雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月31日(金)の3 7・26のビデオ編集第3日

2015年07月31日 21時32分48秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月31日(金)の3 7・26のビデオ編集第3日

 いつもは昼間にビデオ編集をするのですが、間に合わなくなってきたので、今日は夜、N夫妻のお宅で編集しました。

 音声部分の聞きにくい人の部分を、演壇前で撮っていたNGさんのファイルを借りて、差し替えました。
 
 ほぼ集会部分を終え、あとはパレード部分。11分になりました。それと演奏者・発言者の氏名・団体名を文字で入れます。

 ラストの仕上げをして完成です。

 写真はN夫妻宅の猫。編集作業をしている机に飛び乗ってきて、居眠りを始めました。その脚を伸ばしてだらんとした格好が、わが家の兎と似ています。

雨宮日記 7月31日(金)の2 暑くて麦茶を水で作りました

2015年07月31日 21時31分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月31日(金)の2 暑くて麦茶を水で作りました

 今まで麦茶をお湯で煮立てて、それからヤカンの中でゆっくり冷やしていたのですが、麦茶の大きな袋の裏を見たら、水出しもできますと書いてあったのです。

 エネルギー的にも一度熱くして、冷やすのはエネルギー的にむだがあると思います。冷蔵庫の中で数時間水出しすればいいというので、方法を変えました。

 写真見つかりしd

雨宮日記 7月31日(金)の1 「防災危機管理展」を視察

2015年07月31日 21時31分04秒 | 雨宮日誌
 雨宮日記 7月31日(金)の1 「防災危機管理展」を視察

 昼間は東区の産業展示館に「防衛危機管理展」ではなくて「防災危機管理展」で、陸上自衛隊の「軽装甲機動車」を展示していると分かったので、視察してきました。
 
 ボクは、平和委員としては珍しく、自衛隊の「防災展」参加を一から否定するものではありません。しかし陸上自衛隊の「軽装甲機動車」が防災にどう役立つのか、説明してもらうことは必要です。

 会場では迷彩服の男性自衛官が2人いて、車の説明と入隊募集をしていました。

 たぶん、1人は陸上自衛隊の車を運転してきた隊員で、1人は静岡地
連の隊員でしょうか。

雨宮日記 7月30日(木)の3 「京大有志の会」声明書と子ども向け訳に感動

2015年07月30日 21時58分28秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月30日(木)の3 「京大有志の会」声明書と子ども向け訳に感動

 日刊「しんぶん赤旗」で読んで感動したので、「京大勇士の会」のサイトに接続したら、著作権フリーと書いてあったので、以下掲載します。

 みなさん、何度も熟読してください。声に出して読んでください。


「自由と平和のための京大有志の会」の「声明書」と「わたしの『やめて』(子ども向け訳)」掲載

 京大有志の会」のHPより「この声明書はいうまでもなく著作権フリーです。ご自由にご転載ください。ただし、どのような場でどのように用いたのかを事後的にでも連絡してくださるとうれしいです。」


 声明書


戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。



自由と平和のための京大有志の会
わたしの『やめて』


くにと くにの けんかを せんそうと いいます

せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません

せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます

わたしの こころは わたしのもの
だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの
だれかの どうぐに なりたくない

うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない

げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい

がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない

じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ

だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ

じゆうと へいわの ための きょうだい ゆうしの かい


 なお、京大有志の会のサイトには各国語訳も掲載されています。

 

雨宮日記 7月30日(木)の2 「ピース浜松」に防災展に陸自車両展示掲載

2015年07月30日 21時36分34秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月30日(木)の2 「ピース浜松」に防災展に陸自車両展示掲載

 私が編集責任者の浜松市平和委員会公式ブログ「ピース浜松」に31日から8月2日まで産業展示館でおこなわれる「第2回浜松防災危機管理展」に陸上自衛隊「軽装甲機動車」が
展示されることについて、記事を書きました。

 そちらを参照してください。
 blog.goo.ne.jp/peacehamamatu



雨宮日記 7月30日(木) 記念すべき浜松市平和委員会第1回事務局会議

2015年07月30日 21時02分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月30日(木) 記念すべき浜松市平和委員会第1回事務局会議

 10年ぶりに、昔のメンバーが再結集して「浜松市平和委員会事務局会議」を4人でやりました。

 最高齢者は雨宮則子さんです。このメンバーを核に、新しい事務局を創っていきたいと思います。

 

雨宮日記 7月29日(水)の2 昨日はgooブログ「7827位」でした。ありがとうございます

2015年07月29日 20時51分00秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月29日(水)の2 昨日はgooブログ「7827位」でした。ありがとうございます

 一昨日、27日(月)は、125人、766回アクセス、223万5309部ログ中、8676位でした。

 昨日、7月28日(火)は123人、751回アクセス、223万61122ブログ中 7827位でした。

 つたないブログをご愛読、ありがとうございます。
 
 サボることもありますが、できるだけ毎日、発信していければと思います。

 長期に書けない時は、忙しい時ではなく、心が病んでいる時なので、すみません。

 強いところも弱いところも、長所も弱点も欠陥もある、フツーの人間です。

 妻の則子さんに助けてもらって、叱咤激励されて(時にはうるさいと思いながら、何しろ助手席から「どうして、この道を走るの」なんて言うので)、いっしょに行動してもらって生きてきた30数年です。

 「ねばならぬ」という、くっついてしまいそうな「ネバネバ人間」は好きになれません。

 「するべき」という骨が折れそうな「ベキベキ人間」も好きではありません。

 ぼくたち、雨宮夫妻は、所属している組織を、突然、離れることが多かったです。自伝「青い地球とオレンジの花」で書いていきたいと思っていますが。

 9年前の浜松市平和委員会(その障害がなくなったので去年9年ぶりに復帰し、事務局長になりました)

 

 もっと爽やかに生きていきたいです。

   川面を吹く、さわやかな風 

   空を切る ツバメの飛翔

   近所から聞こえる 赤ちゃんの産声

 そういうフツーのことを大事にして

 これからも、則子さんとふたりで生きていきます。



雨宮日記 7月29日(水) 「浜松市平和委員会ビデオチーム」を今日から再開しました

2015年07月29日 20時25分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月29日(水) 「浜松市平和委員会ビデオチーム」を今日から再開しました

 今日午後、N夫妻宅で「7/26集会」のビデオ編集を始めました。もちろん、まだ最初の「荒編集」ですが。

 20年ぶりくらいの作業ですね。当時は、撮影テープを専門の編集機械で編集していましたが、今はノートパソコンに組み込んだ編集ソフトです。

 ファイルを扱うので、最初から最後まで、どこ飛ぶのも一瞬、楽になりましたね。機能も、いっぱいついて。逆に機能がつきすぎて、機能を使いすぎることもありそうで、シンプルに作るための編集者の「使わない能力」も問われそうです。

 元のテープを全部見て、それから最終20分になるくらいの分量の、発言者・ミュージシャンの洩れなく、その人の一番重要な部分を取り出していきます。

 最初から1人平均何分ということは、決めません。人によってかなり時間は違います。ついでに「つなぎ」の部分も、やれるところは音声つなぎ、映像転換をしていきます。

 今日はパフォーマンスの7割くらいまで、できました。全体の半分くらいですね。もちろん「荒編集」ですから、第2次編集・差し替え・仕上げが残っていますが、遅くても来週までには完成させたいと、思っています。

 というのは、次回の「8.22集会」に多く参加してもらう宣伝に間に合わせたいからです。

 ビデオ撮影は、基本的に理論ではなく「感性・感覚」です。でも理論・認識も「骨」「骨格」として無いと、グニャグニャのクラゲビデオになってしまいます。

 20年経っても、身についた昔の「能力」は落ちないもんだ、と思いますね。自分たちで言うのもなんですが。証拠はできあがった作品を見てください。雨宮智彦あて注文していただければ、できあがった作品を「CDーR」でお渡し・又は郵送します。実費をいただくかは、まだ決めていません。

 N奥さんの冷やし中華、おいしかったです。ごちそうさまでした。
 
 撮影・編集は、すべて無給ボランテイアです。できあがった作品を、実行委員会が無料で配布するか、有料で売るかは実行委員会が決めることです。

 僕たちは、作品を無償で提供します。

 

雨宮日記 7月29日(水) 「平和ビデオ編集の歴史」にたちかえって

2015年07月29日 00時51分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月29日(水) 「平和ビデオ編集の歴史」にたちかえって

 『静岡県平和委員会 35年の歩み』を読み返すと、ボク、雨宮智彦と、共知郎さんの浜松びでおチームが機能していたのは20年前です。

 この歴史をきちんと、また語りたいと思います。

 静岡県ヘイワ委員会びでお撮影チームが、いつ成立したのか。

 20年経って、ビデオ撮影・編集チームが機能するんですね。

 これも時代の要請だと思います。

 

 

雨宮日記 7月28日(火) 世界大会参加者会議と浜松市原水協理事会

2015年07月28日 20時56分13秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月28日(火) 世界大会参加者会議と浜松市原水協理事会

 則子さんは野蛮、じゃない早番でした。午後5時ごろ、やっと帰って来ました。シャワーを浴びて、軽く食べて、5時20分ごろ、慌ててボクとアルトで出発しました。

 コンビニでコピーをしてから、会場へ着くと、6時から「原水爆禁止世界大会参加者会議(浜松)」という名の会議、というより説明会です。

 昔は「世界大会代表団会議」と言ってましたが、「代表団」という大層な名前は、実態と違うので、浜松市原水協は、かなり早い時期に「参加者会議」と改名しました。

 そう気張らずに、楽しく行ってきてください、という精神です。もちろん、精神を研ぎ澄まして、目と耳をフルに感じて。

 浜松は、いつの頃からか「意義と任務」も止めました。それぞれが感じ取るべき事を、組織で一義的に決定してしまうと、個人の精神が使われなくなって、さび付いてしまうからです。

 さび付いた精神の人がいたら、一度(いや何度も)、サビ落としをやった方がいいですよ。ただし、決意しても、そう簡単なものではないと思います。サビは何層にも渡って地層のように積もっているからです。

 でも、人は一度サビ落としをすると、でてきた地層が一番下の「自分の魂」と誤解してしまうのでは、ないでしょうか。

  ☆

 7時から浜松市原水協理事会。8月の夏の核廃絶署名を、例年のように3日間ではなく、9日の1日だけとする討論のうえ決定。

 8月の世界大会で、新しく始まる核廃絶署名が決定されて、新しい署名運動が始まります。


雨宮日記 7月27日(月) 汗をかく暑い夏の日

2015年07月27日 21時06分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月27日(月) 汗をかく暑い夏の日

 珍しく朝6時に目が覚めて、1階へ下りていき、台所で則子さんと「おはよう」「おはよう」と会話を交わしました。

 午前10時に、個人での原水禁世界大会への参加者と、初めて会って、必要な説明と相談のため、初生アピタに則子さんと車で行きました。

 10時に会えなくて、携帯電話も通じなくて、南の入り口と東の入り口を2人でうろうろしまたが、なんとか10時10分頃に落ち合えました。

 50代後半の男性の方です。広島の出身で、浜松で働いているそうです。

 必要なことを説明して、心配なことを聞いて、「それじゃ、世界大会、元気に行ってきてください」と別れました。

  ☆

 午後、則子さんは久し振りに長女夫妻アパートに行きました。ちょっと、長女長男が銚子が悪く、心配したそうです。

  ☆

 則子さんが夕食の準備をしてくれて、ありがとう。3人で夕食を食べてから、5時半、「浜岡原発裁判静岡県西部の会事務局会議」に出かけました。ぼくがレジュメを書いて、付属資料もコピーするので、けっこう、準備には頭を使います。ただし、すりきれるほどはしません。

  ☆

 今日も2回、シャワーを浴びました。夜になると、涼しくなりました。

雨宮日記 7月26日(日)の3 『中日新聞』によればラブ&ピースは700人でした

2015年07月27日 20時48分44秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月26日(日)の3 『中日新聞』によればラブ&ピースは700人でした

 今のところ、27日朝刊で、26日の浜松ラブ&ピースを報道したとわかったのは「中日新聞」だけです。
「静岡新聞」は、まだ載っていませんが、今日夕刊か、明日朝刊に載る可能性はあります。

 「中日新聞」では「主催者発表700人」と載っていました。

 「赤旗」は、いつも翌日にのることはなくて、何日か遅れます。「東海北陸版」のスペースが、記事量と比較して、少なすぎるんですね。

 ある団体は「800人」と報道していました。「700人」と「800人」では、かなり差がありますが、
水増し発表はダメですね。

 ぼくが主催団体の責任者であるときは、必ず、「45人」とか「154人」と1桁まで、できるだけ正確に数えて発表します。

 もしくは「推計250人」とか。

 水増し・適当発表をしていると、市民とマスコミの信頼・信用を失ってしまいます。

雨宮日記 7月26日(日)の2  浜松「LOVE & PEACE パレード ~やっぱ平和がいいよね~」

2015年07月27日 07時12分17秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月26日(日)の2  浜松「LOVE & PEACE パレード ~やっぱ平和がいいよね~」

 パレードです。デモ行進ではありません。

 音楽やコールです。シュプレヒコールはやりません。

 叫ぶのではなく、よびかけです。

 楽しく、一緒に歩こう。

雨宮日記 7月26日(日 浜松「LOVE & PEACE パレード ~やっぱ平和がいいよね~」

2015年07月27日 07時08分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月26日(日 浜松「LOVE & PEACE パレード ~やっぱ平和がいいよね~」

 浜松では7月26日(日)、実行委員会方式で「LOVE & PEACE パレード ~やっぱ平和がいいよね~」が、おこなわれました。まだ参加者数もわかりませんので、速報です。

 ぼくは、心理状態が悪く、則子さんと「出る?」「出ない?」の、いつもの「智彦くんは、うつで、ドタキャンする」状態にあったのですが、なんとか2人で電車に乗りました。

 とにかく若い子が多い。いっぺんに元気になりました。

 陽射しがまだ暑い午後5時から、浜松市中区のアクト大通り・東ふれあい公園で「パフォーマンス」をおこない、ライブ演奏・ダンス・みんなでリズム演奏など楽しみ、女性大学生のすてきな発言もありました。 

 ところが、集会の熱気にあおられて、「撮影モード」になってしまいました。写真とビデオのです。途中で、昔の「浜松市平和委員会ビデオ撮影チーム」の仲間が撮影していたのに出くわし、お互いびっくり。こんな歴史的事態ですから、「浜松市平和委員会ビデオ撮影編集チーム」を復活させようかという想いも沸きました。

 パレードも、なにしろ大人数で、最後が出発するまでに、かなりかかりました。全体像を撮影することは、できません。長すぎて。もしかしたら、戦後、浜松の歴史、最大のデモかもしれません。安保闘争のころ、どれくらいの人数が行進したのか。

 沿道からの反応が過去になく好意的だったと思います。飲み屋の若い女性2人がずっと見守ってくれたり。手を振ってくれるお店の人。

 次回は8月22日(土)午後5時、東ふれあい公園です。


雨宮日記 7月20日(月)の2 ヘビが馬込川を泳いでいました

2015年07月20日 21時10分48秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月20日(月)の2 ヘビが馬込川を泳いでいました

 馬込川の階段に坐っていると、則子さんが「あ、ほら、ヘビ!」と言うので、見ると、1匹のヘビがこちら側からあちら側へ、水面を泳いでいきます。

 ヘビの水泳とは、じょうずなものですね。

 それにしても、都市化した街で、ヘビが生き延びていたんですね、馬込川の堤防の草地があるから、生き延びているんでしょうか。種名はわかりません。