雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の資料 8 節三『日記』 1970年~1979年 20210131

2021年01月31日 16時01分48秒 | 雨宮家の歴史


雨宮家の資料 8 節三『日記』 1970年~1979年 20210131


 祖父・福男の日記も父・節三の日記もいくつもあります。


 これは、そのなかの1冊です。1970年(昭和45年)から1979年(昭和54年)に書かれた日記で、1マスが横5cm7mm、縦3cm7mmです。


 たとえば「1979年(昭和54年)7月4日(水)は「くもり時々小雨、冷【?】こすぎる。西来院8時くる(¥2000)。午前、平老■、中■■。午後1時半~3時、工、浜工、医大、城北工、髙■■、工試、フジタケ。夕方■■、医大請求書、6■」


 だいぶまだ判読不能のところがあります。判読不能は■で表示してあります。「工」というのは静大工学部、「工試」は繊維試験場のことです。


「西来院8時くる(¥2000)」というのは朝8時に西来院(せいらいいん)の坊さんが自宅に「宅施餓鬼読経」に来たということです。日記の同じページに西来院からの7月1日付け消印のハガキがはさんでありました。





雨宮日記 2021年1月30日(土) 「青い地球」を編集する

2021年01月30日 21時36分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年1月30日(土) 「青い地球」を編集する


浜松市平和委員会ニュース「青い地球 2月5日号」を編集する。A4で1ページ。ほぼ8割くらいは編集。あと2割。


 今日、則子さんに2人の旧友が「いつも「青い地球」読んでますよ」と言ってくれた。嬉しいなあ。


 いつも「荒野でひとり叫ぶものの声」だものな。


 ときには則子さんに「何を飲む?」と言われて「今日は紅茶」と言ってみる。「薔薇を散らして」とも言ってみるけど、これは「パンパネラ語」「ポー語」で通じない。


 でも、たまには紅茶もおいしい。





雨宮日記 2021年1月29日(土) 寒い朝

2021年01月29日 09時46分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年1月29日(土) 寒い朝


 何日か前に世界で新型コロナウイルス感染者が1億人をこえた。ワクチン投与は世界ではじまったばかり。日本では始まってもいない。


 おそらく東京オリンピックは、どう考えても無理。中止か延期か、早くそういう結論を出した方がいいと思う。遅れれば遅れるほど、選手の心のキズは大きくなる。


 きのうは関東で雪。昨夜眠ろうとしたらどこかで何か物音が。はて、今日は則子さんとボク以外は誰もいないのだが。外だ。あ、かみなりの音だとわかり、すぐ安心して寝た。


 きょうは浜松も寒い朝になった。


 右手の薬指のしもやけは、手袋を換えて、靴下のような指のない手袋にしたら数日で治った。ときどき右指を左指でマッサージしている。





本と映像の森(第3) 13 小野不由美:いなだ詩穗『ゴーストハント 1~12』講談社、~2010年 20210127

2021年01月28日 12時06分44秒 | 本と映像の森
本と映像の森(第3) 13 小野不由美:いなだ詩穗『ゴーストハント 1~12』講談社、~2010年 20210127


 1ヶ月以上、「本と映像の森」を書いていなかったので再開する。


    ☆


 マンガは1998年開始、12年かかったそうです。原作は、いま角川文庫で刊行されてます。


 最初はぼくも、たんなる怪奇霊媒マンガかと思いました。しかし何かが違う。


 学校や邸宅で起きる怪奇事件を寄り集まった何の関係もない面々が解決していくのだけれど。


 物語の語り手は渋谷のSPRの若い所長ナルにアルバイトで雇われた女子高生・谷山麻衣。


 だけど語り手はあきらかに主人公ではない。観察者(オブザーバー)だと思う。主人公は所長ナルですらないと思う。


 主人公は事件を寄ってたかって解決する若き男女たち。日本人の坊さんやキリスト教の聖職者、日本人巫女,中国人など多彩なな青少年少女たちが主人公です。


 事件についていくなかで、麻衣も霊能力があることが次第に明らかになっていきます。


 そのなかで夢の中で優しくアドバイスしてくれるナルに麻衣は惹かれていく。


 怪奇の謎の追求のおもしろさと、もうひとつの物語全体の本題の謎の追求が二重になっていておもしろい。


 ナルがつねに黒服なのは印象的です。


 マンガでは12巻が、すごいショックな解決編です。


 ボクとしては、超然としているポーカーフェイスな所長ナルと麻衣の再会する続編が読みたいけど無理でしょうね。



雨宮家の資料 7 節三『落葉松』 2013年 20210127

2021年01月27日 14時02分07秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 7 節三『落葉松』 2013年 20210127


 父の書いた雨宮家の伝記で、第1の基本資料です。2013年5月1日に、兄妹3人で出資しあって、ぼくが編集しました。


 費用を安くするため印刷原稿を一太郎でぼくがつくり、ネットで印刷会社を見つけてつくりました。


 A5版、253ページ、非売品。


 その後、この「雨宮智彦のブログ」に全文を連載し、これはいまでも読むことができます。


 ぼくのところに、少部数ですが在庫があります。




 以下はその目次。




 「目次


Ⅰ 自伝 戦前編


  落葉松
  はじめに(記憶)


   第一部 わが家のルーツ   


  Ⅰ 1  父の誕生
  Ⅰ 2  祖父の上京
  Ⅰ 3  中谷家の誕生
  Ⅰ 4  陸軍被服廠
  Ⅰ 5  日清戦争
  Ⅰ 6  東京開成中学校
  Ⅰ 7  谷島屋書店
  Ⅰ 8  アララギ
   第二部 生い立ちの記

  Ⅰ 9  母のこと
  Ⅰ 10 下垂
  Ⅰ 11 孝男叔父
  Ⅰ 12 祖母の影
  Ⅰ 13 広沢.町
  Ⅰ 14 西来院
  Ⅰ 15 谷島屋別荘
  Ⅰ 16 浜松工業学校
Ⅰ 17 林泉書房
  Ⅰ 18 鮮満修学旅行
  Ⅰ 19 徴兵検査
 
   第三部 在鮮記


  Ⅰ 20 軍需工場
  Ⅰ 21 召集
  Ⅰ 22 入隊
  Ⅰ 23 南鮮へ
  Ⅰ 24 敗戦
  Ⅰ 25 特別警察隊
  Ⅰ 26 釜山埠頭勤務隊
  Ⅰ 27 安養勤務隊
  Ⅰ 28 復員引き揚げ
  Ⅰ 29 回帰点
 Ⅰ 戦前編 あとがき


  Ⅱ 自伝 戦後編1
   
   第四部 山口県光市


  Ⅱ 30 朝日塩業
  Ⅱ 31 山口県光市
  Ⅱ 32 塩の歴史
  Ⅱ 33 枝条架
  Ⅱ 34 結婚
  Ⅱ 35 中村住宅二二六号
  Ⅱ 36 長男と次男の出生
  Ⅱ 37 台風


第五部 肉親を送る


  Ⅱ 38 母を送る
  Ⅱ 39 長兄の戦時死亡宣告
  Ⅱ 40 長姉の空襲死

 第六部 戦後の始動


  Ⅱ 41 バラック住宅
  Ⅱ 42 林泉書房の再開
  Ⅱ 43 閉店

 第七部 老人性痴呆


  Ⅱ 44 十軒町
  Ⅱ 45 うつ病
  Ⅱ 46 一番はじめは
  Ⅱ 47 入院
  Ⅱ 48 巣鴨刑務所

 第八部 前立腺ガン


  Ⅱ 49 ガンの発覚
  Ⅱ 50 膀胱の手術
  Ⅱ 51 ストレス
  Ⅱ 52 ガン雑感
  Ⅱ 戦後編 あとがきー月の沙漠


Ⅲ 後編 文芸評論
 Ⅲ 1 「引馬野の歴史的、地理的考察」
      序
一、大宝二年(七〇二年)
二、参河行在所
三、引馬野と榛
四、持統太上天皇
結び
 Ⅲ 2 和田稔著『わだつみのこえ消えることなく』
 Ⅲ 3 戦後文学は古典となるか
 1 はじめに
 2 戦後文学
 3 野間宏
 4 武田泰淳と堀田善衛
 5 大岡昇平
 6 島尾敏雄
 7 梅崎春生
 Ⅲ 4 雪腸と子規 ー浜松詩歌事始 上編
 Ⅲ 5 左千夫・茂吉と城西  ー浜松詩歌事始 中編
 Ⅲ 6 大正歌人群 ー浜松詩歌事始 後編


編者あとがき」


雨宮家の資料 6 福男『歌界写真』 昭和四十四年~四十七年 20210126 

2021年01月26日 20時07分47秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 6 福男『歌界写真』 昭和四十四年~四十七年 20210126 


 おじいちゃんの書いたタイトルは『歌界写真』となっているが、たぶん趣旨から言えば「歌会写真」と言ったほうがいいと思う。


 21ページほどの写真帳で、歌会後の記念写真や皆合でのスナップ写真がはりつけてある。


 昭和四十四年~四十七年なので、西暦で書くと1969年から1972年。


 また機会をみつけて、ひとつひとつ検証したい。







雨宮家の資料 5 節三『福男 昭和二十年 高畑疎開日記』 1981年 20210125

2021年01月25日 17時04分31秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 5 節三『福男 昭和二十年 高畑疎開日記』 1981年 20210125


 おじいさんの福男さんたちが浜松の6・18浜松大空襲で住んでいた新町を焼け出され、北浜村高畑(たかばたけ、現浜北区)に疎開した時の日記です。


 B6版、55ページ。


 父が1981年8月にガリ版で発行したものです。原文のカタカナをひらがなに改めています。


 6月23日に始まって翌年1月14日でガリ版は終わっていますが、「高畑疎開日記は新町に再開する5月15日まで続きます」(p52)と書かれています。いま、もとの日記が残っているかどうか、わかりません。








雨宮家の資料 4 節三『福男歌集目録』発行年不明 20210124

2021年01月24日 15時30分37秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 4 節三『福男歌集目録』発行年不明 20210124


 父がガリ版で印刷してホッチキスでとめた資料だと思われる。B6版。18ページ。発行年不明


 最初に「(序) 福男が蒐集した歌集および歌論関係の書籍・雑誌?を整理しました。戦災で焼失したものもあって不完全ですが一応現在残ってゐるもののリストです。」とあります。


 目次は以下のとおりです。


 「(一) 島木赤彦
  (二) 岡麓
  (三) 中村憲吉
  (四) 斎藤茂吉
  (五) 土屋文明
  (六) アララギ派歌集
  (七) 歌論
  (八) 文庫
  (九) 全集
  (十) 雑誌
   ① アララギ
   ② 犬蓼
   ③ 短歌
   ④ 月刊静岡アララギ
   ⑤ 短歌研究
   ⑥ 短歌現代
   ⑦ 一般誌
   ⑦ 地方誌」


 祖父が亡くなったころから、そう遠くない時期に作られた資料と思われますが、いまこの目録に上げられたもののうちどれくらいの文献が手元にあるか、実際に調べてわかったらお知らせします。








雨宮日記 2021年1月24日(日) 昨日から雨です

2021年01月24日 11時36分14秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年1月24日(日) 昨日から雨です


 昨日から久しぶりの雨。則子さんは植物に恵みの雨と喜んでいます。関東は雪のようです。静岡県も南アルプスと富士山は雪の予報です。


 22日は核兵器禁止条約が発効の日。世界は替わりつつあるのに、日本政府は相変わらず核保有国と非核保有国の橋渡しをするという意味を言ってます。まったく恥ずかしいかぎりです。


 コロナウイルス対策と同じですね。


 菅政権で特徴的なのは「スローガン・かけ声だけ」と「刑罰・罰則」でしょうか。


 いまほんとに言葉だけではなく心から話し合う必要があるのに話し合いをしない、人の話しを聞かないことこそ政府の大欠陥と思う。政府がやらないのでも、自分たちが率先してやりましょう。



雨宮家の資料 3 節三『図書館で借りた本の目録』 1989年~2009年5月 20210123

2021年01月23日 16時07分45秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 3 節三『図書館で借りた本の目録』 1989年~2009年5月 20210123


父が浜松市立中央図書館で借りるため、つけていた借りた本の目録。本屋のお客さんから予約をとるための本の見本の白本に書かれている。


 1989年8月に始まって、2009年5月に終わっている。


 このころ父は、たぶん自転車で自分で松城の市立中央図書館までいっていたような気がする。






雨宮家の資料 2 福男『備忘日記』 1949年8月1日から1950年12月31日  20210122

2021年01月22日 16時31分59秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 2 福男『備忘日記』 1949年8月1日から1950年12月31日  20210122


 ボクの祖父、福男(とみお)さんの日記。表紙に赤鉛筆で「24年8月1日ー25年12月31日」と書いてあるところは父の字かなと思う。祖父は日付でも漢数字を使っていて洋数字ではないから。


 裏表紙に「國文館」と書いてあって林泉書房で売れ残った日記を使ったのかも知れない。


 この頃は父は山口県光市にいたころで日記には出てこない。


 最初の日の記述、不明字は△、【 】内はボクの注。


 「昭和二十四年八月一日 晴 起七. 寝九.三〇 午前、工試【工業試験場】へ行キ△△△。廿三人【23人】△入帳。 △△、菊男キブネ△ はるみへ友人二名来訪。」


 解読に時間と知恵がいるので、今日はこれだけ





雨宮家の資料 1 節三『釜山埠頭日誌』 1946年 20210121

2021年01月21日 20時48分02秒 | 雨宮家の歴史
雨宮家の資料 1 節三『釜山埠頭日誌』 1946年 20210121


 家に残っている父・祖父などの日記・メモ・資料を少しづつ紹介していきます。できたら全文を掲載できるようになりたいです。


 父・節三は日本の敗戦時、平壌で徴兵され南朝鮮にいたためシベリア送りを免れましたが、1946年4月まで釜山で残務整理にあたりました。父が23才から24才の頃です。


 手書きの実物の当時の日記が残っているので、いずれ全文を公表したいと思います。


 今日は紹介だけです。


 現物はタテ19センチ×13.5センチ。24ページ。


 さいしょの半分は、1月14日から4月12日までの日記ですが後半はかなり書かれた日がまばらです。


 あとの半分は当時の流行歌や英語の歌が書かれていて、釜山滞在時に書かれたものか、浜松へ帰ってから書かれたものかはわかりません。


 表紙に「釜山勤務隊 本部 中谷節三」とあり、裏表紙には「福岡縣二日市町 朝鮮軍残務整理班 釜山軍連絡部」と書いてあります。




 












雨宮日記 2021年1月20日(水) 介護事業所が替わった

2021年01月20日 20時05分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年1月20日(水) 介護事業所が替わった


 いままでボクを担当してくれた介護事業所が機構変えで担当者が変更になるというので、事業所を新しく変えた。


 というより、父が入所するまで介護を担当してくれたひまわりのIさん。旧知の人なので安心。今後、よろしくお願いします。


 父の介護度が要介護3から、要介護4になった。父は認知症はないといってもいいと思うが,それでも介護は大変だと思う。


 則子さんが昨年10月までよく父を介護してくれていたものだと思う。たいへんだったと思います。則子さん、ありがとうございます。



人間宇宙生命社会 2 過去記録 1 人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない 20210119

2021年01月19日 19時28分22秒 | 人間宇宙生命社会
人間宇宙生命社会 2  過去記録 1  人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない 20210119
 


 主にカテゴリー「人間・生命・宇宙」の過去に書いた文章(現在49件)を掲載していきます。




 以下、再録。




「人間・心・集団1 ヒトは自分の「物語」なしには生きられない
2009年11月28日 05時21分24秒 | 人間・生命・宇宙


 最近、感じたことを書きます。
 どんなヒトでも、自分の生まれてきて・生きている意味、存在価値、なぜ自分は今を生きているのかという確認無しには生きていけないと思います。
 そういう確認がなければ、ヒトは絶望して「自分には生きていく価値がないんだ」と自死に至るしかないのではないでしょうか。
 そういう自分の生きている意味を「自分の物語」と呼びましょう。
 
 そんな物語などいらない(と思う、たぶん)、トンボや蝶々やアメーバと人間の違いでしょうか。
 もしぼくの大好きなモノサシトンボに自我があったら、ごめんね。


 ヒトは自我を持ってしまい、宗教とか哲学とか世界観とか、自分の存在価値を確認してくれる「物語」が必要なのだ、と思います。
 
 この雨宮智彦のブログ、「哲学・思想・文化・人間」はそういうヒトの側からと、哲学・思想・科学の側からと両方から考えていきたいと思います。


 雨宮智彦は、宗教を否定しません。
 雨宮智彦にとって、宗教は必要ではありませんが。


 それはヒト(「ヒト」とは、人間の1人ひとりの個体を指します)にとって必要な自分を保つための「物語」=安全装置の一つではないでしょうか。


 それが宗教であれ、哲学であれ、科学であれ、世界中のヒトが、お互いを相互尊重しながら、生きていくのが21世紀の世界の姿なのではと思います。
 



雨宮日記 2021年1月19日(火) 障害者手帳の申請に行った

2021年01月19日 19時13分07秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 2021年1月19日(火) 障害者手帳の申請に行った


 市役所に障害者手帳の申請にやっと行けた。昨年からいやもっと前から課題になっていたが、父の介護で手と頭を使っているうちはできなかった。


 医者の診断書もいっしょに出した。マイナンバーも出せというので書いた。


 結果は1~2ヶ月先と言われた。どうなりますか。


 初めて市中感染先の不明な変異コロナウイルスが静岡県でみつかった。あたふたすることではないが、ウイルス対策がますます必要。


 「コロナウイルスに打ち勝つ」なんて意味不明な日本語を言うのはやめたほうがいい。


 3/1ビキニデー集会はすべてオンラインとなった。オリンピックはまず無理と思う。


 明日も寒い。