雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2月27日(水) 則子さんの花粉症がひどくなってきました

2013年02月28日 05時24分51秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月27日(水) 則子さんの花粉症がひどくなってきました

 今日は、午後、電車で則子さんといっしょに出掛けました。昨夜は雨が降りましたが、遠鉄高架が年末に完成した曳馬駅は、駅へ登る階段の屋根がないのと、なにか構造の欠陥ですね、階段の踊り場に、いまだに水が溜まっていました。

 この階段部分は、遠鉄ではなくて、浜松市の管理部分なのだそうです。水で足を滑らせてころびそうで危ないです。浜松市や遠鉄に要求をしていきたいと、則子さんと話をしました。

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 遠州病院駅で降りて、今日は、浜岡原発永久停止裁判静岡県西部の会の事務局会議です。新たに静岡市を中心に第5次原告155人が増えて、336人になった段階での、量的・質的発展を展望しなければならないのと、来月に迫った「西部の会第2回総会」の準備でたいへんです。

 なお、則子さんはこの西部の会の事務局副責任者で、ぼくは、その則子さんの下働きの「事務局員」です。

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 今日は昨日とはうって変わって、暖かい、3月のような、春の陽気でした。あちこちで、草の若い葉が出てきている感じです。

 則子さんは、花粉症の症状が出てきて、涙が出たり、鼻をクシュンクシュンさせています。今年は花粉症が遅いそうです。

 ぼくは、花粉症の症状がまったくないのですが、次女はすこしあります。こういう違いは、どこから来るのでしょうか。

 


古代史を考える 1 「卑弥呼の墓」について

2013年02月26日 05時19分23秒 | 古代史を考える

古代史を考える 1 「卑弥呼の墓」について

 魏志倭人伝には、倭国女王の卑弥呼の死について、こう書かれています。
 「卑弥呼以て死し、大いに「ちょう」を作る。径百余歩。」(すみません。「ちょう」の漢字が今書いているソフト「一太郎」にありません。原文を見て下さい)

 「径百余歩」とは何でしょうか。もし、ほんとうに箸墓が卑弥呼の墓であるなら、前方後円墳なのですから「幅○○歩、径○○歩」とか書くべきでしょう。
 「径」という意味は、やはり「円墳」または「四角形の古墳」としか思えません。
 そして問題は「百余歩」です。中国古代には「歩」は「里」の下の単位です。そして「1里=300歩」です。

 「倭人伝」には、「1里」が何kmかを確定できるデータがあります。たとえば、以下のようになっています。
 ① 南朝鮮の狗邪韓国(今の釜山付近とされています)から「対海(対馬のことです)」まで「千余里」
 ② 対海国は「方四百里ばかり」
 ③ 対海から「一大国(当然、今の壱岐島のことです)」まで「千余里」
 ④ 一大国は「方三百里ばかり」
 ⑤ 一大国から「末廬国」まで「五百里」

 「余」はどれくらいでしょうか?3割?2割?2割くらいと仮定してみます、
 「方四百里」というのは四辺形で一辺が四百里という意味ですから、一辺の長さ分を計算に入れましょうか。
 すると、1200里+400里+1200里+300里+500里=3600里
 以上を実際の地図で確かめると、釜山付近から福岡県の東松浦半島まで、約200kmです(手許の『プレミアムアトラス 日本地図帳』平凡社)。
 200km÷3600里=0.05555km/里=約55m/里

 古田武彦さんの別の計算では、約75~90m/里としていますので、雨宮計算と古田さんの計算は誤差は3割くらいありますが、桁はあっています。
 この「倭人伝」の数値から計算すると、1里=300歩ですから、卑弥呼の墓は、雨宮計算では、半径18m、古田さんの計算では25mから30mとなります。
 どういう計算をするにしろ、同じ文章の中で、違う尺度体系が使われているようなことはあり得ないと思います。
 もし、南朝鮮から北九州までの「距離」が何倍も過大であると仮定するなら、当然、卑弥呼の墓の「径」も何倍も過大でなければなりません。
 私は、南朝鮮から北九州までの距離、倭人伝内の距離、墓の直径など、すべて実際の距離に近い適正な数字であると思います。

 参考文献は、古田武彦さん著『「邪馬台国」はなかった ー解読された倭人伝の謎ー』ミネルヴァ書房、2012年(原著1971年)、p131~156、p231~240
  ☆
 なお、卑弥呼は、倭国の女王であって、邪馬壱国(現代の通称では邪馬台国)の女王ではありません。邪馬壱国は、倭国の首都です。「邪馬壱国の女王」と呼ぶことは、「東京の天皇」と呼ぶような珍妙な言い方です。正しくは「倭国の女王」「日本国の天皇」です。
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 歴史的人物である卑弥呼さんは、敬称(「さん」)を略させていただきました。


雨宮日記 2月22日(金) 父・節三さんの本『落葉松』原稿完成!

2013年02月23日 04時57分55秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月22日(金) 父・節三さんの本『落葉松』原稿完成!

 今日は「フフフの日」です。「雨宮ブログ」開始から1201日目。

 則子さんにお願いして、『落葉松』の原稿・一太郎で253ページのファイルと、長女夫妻が書いてくれた(絵を長女が、題字を長女の夫が書いてくれました)表紙のファイルをUSBメモリーで、出版社でスキャナーで読み取ってもらい入れ込んでもらう原稿(地図や年表など)を17枚、郵送で送ってもらいました。

 昨年からずっと作成してきた原稿で、やっと手を離れてホッとしました。出版社で印刷原稿(PDFファイル)にしてもらい、一度、著者校正をして、1ヶ月ぐらいで本になります。

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 歌でありましたね、「いま終わる一つのこと…」、これで次のことにかかれます。

 次のこと、というのは、やはり、①「青い地球 平和年表 浜松平和運動史」、②雨宮智彦ノート①「銀河とタンポポ 雨宮夫妻34年史」でしょうか。

 


雨宮日記 2月21日(木) 演劇・青年劇場「臨界幻想2011」観ました

2013年02月22日 05時23分16秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月21日(木) 演劇・青年劇場「臨界幻想2011」観ました

 忙しさは、まだ続いているのですが、則子さんが「智彦くん、行こうよ。3000円も払うんだから」と「費用対効果比」みたいなことをいうので、苦笑いして、お昼過ぎに起きて、遠鉄電車で浜北に行きました。

 1980年代の初めですから、30年前に、当時の浜松市民会館(今の「はまホール」)で観た、青年劇場の「臨界幻想」のリメイクで再演です。

 そのときに観た記憶はあるのですが、演劇の筋は覚えいなくて、最後の「臨界」場面の強烈な「赤」の記憶しか残っていませんでした。

 主催者の一人のMさんから「大赤字にならないか心配」と聞いていたので、心配して行ったら、会場のホールはかなり埋まっていました。

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 演劇が始まって…思ったのは、やはり「福島」の体験を、どこに置くかですね。演劇は原発の管理者の青年の死の謎から始まるのですが、演劇の最後に、フクシマを思わせる、原発事故が起きます。

 でも、フクシマは、物語の結論ではなくて、出発点だと思います。

 演劇の最後で、青年の母親と、青年と愛しあっていた女性が、「渚にて」の設定のような、青い空の下で、語り合いますが、そこから「どうする?」というのが見えてきません。

 やはり「フクシマ以前」と、「フクシマ以後」は違うんですね。

 そのことを大事にして、いろいろ考えていきたいと思います。

 


古代史ニュース 2013年2月20日(水) 箸墓の地上を立ち入り調査

2013年02月21日 05時06分11秒 | 古代史ニュース

古代史ニュース 2013年2月20日(水) 箸墓の地上を立ち入り調査

 各新聞やテレビでも報道していますが、「箸墓」に考古学者たち16人が宮内庁の許可を得て地上を歩いたという記事が出ました。

 各紙で違いはありますが、『静岡新聞 2月20日(夕刊)』は「“卑弥呼の墓”立ち入り」「箸墓古墳は最古の前方後円墳とされ」「「径百余歩」が、箸墓後円部の直径約150㍍と同規模である」「出土品から築造年代は260年前後とみられる。卑弥呼が死んだ248年ごろにも近い」と書いています。

 すべて、「魏志倭人伝」ではなく「疑史倭人伝」だとボクは思います。

 ① 箸墓の年代は、無理矢理、3世紀にした「卑弥呼の墓」説から、4世紀の後半説までいろいろあって、どれが定説とは言えません。マスコミは「裁定機関」「正義の裁判所」なのでしょうか、あほらしいです。

 ② たとえ「卑弥呼」と「箸墓」は同時代となっても、卑弥呼は九州にいれば、箸墓は奈良県、無理です。証明できていません。

 ③ 「箸墓は最古の前方後円墳」と書いてありますが、実は箸墓より、古い古墳が奈良県内にもあることはすべての考古学者が認めています。これだと「箸墓は最古の古墳」のように読めますね。その場合、箸墓より古い古墳群が、いったい誰たちのお墓なのか、説明できません。

 ④ 「径百余歩」=150mか?実は、古代史学者の古田武彦さん(そのすべての主張が正しいとは思いません。主張の一つひとつについて検証すべきです)は、「短里説」を主張していて、その場合、もっと小さくなります。

 ⑤ 「九州説」の一人である原田大六さんは、福岡県糸島郡の「平原弥生古墳」こそ、卑弥呼の墓であると主張していることは有名です。もちろん、150mもありません。

 ⑥ 炭素年代の260年前後説ですが、安本美展さんや季刊雑誌『邪馬台国』が、データに基づいて批判しているのを、みなさん参照して考えてください。つまり、データと解釈は違う場合があるのです。この場合、解釈について、多くの批判が出ているのを、マスコミは無視している場合があります。

 ⑦ 3世紀は弥生時代なのか?古墳時代なのか?箸墓の年代が3世紀なのか、4世紀なのか論争するのは科学者の自由ですが、時代自体が、1世紀もずり下がるわけはありえません。

 もっと精密な論議はあるのですが、紹介する時間がありません。みなさん、自分で調べてみてください。

 『朝日新聞 2月19日 夕刊』は、もうすこし冷静で、タイトルが「卑弥呼説 どこまで解明」となっています。

 本文では「邪馬台国が今の奈良県周辺にあったという「近畿説」の研究者の間では、箸墓古墳は卑弥呼の墓の最有力候補とされている」と、客観的報道に徹しています。一つの見識ですね。

 


本と映像の森 244 テレビ番組「ビブリア古書堂の事件手帳」

2013年02月20日 05時34分20秒 | 本と映像の森

本と映像の森 244 テレビ番組「ビブリア古書堂の事件手帳」

 最近、則子さんと次女のIさんと3人ではまっているテレビ連続ドラマです。

 いま第6話まで、来ました。

 神奈川県鎌倉市の片隅にひっそりと存在する古書店「ビブリア古書堂」の店主さんは、若い女性・しおりこさん、その弟と、風来坊の3人で運営しているところに、自分の家の古書を売りに来た若い男性、しかも幼児期のいやな記憶で本が読めなくなったという設定の若い男性「ごうらくん」の4人が織りなす「推理ドラマ」です。

 本が大好きなしおりこさんは、頭がきれて、ごうらくんのなぞを解いて、しかも「私の店で働きませんか」と…。

 しかし、しおりこさんは、母親のことを聞かれると無視して、弟に「母のことは聞かないで」といわれるような謎があります。

 つまり、しおりこさんの「母のトラウマ」と、ごうらくんが「本が読めないトラウマ」と、これを一挙に解決して、2人を幸福にする結婚ドラマであろうと、ぼくはかってに決めつけています。

 毎週月曜日、午後9時から1時間です。

 今週の第6話は、しおりこさんが、なぜか愛着する、太宰治さんの「晩年」初版本をめぐるドラマです。この本をなぜか執着するマニアが、しおりこさんに密着してきます。

 このマニアは誰か?

 5回までのドラマを見た読者には、意外な人物です。

 6回では、これまでの1回完結の形式を破って、次回、第7回にドラマが続いてしまいました。予告編の感じでは、本の「本文」を読めないごうらくんと、本が大好きなしおりこさんの、決裂??の感じまでアナウンスしています。

 この危機を、ごうらくんとしおりこさんのカップル(もうかってに「カップル」と決めつけてますね)は、どう乗り切るのか?!次回をお楽しみに!

 うわ、ここまで来て、ごうらくんとしおりこさんがラブラブにならなかったら、ドラマ制作者を許しませんからね。

 やはり、ごうらくんが、しおりこさんを失いたくないために、本の「本文」を読めるようになってしまい、太宰治の謎も解いてしまう、という、そういう結末にしたいですね。

 


浜岡原発永久停止裁判 2013年2月18日(月) 第7回口頭弁論

2013年02月19日 14時50分17秒 | 浜岡原発ニュース

浜岡原発永久停止裁判 2013年2月18日(月) 第7回口頭弁論

 浜岡原発永久停止裁判の第7回口頭弁論が静岡地方裁判所浜松支部で開かれ、静岡市を中心に原告155人が第5次追加提訴、原告数は336人になりました。

 また原告から、国を被告に追加した新「訴状」と「準備書面(4)」を提出しました。

 次回、第8回口頭弁論は、5月27日(月)です。

 <2月20日補足>則子さんが聞き損ねたので、事務局長さんに電話して確認しました。開廷時間は、最近の時間通り、午前11時です。

 詳しくは、浜岡原発永久停止裁判 原告団・弁護団・支援組織共同ブログで続報します。(まだ載ってません)。


雨宮日記 2月18日(月)早朝午前5時 眠れない…「雨水」の日

2013年02月18日 05時17分47秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月18日(月)早朝午前5時 眠れない…「雨水(うすい)」の日

 今日は「24節気」の「雨水」の日です。つまり、暖かくなり雪から雨に変わり、土に染みこみ始める日です。

 実際、今日は雨で、すでに浜松でも午前3時過ぎから降り始めました。

  ☆

 今日は、浜岡原発永久停止裁判の第7回口頭弁論の日で、静岡市を中心に第5次提訴が155人(予定)の原告を追加しておこなわれる日です。

 午前5時頃、仕事から帰ってきて午前9時まで眠れれば行けるかな、と思っていたのですが、昨夜寝過ぎたのか、午前5時にお布団に入って、則子さんが目を覚まして手を握ってくれて暖めてくれても、ぜんぜん眠くなりません。

 「ごめん、眠れない」

 「いいよ。無理しないで。」という言葉に甘えて、行かないことにしました。昨日は、事務局として、今日の参加者への説明ちらし(A4版、2p)と感想用紙(A4版、1p)を200枚印刷して則子さんに渡したし、第5次原告への「静岡県の会」ニュース「希望 第1号」を160部用意したし、ぼくの任務は果たしましたから。

 ただ、当日の「写真班」は心配なのですが、則子さんにお願いしました。よろしく。


雨宮日記 2月16日(土) 自然現象ってすごい…ですね、隕石落下

2013年02月16日 20時40分51秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月16日(土) 自然現象ってすごい…ですね、隕石落下

 今日は午後1時過ぎ、目が覚めて起きたら、則子さんが「髪伸びてるから切ろう」と結論的に言うので、つい「はい」と答えてしまいました。ちなみに、結婚してから床屋さんに行ったこと、ないですね。則子さんの「蟹が髪切って、チョッキン、チョッキン、チョッキンな」という無料床屋のお世話になっています。

 自分で適当に切ることもあります。その方が楽ですから。

 台所に新聞紙を敷き詰めて、置いた椅子に座って、則子さんの「手技」を堪え忍びます。

 「まだですかあ」と思いますが、口には出せません…。

 苦行十数分…やっと終わると、「髪洗うから」と…。髪を洗って、やっと放免です。

  ☆

 夕方、2週間に1回、行く図書館へ、2人で車で行きました。返す本を返して、新しい本を借りて…ほんとうに無料で借りれるって、いいですね。人類の大発明です。

 もちろん、有料で買う本屋さんも、可能な限り(財布のです)利用していますけど。

  ☆

 チェリャビンスク隕石の続報を追っていくと、NASAの発表では、ロシア政府発表より、隕石のサイズがでかくなってます。NASAは直径17m、質量1万トンという発表でした。ロシア政府の発表は、直径数m、質量10トンでした。

 チェリャビンスク隕石のエネルギーは広島原爆(TNT火薬で15キロトン)の30個分だそうです。

 隕石で有名なのは、中生代の恐竜絶滅の原因が「隕石」説です。6500万年前の中米・ユタカン半島に激突した隕石ですが、これが恐竜絶滅の原因かどうかは、ぼくは、まだ保留しておきます。あまりにも、面白い謎解きですから。

  ☆

 夜は、則子さんは、芳川の里で開かれる「たんぽぽ会」の理事会に出るので、ボクが車で送っていきました。

 いま午後9時ですが、まだ帰ってきてません。帰ってきたら、今夜は仕事はないので、2人で、ゆっくりとお布団の中で暖まりたいと思います。則子さん、いい?だめかな?

 則子さんの暖かな繊細な指で弄ってくれるのが…大好きです…。

 


雨宮日記 2月15日(金) 生きている瞬間に大隕石落下に遭遇!

2013年02月16日 04時59分21秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月15日(金) 生きている瞬間に大隕石落下に遭遇!

 こんなことも生きている瞬間にあるのか!と天文マニアとしては感動というか、負傷したロシアの皆さまにはごめんなさい。

 ロシアのウラル・チェリャビンスク州で、現地時間15日午前9時20分頃(日本時間で午後0時20分)に、白い光と大音響が鳴り響き、ガラスが割れるなどして、住民1000人が負傷,43人が入院、2人が重態です。

 ロシア政府の発表では、隕石が大気圏外から南東から北西へ45度の角度で突入、高度70kmから30kmで3回空中爆発しました。隕石は推定で直径10m近く、質量は10トン程度、速度は時速5万4千km、としています。

 それにしても、ロシアは20世紀初頭のツングースカの彗星爆発もあって、宇宙天体衝突に縁がありますね。

 ウラルにはロシアの核施設がありますが「無事」との発表です。

 天文宇宙ファンとしては、どんな隕石なのか、早く知りたいです。

 続報を待ちます。 

 もちろんSFファンとしては、マイケル・クライトンさんの小説「アンドロメダ病原体」のような、宇宙から来た隕石落下で人類を脅かす致命的ウイルス蔓延などは起きてほしくないですけど。

  ☆

 奇跡的な偶然ですが、日本時間で16日の土曜日早朝に、地球の近傍を直径45m、質量13万トンの小惑星「」が高速で通過することが予測されていて、わずか1日違いの偶然に、慄然とします。

 もちろん、2つの事件には、何の因果関係もありません。偶然の一致です。

 それで思い出したのは、今年の1月20日の深夜、午前2時40数分に、日本の関東地方で、光と音響を伴う、巨大な「火球」が目撃され、推定では関東地方に飛来し、茨城県の海上に落下した隕石と推定されています。

 


雨宮日記 2月14日(木) 聖バレンタインの日、調子悪い…

2013年02月15日 05時30分30秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月14日(木) 聖バレンタインの日、調子悪い…

 なんだか頭の中が霧で…うつっぽくて、則子さんも花粉症なのか、調子悪そうでした。ぼくは則子さんに「ごめん、今夜の会議、調子悪いから眠らせて」と言って、パスしました。

 夕食はなんとか食べて、2階に行き寝ていたら、次女のIさんが帰ってきて「お父さん、いるの?」と云うので「ねてる」と云うと「バレンタインのチョコ、買って来た」というので「ありがとう、後でたべるから」と受け取りました。

 音楽好きのぼくの好みを知っていて「メトロノーム」型のチョコでした。

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 眠る時間でないのに寝ていると、かなり変な夢を見ます。今夜は、旅館のような、屋敷のようなところで、いっぱい人がいて、則子さんとぼくと次女のIさん(小さい頃の)がいて、「明日は、里山や田んぼで生きものを観てかえろうか」と言ってました。

 やはり、里山や生きものは、ぼくや則子さんにとって、根源的なものなのでしょうね。

 宮崎駿さんのアニメ「天空の城ラピュタ」で、少女シータが「土から離れては生きられないの」と言っているとおりです。

 


雨宮日記 2月11日(月) ぼくらの結婚記念日、第34年度目の始まり

2013年02月13日 05時07分09秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月11日(月) ぼくらの結婚記念日、第34年度目の始まり

 今日は、雨宮智彦と雨宮則子さんの結婚記念日でした。34年前の、今日、「雨宮夫妻」が誕生して、なんとか今日まで続いてきました。

 「記念してコーヒー飲みに行こう」「ぼくが(珍しく)おごるから」と言って、行きつけの喫茶店「シーン」へ行きました。

 結婚記念日という「苦い日」でしたので、シーンでいちばん苦いコーヒーを注文しました。則子さんに一口飲んでもらったら「にがあい!砂糖入れたら?」と言うので「甘くしたら、苦いコーヒーの意味ないジャン」と突っ込んであげました。

 則子さんの今後の仕事のことや、ぼくの今の仕事のことや、4月末に予定している父の90才誕生日記念のことなど、いろいろ話しました。

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 父の本「第1巻」が完成したら、ぼくと則子さんの自伝史、仮タイトル「銀河とタンポポ ー雨宮夫妻史-」を書き出したいと思っています。

 ぼくと則子さんの出会いから始まって、30年以上の歩みを、文献証拠を示しながら、書いていこうと思います。

 

 

 


雨宮日記 2月7日(木) 寒さもひとしお…梅が咲き始めました

2013年02月08日 05時24分25秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月7日(木) 寒さもひとしお…梅が咲き始めました

 昨日は日本列島各地で積雪でしたが、浜松は暖かくて、白い「折り鶴」も舞いませんでした。

 今日の午後は、則子さんと車で、原発裁判の役員会に出掛けました。会場では、すてきな紅梅が満開に近く咲いていました。

 帰り、わが家の近所でも、紅梅・白梅が咲いていました。

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 梅は元々、中国から渡来した植物のようですが、8世紀成立の『万葉集』では、花を詠んだ歌では、第1位が萩、第2位が梅、第3位が桜、です。

 9世紀の政治家・文化人の菅原道真さんは、時代の支配者である藤原氏にうとまれて「冤罪」で九州の太宰府に流罪になりますが、彼が愛した京都の梅が、彼を慕って太宰府まで飛んで来たという「飛び梅」の伝説が有名です。

 京都を追放された時の道真さんの歌

 「東風(こち)吹かば 思いおこせよ 梅の花 主(ぬし)なしとて 春を忘るな」

 


本と映像の森 243 中山七里さん『いつまでもショパン』宝島社

2013年02月07日 05時22分35秒 | 本と映像の森

本と映像の森 243 中山七里さん『いつまでもショパン』宝島社、2013年1月24日第1刷、325ページ、定価1400円+消費税

 2月6日(水)午後、起きてから、則子さんに「本屋行くけど行く?」と聞いたら「これ買って来て」と「種田山頭火と尾崎…」というタイトルと出版社のメモを渡されました。

 いつもの行きつけの本屋に行って、則子さんの指定の本もあったので買って、ちょっと店内を回っていたら視野に、なじみの色彩の本、しかも、違うタイトル!が目に入ってきました。

 あきらかに中山七里さんの本です。慌てて手に取ると「いつまでもショパン」、しかも先週発売で、内容は、テロリストの攻撃にさらされるショパン国際コンクール、しかもコンテスタント(コンクール出場者)の中に、岬洋介さんがいる!

 しかも岬洋介と並ぶ日本人出場者の中に「榊場隆平(さかきばりゅうへい)」という18才は、「盲目」です。彼の演奏の叙述はあきらかに辻井伸之さん、そのものです。中山さん!サービス精神満点!

 そして主人公は、ポーランド人の18才の男の子、やン・ステファンス。彼の目線で、彼の感覚で、彼の思考で、物語は進行していきます。

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 おもしろいのは、いま進行中のコミック「ピアノの森」も同じショパン国際コンクールを描いていて、主人公の一人がポーランド人の男の子で、父にピアノを教わり、父に反発しながらコンクールに参加しているのです。

 しかも彼が日本人主人公のカイといつも逢うのが、ワルシャワで有名なワジェンキ講演ですが、こちらでもヤンがワジェンキの森で出合うのが顔なじみの小さな少女マリーと話していた日本人岬洋介です。

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 「ピアノの森」と「いつまでもショパン」が同質の物語だといえるのは、どちらも主人公の演奏が、たんなる自分のため、家族のため、から解放されて、みんなのため、あるいは音楽自体のためと「変化」「化身」していくことです。

 つまり、彼らが「ほんとうの」ピアニストになっていく物語です。

 1月26日から「さよなら、ドビュッシー」の映画が公開されています。この「いつまでもショパン」もそれに合わせて発売されたのだと思いますが、ぜひ映画化してほしいですね。

 榊場隆平さんの配役は辻井さん本人で。

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 ポーランド警察が追う爆弾テロリストの「通称」は「ピアニスト」!

 解読の鍵は、物語の前半ですでに提示されていますが、物語の最後での、われらの「ピアニスト=探偵 岬洋介」さんと、「ピアニスト=テロリスト」との対決が見ものです!

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 そして「音楽に何ができるか」、全世界に配信されている最終本選で、岬洋介さんは…。

 ワルシャワから発信された「ノクターン」が、アフガンの戦場に流されて…。


雨宮日記 2月5日(火) 雪の夜の三題話、マリとアルジェリアとフランス

2013年02月06日 05時31分34秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月5日(火) 雪の夜の三題話、マリとアルジェリアとフランス

 「雨宮日記 1月18日(金) 絶望の国で「希望の国」とは?」で「アフリカ・マリでのフランス軍の空爆と、アルジェリアでのゲリラ襲撃について書きたかったのですが、今日はお昼前に起きて、午後、講演なので、後に回します。「発端」の問題でいうと、マリ共和国にはフランス資本が入っていて、ウラン鉱山がある、そこが、話の大事な出発点だと思います。」まで書いて終わっていたので、続きを書きます。

 今夜は浜松市原水協の理事会で、ちょっとそういう発言をしたので、証拠に書いておく気になりました。

 つまり、もともとフランス軍が、海外の(フランス旧植民地だったとはいえ)アフリカの国・マリ北部に空爆をしたのは、フランスにとって死活的な利権がそこにあるからで、けっして、アルカイダの支配からマリ人民を解放する、というような崇高な理念ではないと思います。

 死活的な利権とは、多くの人が述べているように、エネルギーの8割を原発でまかなっているフランスに重要な「ウラン鉱山」がマリにあるということです。

 そのために、マリを空爆したことで、アルカイダにアルジェリアの天然ガスプラントを襲撃する口実を与えたわけです。

 アルジェリア軍が、武装ゲリラを問答無用で制圧したことの、これからの結果はどうでしょうか?

 入り口がマリのウラン鉱山問題だったとすると、その「出口」は、フランス国内の原発への武力攻撃という結末にならないのでしょうか?

 すみません、地球は、あまり明るい未来にはなりません。でも、そういう「想定」をしておかないと、と思いまして。