雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

戦争と平和 35 浜松市平和委員会総会「土地利用規制法案」の撤回・廃案と住民監視の中止を求める決議

2021年06月15日 21時16分02秒 | 戦争と平和
戦争と平和 35  浜松市平和委員会総会「土地利用規制法案」の撤回・廃案と住民監視の中止を求める決議


2021年6月13日、浜松市平和委員会2021年度定期総会は、決議「「重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律案」の撤回・廃案と住民監視の中止を求める決議」を17人の参加で決定し、政府に送付しました。


「重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律案」の撤回・廃案と住民監視の中止を求める決議

2021年6月13日
浜松市平和委員会2021年度定期総会

 政府は国会に通称「土地利用規制法案」、正式名称「重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律案」を提出し、今国会で成立させようとしています。しかし、この法案は日本の安全を守るためではなく、政府に異論を持ち反対する勢力を監視するためのものではないでしょうか。

 この法律が通れば、自衛隊基地・米軍基地・原発など重要施設からおおむね1km圏内の「注視区域」であれば、その所有者だけで無く、その区域内建物・施設などの利用者・歩行者などがすべて政府の監視と管理の目にさらされ、個人情報を収集されることになります。

 国会での論戦では、法案に「条文上の規定はない」ため、政府の調査の対象・範囲・期間などなんらの制限もなく、幅広い市民が監視対象となることが明らかになりました。

 この「注視区域」も政府答弁では「距離の是非について検討する」としているように、いずれ拡大がされることでしょう。

 この法案は平和運動・市民運動を敵視し、監視・抑圧・弱体化をねらった法案でもあると私たちは思います。

 現在でも、警察・自衛隊などは国民の行動を監視し、私たち平和運動の実際をしつこく公然と監視し、ひそかに電話・通信の盗聴をくりかえしています。

 戦後、日本列島で続いてきた軍事基地・軍隊への平和運動の監視行動の歴史は私たちの名誉ある伝統です。私たちはこれを絶やすこと無く、ますます継承し広げていきます。

 日本国民の軍事への関心と軍隊への監視を弱めることによっては、日本の安全は得られません。逆に、国民の「目と耳と口」をふさいで、戦前日本は破局へ追い込まれていきました。あの悲劇の歴史をふたたび繰り返してはなりません。

 私たち、浜松市平和委員会2021年度定期総会は、政府にこの「土地利用規制法案」を撤回し廃案にすることを強く求めます。









今年の平和行進実施についての意見 雨宮智彦

2020年03月30日 16時03分49秒 | 戦争と平和

 3月28日、以下の個人意見を日本原水協および静岡県原水協にFAXで送りました。これは、まだたぶん最初の意見書です。実際に送ったものは当然、リアル氏名とリアル住所・電話が書かれています。

「今年の平和行進実施についての意見


 こんにちわ。静岡県で浜松市原水協の事務局員・浜松市平和委員会の理事&事務局員をしています。

 3月27日に自宅へ届いた日本原水協の「原水協通信 4月号」を見ましたが、今回のウイルス危機についての公式機関の公式見解は、どこにも示されていません。

 3・1ビキニデーの諸集会の中止についての記事は(3)面にあります。でも、問題は、① コロナウイルス危機にどう対応するか、② いま平和運動の目前の焦点になっている「平和行進」をどうするか、だと思います。

 そのことが正面から書かれず、コロナウイルス危機に平和運動がどう対応するか「平和行進」をどうするか正面からの検討がされず、「平和行進」がやれるという前提で各地方が自主的に対応をまかされているような印象を受けました。

 やはり中央で「こういう理由でやれる、やるならこういうふうにやれる」「やらないなら統一的にやらない」という方針をすぐ出していただきたいと思います。

 ニュースではアメリカの失業者は戦前の1930年代の大恐慌のときくらいになるのでは、と言っています。ぼくも日本の戦後史にない社会的危機なのではないか、と思います。

 命とくらしをまもる平和運動がこの事態を横目で見て座視しているように見えてしまうのではなく、ま正面からとらえて論議するべきだと思います。

 この時期、平和行進を強行することは、平和運動が命とくらしをまもる立場から、「自粛」で苦しみ悩む国民から浮き上がっているかのように見えると思います。

 先進的平和運動は、国民とともに苦しみ悩むべきではないでしょうか。

 イギリスから平和行進に来ると書いてありますが、イギリスでは首相も感染、全世界的に感染爆発が始まっていると思います。

 現場で実際に実行する立場からも、いろいろ論議しました。その結果、今年は実際上できないのではないかとの結論にたっしました。

 人数限定では平和行進とはいえないとも思います。また例年、準備や出迎えで協力してくれる自治体もこんな状況では歓迎してくれるでしょうか。

 ぜひ論議していただいて、今年は中止の決定を出していただきたいと思います。


                        2020年3月28日
平和委員会1会員の立場で

雨宮 智彦」


3・1ビキニデー参加者のコロナウィルス対策について 2020年2月21日 原水爆禁止日本協議会

2020年02月21日 21時23分17秒 | 戦争と平和

 2月21日午後2時26分に静岡県平和委員会・静岡県原水協事務所より入ったファックス電話です。そのまま掲載します。

 何か情報があった時は、ブログにすぐに掲載します。



 3・1ビキニデー参加者のコロナウィルス対策について

             2020年2月21日 原水爆禁止日本協議会


 3・1ビキニデー成功に向けてのとりくみに心から敬意を表します。

 中国武漢を発生源とする新型コロナウィルスの感染者が各地で確認されています。

 3・1ビキニデー参加者のみなさんに対しては、主催者として会場入口にアルコール消毒液を設置するなど対策を講じるようにします。

 同時に、各都道府県から参加される代表のみなさんにも、感染症対策を徹底してくださるようお願いします。

 1、 厚生労働省作成の「新型コロナウィルスを防ぐには」(別紙【 省略 】)も参考にして、新型コロナウィルスへの理解と、感染予防のための対策を徹底してください。

 2、 発熱等の風邪の症状が見られるときは、ビキニデーへの参加を控えるように伝えてください。

 3、 参加者にはうがい、手洗い等を徹底してください。


 ※ 行政機関からの中止要請等があった場合には、すみやかに連絡します。




戦争と平和 32 静岡の平和と戦争 1 静岡大学の米軍占領下の原爆展

2019年10月06日 08時30分43秒 | 戦争と平和


戦争と平和 32 静岡の平和と戦争 1 静岡大学の米軍占領下の原爆展

 静岡県の平和と戦争の歴史と現在をたどっていく企画。ボクの状態では文献での研究が主になる。

 かもがわブックレットで小畑哲雄さん著『占領下の原爆展 ー 平和を追い求めた青春 ー』(かもがわ書店、1995年、63ページ、定価550円)という本が手元にある。

 京大生を中心に京都駅前の丸物百貨店で1951年に開かれた「総合原爆展」を書いているのですが、そのなかに以下のような叙述があります。

 「「『原爆展』掘り起こしニュース」第1号(1992年3月16日付け)に」「皆さんのご協力によって集まった資料によって、51年の「原爆展」が占領下にもかわらず驚くほどの広がりをもって取り組まれたことが分ってきました。
 当時の学園新聞などの記事によれば、静岡大学、同志社大学、東京大学などで「原爆展」が取り組まれています。おそらくこれらの大学の取組みには、京大の「原爆展」が大きな役割を果たしていると思われます。
 また、このニュースの見開き面に紹介したように、京都以外の各府県(大阪、兵庫、滋賀、広島、群馬、鳥取など)でも、「原爆展」の資料が活用されています。今日の平和運動のルーツを考える上でも、原爆展を掘り起こすことは、意義あることと、あらためて思います。」(「プロローグ」p7)

 ボクもこの本を読むまで知らなかったし、たぶん静岡県の平和運動関係者にも知られていないのかもしれない(知っている方がいたらごめんなさい)。

 静岡大学で1951年当時に学生や先生だった方や、当時の学園新聞をお持ちの方いたら、雨宮智彦までご一報ください。

 


戦争と平和 31 ステルス戦闘機はレーダーで「見えない」のではなく「見えにくい」 20190918

2019年09月18日 11時17分48秒 | 戦争と平和


戦争と平和 31 ステルス戦闘機はレーダーで「見えない」のではなく「見えにくい」 20190918

 これまで「戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526」と「戦争と平和 30 ステルス戦闘機F-35の値段は?」を書きました。

 今日は、「ステルス戦闘機」シリーズ3です。

 雑誌『軍事研究 2019年10月号』に軍事情報研究会「史上初の第五世代ステルス戦闘機「Fー22ラプター」」という論文が掲載されています。

 そのなかに「ステルス」の意味が解説されていますので、紹介します。

 それによれば、「ステルス能力」とはその飛行機の「RCS(レーダー反射断面積)」のことで、各国の戦闘機のRCSは次のようです。(同書、p130~131)

 最短探知距離の計算方法は不明。

 国名   機種名    RCS             最短探知距離

 中国   Jー16   5~10m2    355km
 ロシア  Su-35  1.0m2         241km
 ロシア  Su-57  0.5m2         185km
 中国   J-20   0.1m2         112km
 アメリカ F-35A  0.0013m2    60km
 アメリカ YF-22A 0.00013m2  40kn


 全方位にたいするステルス能力をそなえているのはFー22ラプターだけのようです。これが第5世代戦闘機です。

 F-35Aやスーパーホーネットは第4.5世代戦闘機です。

 その機種のRCSがどうであれ、それを探知するレーダーが機上のものか、高性能の地上レーダーかで、変わるでしょう。「矛と盾」のようなものです。

 つまりこの論文には書いてないけど、

 ① その機種のRCS(レーダー反射断面積)、
② レーダーの能力
 ③ レーダーと機体の距離

 その3点で探知力は変わるってことでしょうか。
 レーダーとステルス機能の細かい解説もあるけど、省略します。


 以下、「戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526」をコピー。

「戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526

 三沢基地の航空自衛隊ステルス戦闘機F-35が海に墜落したのは4月9日。いまだに機体の一部が見つかっただけでパイロットの遺体と機体の大部分は見つかっていない。

 墜落の時、新聞に奇妙な記事が出た。ボクは奇妙だと思うので以下に紹介する。

 『中日新聞 4月10日(水曜日)』(29)面「F35Aが同基地の東方約百三十五㌔付近の太平洋上を飛行中、レーダーから機影が消えた。」

 『赤旗 4月11日』(1)面「レーダーから消え連絡が取れなくなりました。」

 つまり、味方のレーダーで味方の「ステルス機」は見えるのです。それでは簡単に敵にミサイル攻撃されてしまうでしょうと思うのですが。

 新聞が同じ表現なので実際に三沢基地のレーダーで「機影が消えた」のではなく、実際には見えていなかったが「そう発表しろ」という上からのお達しで防衛省発表がそうなったという可能性はある。

 雑紙『軍事研究』にチベットに新規配備された中国空軍のステルス機がインド軍のレーダーに捕捉されたという話も載っていた。

 それはフェイクもあり、擬装もあり、タヌキとキツネの化かし合いのような話だ。ほんとうのところは判らない。

 「矛 ほこ」と「盾 たて」のような真実が定かでない話です。

 いちばん威力が増して欲しいのは「味方の攻撃力」と「味方の防御力」で、いちばん威力が減って欲しいのが「敵の攻撃力」と「敵の防御力」。

 ところで浜松基地の航空自衛隊エイワックスのレーダーでF35ステルス機は見えるのでしょうか?

 エイワックスのレーダーで中国空軍のステルス機は見えるのでしょうか?」

 


戦争と平和 30 ステルス戦闘機F-35の値段は?

2019年05月27日 13時38分38秒 | 戦争と平和


戦争と平和 30 ステルス戦闘機F-35の値段は?

 昨日、話題にした「戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526」の「ステルス戦闘機F-35」の値段はいくらなのか?

 ボクが見た文献には「118億円」とか書いてあって、ボクはそんな安くなないだろうだろうと思った。118億でも高いでしょうけど。

 そこで3月に出たばっかりの小泉親司(ちかし)『今日の「日米同盟」を問う』学習の友社、を読んでみた。

 143ページに「F35A購入予算 防衛省資料より」というのが出ている.以下のとおりです。
 A 単価 B 関連経費を足した単価
 2012年  96億円 143億円
 2013年 140億円 237億円
 2014年 159億円 249億円
 2015年 172億円 202億円
 2016年 181億円 232億円

 「B 関連経費を足した単価」はボクが計算したものです。

 ですからおおよそ2百数十億円ということでしょうか。戦闘機なるものは高価な電子部品の塊です。年々上がって、まだこれからも上がり続けるのでしょうね。

 三沢沖で墜落した機体は140億円と記事に出ていました。

 


戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526

2019年05月26日 09時21分28秒 | 戦争と平和


戦争と平和 29 ステルス戦闘機F-35はレーダーで見えない? 20190526

 三沢基地の航空自衛隊ステルス戦闘機F-35が海に墜落したのは4月9日。いまだに機体の一部が見つかっただけでパイロットの遺体と機体の大部分は見つかっていない。

 墜落の時、新聞に奇妙な記事が出た。ボクは奇妙だと思うので以下に紹介する。

 『中日新聞 4月10日(水曜日)』(29)面「F35Aが同基地の東方約百三十五㌔付近の太平洋上を飛行中、レーダーから機影が消えた。」

 『赤旗 4月11日』(1)面「レーダーから消え連絡が取れなくなりました。」

 つまり、味方のレーダーで味方の「ステルス機」は見えるのです。それでは簡単に敵にミサイル攻撃されてしまうでしょうと思うのですが。

 新聞が同じ表現なので実際に三沢基地のレーダーで「機影が消えた」のではなく、実際には見えていなかったが「そう発表しろ」という上からのお達しで防衛省発表がそうなったという可能性はある。

 雑紙『軍事研究』にチベットに新規配備された中国空軍のステルス機がインド軍のレーダーに捕捉されたという話も載っていた。

 それはフェイクもあり、擬装もあり、タヌキとキツネの化かし合いのような話だ。ほんとうのところは判らない。

 「矛 ほこ」と「盾 たて」のような真実が定かでない話です。

 いちばん威力が増して欲しいのは「味方の攻撃力」と「味方の防御力」で、いちばん威力が減って欲しいのが「敵の攻撃力」と「敵の防御力」。

 ところで浜松基地の航空自衛隊エイワックスのレーダーでF35ステルス機は見えるのでしょうか?

 エイワックスのレーダーで中国空軍のステルス機は見えるのでしょうか?

 


戦争と平和 26 戦争と平和の本 8 日本平和委員会編『平和運動30年史年表』大月書店、1979年

2019年03月08日 22時08分50秒 | 戦争と平和

 

戦争と平和 26 戦争と平和の本 8 日本平和委員会編『平和運動30年史年表』大月書店、1979年

 12月10日発行、A5版、167ページ、非売品

 これは平和運動20年のときつくられた『平和運動20年運動史』の付録でついていた「平和運動20年史年表」を倍以上に引き延ばした年表だ。

 「平和運動20年史年表」(1945年~1968年、活字、73ページ)をベースにして、それに74ページから167ページまで手書きの1978年までをつけくわえたものだ。

 見開きで左に「国内平和運動」「国際平和運動」、右に「国内 政治・軍事」「国内 社会・経済」「国際」を配置している。

 これがアイデアの原型の1つとなって、ボクが1987年に浜松市平和委員会創立25周年記念に手書きで作成した「平和年表 1962~1987」になりました。

 3年後の2022年の浜松市平和委員会創立60周年に向けて「浜松市平和運動65周年年表 1945~1920」を完成させたい。

 いまの浜松のものはB4橫2ページ見開き、14項目で創っている。

 可能なら1項目内にたとえば原発とかカラーで色を変える。できるかな?

 


戦争と平和 25 松本清張さんと浜松基地 (2) 20190226

2019年02月26日 10時43分43秒 | 戦争と平和

 戦争と平和 25 松本清張さんと浜松基地 (2) 20190226


 昨年10月24日に「戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地 2018年10月24日 10時55分14秒 」を書きました。
 
 そのとき「ところが清張さんは日付を「6月12日からはじまる祇園祭」の夜、としているので朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮の侵攻で始まったのだから日付が合わない。事件があったことは確からしいので、不明です。」と書きました。

 その日付問題が解決しました。

 最近、平和運動の歴史を勉強し直すために読み始めた日本平和委員会編『平和運動20年運動史』(大月書店、1969年10月17日、496ページ+年表95ページ、定価1500円)の年表をめくっていたら1950年のとこりにありました。

 「7月【日付不明】 小倉市で、米軍基地の黒人兵集団脱走。城野キャンプでも100名余脱走、米軍2個中隊との間に市街戦。」

 同じ年表に「7月1日 米陸軍、釜山に上陸。」とあるのでまだ韓国軍が「釜山橋頭堡」に押し込められていたのは「9月15日 「国連軍」、仁川に上陸」するまでなので、現状でアメリカ兵が朝鮮に送られれば釜山の死地に送られることになる。

 脱走の背景はわかった。あとは詳細な記事を捜そう。

   ◇

 以下は過去記事の転載。

 「戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地

 自分でも突飛なタイトルだと思います。文学者松本清張さんと浜松基地のあいだには何の関係もありません。松本清張さんが浜松駅で下車したことがあるかどうかもボクは調べたことはありません。

 ただ自伝『半生(はんせい)の記』(新潮文庫、1970年~1980年17刷)に浜松と関連のありそうなことが出ているので一筆書きます。

 『半生の記』の最終章「絵具」は朝鮮戦争当時、清張さんがいた北九州の小倉でおきたアメリカ黒人兵の脱走事件をあつかっている。

 p145に「黒人兵は浜松の方から移動してきた1団で、黒原キャンプには2晩泊り、いよいよ明日は朝鮮に出動するという前夜だった。」

 この「浜松の方から」というのが当時、米軍基地になって横田基地の分飛行場となっていた浜松基地のことなのか定かではありません。

 東京に「浜松町」という地名はありますが。いちおう浜松基地を第1候補としておきます。

 ところが清張さんは日付を「6月12日からはじまる祇園祭」の夜、としているので朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮の侵攻で始まったのだから日付が合わない。事件があったことは確からしいので、不明です。

 p147には北九州地区の新聞には載ったとあるから、また機会があれば、調べてみたい。

 自衛隊の基地になるまでの米軍浜松基地の時代は、何もわかっていません。過去の新聞をあさる時間がボクにあればいいのだけれど。


戦争と平和 24 戦争と平和の本 7 池谷秋雄『冨士には平和がよく似合う』より浜松の重爆撃機墜落

2018年12月28日 22時03分27秒 | 戦争と平和


戦争と平和 24 戦争と平和の本 7 池谷秋雄『冨士には平和がよく似合う』より浜松の重爆撃機墜落

 1988年発行、62ページ、頒価400円。

 池谷さんは平和委員会の活動家で元教師。今日は部分紹介。この小冊子のなかの第2部「エッセイ 反戦・平和の詩について 12編」から「五月のある夕暮れ 小野十三郎」で紹介されている。

 小野十三郎さんは大阪に住む戦前からの詩人、詩集「大阪」に掲載された詩「五月のある夕暮れ」を、池谷さんは紹介している。

 「民家の屋根に浜松の重爆撃機が不時着した。機体は大破したが搭乗員は皆奇蹟的にかすり傷を負っただけで助かった。長家が五、六軒めちゃめちゃになり子供が一人切断された高圧線に触れて死んだ。その日の夕方、取除け作業をやっているところを見に行った……」(p35)

 池谷さんは「詩集「大阪」の第一部の作品は一九三六年から一九三九年に書かれた」というので、浜松から西日本の基地へ、もしくは満州・中国へ飛んでいく途中ではなかったかと思われます。

 もうすこし調べてみます。

 


戦争と平和 23 戦争と平和の本 6 荒井信一/文、山本耕二/写真『母と子でみる ホロコーストの跡を訪ねる』草の根出版会、」2002年

2018年12月20日 15時51分33秒 | 戦争と平和


戦争と平和 23 戦争と平和の本 6 荒井信一/文、山本耕二/写真『母と子でみる ホロコーストの跡を訪ねる』草の根出版会、」2002年

 A5版、135ページ、定価本体2200円。

 アウシュビッツだけが有名になってしまったが、ユダヤ人差別・迫害・虐殺はアウシュビッツだけではない。

 このドキュメントに出てくるだけでダッハウ・ザクセンハウゼン・ベルゲンベルゼン・トレブリンカ・マイダネク・……。

 そしてユダヤ人だけではなくて障害者・ロマ人・同性愛者・・…。

 この本の特色は、強制収容所が最初1933年3月にダッハウとオラーニエンブルクに創られたことを明確に記述していることだろうか。

 そして1945年後も続くユダヤ人の苦悩について書いていることだ。

 ちなみにアウシュビッツで殺された推定人数は160万人。

 写真多数。今夜はうなされそう。

 ぼくたちはどう記憶を受け継ぐのか?

 


戦争と平和 22 「攻撃的兵器」と「防御的兵器」

2018年12月19日 14時32分30秒 | 戦争と平和


戦争と平和 22 「攻撃的兵器」と「防御的兵器」

 昨日12月18日、日本政府は「防衛計画の大綱」を決定した。その精査は全文を読んだうえできちんとやりたい。

 今日は「攻撃的兵器」についてである。新聞を見ると「つねにFー35Bを載せるわけではないので憲法が禁止している攻撃的兵器ではない」と言っている。笑ってしまう。

 第1に、この「改造いずも」「改造かが」は明らかに空母である。空母であろうと、問題は使い方によると思う。

 第2に、今の兵器に「攻撃的兵器」と「防御的兵器」の区別などない。小銃や戦車や戦闘機などすべて「攻撃的兵器」だ。使い方に「攻撃的」に使うか、「防御的」に使うかの違いがあるだけだ。

 第3に、名前が「自衛隊」「防衛計画」だからといって実体がそうかどうかは実態による。名前にはよらない。

 主観と客観を間違えるな。

 


戦争と平和 21 戦争と平和の本 5 室伏志畔さん『白村江の戦いと大東亜戦争 ー比較・敗戦後論ー』同時代社、2001年

2018年10月29日 21時18分25秒 | 戦争と平和


戦争と平和 21 戦争と平和の本 5 室伏志畔さん『白村江の戦いと大東亜戦争 ー比較・敗戦後論ー』同時代社、2001年

 「本と映像の森 89」の再録です。

 ほんとは古代史の方でとりあげるべきかも知れませんが「戦争と平和」のテーマには最重要なことです。

「2010年10月04日 05時11分43秒 | 本と映像の森
本と映像の森89 室伏志畔さん『白村江の戦いと大東亜戦争 ー比較・敗戦後論ー』同時代社、2001年7月25日発行、61ページ、定価600円+消費税

 「大東亜戦争」という用語が出てきますが「大東亜」主義者の方ではありません。きわめてまっとうな実証主義的古代史家の室伏さんです。

 なぜ「大東亜戦争」かというと、古代の白村江の戦いという朝鮮の支配権をめぐって戦われた戦争と、日本近代の朝鮮や中国の支配権をめぐって戦われた「大東亜戦争」とを「比較」しているからです。

 室伏さんは、その中間に、もう1つの日本の敗戦、豊臣政権の朝鮮戦争を視野に入れています。
 
 つまり、日本古代の倭国は、朝鮮の支配権を中国や新羅と争って敗れて崩壊し、新しい日本国に交代した。

 近世の豊臣秀吉政権は、朝鮮から中国を支配しようとして敗れて崩壊して、新しい徳川政権に交代した。

 近代の「絶対主義的天皇制」、つまり「大日本帝国」は、朝鮮や中国の支配権を独占しようとして失敗し、崩壊して「敗戦」となり、新しい「日本国」、アメリカに従属する政権に交代した。

 そういう3つの敗戦と、3つの政府交代をどう統一的に見るか、それが大事だと、室伏さんのこの著書を読んで思いました。

 それと、室伏さんは、この著書で「『日本書紀』は大和朝廷一元史観でできていますが、『日本書紀』を幻想表出から読みこなすなら、それは出雲王朝、倭国王朝、大和朝廷の変遷史を大和朝廷一元史観で潤色したのが透けて見えるモザイク史観でしかありません。」と明記しています。

 これ、凄いんですけど、今日だけでは紹介しきれません。
 また、いろいろ考えて、紹介もしていきたいと思います。」

 


戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地

2018年10月24日 10時55分14秒 | 戦争と平和


戦争と平和 20 松本清張さんと浜松基地

 自分でも突飛なタイトルだと思います。文学者松本清張さんと浜松基地のあいだには何の関係もありません。松本清張さんが浜松駅で下車したことがあるかどうかもボクは調べたことはありません。

 ただ自伝『半生(はんせい)の記』(新潮文庫、1970年~1980年17刷)に浜松と関連のありそうなことが出ているので一筆書きます。

 『半生の記』の最終章「絵具」は朝鮮戦争当時、清張さんがいた北九州の小倉でおきたアメリカ黒人兵の脱走事件をあつかっている。

 p145に「黒人兵は浜松の方から移動してきた1団で、黒原キャンプには2晩泊り、いよいよ明日は朝鮮に出動するという前夜だった。」

 この「浜松の方から」というのが当時、米軍基地になって横田基地の分飛行場となっていた浜松基地のことなのか定かではありません。

 東京に「浜松町」という地名はありますが。いちおう浜松基地を第1候補としておきます。

 ところが清張さんは日付を「6月12日からはじまる祇園祭」の夜、としているので朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮の侵攻で始まったのだから日付が合わない。事件があったことは確からしいので、不明です。

 p147には北九州地区の新聞には載ったとあるから、また機会があれば、調べてみたい。

 自衛隊の基地になるまでの米軍浜松基地の時代は、何もわかっていません。過去の新聞をあさる時間がボクにあればいいのだけれど。

 


戦争と平和 19 「この世界の片隅に」停泊していた帝国海軍

2018年10月06日 10時09分32秒 | 戦争と平和

 
戦争と平和 19 「この世界の片隅に」停泊していた帝国海軍


 2018年夏、テレビの実写ドラマ「この世界の片隅に」が終わりました。原作マンガやアニメとは違った世界を創れていて、すごくよかったです。

 ドラマ全体の感想とは別に、ボク独自の感覚があります。

 ドラマのなかで周作とすずが呉軍港を見下ろすシーンがあります。マンガでも同じ場面があります。

 マンガ『この世界の片隅に 上』の110から111ページで、こういう会話です。

 周作「見てみい
    巡洋艦じゃ」
 すず「大きいですねえ」
 周作「ありゃ愛宕…
    摩耶かのう?」
 周作「むこうは駆逐艦雪風じゃろうか」

 ボクは、この会話に言いようのない衝撃を受けました。ドラマを見た視聴者のうち、どれくらいが気づいたか判りませんが。

 「愛宕」は旧帝国海軍の重巡洋艦ですが、ことばで発音すれば「あたご」です。会話にすれば「愛宕」も「あたご」も違いがありません。

 そして海上自衛隊のミサイル護衛艦に「あたご」があります。

 「愛宕」は基準排水量11350トン(竣工時)、全長204m。「あたご」は2005年進水し、基準排水量7700トン、全長165m。

 「摩耶」も旧帝国海軍の重巡洋艦です。「まや」は今年7月に進水したばかりの最新鋭のイージス護衛艦。基準排水量8200トン。全長170m。

 「雪風」は帝国海軍の駆逐艦ですが、ひらがなにすると「ゆきかぜ」で海上自衛隊の護衛艦です。

 「あたご」「まや」「ゆきかぜ」3隻とも海上自衛隊は、旧大日本帝国海軍の艦船から命名しています。

 なぜ海上自衛隊の艦船に旧大日本帝国海軍の艦船の名前をつけるのでしょうか。わかりません。調べてみます。

 同じマンガ『この世界の片隅に 上』の142から143ページで、義姉の娘晴美ちゃんとすずさんの会話があります。

 晴美「ありゃ「利根」よ
    重巡じゃ」
 すず「ジュウジュン?」
 晴美「重巡洋艦」
晴美「ほいであれは「日向(ひゅうが)」よ
    航空戦艦じゃ
    うしろに砲塔が
    ないじゃろ」

ひらがなの「とね」は1991年に進水した海上自衛隊の護衛艦です。

 ひらがなの「ひゅうが」はヘリコプター搭載護衛艦(DDH)で基準排水量13950トン、全長197m。

 現代日本の政治家のなかに戦前の教育勅語を賛美する人がいるように、戦前日本を信奉する潮流は現代の日本軍隊のなかでも根深いのかも知れない。

なんか未来は薄ら寒くなってっきた。カゼを引かないように、今日はこれで終わる。