台風15号の暴風雨が去って、夜も早朝も、寒いくらいの涼しい、静かな朝でした。

 浜松に台風が直撃したのは、いま「中日新聞」で見たら「20年ぶり」だそうです。

 市内のあちこちで木が倒れたり、モノが散乱したり、まだ片付いていない状態です。

 今朝は帰って来て、則子さんをおこして、いっしょに「粗大ごみ(以前に連絡済みでそのときに聞いた番号を張る)」の本棚を、集積所に2人で持って行きました。

 我が家は集積所がすぐ目と鼻の先で、遠くないので楽ですが、遠い人は大変です。