雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

ことばと詩 71 佐々木隆治『マルクスの物象化論』より、「所有、自由、平等」 20210818

2021年08月18日 20時16分08秒 | ことばと詩
ことばと詩 71  佐々木隆治『マルクスの物象化論』より、「所有、自由、平等」  20210818


 「マルクスはむしろ、この近代的な「所有、自由、平等」そのものの内在的な諸矛盾をつかもうとする。この内在的な矛盾ゆえに、「所有、自由、平等」がその度ごとに反対物に転化せざるをえあいのである」


 ( 佐々木隆治『マルクスの物象化論』社会評論社、2011年、p288~289 )



ことばと詩 70 灰谷健次郎『大陽の子』より 20210814

2021年08月14日 19時00分16秒 | ことばと詩
ことばと詩 70 灰谷健次郎『大陽の子』より 20210814


 これは1980年の小説のタイトルです。「てだのふあ」と読みます。最近、封切りの映画のことでは、ありません。


 主人公の少女「ふうちゃん」のお母さんがやっている沖縄料理屋の名前です。


 そのなかで「てだのふあ」の常連は、こう言って議論します。


 「かわいそうなんてことば使うな」………
 「沖縄には、かわいそうなんていうことばはないんじゃ」
 「肝苦りさ(ちむぐりさ、胸が痛む)か」………
 「口先だけでかわいそうやなんてうてるやつほど、痛いこともかゆいこともなんにも感じてない奴や。痛いこともかゆいこともないことをいうてるから、痛いめにあう人間がちっとも減らへんのや。この女(ひと)は病気で死んだんとちがうねんで。餓死したんともちがうねんで。痛いこともかゆいこともないことをいうてる奴に、寄ってたかって殺されたんやでえ」
  (p190)


 1980年から40年経っても、この列島では「この女(ひと)は病気で死んだんとちがうねんで。餓死したんともちがうねんで。痛いこともかゆいこともないことをいうてる奴に、寄ってたかって殺されたんやでえ」ということが蔓延してるようです。


 名古屋の入管のことを聞いてボクは、アウシュビッツの看守がまだまだ、この国にはたくさん残っていると思いました。


 ふうちゃんは、いま50代の成熟したおとなに育っているでしょうか。



ことばと詩 69 劉慈欣『三体(第1巻)』よりイナゴについて 20210810

2021年08月10日 08時38分34秒 | ことばと詩
ことばと詩 69 劉慈欣『三体(第1巻)』よりイナゴについて 20210810


劉慈欣『三体(第1巻)』の終わり近くにある文章です。実際には物語は、あと4冊もありますが。


 高度な「三体」宇宙文明は、地球文明に「虫けら」宣告をおこなう。


 予想される人類殲滅戦争に絶望し自暴自棄になる2人の科学者を北京郊外の畑に連れ出して、小麦畑にむらがるイナゴを指さし、主人公のひとり史強が言うセリフ。


 「あんたたちふたりに、ひとつ質問がある。地球人と三体人のあいだの技術力の差と、イナゴと地球人とのあいだの技術力の差、両者を比べてみて、どっちが大きい?」
 ……(中略)……
 「見てみろよ。これが虫けらだ。こいつらとおれたちの技術力の差は、おれたちと三体文明の差よりずっと大きいよな。そして、おれたち地球人は、この虫けらをなんとか滅ぼそうと、全力を傾けてきた。
 ……(中略)……
 しかし、結果はまだ出ていない。虫けらどもはまだ絶滅していないばかりか、我が物顔でのさばっている。人類の出現する前と比べても、虫の数はまるで減っていない。
 地球人を虫けら扱いする三体人は、どうやら、ひとつの事実を忘れちまってるらしい。すなわち、虫けらはいままで一度も敗北したことのないって事実をな」(p430)


 なとなく「新型コロナウイルス」と似ているような気がします。「コロナウイルスに打ち勝つ」とか。


 以下は蛇足ですが、ボクが約10ヶ月前に書いた「本と映像の森(第3) 1 劉慈欣『三体』」です。


「本と映像の森(第3) 1 劉慈欣『三体』早川書房、2019年 20201003
2020年10月03日 22時04分16秒 | 本と映像の森


 7月15日初版~7月22日第8版、447ページ、定価本体1900円。
 著者は中国読みで「リウ・ツーシン」。


 いま第2部まで出た中国のSF小説『三体』の第1部です。三部作で来年春に第3部が発行されます。


 ボクも去年、最初、絶賛の新聞書評を読んで半信半疑だったけど買って読みました。読んでびっくり。ストーリーも人物造形も面白いし、SFアイデアが満載。


 いま第2部(上下2冊)の終わりまで読みました。早く第3部が読みたいです。


 最初の主人公・葉文潔(イエ・ウェンジェ)は女性天体物理学者で学者の父が文革で迫害されたため、娘の葉文潔も北西地方の辺境へとばされる。


 そこから物語は始まる。


 数十年後、ナノテク素材の研究者・汪ビョウはVRゲーム「三体」に入り込む。その空想世界は不安定な3つの大陽で文明が短期間で滅んでは興る世界だった。


 汪ビョウの探究の相棒となる警察官・史強(シー・チアン)の揺るがぬ性格がすごく強烈で、汪ビョウを助けている。


 「三体世界」と「地球世界」との接触は、その両者に激烈な影響を及ぼしていると思う。


 ボクが感じた問題の1つ:VRゲーム「三体」で「紂王」「始皇帝」などは誰だったのか?ボクは彼だけがリアル三体世界の統治者だったのではないかと思う。


 三体世界のマイクロ物理学の発展もすごく面白い。このうち現実になある部分があるだろうか。


 たぶん来年、第3部が出版されてから全部の評価を書くつもりです。  それと数学をちゃんと勉強しないといけないな。」





ことばと詩 68 江藤淳『昭和の文人』(新潮文庫、平成12年)より 20210730

2021年07月30日 10時38分21秒 | ことばと詩
ことばと詩 68 江藤淳『昭和の文人』(新潮文庫、平成12年)より 20210730


 江藤淳さんは文学評論家です。1999年没。有名な保守評論家であり、ボクのようなマルクス主義者が取り上げるのは、たぶん珍しいことなんだろうと思う。

 しかしボクの基本姿勢は「フラットに何でも読む。敵のものでも全部目を通して、自分で直接、敵の力量・生き方・感覚を細部まで確かめる」ということです。風聞にたよるなということです。

 江藤淳さん『昭和の文人』を読んでみた結果、きわめて興味深い人だと思った。中野重治さんへの辛い感覚に、ボクも共感するものがある。


     ◇


 「まことに、『甲乙丙丁』の時空間とは、死の充満した時空間である。言葉の死骸と都市の死骸、そして人々のさまざまな死。作者は、果してこの長大な小説でなにをいおうとしているのだろうか?」


 ( 江藤淳『昭和の文人』、「「甲乙丙丁」の時空間 Ⅱ」、p170 )


     ◇

 もちろん、「共感」するのは、江藤淳さんの全ワークのことではない。

 ボクは、もう少し江藤淳さんの本を読み進めたい。





ことばと詩 67 森浩一「考古学は地域に…」(『地域学のすすめ』より) 20210717

2021年07月16日 13時48分18秒 | ことばと詩
ことばと詩 67 森浩一「考古学は地域に…」(『地域学のすすめ』より) 20210717


 考古学者森浩一さんの著書『地域学のすすめ』(岩波新書、2002年)に、つぎのような文がある。


 「1989年4月1日、佐賀県吉野ヶ里遺跡にいつての最初のシンポジウムが佐賀県鳥栖市でおこなわれた。……結びの言葉の最後に、まったく予期していなかった言葉が僕の口を衝いて出た。「今日のシンポジウムで感じたことがあります。考古学は地域に勇気をあたえる。」」
 (「はじめに」、pⅲ)


 ぼくの考古学はみんなに勇気をあたえているだろうか。心もとない。



ことばと詩 66 伊予原新「アンモナイトの探し方」より(『月まで三キロ』新潮文庫、2021年)所収 20210712

2021年07月12日 19時27分39秒 | ことばと詩
ことばと詩 66 伊予原新「アンモナイトの探し方」より(『月まで三キロ』新潮文庫、2021年)所収 20210712


 「私はそのとき思い知った。わかるための鍵は常に、わからないことの中にある。その鍵を見つけるためには、まず、何がわからないかを知らなければならない。つまり、わかるとわからないとを、きちんとわけるんだ。」
 ( p143 )



ことばと詩 65 田中芳樹『銀河英雄伝説 9』<TOKUMA NOVELS>、徳間書店、1987年 20210711

2021年07月11日 08時36分32秒 | ことばと詩
ことばと詩 65 田中芳樹『銀河英雄伝説 9』<TOKUMA NOVELS>、徳間書店、1987年 20210711


 第9巻の冒頭、イゼルアローン要塞。といっても『銀河英雄伝説』では「森林公園」か「司令官執務室」「廊下」「食堂」くらいしか出てこない。


 ユリアンの独白。


「人類が滅亡しないかぎり、前人の行為は記録として残され、それが後世の人々に伝えられていくのだろう。
 いつかヤンは、ユリアンに言ったことがあった。
 「歴史とは、人類全体が共有する記憶のことだ、と思うんだよ、ユリアン。思い出すのもいやなことがあるのだろうけど、無視したり忘れたりしてはいけないのっじゃないかな。」
 ユリアンは、ため息をついた。ヤンの最後を思いだすのはつらい。だが、忘れるのは、もっと耐えがたいことだ。」
( 「第1章 辺境にて」より、p18 )



ことばと詩 64 恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎、2016年)より 20210709

2021年07月09日 12時57分06秒 | ことばと詩
ことばと詩 64 恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎、2016年)より 20210709


 恩田陸さんの傑作音楽小説『蜜蜂と遠雷』は音楽ドラマであると同時に、関係者たちの対話ドラマでもあると思う。でも映画は、その両面をうまく表現しているだろうか。


 そのなかの、作曲家菱沼と旧知の審査員との会話。


 「だがねえ、結局、我々はみんな媒介者に過ぎんええんじゃないかって年々思うようになったね」
 「媒介者?」
 「作曲家も、演奏家も、みんなさ。元々音楽はそこらじゅうにあって、それをどこかで聴きとって譜面にしてる。更には、それを演奏する。創りだしたんじゃなく、伝えてるだけさ」
 「預言者ですね」
   ( p226、「音の絵」より )



ことばと詩 63 宮城谷昌光『三国志 第八巻』文春文庫、2012年 20210630

2021年06月30日 08時00分30秒 | ことばと詩
ことばと詩 63 宮城谷昌光『三国志 第八巻』文春文庫、2012年 20210630


 古代中国を描く日本の小説家宮城谷昌光さんは浜松市北区三ヶ日町に住んでいます。彼の古代中国の小説はあまり読んでいないのですが、唯一『三国志』(全12巻、文春文庫)だけは、このごろやっと読み終えました。たぶん、これからも原本『正史 三国志』(全7巻、ちくま文庫)とともに精読することになるでしょう。


 宮城谷昌光『三国志』は、『三国志演義』とはまったく別物とみた方がよくて、人物や事件の描写・意味もまったく違います。宮城谷昌光『三国志』の紹介は別途したいと思っています。


 で、宮城谷昌光『三国志 第八巻』のp96~98、「関羽」の章の孫権の思考をたどる叙述。


 「『尚書』の「夏書(かしょ)」に、
    時に先んずる者は、殺して赦(ゆる)すこと無し
    時に及ばざる者も、殺して赦(ゆる)すこと無し。
 とある。時より先行した者も、時に遅れた者も滅亡する、と孫権は解している。では、時とは何であるか、ということになるが、それは大事をおこなうための時機といいかえてもよいであろう。」



ことばと詩 62 田中芳樹『銀河英雄伝説 2 野望篇』より商人・コーネフ船長のことば 20210620

2021年06月20日 16時10分20秒 | ことばと詩
ことばと詩 62 田中芳樹『銀河英雄伝説 2 野望篇』より商人・コーネフ船長のことば 20210620


 『銀河英雄伝説』の3回目。商業国家フェザーン自治領の28才の若き商人・コーネフ船長のことば。


 コーネフは、どちらかと言うと、アイザック・アシモフの『ファウンデーション』における貿易商人的存在だと思う。3巻以降で、どういう役割を果たすのか楽しみです。


 ヤン・ウェンリーとかなり近しい立場になり、重要な役割を果たすんじゃないと予測する。




「マリネリスが感心のあまりはげあがった額をなでまわした。
 「いい人ですな。キルヒアイス提督は」
 「気の毒にな」
 「え、なにがですか」
 「いい人間は長生きしないよ、とくにこんなご時勢にはな」
 コーネフはマリネリスを見やったが、返事がないので自分の席へ歩いて行った。
 その後姿を見送りながら、事務長は首を振った。うちの船長は、必要もないところでかっこうのよい台詞(せりふ)を言いたがる癖さえなければーそう思ったのである。
 地球までは、まだ遠い道程だった。」
(「第4章 流血の宇宙」、p101)



ことばと詩 61 田中芳樹『銀河英雄伝説 1 黎明篇』より再び「ヤン・ウェンリー」のことば 20210611

2021年06月16日 15時12分25秒 | ことばと詩
ことばと詩 61 田中芳樹『銀河英雄伝説 1 黎明篇』より再び「ヤン・ウェンリー」のことば 20210611


 田中芳樹『銀河英雄伝説』全10巻を図書館で借りて読み始めたのは、NHKテレビで最初の第1巻・第2巻をアニメ化したので興味が出たから。


 とくに「自由惑星同盟」の青年提督ヤン・ウェンリーは、とてもおもしろい人格だ。軍隊ぎらいのくせに軍人になり何回かの大殊勲を経て提督になる。主人公として読者の感情移入がしやすい人だ。


 それにたいして、仇敵の「銀河帝国」のローエングラム候ラインハイトでは、どこにも感情移入の余地はない。気の毒と思うだけだ。


 2巻以降のヤン・ウェンリーの人生を、ゆっくり追体験していこうと思っている。


 で、ヤン・ウェンリーの、今日のことばー。


 「本来、名将と愚将のあいだに道義上の優劣はない。愚将が味方を100万人殺すとき、
名将は敵を100万人殺す。その差があるだけで、殺されても殺さないという絶対的平和主義の見地からすれば、どちらも大量殺人者であることに差はないのだ。
 愚将が恥じるべきは能力の欠如であって、道義とはレベルの異なる問題である。だがこのことを言っても理解してはもらえないし、理解を求めることでもないように思われた。」
 (p98)


ことばと詩 60 まど・みちお「うさぎ」「うさぎ」(岩波文庫『まど・みちお詩集』) 20210614

2021年06月14日 13時26分36秒 | ことばと詩
ことばと詩 60 まど・みちお「うさぎ」「うさぎ」(岩波文庫『まど・みちお詩集』) 20210614


 詩人のまど・みちおさんの詩集『まど・みちお詩集』(岩波文庫、2017年、391ページ、定価740円)に同じ題の詩が2つある。


 「うさぎ」と「うさぎ」だ。


 最初の「うさぎ」は以下のとおり。


うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
はねても
はねても
はねても
はねても
うさぎで なくなりゃしない

うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
とんでも
とんでも
とんでも
とんでも
くさはら なくなりゃしない


 うさぎの「動」を見事に表現している。ほんとうに我が家のうさぎのあずきさんは、この通りです。「はねて」「とんで」います。


 もうひとつの「うさぎ」は以下の通りです。


ーうさぎでございます
と いうように
うさぎの ほうが
きちんと すわるものだから

そらの ほうも
のはらの ほうも
きちんとして むかえているよ
ーこれは これは
うさぎさんですか・・・と


 この詩は「静」。2つの詩でうさぎの「動と静」を見事に表現しています。


 あずきさん、今日も「きちんと すわ」っています。


 あずきさん、今日も「とぶ」かなあ。





ことばと詩 59 宮沢伊織『裏世界ピクニック 3 ヤマノケハイ』ハヤカワ文庫より 20210612

2021年06月12日 11時53分10秒 | ことばと詩
ことばと詩 59 宮沢伊織『裏世界ピクニック 3 ヤマノケハイ』ハヤカワ文庫より 20210612


 宮沢伊織さんのSF小説『裏世界ピクニック 3 ヤマノケハイ』の主人公たちの1人、空魚(そらを)のことば。


 「被害者をやめるのは、その気になれば可能だった。でも被害者じゃないなら、自分はなんなんだろう、という疑問に答えは出なかった。
 加害者になるつもりはない。誰かを傷つけたいわけじゃない。別に被害者と加害者は対立概念ではないけれど、なんだかその2つの間で、自分自身が宙ぶらりんになった気がしていたのだ。
 そこに鳥子が現われて、あの言葉を投げかけてくれた。
 ー共犯者。」
(p56)


 被害者ー加害者を脱するには「共犯者」が必要という考えは、ぼくは強く共感し、共鳴する。


 そしてこれは、ハラスメントを脱するのに触媒になる助言者・人生の助走者・「天使」が必要という安富歩・本條晴一郎『ハラスメントは連鎖する ー 「しつけ」「教育」という呪縛 ー』(光文社新書、光文社、2007年)の考えに、ほぼ同じだと思う。



ことばと詩 58 田中芳樹『銀河英雄伝説 1 黎明篇』よりヤンのことば 20210611

2021年06月11日 17時16分14秒 | ことばと詩
ことばと詩 58 田中芳樹『銀河英雄伝説 1 黎明篇』よりヤンのことば 20210611


 「私は少し歴史を学んだ。それで知ったのだが、人間の社会には思想の潮流が2つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と、生命に優るものはない、という説とだ。
 人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年も続けて来た・・・・・・」
(p231)



ことばと詩 57 アラン「判断力を養うには」 202106602

2021年06月02日 16時29分11秒 | ことばと詩
ことばと詩 57 アラン「判断力を養うには」 202106602


 神谷美恵子さんの、昔買ってそのまま本棚の隅で眠っていた『著作集 2 人間をみつめて』(みすず書房、1980年)を読んでいる。


 そのなかで神谷美恵子さんは、こう書いている。


「アランは「判断力」について次のように烈しいことばを記しているが、これは「考える力」についてそのままあてはまる。
 「判断力を養うには、まず出来あいの観念やおきまり文句を殺りくすることから始めなくてはならない。」」
 (p38)


 同感です。たぶん神谷さんも、何回となく「殺りく」した経験があるんだと思う。ぼくも数限りなくあります。


 それも「いいのかなあ、殺しても」と思いつつ。