雨宮日記 9月28日(日)の2 浜松基地航空祭で超うるさい、特に戦闘機F15!
午前中からうるさくて日刊赤旗配達の後、寝ていたのですが、起こされました。
昨日土曜日もそうだったけど、とくに空自F15のエンジン音はものすごくうるさい。この音を日常的に受けている方には、もうしわけないけど、一日でもがまんできません。
午後は、浜松のT4の連隊飛行がわが家上空を通過。
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御岳噴火は、どうも「低温火砕流」もあったという火山学者もいて、山頂から逃げてきた人も「40度くらいの熱風が吹いてきた」と言ってました。「のどをやけど」した人もいました。
今のところ、頂上付近で捜索して31人心肺停止だそうです。
ぼくは、噴火があるなら富士山だろうと思ってましたので、御嶽山とは意外でした。夏に富士山がいきなり噴火したら、と思うと、富士山は登山禁止にした方が安全だろうと思うのですが。
原発を考える 2 「除染」はできない、これは「移染」だ
だれが「除染」という適当な言葉を最初に考え出したのでしょうか。思考停止ですね。
放射線・放射性物質・放射能は、「移動する」ことができるだけで、「無くす」「除く」ことは、できません。
Aという地点で、放射能を少なくすれば、それは近くのBという地点で、放射能を多くすることです。
(参考、小出裕章『図解 原発のウソ』扶桑社、2012年3月11日)
帰還では無く、地域まるごと集団移住に踏み切るべきと思いますが、それができないなら、個々の家族・個人に「移住の権利」を認めて、移住希望者に、新しい土地であたらいい生活を始めるための資金を供給すべきです。
雨宮日記 9月28日(日)の1 自然史と古代史と現代史と未来史
昨日か数日前、西村さんという方が「太陽の塔」じゃない、それは岡本太郎だ、「太陽の党」の継承宣言をして、副代表かな、に、例の「元自衛隊右翼」の田母神さんを迎えると宣言しました。
安部首相とあまり違いはなさそうなので、安部さんを右から援護射撃をするというところでしょうか。
昨日の、御岳噴火を見て、自然のエネルギーのすごさを目の当たりにしました。田母神さんは、どうも、自然や社会や、古代史や現代史や未来史に、深い尊敬はしていないように思います。過去の、田母神さんたちが選んだ狭い「伝統」はとりあげても。
原始共産制や古代社会や封建社会や資本主義社会やいろんな哲学や思想、ぼくたちが継承し発展させるべきいろんな伝統があるということは認めるのでしょうか?
ぼくは「古事記」や「日本書紀」など古代日本の文献は尊重し、学校でも「日本神話」を正しく教えるべきと言う立場ですが、もちろん、それは「天皇制の正当性」とはまったく関係ありません。逆に、日本天皇家が、日本列島の正統の、本来の王者では無いことを証しています。
そして、歴史学は、いま世界を覆っている「軍事力によるテロとの対決」やイスラム国など「武力行使と単純対決する軍事テロ」が、人類史上時代後れであり、それに固執すれば、人類が停滞し滅亡するかどうかの瞬間に来ていることを教えてくれると思います。
原発や核兵器も、軍事力やテロのように、時代後れの、人類を滅亡させる文化だと思います。人類は、滅亡したくなければ、核兵器や原発を滅亡させなければなりません。そういうことをみんなで話しあいたいです。
「イスラム国」のような暴力国家を、ソ連のアフガン侵略・アメリカのイラク侵略・アフガン攻撃・イスラエルの攻撃などが作り出したとすれば、わたしたちのすべきことは、平和の文化・伝統、暴力・支配・収奪・搾取・差別を暴力的にではなく平和的に対話で創造することです。
むずかしいことですが、それをやりとげなければ、ぼくたちは滅びます。
滅びたくないので、何をなすべきか、みんなで思考しましょう。
雨宮日記 9月27日(土) 御岳火山噴火、自然の力はすごい‥
御岳火山が噴火しましt。NHKのカメラがちょうど山頂に向かっていて、山頂の向こうからもくもくと生き物のようにわき出してくる噴火の煙(火砕流で無くてよかった)とその雲の下にたくさんの登山者が慌てて降りてくる光景をとらえていました。
前兆の微動地震はとらえられていたようですが、「噴火予報」は現在の技術ではできないという証明のような噴火です。つまり川内原発で問題になっているような火山噴火の予知はたぶんできないだろうと。
爆発的なエネルギーの波動という点で津浪の映像と似ていると思いました。
拡大して爆発的噴火にならないことを祈ります。また、登山者のみなさんが無事、降りてこれるように祈ります。
小説『死都日本』のなかで、自衛隊が火山灰の雲でも飛行できる特別ヘリという設定がありましたが、これは小説だけの設定でしょうか?それとも、そんなものはない?
雨宮日記 9月26日(金) わが姫さまが要求する「ぼくの生涯のまとめ」
つまり、ぼくの「戦争と平和年表」と自伝「青い地球とオレンジの花」そして「戦争と平和の事典」と「戦争と平和の書籍目録」を4つ、完成できれば、ぼくの生涯は終わりですというのも、もう少しいろいろしたいです。これ、何年、かかるのでしょうか。
でも、ナウシカ姫さまが要求するので、いやいやではないですけど、喜んでやっています。
この30数年間、則子さんが「智彦くん、戦いなさい!」と指示を出して、ぼくが「わかった!アムロ、いきます!」という歳月だったと思います。
思い切り膨らませると、死ぬまでに完成しないし、自分の予定生涯に収めると、納得のいく内容より狭くなるし、むずかしいですね。
科学的社会主義の概念の再考、もやりたいですね。静岡県学習協から依頼があったので、30分、「資本論で読み解く過渡期とソ連論」を準備しています。
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則子さんは、今日は休みで、長女夫妻のところへ支援に行きました。
孫の男の子に 「小さな太鼓を買ってあげたいな」と言うので、ネットで調べました。「すみたや」にあるようです。
雨宮日記 9月25日(木) 過去の記憶・記録と未来への狭い十字路
「平和年表」と自伝「青い地球とオレンジの花」を書き出して、やっとわかったのは、これをやると必然的に、戦後史と戦前史、自分のしてきたことの過去の再評価をすべてしないといけないので、自分の中で、おびえてずっと始めなかったのだということ。
そして理論的検討をして、自分たちを新たなステップに上げるのでなければ、意味の無い仕事だからこそ、優柔不断を捨てる勇気が必要だったのだということ。
数年かかると思いますが、この狭い隘路を抜けて、新しい道に入りたいと思います。則子さん、ありがとう。
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則子さんが「部屋にダニがいる」と言っています。ぼくのことではないですよ。「智彦くんが向こうの部屋から古い本を持って来てここで整理しているせいじゃないか」と言ってます。
コープで「だによけハーブ」を買ってきました。すみません。
古代史を考える 『朝日新聞9月24日(木)』夕刊(3)面「美術 金銅製心葉型杏葉」
古墳時代のハート型(心葉型)の馬具です。福岡県沖ノ島から出土した逸品です。
記事では「どこでrつくられたのか」と題して、本文で「沖ノ島出土の古墳時代馬具は100点以上。製作地も、朝鮮の新羅、大伽耶(だいかや)、さらには倭(日本)までが想定されるなど国際色豊かだ」とあります。
つまり、この沖ノ島に奉祭したのは倭国だけではなく、朝鮮の新羅・加羅なども想定されるのではないでしょうか?この海峡をはさんだ倭国と朝鮮はイギリスがフランス本土に領土を持っていたように、、倭国=朝鮮二重帝国だったのではないでしょうか。
それにしてもここに、百済の影もないのは、なぜでしょうか。
百済=日本連合が記紀からは推定されますが、新羅・伽耶=倭国連合とは対立しますね。朝鮮半島と日本列島を舞台にして、2つの連合が敵同士で交錯していたのではないでしょうか。
その決戦が「磐井=継体戦争」だったのでは?
そして再び再興した九州勢力が隋唐時代の「倭国」「タリシホコ」だったと思います。
そしてこの倭国を鎮圧した飛鳥日本国は、親百済路線で、白村江の戦いで百済=日本連合として新羅=唐連合に決戦を挑みますが、惨敗。倭国は唐に占領されますが、日本まで唐が侵攻する力はなく、なんとか独立を保ったのが701年に始まる日本国です。
つまり、それまで九州倭国を日本列島の代表者として認めていた唐が、奈良の日本国を日本列島の代表者として公認したことから、日本の遣唐使が始まります。
あ、かなり暴走しましたね。この正否は、みなさん、自分で検証してください。参考はむかしの古田武彦さんの著書。最近のではありません。最近の古田さんの説は、汚染されてますからね。もしくは精神コントロールともいいます。
雨宮日記 9月22日(月) いつのまにか90万ヒットでした。ありがとうございます
いつのまにか、最近は毎日更新をさぼっているのに、90万9039ヒットでした。心からお礼申し上げます。できるだけ更新したいと思っています。
まだ昼間は暑くて、ウスバキトンボも飛んでいるし、蝶たちも飛んでいます。
でもモズが「秋の声」を鳴いているし、夜はコオロギが鳴き始めました。
明日はお彼岸、9月23日で、1954年9月23日に亡くなった久保山愛吉さんの60年目の命日です。
雨宮日記 9月21日(日) スコットランド独立成らずでした
則子さんが上島7丁目の「じむきち」(つまりどでかい文具屋)へ車で行って、というので、ついでに上島7丁目の「赤池神社」と早出町の「江間屋敷跡」に行こうと言って、久しぶりに歴史遺跡に行きました。
スコットランドの独立投票は、反対が賛成を上回って独立せずに決まりました。イギリスの核原潜の基地がスコットランドにあるので、やはり、核原潜は攻撃対象になるので首都から遠いスコットランドへ核原潜基地を置いたのか、と思います。原発の場合と同じですね。
ちょうど、夕方、用事で立ち寄った事務所でテレビを見ていたのが、西区・東区・中区の人だったので、「東区も、西区も、中区も浜松市からの独立投票やりたいですよね」と言ったら、みんなその通りと盛り上がりました。
雨宮日記 9月20日(土) 資本論第2部学習会でした
このところ、ぼくだけで資本論だったのですが、今日は則子さんも休みで、明日も休みなので珍しく参加。会場はクラス会が3つもあって、「すみませんが駐車場は使えないけど、いいですか?」というので「いいですよ」と、みんな近くへ車をとめて学習会でした。
単純再生産の 第Ⅰ部門 生産手段の生産
第Ⅱa部門 消費手段のうち必需品の生産
第Ⅱb部門 消費手段のうち奢侈品の生産
この3つの それぞれ C + V + m 部門 、つまり3×3のマトリックスがどうからみあうか、わかったと思います。
あとで投稿します。
夜は涼しくなって、熱いコーヒーが飲みたくなって、コンビニへインスタント・コーヒーを買いに行って、飲みました。最近は、則子さんも、ぼくと同じ小さなカップでコーヒーを飲みます。ただし「智彦くんのは濃すぎる」と言って薄めて飲みます。
今日は赤旗配達の日なので、夜は飲まずに、赤旗配達を終えてから飲んで寝ました。
原発を考える 1 原発労働者の「防護服」は「防護」しているのですか?
原発について、最近、いろいろ調べたこと、考えたことを書いていきます。
まず「防護服」です。
原発労働者の「白い服と防護マスク」ですが、あれはアメリカの化学大企業デュポンのつくった「タイベックス」という「高密度ポリエチレン(家庭用ラップなどに使われる)の極細繊維で出来た不織布を特殊な圧力処理したものです。大気中の微細な塵、粉塵を通さず、通気性、通水蒸気性が」があるといいますが、マンガ「いちえふ」でも汗だらだらになる状態が描かれているので「通気性」「通水蒸気性」良好では亡いようです。
ネットで調べたら、1着1000円台から2000円台の安さ。それはそうでしょう。鉛を組み込めば、ある程度ガンマ線をしゃだんできるでしょうが、重すぎて動けません。
つまり、アルファー線やベータ線を出している塵を防護する機能しかないということです。
このタイベックを2枚着込んで、現場で作業が終わったら外側の1枚を脱いで現場を去るということになっているので、意味はあるかもしれないと思いますが。
ガンマ線とアルファ線・ベータ線の現場での比率がどれくらいになっているかデータが無いので、もしアルファ線・ベータ線の数値が決定的に少なければ、意味ないということになります。
いままで原発内でのアルファ線・ベータ線・ガンマ線の比較測定データを見たことがありません。見た方はご一報ください。
ここで疑問が出て来ました。
そもそも現場労働者のもたさせれる線量計は何を測っているのでしょうか?ガンマ線だけ?
ぼくの持っている12万円の線量計はガンマ線しか測れません。高いのでないと無理でしょうね。
マンガ 「いちえふ」によれば、現場作業員の休憩所内は、3.0~5.5μSV/h だそうです。
そして1日に低いところの作業だと、たとえば0.01~0.03mSV、原子炉建屋内の高いところだと0.8mSVとか1.8mSVとかの被曝量だそうです。
1日ですよ。
恐ろしい話です。絶対、あとで確率的影響、白血病・ガンが多く出てくると思います。
雨宮日記 9月15日(月)の2 則子さんに最近のさくらさくらんぼ保育の父母の感想を見せたら
則子さんに最近のさくらさくらんぼ保育の父母の感想を見せたら、「20年間にこんなひどくなったのね。30年前に、斉藤先生が有名になってからひどくなったって聞いたけど。たんぽぽはそうならずに抜けだしたけど」
ぼく「いいものでも無批判に吸収すればそうなる。悪い物ならなおさら。悪い物でも批判的に吸収すれば役に立つんだけどね」
「智彦くんが「よびすて論」を園雑誌に書いたよね」
「呼び捨ては対等平等を意味しない、って論証した論文ね。「さん」がキライになると、、「お父さん」「お母さん」じゃいやで「オトー」「オカー」でカーカーからすになってしまうというの書いたっけ。探してるんだが、まだ出てこない」「今だったら、対等平等の関係の強調より、それぞれ独立でお互いに尊敬・尊重し合う関係という角度から書くと思うな」「対等平等の関係の中には、その人達全体が大きな型枠の中に閉じこめられている関係があるんだということを書くと思う。」
以上
雨宮日記 9月16日(月) 久しぶりの「さくらさくらんぼ保育」批判文書が出て来て懐かしい
毎日、古い文書・雑誌・新聞切り抜きを読み、必要な文書を打ったり・写真に撮ったり・残したりし、段ボール1箱くらいの捨てる紙を出しています。則子さんは大喜びです。
1993年何月何日付けの雨宮則子文書が出て来ました。当時、たんぽぽ保育園園長だった雨宮則子さんが、同僚職員に配った(かどうか記憶にないがたぶん配った)A4、8ページの文書ですが今読んでも、かなり的確な批判文書です。
則子さんとぼく、2人の合作文書です。何度書き直した(いや則子さんに書き直された)ことか。
批判は「さくらさくらんぼの模倣宗教」批判で、保育はどんなによく見える保育でもそれを批判的に吸収しないと宗教になってしうということを、さくらさくらんぼ・とねっこの具体的現象に即して具体的に批判した、たんぽぽ保育園職員内限定文書でした。ですから当時のたんぽぽの親はいっさい見ていないと思います。
重要なことは「さくらさくらんぼ・とねっこ」が正しくないとは言っていないことです。つまり正しいことであっても、無批判に追随すれば、それは主体も条件も環境も違うわけだから、形だけ模倣してもそれは間違った道に踏み込んでしまうということを詳述しています。
今から21年前の文書ですが、1984年の事件から9年目でこういう文書を書いたということは、21年前にこういう問題について一定の結論に2人が達していたわけで、自分で言うのも何ですが悪くないですね。
だからこそ、それから何年だったかな「平和運動の師匠」からの「破門事件」にも2人とも笑って即座に対応ができるくらい自立していたわけです。このことは自伝「青い地球とオレンジの花」で資料付きで詳述する予定。
さて、「さくらさくらんぼ・とねっこ」が20年経ってどうなっているか、ネットで探索したら、いくつか明快な批判がありました。1年で子どもをさくらさくらんぼから撤退した親のものがありました。20年前よりひどくなっているようです。何しろ宗教ですから、一度汚染すると、そこから目が覚めるのはかなり難しいですね。
20年絶って読み返すと、今の水準でいろいろ言い足りないことがありましたが、今さら書き足すのも不要な、歴史的文書です。読みたい方には提供します。