雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

日本古代史の本 内倉武久さん著『謎の巨大氏族・紀氏』三一書房、1994年

2012年11月30日 05時49分03秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物

日本古代史の本 内倉武久さん著『謎の巨大氏族・紀氏』三一書房、1994年

 浜松の中央図書館の日本古代史コーナーで目についたので、昨日借りてきました。

 著者は朝日新聞の元記者です。

 和歌山県を中心にした古代豪族「紀氏(きし)」は、通常は大和政権が朝鮮に派遣した軍事氏族という説になっていますが、著者は和歌山県現地の古墳などの遺跡と遺物を具体的に追いかけながら、記紀や風土記などの古代文献で、朝鮮や日本列島の紀氏の行動を具体的に跡づけていきます。

 あまり読まれない『日本書紀』に描かれた、朝鮮での紀氏の行動がきわめてリアルでおもしろいです。

 「仁紀41年」には、百済に派遣された紀角宿禰が、百済王族の酒君(さけのきみ)の無礼を責めたので、百済王は酒君を鎖で縛って倭に差し出したという記事があります。

 「雄略紀9年」には、紀小弓宿禰が朝鮮に派遣され戦死、小弓の息子である紀大磐は父の戦死した地へ行って父の同僚の権限を取り上げたので内紛がおき、蘇我韓子は川で大磐を弓で射ようとして失敗、逆に大磐に弓で射落とされて川で溺れ死んだ、とか。

 著者は、紀氏がもともとは朝鮮半島から日本列島に渡ってきた渡来人である可能性を遺跡・遺物・文献から主張しています。

 その可能性は高いと思います。

 紀氏は、瀬戸内海や淀川水系の交通も押さえていたようです。

 おもしろいのは紀氏が石清水八幡宮を創建したということです(p183)。これは京都の「清水寺」、浜松の「岩水寺」との関係でも、また考察したいと思います。

 紀氏と九州・ツクシ国家との関係も気になります。和歌山市にある5世紀終わりの、馬のよろいで有名な大谷古墳の石棺は九州・阿蘇から運ばれています。

 古代日本の列島全体を、たて・よこ・ななめ、いろんなラインで考えないといけませんね。


雨宮日記 11月28日(水) 浜岡原発裁判県西部の会役員会でした

2012年11月29日 06時33分32秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月28日(水) 浜岡原発裁判県西部の会役員会でした

 則子さんは、午前中にバイクで浜北の運転試験場まで行き、運転免許を更新してきました。午前中は日が照らないので寒かったそうです。

 11月というのに、北海道は吹雪で、送電線が倒れて、いくつかの自治体で停電が続いています。異常気象は夏もあつくなり、冬も寒くなり、「気象動乱」の時代なのですね。

 午後は日が照って、ポカポカして「小春日和」「インデアンサマー」でした。午後2時から浜岡原発裁判県西部の会の役員会でした。

 会場は、ツワブキの黄色い花やマンリョウの赤い実がキレイでした。大きなイチョウは夏の台風の塩害で南側は枯れていて、ところどころの枝から新しい葉っぱが出ています。北側は緑の葉が黄色にならず、そのままです。植物も大きな被害を受けると紅葉せずに、栄養を蓄えて、来年を待つのでしょうか。

 白土三平さんの『カムイ伝』第一巻、で重症を負った白い犬が、とにかく隠れて、じたばたせず、静かに休むことで傷を回復していくシーンが印象的でした。

 福島原発事故で大きな被害を受けた日本列島も、ほんとうはこの事故の亀裂や被害を解消していくために、エネルギーを蓄えて未来に備えるべきなのでしょうが、「核武装研究」だ、「国防軍」だ、「原発再稼働」だ、「紙幣最大印刷でインフレ」だ、亀裂や傷を拡大するような政策・発言が目立っています。

 今日は満月でした。深夜、まん丸いお月さまが夜空に輝いていました。

  ☆

 寒くなってきたので、深夜勤務のボクは、ときどき、体温変化が不規則になったり、夕方仮眠していても、手や足が冷たくなっていたりします。

 そういう時に、妻の則子さんがお布団に入ってきてくれて、手や足を温めてくれると、とても嬉しいです。ありがとう。


雨宮日記 11月27日(火) 則子さんが「智彦くんはいつから自由になった?」と言うので

2012年11月28日 05時56分45秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月27日(火) 則子さんが「智彦くんはいつから自由になった?」と言うので

 夫婦の対話編 ①

 今日は、午後、則子さんと2人で「ちらしまき」に行きました。家から歩いてですが、なにしろ寒くて、ぼくは途中で根を上げて「帰ろうか」と言ったら、則子さんは「智彦君は帰っていいよ。私、もうすこし配るから」と言うので、帰らせてもらえました。

 ☆

 帰って来た則子さんとお茶を飲んでいたら、「智彦くんが、そういう自由な思考ができるようになったのはいつから?」と言うので(すみません、読んでいる人には意味不明ですね)。

 「たぶん、1984年問題から、自分で考え始めてから今までの途中のいつか」と答えました。

 「それは平和運動と政治運動のもんだいだけじゃなくて、つぎの3つの問題だったね」

 「① 科学と真理とは何か、ということ

  ② 組織と集団と社会とは何かということ、組織の病気、社会の病理について

  ③ 人間とは何か、人格や自由とは何か、ということ。

  そういう問題を考えて、90年代には、意味がわかってきたように思います」

 「基本は、自分で全責任を負って考える」

 「組織や集団の方針・理念は、自分にとっては自由に着替えていい洋服であって、自分の皮膚として癒着してはいないこと。ましてやカブトムシのような甲羅ではないです、ということ」

 「自分の人格・精神と、いまの自分の肩書き・役割・任務は癒着・接着していないこと」

 そういう思考に役立ったのは、自然科学・社会科学・歴史科学はもちろんですが、小説や心理学や哲学が大きな意味をもっていたと思います。

 両者は半々くらいでしょうか。

 


雨宮日記 11月26日(月) 「いい風呂の日」ですが、のんびりお湯に浸かっていられない

2012年11月27日 05時32分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月26日(月) 「いい風呂の日」ですが、のんびりお湯に浸かっていられない

 今日は大雨の後、浜松は夜には快晴になって、満月に近い月がこうこうと照って、風も冷たく、急に寒くなりました。こういう日は、のんびりと自宅のお湯に浸かって暖まりたいのですが、そうもいきません。

 なにしろ総選挙公示まであと何日です。なぜ?という理由は書きません。基本的に、政治問題は別のブログで書くことにしていますので(でも、ほとんど、そっちは更新していませんね)。

 毎日、政治情勢が激動しています。あんまり政治情勢だけに没頭せずに、日本社会や文化や歴史の基本問題をきちんと調査・研究していかないと、と思っております。もちろん、思うだけじゃだめで、調査研究しないと。

 その調査研究の対象は、もちろん自分たちや自分たちの団体も含むのだと思います。

  ☆

 11月27日に「満月近い月」の画像追加。最近買ったカメラで、手取り直接撮影。数十年前に小型望遠鏡で撮影したような映像が簡単に撮れるのはすごいです。

 光学ズームの最大焦点距離は、35ミリフィルム換算で1200mm、50倍。この映像は、それを電子的に2倍にして100倍で撮っています。

 少年期からの天文宇宙ファンとしては大感激です。

 


浜松放射線情報 11月26日(月)朝から雨 文科省の浜松定点観測値が上がってます

2012年11月26日 23時33分26秒 | 原発・放射能ニュース

浜松放射線情報 11月26日(月)朝から雨 文科省の浜松定点観測値が上がってます

 ときどき見に行っている浜松市県総合庁舎敷地内での文科省の常時定点観測(10分ごと)の値が、今日は急上昇しました。

 朝は通常の0.034μSv/hだったのですが、午前5時半頃から上昇し始めて7時半には0.05を、9時半には0.06を越えました。その後午後は0.055を前後していましたが夕方、午後3時半過ぎにピークの0.068くらいに達して、その後急激に降下し、午後7時半過ぎには通常値に戻りました。

 今日はかなりの大雨でした。雨は西から東へ向かって移動していましたから、けっして福島からの直接的な影響ではありません、そうではないとすると、① 雨だと器械のデータが過大に出る ② 実際に空中を浮遊しているセシウムなどの放射線が雨で地上に降りしきる ③ それ以外の原因、ということが考えられます。

 いま、日本列島内の西日本のほかのデータを見たら、同じような傾向です。広島市・名古屋市・豊橋市…。

 みなさん、どう思われますか?実際に見に行って下さい。データの縦軸は「0.1」にして見てください。

 写真は、途中までのデータ。あとで1日分の画像をアップします。今日は、これから仕事に行くので、今日はここまで、です。

 


雨宮日記 11月25日(日) 忙しい日でした、ブルイン事故30年つどいと結婚祝う会

2012年11月26日 23時24分13秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月25日(日) 忙しい日でした、ブルイン事故30年つどいと結婚祝う会

 朝、快晴でいい天気になりました。午後はまず高台の和泉会館で、基地のない平和な浜松をつくる会主催「ブルーインパルス事故30年」の平和のつどいでした。

 ぼく(ブルイン事故30年と浜松基地60年の歴史)と則子さん(自衛官人権裁判)、小市議(基地騒音をなくすには)、中村博さん(浜松基地に反対する萩丘住民の会代表、住民の会の30年)と、それぞれ20分ぐらいづつ話しました。

 資料の欲しい方は、請求してください。お分けします。

 ぼくと則子さんは3時前に中座してタクシーで中心街・浜松駅南へ。二人の旧友の結婚式なので、東京からも参加して、昔なじみが数年ぶりに顔を合わせて、楽しい結婚祝いの酒宴でした。 

 「あの頃、則子さは、よく2人の小さい娘さんを連れて集会に来ていたね。今どうしてる?」「長女は」「次女」は、というような、いろんな話で盛り上がりました。

 こういう機会を作ってくれたお二人には深く感謝いしたします。そしてお幸せに!

 撮った写真をみんなに送らないと、と思いますので、そのうちに。

 


雨宮日記 11月23日(金) 明日から遠鉄電車助信~曳馬~上島高架に

2012年11月24日 05時59分30秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月23日(金) 明日から遠鉄電車助信~曳馬~上島高架に

 時雨(しぐれ)が降る肌寒い日でした。

 今日の夜中に、遠鉄電車の助信駅~曳馬駅~上島駅の高架作業がおこなわれるので、この区間で赤電が地上を走るのは今日が最後です。

 城北図書館へ音楽CDを返して借りに行くので、車で助信駅の横を通ったら、40代くらいの男性が遠鉄電車を撮影していました。

 25日の「基地のない平和な浜松をつくる会」の学習会は4人が20分づつ語るので、そのうち2人は、雨宮夫妻なので、その準備にぼくも則子さんも、たいへんでした。

 ぼくは自分で準備して、自分でレジュメと資料をつくって、自分で印刷するのでスッキリいくのですが、則子さんは自分で準備するのはもちろんですが、レジュメや資料の印刷はぼくがするので、その連携や説明が、ずれがあったり、説明不足でお互い「カッ」となったり、「夫婦活動家」は、すごくむずかしいですね。

 「レジュメじゃないから、発言原稿だから、だめ」って言ってるのに全否定しているみたいに思われて。

 「これは印刷する」「コピーする」と食い違ったり。

 お互いに別に活動している「活動家夫婦」なら、こういう苦しみはないけど、歓びもないですね。つまり「夫婦漫才」なので、それがうまくいくのも、失敗するのも、ぼくと則子さん2人の共同責任ということです。 50%、50%の共同人生です。


雨宮日記 11月22日(木) 24節気の「小雪」で「いい夫婦の日」です

2012年11月24日 05時35分41秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月22日(木) 24節気の「小雪」で「いい夫婦の日」です

 「小雪」は「こゆき」ではなくて「しょうせつ」です。「こゆき」では、その辺の飲み屋の「小雪」ちゃんになります。え、その辺の「飲み屋」なんて則子さんを差し置いて行ったことないですから、たとえです。

 季節的には、静岡県内の山奥は紅葉の真っ盛りで、浜松城付近はこれから、という感じです。雪もまだ北海道あたりで、という感じですね。

 季節ではなくて、語呂合わせで「1122」なので「いい夫婦の日」です。ぼくと則子さんは、1年365日、毎日、いつでも「いい夫婦」ですよ。ですから、そういう特別な日は必要ないです…たぶんね…。

 ところで、「いい夫婦」「わるい夫婦」「ふつうの夫婦」って何でしょうね。ネットで「いい夫婦とは」で検索したら「仲の良い夫婦の共通点」というのが出ました。

 ① 会話・コミュニケーションがじょうず(注釈:じょうずというより毎日最優先でしてます、いつも「おはよう」「ただいま」「おかえり」「おやすみ」)

 ② お互いに尊敬と感謝の気持ちがもてること(注釈:いつも「ありがとう」言ってます。ご飯をよそってくれたら「ありがとう」、お茶を入れてくれたら「ありがとう」、キスしてくれたら「ありがとう」)

 ③ お互いに自立していること(注釈:経済的にも、思想的にも。お互いの判断を尊重すること。自分の判断を押しつけない)

 ④ 共通の趣味をもつこと(注釈:「趣味」というには軽すぎるかな?「共通の人生」と言いたいです。古代史も平和運動も原発反対運動も「人生」を重ね合わせて生きることです)

 以上、①~④は共感します。⑤として「けんか・軋轢を恐れず、対等平等の立場で討論できる」ということかな?

 


東海の遺跡・寺社・地名 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」

2012年11月23日 06時41分31秒 | 東海の古代史

東海の遺跡・寺社・地名 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」

 桜ヶ池へ車で南から入っていくと、池の手前に鳥居があって、その左に駐車場があると書いてあるので駐車しました。カンカラに100円を入れます。

 鳥居の左側には、「忠魂碑」などがあります。鳥居をくぐって北へ、池へ向かって歩くと、肝心の「池宮神社」など、すべて東向きで、つまり日の出方向です。

 行って解説板を読んで初めて知ったのは、祭神は「瀬降津比め命」「事代主命」「建御名方命」の3神です。つまり「事代主命」は大國主の国譲りの時の長男的存在で海へ身を投げた、「建御名方命」は次男的存在で力比べで負けて諏訪湖まで逃げて降服した。

 だとすると「瀬織津媛命」も出雲に関係する女神と推定できますが、古事記・日本書紀には出てこないようです。

 「祝詞」には出てくるようですが、謎の女神、この意味を解きたいですね。

 なぜ封印されたのか?なぜ秘密にされたのか?

 竜神と関係ありそうですが、これから調べて行きます。ここが出発点です。

 則子さんとお握りを食べていたら、あじゃりさまの柱にハシブトガラスが飛んで来て、ガーガーとだみ声で鳴いていました。「お前、もしかして、神のお使いの八咫烏か?」と秘かに聞いて見ましたが、しらをきって答えてくれませんでした。

 つまり「八咫烏」とは神のお使いの天使族の「カラス天狗」さまでしょ?うわ、こんなこと書いて「神がかり」と誤解されたら、どうしよう。


雨宮日記 11月20日(火) 「維新」代表・石原さんが「核兵器保有の研究を」!

2012年11月21日 06時06分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月20日(火) 「維新」代表・石原さんが「核兵器保有の研究を」!

 日本の政治は末期症状なのでしょうか。

 「維新」に吸収されながら、同時に「代表」になった石原慎太郎さんが「核兵器保有の研究を」と言ったそうです。

 まるで明治維新で形成された「大日本帝国」の再来です。

 「目には目を、歯には歯を」、「核兵器には核兵器を」ということですか。中国・北朝鮮・ロシア・日本で「悲惨には悲惨を」押しつけあおうというのですね。

 西欧は第1次世界大戦、第2次世界大戦と、2回の世界戦争で「もうこりごり」となったのですが、第1次世界大戦で小規模戦闘を体験しただけの東アジアは、一度では「こりごり」にならないのですね。

 今のところ「第2次東アジア戦争」が近づいているのかも知れません。

 代表代行の橋下さんは、「考えることは大いに結構だ。核を日本が持つかどうかを前提とするのではなく、安全保障で核の役割を考えるのは政治家としてやらなければいけない」と言ってます。

 つまり、実行はだめでも、企画することはいいということですか?

 そうかあ、石原さんの「太陽の塔」、じゃない「太陽の党」は、原子爆弾による人工「太陽」の党だっったんですね。石原さんが若い頃に書いた小説「太陽の季節」とは無関係でした。納得。

 民主党も、野田さんは「消費税反対やTPP反対の議員は公認しない」と言っているそうです。2009年8月の総選挙で勝利して民主党初の首相になった鳩山由紀夫さんは「出馬しない」ということです。前回の民主党「マニフェスト」はどこへ消えたのでしょうか。

 ぼくや則子さん、自分たちに何ができるか、効果はあるのか、論議しながら、自問自答しながら生きていく毎日です。

 自信はありません。未来は暗澹としてしか見えません。

 もしいま「明るい未来が見える」と確言する人がいたら、それは「偽予言者」です。

 それでも、生きていくしかありません。


東海の遺跡・寺社・地名 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって

2012年11月20日 05時51分37秒 | 東海の古代史

東海の遺跡・寺社・地名 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって

 「遠州古代史」のカテゴリーの中に「東海の遺跡・寺社・地名」というのも変ですが、いわゆる「遠州」(静岡県西部)の範囲を超えて、日帰りであるいは1泊で行ける範囲で、「古代探索」を広げてみようということで「東海の遺跡・寺社・地名」を始めます。

 本来の古代の「遠江」jは「駿河」との国境である大井川以西ですから、「桜ヶ池」も「遠州」でいいのですが、現代では「遠州」の範囲はかなり縮まって、磐田や遠州森町くらいまでという実感もあるので、適当に「遠州」と「東海」を使っていきます。

 昔の浜岡町佐倉にある桜ヶ池は、約2万年前の氷河時代に、山から川で運ばれた砂が堆積して池になった「せきとめ湖」だと書いてありました。

 面積は2万平方m。行って見ると、北側と東側・西側は高く森が茂っていて、南側だけが開けていて、池にはカモたちが浮かんでいました。

 桜の名所というのですが、地名は昔の浜岡町佐倉で、あきらかに「さくら」の「さ」は「早乙女」とか「早苗」というように、稲の神さまの「さ」です。

 桜の花の咲くのを、稲の豊作を祈って(予祝ですね)、みんなでお酒や食べ物を神さまにお供えしてから、みんなでお祝いするのが「お花見」です。

 ☆

 この桜ヶ池がおもしろいのは、地下が底なしで、実は長野県の諏訪湖とつながっているという伝承があることです。

 そして竜神信仰との関係で、平安時代末期に比叡山の「あじゃり」上人が、56億年後に降臨するという弥勒菩薩に「教えを請う」と言って桜ヶ池に身を投げて、大蛇になったという伝説があるということです。

 いつの、どんな文書か、まだ不明。調べます。

 遠州と信濃が地下水路でつながっているという伝説は、いろいろあるようなので、遠州側からと信州側から調べて、報告します。おもしろそうです。

 日本列島の他の地域では、こういう「遠州と信州」の「地下水路」のようなものは、あまり聞いていませんが、ぼくの情報不足でしょうか?


雨宮日記 11月18日(日) 浜岡裁判静岡県の会の結成!

2012年11月19日 06時07分15秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月18日(日) 浜岡裁判静岡県の会の結成!

 昨年11月に「浜岡原発永久停止裁判」に第4次原告として参加してからちょうど1年です。ずっと苦労してみんなで作ろうとしてきた「浜岡原発永久停止裁判静岡県の会」の結成総会でした。

 昨夜は、早めに飲んで眠りました。朝7時半に、浜松基地航空祭の最初の飛行音で起こされてしまい、あとは起きるまでうつらうつら…。

 則子さんと2人で車で、早めに家を出て1時間強走って、初めて浜岡の桜ヶ池と池宮神社に行きました。則子さんの作ってくれたお握りを食べて昼食。オシドリが見れるかと思いましたが、オシドリはいませんでした。マガモなど群れていましたが、意外に、小さな池でしたね。別途、古代史関連で書きます。

 会場の「佐倉公民館」が、ぼくの雑な作業と勘違いで迷ってしまい、開場時間を遅れて、総会資料を届けることになってしまいました。関係者のみなさま、ごめんなさい。

 詳しいことは、「浜岡原発永久停止裁判静岡県の会」ブログで書きますが、浜岡原発永久停止裁判のたたかいの新しい段階だと思います。

  ☆

 浜岡を出たのは午後4時半頃、夕陽に向かって車を運転しました。則子さんと、西空の白い飛行機雲や、三日月や、赤い夕焼けについて話ながら帰りました。

 ピラミッドのシルエットもありましたね。

 浜松に着いたのは午後6時前で、則子さんは、家に戻らず、直接、uホールでの「決起集会」に参加するので、則子さんを途中で下ろして、ぼくだけ家に帰りました。ぼくは夜中からの「深夜勤務」なので、則子さんは「決起集会」へは免除してくれました。

 写真は佐倉にある桜ヶ池。

 

 

 


雨宮日記 11月17日(土) 雨で静かな土曜日です

2012年11月19日 06時00分43秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月17日(土) 雨で静かな土曜日です

 「雨で静かな土曜日」というのは、説明しないと理解不可能な文言で、航空自衛隊浜松基地をど真ん中に抱える浜松市では、毎年秋になると、浜松基地航空祭「エアフェスタ」というのがあって、その日曜日の前数日は、予行演習と本番で、1年で一番騒音のひどい数日になります。

 浜松基地は、ふだんは戦闘機はいなくて、ジェット練習機T4の訓練が主なので、航空自衛隊の戦闘機F15や米軍の戦闘機が飛来すると、いつもよりひどい騒音に悩まされます。

 同じT4練習機でも、「ブルーインパルス」になると飛び方が違うので、騒音もひどいです。

 金曜日はブルインが飛んでいたようですが、土曜日は朝から夕方まで雨のため、予行演習はなく、静かな土曜日でした。

 


雨宮日記 11月16日(金) 則子さんと詩についての対話

2012年11月17日 05時36分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 11月16日(金) 則子さんと詩についての対話

 則子さんが俳句を作り始め、「句会」に参加するようになったので、俳句に限らず詩なども読むと良いと句会で進められたようで、図書館に2人で行ったら、ぼくは科学や小説の本を借りましたが、則子さんは俳句や詩集や詩人の伝記を借りていました。

 西条八十さんの伝記の話になって、ぼくの大好きな、30年前から読んでいる詩人の大島博光さんが出てくるという則子さんの話にびっくりして、大島さんの詩集を見たら西条八十さんのことを歌った詩がありました。則子さんに見せたら、「智彦くんって、なんて準備のいい人かしら」と苦笑いしていました。

 30年前から「準備」していたんですよ!大島博光さんは、フランスの詩人ルイ・アラゴンさんの訳者として知られていて、ぼくは大島さんがアラゴン夫妻(妻はエルザ・トリオレ)の人生を紹介した『抵抗と愛の賛歌』を30年前に愛読していました。

 則子さんと、山頭火さんなどいろいろ話をして、大正~昭和期の、西条八十さんや北原白秋さんや、たくさんの俳人・詩人・小説家の作品を読みたいね、ということになりました。

 則子さんとは、社会科学・自然科学の話もいっぱいしますが、こういう文学・芸術の話も楽しいです。

 ☆

 ここ数日間は、太陽だ、維新だ、みんなだ、減税だと、離合集散が激しいですね。大企業の利益という立場でぶれないのは、野田さんだけですか?みんな、もうちょっと、格好付けたいですからね。

 民主党は、アガサ・クリスティさんの名作推理小説みたいに「そして誰もいなくなった」となるのではないでしょうか。


日本古代史の本 『ゼロからの 古代史事典』ミネルヴァ書房、2012年

2012年11月17日 05時33分44秒 | 古代史の本

日本古代史の本 藤田友治・伊ヶ崎淑彦・いき一郎/編著『ゼロからの 古代史事典』ミネルヴァ書房、2012年5月30日初版第1刷、405ページ、定価本体3800円+消費税

  「事典」と言っても小項目主義の「事典」ではなく、大項目主義の日本古代史全体を客観的に見ようとする数少ない貴重な事典です。「客観的に」というのは「九州王朝説」も含めて検討しようとする態度が、貴重だと思います。

 以下、目次を掲げれば、その内容がよくわかります。それぞれの内容も、通常言及されない学説も読むことができて、広く眼を配った学習には最適だと思います。

 「第1部 大陸文明との交流」は「1 列島の旧石器時代、2 縄文文化、3 弥生時代、4 徐福集団渡来、5 銅鐸、6 道教の列島渡来、7 邪馬い(壱)国、8 銅鏡、9 三角縁神獣鏡、10 古墳時代、11 前方後円墳、12 天日槍(天之日矛)、13 騎馬民族征服説、14 渡来人、15 朝鮮式山城と神籠石山城、16 好太王(っ広開土王)碑、17 金石文」、「第Ⅱ部 「国際化」する文化」は「18 ヤマト王権、19 多元史観と「九州王朝」節、20 倭の五王、21 扶桑国、22 豪族と氏姓制、23 磐井戦争(磐井の乱)、24 日本への仏教伝来」、「第Ⅲ部 倭から日本へ」は「25 厩戸太子(聖徳太子)、26 遣隋使と遣唐使、27 「大化の改新」(乙巳の変・後)、28 白村江の戦い、29 壬申の乱、30 古代における聖と賤、31 考古学と化学測定、32 建築の変遷、33 都市の変遷、34 『万葉集』(『萬葉集』)、35 内外史籍、36 君が代と和歌(倭歌)、37 三種の神器、38 藤原京政権」。 

 附録として「倭・韓・中五地域対照略年表」「人名・事項・資料名索引」がついていて見易いです。

 「まえがき」に「高校生のためにルビを多くつけましたが、受験する人は「定説」を覚えて答えてください。」とあるのが愛嬌で、皮肉が効いています。

 細かい内容は、いろんな機会に紹介していきたいと思いますが、「1 列島の旧石器時代」について言えば、基本的な内容は正しいと思いますが、発覚以前に「前期旧石器」のインチキさを石器そのものの研究から批判し続けた希有の存在である「竹岡俊樹」さんなどの名前と批判は簡潔に出ていますが、竹岡さんの著書が参考文献としてあげられていないのは不足ですね。つまり「旧石器」の判定基準とは何か、ということは竹岡さんの本を読まないとわからないと思います。

 それと「出雲神話」とか、「『古事記』」とか「『日本書紀』」とか「記紀神話」とかいう項目は欲しいですね。